目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】野川源流

2018-04-29 09:59:49 | ウォーキング
先月、野川シリーズの序章として「古代の歴史、武蔵国府・国分寺コース 約6.9km」を歩き、5月からいよいよの川沿いを歩くためその下見に行ってきました。おさらいを兼ねて国分寺市観光協会のページを引用します。
741年、聖武天皇の命により全国に国分寺が建立される際、武蔵国の国府(現在の府中市)の近くに良い土地はないかと選ばれたのが現在の国分寺市です。なぜ選ばれたのか?それは、帰国した遣唐使から伝えられた「四神相応(ししんそうおう)の地」の考えに基づきます。「四神相応」の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで
青龍(せいりゅう)
白虎(びゃっこ)
朱雀(すざく)
玄武(げんぶ)
のことを指し、それぞれ特徴のある土地に棲むと言われています。その特徴を説明すると
東:青龍…豊かな川の流れがある
西:白虎…大きな道があり交通の便がよい
南:朱雀…広大な平野や海があり開けている
北:玄武…山や丘陵がある
四神相応の地というのは、古代中国に始まった風水における四聖獣(四神)が東西南北の各方向の地形とフィットする地のことです。国分寺は、東に清流があり、西には当時の大動脈といえる東山道武蔵路、南には広大な平野が広がり、北には国分寺崖線がそびえるという理想の地相であったのです。


ということで今シリーズのタイトルを「古代の青龍、野川下りコース」としました。


写真:ストレッチを予定している公園


写真:恋ヶ窪東遺跡
野川は国分寺崖線からの豊富な湧水を集めて源流としており、その場所は日立中央研究所内に見ることができます。研究所は年二回開放日があり、その日に合わせれば本当の源流を見ることができるのですが、ウォーキングの趣旨とはちょっと違ってしまうので研究所見学は興味を持った会員さんが個人で行ってもらえばいいかなぁ。
一般的に野川源流に一番近づける場所を探し、それに近い中央研究所に隣接するこの公園をストレッチ場所として利用させてもらいたいと思っています。


写真:ウツギ
万葉植物園にウツギがたくさん咲いていました。


写真:日立中央研究所

写真:野川の説明
中央研究所から野川が流れ出る場所は自転車置き場になっていました。
野川の水源/国分寺市本町
ここ「日立中央研究所内」の湧水が野川の始まりです。この坂のあたりは国分寺崖線(通称ハケ)の一部です。ハケ下の周辺には湧き水がいたるところに見られ、「姿見の池」「真姿の池湧水群」などの水が集まって野川の流れとなっています。

国分寺崖線
国分寺崖線は通称“ハケ”と呼ばれています。この崖線は古多摩川の浸食によって出来た崖の連なりで、国分寺市の西町五丁目あたりから目立ち始め、世田谷区あたりまで続いています。国分寺市にいちばんはっきりあらわれているので「国分寺崖線」と呼ばれていました。

湧水
ハケ上の台地に降った雨は水を通しやすい火山灰層(関東ローム層)を通り、下の砂利層(礫層)にたまります。その下には水を通しにくい地層があるため、たまった地下水は砂利層を横に流れ、崖線のすそからしみ出してきます。これが湧水です。野川の両岸では旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く発掘されています。野川は古代から豊かな実りをもたらす大切な川であったのだとされています。




写真:中央研究所内を覗き見る
研究所のフェンスに阻まれてなかなか水の流れを見ることができませんが、カメラを差し入れて写真を撮ってみました。研究所を出た後、中央線の線路を横断してゆくため暗渠になって野川を確認できません。



写真:野川の流れが作った谷
先のこんもりしているところが野川かと思うとそうでもなく、ここは国分寺崖線の一部のようです。




写真:押切橋
野川にかかる最初の橋が押切橋です。中央研究所を出たばかりの野川の水量はそれほど多くなく、支流を集めて徐々に水量を増してゆきます。


写真:国分寺市のマンホール
国分寺市の花「サツキ」がデザインされており、色付きもあるようです。



写真:多喜窪通りから見た野川

写真:通り沿いのお屋敷
車が多いこの通りはかさ上げされており、その分野川が遠くなっています。このあたりはまだいい雰囲気のお屋敷が残っていていいですね。目黒区あたりはみんなマンションになってしまいましたから。


写真:あやめ橋

写真:アヤメ

写真:あやめ橋から見た野川

写真:シラン

写真:支流
支流は三月に訪れた真姿の池湧水群を水源とするものです。そちらにも「ホタルのすむ川」の看板がありましたね。


写真:野川の不動明王と庚申塚


写真:野川とこいのぼり
野川は国分寺街道と交差する地点でかぎ型に曲がっていて、そのわきに庚申塚があります。近くの交差点名に「一里塚」とあり、古くからの街道だったことが想像できます。


