みどりの散歩道
集合は都立大学駅近くの呑川暗渠です。みどりの散歩道で見どころが紹介されていますが今回のウォーキングコースでは東光寺前を通過するのみ。変化を持たせてこの日は衾の鎮守八雲氷川神社を訪れることにします。
高架になる前の東横線を知りませんが高架工事は1960年とのことでまだ生まれていません。祐天寺の高架工事はかろうじて覚えています。
東横線自由が丘方面
沿線のキク
この時期南に向かう道では逆光で写真が撮れる状況ではありませんね。キクの花はあちこちで見ることが出来ました。
熊野神社の紅葉
参道
御拝殿
目黒ばやし
境内社伏見稲荷神社
ここへきて「衾の鎮守は熊野神社かな?」と思いましたが、こちらは谷畑の権現様と呼ばれていたとのこと。自由が丘駅付近は湿地だっと聞いていますが、少し高くなっているこの付近は稲作や畑に適した土地だったのでしょう。谷畑は消えてしまった小字になります。
竹垣
緑小通り
ワビスケ
植木屋さん
とっさに「たけがきやけた」と思い浮かびましたが、ちょっと違う。「たけやぶやけた」の回文でした。緑小通りの西端を右折し北へ向かい順光になり写真が撮りやすくなりました。「ツバキですね」と聞いたら「開ききらない小さな花はワビスケといいます」と会員さんが教えてくれました。茶花なんですね。
農園野菜直売所
目黒通りを渡り呑川本流へ下ってゆく北向き斜面に畑があります。二か月前はなにも売っていませんでしたが、今回は八ッ子、ズイキ、ネギ、サトイモ、柿がありました。
呑川本流緑道
フヨウ?
ピラカンサ
ヒイラギ
サクラの落葉
カリン
坂を下ると呑川本流緑道。「フヨウかな?」は斑入りの葉で花の色も珍しい。
ランタナ
ボケ
みどりの散歩道
衾の地名のいわれ
本流緑道から左折して呑川駒沢支流緑道を北へ向かいます。ボケは期待を裏切らないぼけた季節感を感じさせますが、1月くらいからが花の季節のようです。
前回歩いて気になった「衾の地名のいわれ」を通りを渡って見に行きました。この通りが「やくも文化通り」という名前だったことを初めて知りました。「衾の地名のいわれ」といいながら結論がありません。結論があるとすれば「いわれは諸説あり分かりません」でしょうか。衾について目黒区のホームページから引用します。
目黒の地名 衾(ふすま)
更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 衾
「衾」は、「碑文谷」とともに、目黒の歴史を語るとき欠かすことのできない、目黒の代表的な地名の一つ。目黒が六カ村に分かれていた江戸時代、現在の環七通りの南側全域が「衾村」と呼ばれ、明治22年に碑文谷村との合併により「衾村」の名が消えたのちも、「衾」の名は、合併後の村名「碑衾村」(昭和2年からは碑衾町)に継承されるとともに、旧衾村全域の大字名として生き続けた。
しかし、昭和7年、目黒町と碑衾町が合併して目黒区が誕生すると、「衾」は、区内四十四町丁の一つ「衾町」にその名を残すのみとなり、さらに昭和39年、新住居表示が実施されるに及んで、この町名も、ついに姿を消すこととなった。
なお、当時の「衾町」は、現在の八雲一丁目・二丁目・四丁目・五丁目にまたがる地域で、この辺りは、中世、碑文谷・衾の領主であった吉良氏が建立した東光寺をはじめ、常円寺、金蔵院、衾村の鎮守 氷川神社などの古社寺が連なる旧衾村の中心地であったところ。区制施行当時、碑衾地域の新町名の多くが、その地の小字名を採用したなかで、この一角だけが、なお「衾」の名をとどめてきたゆえんである。
さて、「フスマ」という地名の由来については、諸説がある。これを列挙すると、
1. この地に古くからあった民間信仰の神の名「塞坐大神ふせぎますおおみかみ」の「フセギマス」が転訛した。
2. この地が往古から馬の飼料「麩ふすま」の産地として知られていたため。
3. 湿地に馬が足を踏み入れたところから「伏馬ふしま」と呼ばれた。
4. 地形上、呑川の本支流の谷間はざまが多いところから「間はざま」が転じた。
5. 幾つかの丘陵が並ぶこの土地の起伏の様子が「衾」(掛け布団)に似ていた。
など。このほか、「婦寿婆」や「婦寿満」という記述もあり、現在まで定説とされるものはない。
なお、今日では、八雲五丁目にある衾町公園のほかに、「衾」の名をとどめるものは見当たらない。
ツワブキ
桜修館のイチョウ
区民キャンパスのケヤキ
万葉歌碑
やくも文化通りのケヤキ
区民キャンパスのハゼノキ
区民キャンパスのイチョウ
?の紅葉
イチョウやケヤキの紅葉が青空に映えます。区民キャンパスの秋はいい感じです。
夏ミカン?
七五三撮影隊
とろけ地蔵
コースは八雲小学校前で設定しているのですがこの日は氷川神社を通ることにしました。withコロナ対応8コースは八雲氷川神社を訪れるコースがなかったので、衾を歩くコースなのに鎮守にご挨拶なしでは申し訳ない。
七五三の女の子でしたがお父さんはフランス人のようで、トルシエ監督の通訳ダバディさんかと思いました。
中根橋の親柱
呑川本流にかかる目黒通りの橋が中根橋でした。中根はこのあたりの小字ですが中根小学校が呑川の下流になるので都立大学駅付近が中根という認識はあまりありません。呑川にはいつごろまで水が流れていたんだろうと調べるとやはり東京オリンピックを契機に暗渠化されたそうです。駒沢公園がサブ会場だったので渋谷川と同じように手っ取り早く下水道の整備をするため暗渠化されたのですね。
この先でストレッチをして解散です。第三波も叫ばれる新型コロナ感染症の感染拡大が続いている中、ウォーキング後はおとなしく帰るしか手がないようです。
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