目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

めぐろウォーキング塾

2014-05-26 15:10:16 | ウォーキング
この日のウォーキングは、ウォーキング塾で行われる交流ウォーキングのコース確認を兼ねて行いました。

「めぐろウォーキング塾」は目黒区が行っている健康事業の一つで、我々めぐろウォーキング協会がお手伝いをしています。めぐろウォーキング協会自体もウォーキング塾の前身で、2000年に行われた健康ウォークの参加者が母体となって立ち上げた団体です。

すでに募集は打ち切られていますが、めぐろウォーキング塾について簡単に説明をしておきます。
概要は五回の講義と実習、三回のウォーキング実習、一回の交流ウォーキングで、今年は目黒中央体育館を中心会場として行われます。

[講義と実習]
5月30日 19:00~21:00
内容:効率的で美しい歩き方について
講師:NPOニッポンランナーズGM齊藤太郎氏

6月6日 19:00~21:00
内容:効率的で美しい歩き方について
講師:NPOニッポンランナーズ萩谷正紀氏

6月20日 19:00~21:00
内容:デューク式ダイエットウォーキング
講師:デューク更家公認ウォーキングスタイリスト玉城めぐみ氏、榊晴人氏

6月27日 19:00~21:00
内容:テッシー流健康維持法
講師:ウォーキングアドバイザー勅使河原郁恵氏

7月4日 19:00~21:00
内容:ノルディックウォーキング体験
講師:日本ノルディックウォーキング協会マスタートレーナー長谷川佳文氏

[ウォーキング実習]
期間中五地区(北部、東部、中央、西部、南部)でそれぞれ行われる活動に、三回参加する。

[交流ウォーキング]
五地区合同で行うウォーキング実習


そして今日は、交流ウォーキングのコース確認で五地区から25名が集まりました。

中央体育館でストレッチを行い、西小山駅のえびす通り商店街を抜け目黒九中まで直進します。洗足、原町、南などを通り抜けて、古刹円融寺で初めの休憩を取りました。



写真:円融寺
このお寺は江戸時代「黒仁王」と呼ばれ親しまれてきました。山門には黒い仁王像が見えます。その正面にある釈迦堂は国指定重要文化財で、23区内で最も古い木造建築です。


写真:碑文谷八幡宮
この神社には碑文谷の地名の由来となっているとも言われている碑文が彫られた石が展示されています。

このあと、すずめのお宿緑地公園、サレジオ教会、清水池公園を回り、中央体育館へ戻る5.4Kmのコースでした。

この日は比較的暑かったので、久しぶりにいい汗をかいた感じがしました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)
宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。

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四谷大木戸から恵比寿、渋谷川コース

2014-05-18 21:53:24 | ウォーキング
新宿御苑大木戸門の前をお借りしてウォーキング前のストレッチを行いました。
四谷大木戸は江戸時代水番所が置かれていたところです。今、我々が歩いている玉川上水がここまで開渠で、その水を管理するための役所でした。上水はこの先江戸府内に入り地下の上水道管を通り、江戸市中に運ばれていました。1654年の玉川上水完成の頃に、地下上水道が整備されたのは驚きです。

今日歩く渋谷川の水源の一つが現在の新宿御苑に位置し、玉川上水の余った水も渋谷川に流されていたようです。この川は渋谷川から古川に名前が変わることはよく知られていますが、上流部は穏田川と呼ばれていました。



写真:多武峰内藤神社
なんでもう少しかがんで鈴と馬が重ならないように写真を撮らないかなぁと、自分でも思う失敗写真。この駿馬については大成建設ホームページのコラムから引用させていただくと
「天正十八年(一五九〇)、江戸に入った徳川家康は、まだ原野だった西郊に出て、功臣の内藤清成(ないとうきよなり)、青山忠成(あおやまただなり)の二人に「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言ったという。二人は一日駆け続けて約束どおり広大な邸地を拝領した。これが内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にする新宿区西部一帯)と青山(港区西部から渋谷区東部)の始まりである。」
駆け回った駿馬は死んでしまい、多武峰神社に祭られているという逸話です。この日はちょうど祭礼で、神輿の準備などが行われていました。


写真:三菱鉛筆創業地の看板
最上流の穏田川で水車が回っていたとは驚きです。


写真:新宿御苑正門
御苑の正門は外苑西通りの面しています。



写真:国立競技場
今回は、六月の国立競技場解体工事開始前に競技場正門がよく見えるこのコースを歩いておこうという目的で企画しました。
外苑西通りに面したこの正面(正面というべきか、正面スタンドの裏というべきか)には1964年のオリンピックをしのばせるものが数多くあります。五輪のレリーフがある壁には、メダリストの名前が彫られています。一番に思い浮かぶのは体操のチャフラフスカ。ビートたけしがギャグに使っていたので印象に残っているのです。
その先の公園には近代五輪の父クーベルタンのレリーフ、それに正対するように加納治五郎のレリーフがあります。これらはどこかに保存展示されるのでしょうが、この場所に立ってみると当時の熱気を感じることができます。