写真:もみじ橋




写真:川沿いの道
ここまで川沿いには家が立ち並び川を眺められる場所は橋の上しかなかったのですが、もみじ橋の先から川沿いを歩くことができました。東京経済大学から先は遊歩道が整備されているようですが、今回のウォーキングはここまでとして国分寺駅へ戻ります。


写真:東京経済大学から先の野川

写真:東経の森


写真:新次郎池
東経(東京経済大学)の森や新次郎池は公開され誰でも入ることができます。東京経済大学の前身は大倉商業学校で、創設者はホテルオークラ創業者である大倉喜八郎なのですね。
新次郎池
 池を取り囲むように5箇所から水が湧出しています。以前はわさび田として利用されていました。
 北澤新次郎学長(1957~1967年在任)の時代に池として整備され、新次郎池と呼ばれるようになりました。
 2003年1月、都内の名湧水の保全・回復を目的として東京都により選定された「東京の名湧水57選」に選ばれました。
 湧水の量は季節によって変化します。
   東京経済大学



写真:バラ

写真:ツツジ

写真:南町ひだまり公園
国分寺駅までは上り坂、国分寺崖線を体験です。


写真:殿ヶ谷戸庭園


写真:ボタン

写真:国分寺駅前の彫像「ひだまり」
殿ヶ谷戸庭園は都立の庭園です。ここに寄るかどうかはちょっと微妙な感じ。ウォーキングの距離としては5kmに満たず庭園に寄ってもいい感じはするのですが、最後の上り坂でちょっと疲れるかな。ハケに作った庭園で、園内もアップダウンがありそうだし。Wikipediaから引用します。
殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園である。園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっている。国の名勝に指定されている。

沿革
1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した。昭和40年代に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして1974年(昭和49年)東京都が買収、公園として整備の後に1979年(昭和54年)4月より有料庭園として公開した。

園内
国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた、回遊式林泉庭園である。様々な木々が植えられており、園内には池や周遊順路が存在し、カメラマンや地元住民、近隣で働く人間の憩いの場として利用される。


このコースのウォーキングは5月5日の予定です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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第十六回目黒ウォーキングマーチ将軍お鷹狩りウォーク下見

2018-04-16 15:55:45 | ウォーキング
今年度も予算化されており、11月3日(土・祝)に毎年恒例の将軍お鷹狩りウォークが開催される予定です。新年度が始まり、初めに行われる理事会の前に事務局によるコース設定の下見を行っているところです。
今年度は、「出来上がりつつある新国立競技場を眺めて、東京オリンピックへの思いを新たにする」といったあたりを狙いコースを考えているのですが、ラフに計測した感じで12kmを越えてしまいそうな感じなので、端折るところは端折り、なんどか11km以内にとどめる工夫をします。


写真:日比谷公園前交番

写真:東京ミッドタウン日比谷
地下鉄の階段を上がってきて、とりあえず目についた交番で「ミッドタウン日比谷はどこですか」と聞くのでしょう。矢印が水平ではなく上を向いているところが味噌です。見上げればすぐそこにあるのですから。
おまわりさん、毎日市民の安全を守っていただきありがとうございます。些末な指摘で申し訳ないのですが、「ミットタウン」ではなく、「ミッドタウン」です。


写真:日比谷公園のフジ
下見はロングコースから始まります。ロングコースを固めてから、それに関連させるかどうかを含めてショートコースを検討します。ロングコースのスタートは日比谷公園健康広場をすでに確保しており、ゴールも田道ふれあい広場と決まっています。ということでこれからスタート地点の健康広場へ向かいます。


写真:大岡越前忠相屋敷跡

写真:弁護士会館
白山祝田通りを渡ると弁護士会館で、その敷地内にこの看板があります。私の世代だとこちらで暮らしているのが加藤剛で、雪絵さんは宇津宮雅代さんだったのですね。妙さんが加藤治子で忠高が片岡千恵蔵。ナショナル劇場で製作総指揮は松下幸之助さんだったそうです。職場である南町奉行所は有楽町駅前にありました。


写真:東京高等裁判所


写真:47都道府県の花
東京高裁前は時々傍聴のための人が列を作っている場所です。桜田通りの交差点付近には花のプレートがありました。茨城県の花が「バラ」とはちょっと意外です。そのほかを見ると県の木が「ウメ」、県の鳥が「ヒバリ」のほか、県の魚が「ヒラメ」とあります。それらは茨城県らしいかな。


