目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

自由ヶ丘コース 約4.9km

2020-11-17 14:35:48 | 東京都目黒区

みどりの散歩道
集合は都立大学駅近くの呑川暗渠です。みどりの散歩道で見どころが紹介されていますが今回のウォーキングコースでは東光寺前を通過するのみ。変化を持たせてこの日は衾の鎮守八雲氷川神社を訪れることにします。
高架になる前の東横線を知りませんが高架工事は1960年とのことでまだ生まれていません。祐天寺の高架工事はかろうじて覚えています。


東横線自由が丘方面

沿線のキク
この時期南に向かう道では逆光で写真が撮れる状況ではありませんね。キクの花はあちこちで見ることが出来ました。


熊野神社の紅葉

参道

御拝殿

目黒ばやし

境内社伏見稲荷神社
ここへきて「衾の鎮守は熊野神社かな?」と思いましたが、こちらは谷畑の権現様と呼ばれていたとのこと。自由が丘駅付近は湿地だっと聞いていますが、少し高くなっているこの付近は稲作や畑に適した土地だったのでしょう。谷畑は消えてしまった小字になります。


竹垣

緑小通り

ワビスケ

植木屋さん
とっさに「たけがきやけた」と思い浮かびましたが、ちょっと違う。「たけやぶやけた」の回文でした。緑小通りの西端を右折し北へ向かい順光になり写真が撮りやすくなりました。「ツバキですね」と聞いたら「開ききらない小さな花はワビスケといいます」と会員さんが教えてくれました。茶花なんですね。


農園野菜直売所
目黒通りを渡り呑川本流へ下ってゆく北向き斜面に畑があります。二か月前はなにも売っていませんでしたが、今回は八ッ子、ズイキ、ネギ、サトイモ、柿がありました。


呑川本流緑道

フヨウ?

ピラカンサ

ヒイラギ

サクラの落葉

カリン
坂を下ると呑川本流緑道。「フヨウかな?」は斑入りの葉で花の色も珍しい。


ランタナ

ボケ

みどりの散歩道

衾の地名のいわれ
本流緑道から左折して呑川駒沢支流緑道を北へ向かいます。ボケは期待を裏切らないぼけた季節感を感じさせますが、1月くらいからが花の季節のようです。
前回歩いて気になった「衾の地名のいわれ」を通りを渡って見に行きました。この通りが「やくも文化通り」という名前だったことを初めて知りました。「衾の地名のいわれ」といいながら結論がありません。結論があるとすれば「いわれは諸説あり分かりません」でしょうか。衾について目黒区のホームページから引用します。
目黒の地名 衾(ふすま)
更新日:2014年2月3日

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 衾
「衾」は、「碑文谷」とともに、目黒の歴史を語るとき欠かすことのできない、目黒の代表的な地名の一つ。目黒が六カ村に分かれていた江戸時代、現在の環七通りの南側全域が「衾村」と呼ばれ、明治22年に碑文谷村との合併により「衾村」の名が消えたのちも、「衾」の名は、合併後の村名「碑衾村」(昭和2年からは碑衾町)に継承されるとともに、旧衾村全域の大字名として生き続けた。

しかし、昭和7年、目黒町と碑衾町が合併して目黒区が誕生すると、「衾」は、区内四十四町丁の一つ「衾町」にその名を残すのみとなり、さらに昭和39年、新住居表示が実施されるに及んで、この町名も、ついに姿を消すこととなった。

なお、当時の「衾町」は、現在の八雲一丁目・二丁目・四丁目・五丁目にまたがる地域で、この辺りは、中世、碑文谷・衾の領主であった吉良氏が建立した東光寺をはじめ、常円寺、金蔵院、衾村の鎮守 氷川神社などの古社寺が連なる旧衾村の中心地であったところ。区制施行当時、碑衾地域の新町名の多くが、その地の小字名を採用したなかで、この一角だけが、なお「衾」の名をとどめてきたゆえんである。
さて、「フスマ」という地名の由来については、諸説がある。これを列挙すると、
1. この地に古くからあった民間信仰の神の名「塞坐大神ふせぎますおおみかみ」の「フセギマス」が転訛した。
2. この地が往古から馬の飼料「麩ふすま」の産地として知られていたため。
3. 湿地に馬が足を踏み入れたところから「伏馬ふしま」と呼ばれた。
4. 地形上、呑川の本支流の谷間はざまが多いところから「間はざま」が転じた。
5. 幾つかの丘陵が並ぶこの土地の起伏の様子が「衾」(掛け布団)に似ていた。
など。このほか、「婦寿婆」や「婦寿満」という記述もあり、現在まで定説とされるものはない。
なお、今日では、八雲五丁目にある衾町公園のほかに、「衾」の名をとどめるものは見当たらない。



ツワブキ

桜修館のイチョウ

区民キャンパスのケヤキ

万葉歌碑

やくも文化通りのケヤキ

区民キャンパスのハゼノキ


区民キャンパスのイチョウ

?の紅葉
イチョウやケヤキの紅葉が青空に映えます。区民キャンパスの秋はいい感じです。


夏ミカン?