1964年東京オリンピックの熱気は、渋谷川の悲哀でもあります。オリンピックの開発で水洗トイレの下水道を確保するため穏田川は暗渠に。選手村のために渋谷川の別の支流である宇田川も暗渠となりました。春の小川でうたわれた渋谷川は、戦後日本復興の象徴となったオリンピックを支えるために暗渠となり、今もその形跡をところどころに残しています。


写真:原宿橋の親柱
この親柱は神宮前二丁目にあります。住居表示に原宿も穏田も残っていないのは、少し寂しい気がします。


写真:原宿
ご存じのとおり穏田川暗渠には最新ファッションの店が立ち並び、賑わいを見せています。竹下通りも明治神宮清正の井戸から源を発した渋谷川支流の暗渠です。日本最先端のファッションの街原宿も、渋谷川に支えられているのです。




写真:宮下公園
渋谷川は明治通りを横切り、東急百貨店東横店の先から開渠となります。ナイキジャパンが命名権を取得したものの、紆余曲折があり宮下公園の名称のままとなっていますが、現在はフットサルコート、スケート場、クライミングウォールとなりました。強硬に反対運動をしていた人たちもいましたが、ホームレスのブルーシートハウス群よりはこのほうがよいと思います。


写真:渋谷金王八幡神社
元は渋谷川を堀とした天然の要害、渋谷城があった場所です。主の渋谷氏は現在の神奈川県、高座渋谷からこの地に移ってきた一族です。「高座渋谷って何だ」とある意味バカにしていたのですが、かつてはこちらのほうが未開の地だったということです。


写真:氷川神社の土俵
渋谷区東のこの土俵は、江戸時代三大相撲の一つとして人気を博していたそうです。


写真:恵比寿東公園
子供が裸足で遊べるよう、ペットの散歩を禁止しているこの公園でウォーキング後のストレッチをして解散となりました。
この後は旧すやまビルに復活したヱビスビヤホールへと流れてゆきました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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玉川上水、西武立川駅から玉川上水駅

2014-05-11 14:39:22 | ウォーキング
すこやか歩こう会では月四度のペースでウォーキングを企画します。そのため週末が5回ある月は一週お休みになったりします。GWはお休みとし、今日のウォーキングは二週間ぶり。私自身は前回用事があって参加できなかったので、三週間ぶりのウォーキングとなりました。

東横線と副都心線の直通運転が始まってから渋谷駅ホームの移動があり、乗り換えの環境が大きく変わりました。「JRに乗るために渋谷の乗り換えで歩くくらいなら、新宿三丁目から新宿へ歩いてもそんなに変わらない」ということになり、渋谷駅の乗り換えはほぼ皆無となっています。

今回は新宿三丁目から西武新宿駅まで歩き、拝島行きの急行に乗って西武立川駅に到着です。
快晴の空のもと、日差しも強いのですが風も強く、汗をかかない程度、気持ち良いウォーキングがスタートしました。
我々ウォーキングクラブにとって熱中症と、交通事故は常に対応できていないといけない課題です。5月になって急に暑くなりまだ体が慣れていないこと。今日のように風の強い日は汗をかいていなくて体の水分は奪われやすく脱水症状を起こすことがあること。ウォーキングを楽しんでいる皆さんも、この時期の熱中症に十分ご注意ください。


写真:緑道案内
この看板を見ると「ずいぶん橋が多いなぁ」と感じるのですが、看板には起点の羽村から終点の四谷大木戸まで43Kmが描かれているで、実際には橋と橋の間隔は結構広く、地域の文化を分断しているようなところもあると思います。
五日市街道と上水が交差する天王橋を過ぎると、上水と十字に交わる川が見えてきました。「残堀川」で、この川の下を上水が流れる立体交差になっています。状況をうまく表現できるアングルを思いつかなかったので、残念ながら写真はありません。
「川の立体交差を作るなんて、江戸時代の土木技術はすごい」と思って調べてみると、かつては残堀川が玉川上水に合流していたものを、川が汚染されてきたことへの対応として明治時代に立体交差が作られたということでした。


写真:上水の流れ
故意に捨てられたものか、風で飛んできて川底にたまっているのかわかりませんが、ところどころにごみを見かけますが、玉川上水の流れはとてもきれいです。大きな鯉がいたりするので、カワセミのえさになるような小魚もいるはずです。よく目を凝らしてみていたのですが、残念ながらカワセミの姿を見つけることはできませんでした。

国立音楽大学のそばを通る千手橋から清願院橋までは上水脇の土手が広くとってあって大きな木が茂っていました。そんな木陰の下を楽しく歩いてこの日のウォーキングを終えました。

次回は9月に一橋大学まで歩く予定です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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