写真:陸奥宗光像


写真:国会前庭和式庭園
陸奥宗光像は霞が関坂を上りながら外務省内に見ることが出来ます。桜の花が終わって、一気に新緑の季節を迎えましたね。


写真:国会議事堂

写真:議員会館
今回は国会議事堂の正門前を通るルートを考えてみました。いつもは国会前庭洋式庭園内にある「日本水準原点」を見るのですが、昨年のアンケートの結果ロングコースはリピーターが多いので、少しルートを変更しました。ちなみに国会議事堂と議員会館は地下でつながっており、国会議員がこの辺りを歩き回っているということはありません。また議員会館と永田町駅、国会議事堂前駅も地下でつながっているそうです。


写真:最高裁判所
参議院議員会館の角から、最高裁判所が見られます。このまま首相官邸を巡れば日本の三権の象徴を見ることが出来るのですが、首相官邸付近はなかなか許可が下りないとか。



写真:参議院議長公邸


写真:衆議院議長公邸
行政の長は内閣総理大臣。司法の長は最高裁判所長官。立法の長は衆参両院の議長で三権の長は4人います。それぞれの職の月給は200万円くらいで同じだということ。


写真:赤坂見附
赤坂見附についてWikipediaから引用してみましょう。
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附、市谷見附などがある。
赤坂見附は枡形門の形式で、これは江戸城の田安門、清水門などと同じである。現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。現在見られる赤坂見附の遺構は、紀尾井町の国道246号沿いに残る石垣である。
この赤坂見附跡の西側には弁慶堀が水を湛え、赤坂見附交差点は国道246号(大山道)と外堀通りの交点となっている。



写真:豊川稲荷



写真:高橋是清翁記念公園
このあたりはこれまでのお鷹狩りで歩いたことがありません。迎賓館や学習院の方を通ることが多く、青山通りはほとんど通らないのです。青山通りは将軍が目黒筋に鷹狩りに来るときにとおった道といわれ、お鷹狩りウォークに採用するには由緒正しき道なのです。




写真:明治神宮外苑杉並木
  明治神宮外苑之記碑
  石碑の題字 「明治神宮外苑之記」
         明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書
  撰文 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
  石材 東北仙台産の板岩
     高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル
  碑文の大意
 明治45年(1912)7月30日に、明治天皇(第122代の天皇・今の天皇の曽祖父)、大正3年(1914)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
 明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治人外苑の造営が進められることになりました。
 これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正15年(1926)10月に、明治神宮外苑は完成しました。
 苑内には、天皇・皇后御二方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた八十枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの優れた運動施設が設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の身心鍛錬の場として、或は遊歩を楽しむ人々の憩いの苑として、崇高森厳の気漲る内苑と相俟って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。
 外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。
 大正15年(1926)10月 明治神宮奉賛会 会長徳川家達


銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹)
 銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上古生代の末期(一億五千年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
 日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
 並木の総本数は146本(雄木44本雌木102本)

 四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
 これは銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
 この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採取し、これを種木として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数1600本にもなりました。
 外苑造苑に当り、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6m内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選択し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです。
 直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24m・目通り周り2m80cm、最低17m・目通り周囲1m80cmのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。

 この銀杏が苗圃で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、その成長量がいかに偉大であるかを如実に物語っております。
 樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしょうが、よき所で、よく育てられ、よき場所に植えられた樹木ほど幸運なものはないでしょう。同じ時期に同じ苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも稀なる幸運な樹木と言えましょう。今後幾百年、これらの兄弟木の銀杏は生長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑々地と融和し、我々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。
   平成御大礼の日 之を建つ
      平成2年11月12日  明治神宮外苑




写真:新国立競技場
しばらく見ないうちにずいぶん高くなりました。今回これを見てオリンピックへの思いを強くすること、そして参加者自身がスポーツをすることにより健康寿命を延ばすための意識が高くなることが狙いです。


写真:神宮球場

写真:ブラジル大使館

写真:表参道ヒルズ
今回下見をできたのは表参道まででした。表参道からキャットストリートを歩いてもらいたい、富嶽三十六景「穏田の水車」の舞台であることを実感してもらいたいという思いがあります。神宮前小学校の校庭に水車の模型があるのでそれを見ようと試みたのですが、外からは見えないようです。
神宮外苑からどのように表参道に至り、キャットストリートを歩いて、どのように渋谷駅付近を通過するのか。もう一度下見が必要なようです。