七五三撮影隊

とろけ地蔵
コースは八雲小学校前で設定しているのですがこの日は氷川神社を通ることにしました。withコロナ対応8コースは八雲氷川神社を訪れるコースがなかったので、衾を歩くコースなのに鎮守にご挨拶なしでは申し訳ない。
七五三の女の子でしたがお父さんはフランス人のようで、トルシエ監督の通訳ダバディさんかと思いました。


中根橋の親柱
呑川本流にかかる目黒通りの橋が中根橋でした。中根はこのあたりの小字ですが中根小学校が呑川の下流になるので都立大学駅付近が中根という認識はあまりありません。呑川にはいつごろまで水が流れていたんだろうと調べるとやはり東京オリンピックを契機に暗渠化されたそうです。駒沢公園がサブ会場だったので渋谷川と同じように手っ取り早く下水道の整備をするため暗渠化されたのですね。

この先でストレッチをして解散です。第三波も叫ばれる新型コロナ感染症の感染拡大が続いている中、ウォーキング後はおとなしく帰るしか手がないようです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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北部公園コース 約6.0km

2020-11-08 11:24:59 | 東京都目黒区
9月10月用にwithコロナを意識した8コースを考えて、11月12月は同じコースを繰り返します。ということで二か月ぶりの北部公園コースですが、駒場東大の中を歩けないのでちょっとだけコースを変えて歩くことにしました。駒場東大の敷地は広大で、中を歩けないと大幅な回り道となり冗長な部分も出てくるので。


菅刈公園の紅葉

イヌタデ

青空も少しのぞく

ハナミズキの紅葉

ツワブキ

シャクチリソバ
中目黒GTに20人近く集合しました。春先と比べて人数が増えたのは、会員の皆さんも運動不足を実感しているからでしょう。ウォーキング中のマスクの着用は義務付けていませんが、ほとんどの皆さんがマスクを着用してウォーキングを楽しんでいます。ウォーキング中のおしゃべりも楽しんでいるので、マスクは必須でしょうか。
いつもストレッチ場所にお借りしている目黒川舟入場でキッチンカーによるテイクアウトイベントが行われているので、蛇崩川が目黒川に合流する合流点遊び場をお借りしストレッチをしてスタート。目黒川をさかのぼり菅刈公園へ。


ミキモトのバラ

キク

目黒川

大橋ジャンクションのシダレザクラ
菅刈公園でトイレ休憩の後前回は西郷山公園へ上っていったのですが、今回は川沿いをさらにさかのぼりました。ミキモトの菅刈公園側のバラはあまり花はなく、実が目立っています。


宮下公園脇の坂

坂の途中の松

駒場高校南門
玉川通りを横断して上目黒氷川神社の西にある宮下公園。向かって左側の坂を上り公務員住宅を抜けて駒場野公園方面に行くことが多いのですが、今回は向かって右側の坂を上ります。練兵場の跡が戦後学校の敷地となっているので大きな木も多い。都立駒場高校は明治時代六本木に東京府立第三高等女学校として開校し、戦災に遭い戦後駒場の地に移り駒場高校と改名しています。


仰光寮
駒場高校のホームページから引用します。
香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物(お花御殿)。昭和8年(1933年)、東京府を通じて本校に下賜された。当初麻布の校地にあり、昭和20年の空襲の際にも宿直の先生方の消火作業により、焼失を免れた。のち昭和26年(1951年)、同窓会「松桜会」の尽力で現在の校地内に移築された。本校の伝統を象徴する建物。


トランペット

コキアと目黒一中の校庭

駒場高校正門
駒場高校と目黒一中は隣接して間に道がないので、一中をぐるっと回らなければなりません。一中の校庭も戦前は練兵場で馬がいたため、生徒が怪我をして破傷風になることが多く困ったという話を小学校の担任が話していたので、検索してみてもそのような記事には至りませんでした。しかし感染症学雑誌第60巻第4号に「東京都目黒区駒場の一民家の庭で1982年9月柿の木から落ちて足指を切り,土で汚れた傷を外科医が治療,縫合した後8日の潜伏期を経て破傷風になった54歳の男性がいた.」とありました。いまとなっては真偽はわかりませんね。


東大前商店会

キッチン南海

たこやきみしま

古書店
駒場は基本的には住宅街なのですが、東大駒場があって学生街のような雰囲気を見せているのが古書店でしょうか。みしまのたこやきはおいしいと聞いていますが試したことがありません。キッチン南海は神田に勤めていた時ランチで何度か訪れたことがあり、学生街のイメージがあります。神保町の本店は見たことがありますが、今年6月に閉店してしまったそうで、神田小川町にあったランチで訪れた店も閉店。Wikipediaから沿革を抜粋します。
南山茂が1960年に東京都千代田区飯田橋で創業、1966年に千代田区神田神保町に移転した。店名は南海ホークスに由来し、チームカラーの緑色が店の看板にも使われている。
学生街における麻雀ブームのたかまりを受けて、1970年代には神保町内の雀荘への出前を目的とする支店が5店舗展開された。これらの支店はブームの落ち着きとともに閉じられたが、その際に得られた資金で平成初期に本店の大規模な改築が行われた。
この店で修業した料理人が独立してキッチン南海の店名で開店したことから、神田神保町の他にも都内や近県に20近くの同名店舗が存在する。独立時の条件が「大衆的な値段」のみだったため、メニューや価格は店舗によって異なる。



駒場東大の門は封鎖中

駒場小学校




日本民藝館

東京大学先端科学技術研究センター
駒場東大の門は相変わらず閉鎖中です。駒場公園に行くことが多くあまり訪れることがない日本民藝館前を通り、多くの大谷石が使われていることに初めて気づきました。先日大谷資料館を訪れたので、何となく親近感。


駒場公園

日本近代文学館

駒場公園洋館前のバラ

前田邸の焼却炉?

旧前田邸洋館

駒場公園の灯篭

駒場野公園
駒場公園を経由して駒場野公園でストレッチをして解散です。


帰り道で見たキク
この日からウォーキングが13時スタートとなりました。ウォーキング終了後ちょっと早いけど飲みにゆくことがこれまでの楽しみでした。withコロナの時代、5人以上の会食は避けるようにと言われており、声をかければ5人以上になることは目に見えていたので、残念ながらおとなしく帰ります。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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