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大倉山獅子ヶ谷市民の森コース 約5.4km

2018-04-15 13:37:00 | ウォーキング
獅子ヶ谷市民の森は中目黒から一時間以内で行ける里山です。もう谷戸とはいえないくらい住宅が建っていますが、急峻な地形のためかあまり開発されておらず、整備された公園もいい具合に枯れていて、なかなか趣があります。


写真:港北区総合庁舎
中目黒から東横線に乗り大倉山へ。綱島街道沿いにあるこの場所をお借りして、ウォーキング前のストレッチをするのですが、この日は先客がありました。よさこいの練習でしょうか、かなり激しい動きをしていました。隅の空いているところをお借りし、ストレッチをして出発です。


写真:スギナの林
環状二号線のあたりは以前から開発されている感じで、足元にスギナ林が広がります。最近は代々木第一体育館の花壇にもスギナが見られるようになりましたが、人の手が入ったところにスギナが戻ってくるのに50年くらいかかるのかなぁと勝手に想像しています。もともとスギナの多いところでは胞子が飛んでくるのでそんなにかからないのかな?都内ではなかなか見る機会がありません。


写真:イロハカエデの花も終わり

写真:崖のスミレ

写真:山頂の菜の花

写真:ソメイヨシノのサクラも終わり

写真:筍を掘っている人がいました
環状二号線をお蕎麦屋さんの手前で右に曲がり、小高い山を越えるといよいよ獅子ヶ谷ワールドの始まりです。自然のままの崖にスミレが咲き乱れ、ウグイスの声が聞こえてきます。日本人にとってウグイスは特別ですね。ハワイの日系人がハワイ島にこの鳥を放った気持ちがわかるような気がします。


写真:ツツジ

写真:ハナミズキ

写真:里芋の芽

写真:シバザクラ
坂を下ると左側、永昌寺の裏山のハナモモがミニ桃源郷を作っています。右側には家庭菜園のような畑が広がります。






写真:みその公園(横溝屋敷)

写真:ハナミズキ

写真:ジュウニヒトエ

写真:レンゲ

写真:タケノコ

写真:ホタルカズラ

写真:シャガ

写真:シラユキゲシ

写真:こえだめ
茅葺二階建て、豪農だったのでしょう。一部抜粋しますが、年間行事などは公園のホームページを訪れてみてください。
みその公園「横溝屋敷」は神奈川県横浜市鶴見区にある見学施設です。江戸時代からの主屋・長屋門・蚕小屋・穀蔵・文庫蔵があり、農村の生活を身近に感じる事ができます。四季折々の草花が楽しめ、日本の伝統行事を行っています。


写真:ジャーマンアイリス

写真:下神明神社近くの庚申塔


写真:特養老人ホームやまゆりホームのヤエザクラ

写真:ニューツルミゴルフ練習場
このコースで一番きついと感じる坂がここ、老人ホームとゴルフ練習場のあいだにあります。ゴルフ練習場は斜面を利用してうまく作っていますね。


写真:ツクシ
坂を上った上の台地には、まだ大きな空き地がありツクシが伸び放題。




写真:車地蔵
本覚寺のページから引用します。
車地蔵は、享保3年(1718)に建立され、お堂の中で道行く人たちを暖かく見守り、人々からは「子授け地蔵」とか「車地蔵」として親しまれてきました。お堂の左側の柱には、小さな木の車が取り付けられています。昔からこの峠道を通る人たちは、この車を回す習慣が在りましたので、「車地蔵」の名が生まれたのでしょう。この車は「地蔵車」または「後生車(ごしょうくるま)」とも呼ばれ、これを回すことによって、六道(ろくどう)の苦難から救われると信じられ、後生安楽に成仏(じょうぶつ)するといわれてきました。伝説によると、時おり、人びとの寝静まった夜中にこの車がひとりで回る音がして、これはお地蔵さんが回されるのだと、久しい間村人たちは信じてきました。この車地蔵が建っている峠道は、江戸時代、鶴見から師岡・綱島方面に至る唯一の街道でした。
お地蔵様は、享保3(1718)年10月20日に建立された総丈195糎、身丈140糎、台座直径49糎のお地蔵様です。地蔵堂は、平成8(1996)年3月28日に、獅子ヶ谷地区の車地蔵建築委員・車地蔵講中の皆様により、改修されました。平成8年より横浜市の登録文化財となっており、獅子ヶ谷の天台宗本覺寺が管理しております。



写真:ヤエザクラ

写真:新芽

写真:モッコウバラ
トイレ休憩をする公園があるのですが、名前がわかりません。この公園を含めたあたりがまさに「獅子ヶ谷市民の森」なのかもしれません。公園内のスミレが咲き乱れる階段を上るのですが、そろそろ皆さんお疲れのようです。でも菊名駅まで、ふた山越えなくてはなりません。横浜特有の急坂です。


写真:台地の上の庚申塔

写真:フジ
大地の上にも庚申塔があり、江戸時代から上にも人が住んでいたようです。水に不自由するのではないかと思うのですが、深い井戸でも掘ったのでしょうか。


写真:菊名神社のそばうどん

写真:我慢様

写真:菊名神社のシャクナゲ
ウォーキング後のストレッチは菊名神社の境内を利用させていただいています。先日NHKのニュースで紹介されていたうどんを提供するキッチンカーが置かれていました。かまぼこに我慢様の焼き印が入る、念の入れよう。我慢様について菊名神社のページから引用します。
『がまんさま』手水鉢をささえる四方の支柱になっている鬼の石像のことで、寛政年間(1786~1801)に築かれたと伝えられる。この「がまんさま」は、長い年月苦難に耐え、同じ仕事に飽きる事なく手水鉢をささえているそのがまん強い姿から、人の道も努力・忍耐こそが開運を招く基であると論している。四体それぞれお顔が違いますよ。

獅子ヶ谷市民の森はアップダウンがきついものの、手軽に訪れることが出来る里山としてとても価値があるスポットです。


写真:青ガエルをイメージした東横線のラッピングカー
この日のウォーキング後、歩行誘導員という役割を担っている方々との打ち合わせがありました。時間に少し余裕があったので、菊名駅から各駅停車に乗り、元住吉駅で特急の通過待ちをする際に写真に納めました。このブログにも何度か登場しています、東急5000系車両、通称「青ガエル」を模したラッピングカーです。最新車両なので、中身は最新設備となっています。私が小学生のころ東横線にもクーラーが導入され始め、クーラーのついていない5000系車両が来るとがっかりしたものです。


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呑川コース 約7km

2018-04-02 14:34:11 | ウォーキング
前任者が設定したこのコースは、いつの頃からか年度の一番初めに歩くコースとなりました。この時期目黒川周辺はとても活動できるような状況ではなく、この呑川の緑道は地元民による花見などが行われているものの、集団で歩いても周りに迷惑をかけるというほどではありません。今回はいつになく、花吹雪舞うウォーキングとなりました。


写真:東横線ガードの南側は葉桜

写真:北側の緑道は花見で通行不能

写真:常円寺山門
普段は東横線ガードの北側になる呑川緑道でスタート前のストレッチをするのですが、この日は花見の先客があり、呑川を少し外れた常円寺隣の児童遊園をお借りしてストレッチを行いました。


写真:八雲氷川神社とろけ地蔵

写真:ところにより葉桜

写真:ドウダンツツジ

写真:呑川緑道とソメイヨシノ

写真:ボケ

写真:桜の花びら
本当にはらはらと花びらが散り、ときどき立ち止まり「ワァ~!」と声をあげてしまいそうな花吹雪でした。


写真:ジューンベリーかな?

写真:シロヤマブキ

写真:シャガ

写真:カタバミ

写真:ハナモモ
つい二週間前とは打って変わって花盛りです。


写真:世田谷区の呑川緑道

写真:ユキヤナギ

写真:タンポポ

写真:八重のシダレザクラ
呑川緑道は世田谷区に入ると桜は両側にあり、歩きやすい道となります。一部に古い木も見られ、暗渠になる前からあるものなのかもしれません。五弁のシダレザクラはおおむねソメイヨシノより早めに咲きますが、八重の枝垂れは一週間以上遅いようです。


写真:見事なシャクナゲ
三島公園の近くで、個人の敷地のようだったのであまり近づくことが出来ませんでしたが、見事なシャクナゲです。撮影の時は気にならなかったのですが、上の白い花の木が気になります。八重桜の種類かなぁ?


写真:ミツバツツジ

写真:東京体育大学

写真:花筏

写真:呑川親水公園
駒沢通りを渡ると呑川は開渠の公園となります。こちらも「清流の復活事業」により、高度処理された下水が流されています。




写真:駒沢公園
こちらはベタな花見客で埋め尽くされています。アメリカでは公共の公園での飲酒は違法で、バーベキューをしながらビールが飲めないという話を聞きますが、それと比べてなんと飲酒に寛容な国なのかと思います。


写真:呑川柿の木坂支流緑道のシモクレン
呑川をぐるっと一周回ってくるこのコース。ウォーキング後のストレッチも児童遊園をお借りしました。

反省会は渋谷のキリンシティ桜ヶ丘店。Facebookで告知を見たフキノトウの天婦羅を食べ、春の到来を香りとほろ苦さで楽しみました。


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