目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

渋谷川コース渋谷ストリーム経由 約6.2km

2019-12-31 16:20:37 | ウォーキング
渋谷川コースを設定してはじめに歩いたのは2014年5月、二回目は2017年3月でした。2017年には国立競技場の建て替えが決まり、解体が始まる前に見ておこうという企画でした。今回新国立競技場の建設が終了したので三回目ということになりますが、金王八幡、渋谷氷川神社をめぐるコースを一部変更し、渋谷川沿いを歩くコースを設定しました。2017年、渋谷駅付近で渋谷川沿いを歩くことが出来ませんでしたが、渋谷ストリーム、渋谷ブリッジができ渋谷川沿いの東横線の線路があった場所に歩道が整備さたので、そちらを歩いてみるコースを設定しました。
渋谷川は源流からいくつかの川を集めて東京湾に注ぐのですが、大きな合流があるたびに名前を変えてゆきます。源流を穏田川、渋谷駅付近で宇田川が合流するとそこから渋谷川、天現寺で笄川が合流すると古川になります。今回はこの名称で紹介してゆきたいと思います。



新宿御苑大木戸門
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑のルートで到着し大木戸門までやってきたら新宿御苑は閉園していました。Googleで見たら営業中になっておりGoogleの情報は年末年始の休みは反映されていないようです。1月1日は休日のため「時間変更の可能性」と表示されています。都立公園かと思っていたら環境省の管轄でした。浜離宮恩賜庭園のように管理を地方自治体に移した公園は「恩賜」、国立で天皇家とゆかりがある場所は「御苑」なのでしょうか。新宿御苑は12月29日から1月3日まで閉園だそうです。


四谷区民センター

水道碑記
四谷区民センターの土地は水道局の持ち物だろうと思い調べたのですが、はっきり書いたものは見つからず。現代建築研究所のページから引用します。一部誤字があるようですがそのまま引用します。
東京都水道局の事務所と450席の区民ホールを含む新宿区施設との複合施設である。地下鉄の振動から守るために9回まで持ち上げられたホールと、敷地南側の玉川上水暗渠を避けた片持ち吊り構造で構成されている。新宿通り側のファサードには、町並みに対する圧迫感を和らげ背後の新宿御苑の自然が見え隠れするように、様々な開口と窪みによって変化を与えている。

水道碑記については新宿観光振興協会のページから引用します。
『水道碑記』は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。

ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所のあったところ。それを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。高さは4.6メートルにもおよぶ大碑で、碑文は漢文です。玉川上水建設の理由や、請け負った玉川兄弟の事績をたたえた内容が記されています。 玉川上水はここで水量を調整され、地下へともぐり、石樋や木樋で城下へと配分されました。主として江戸の西南部の飲料水として使用されており、明治以降も近代水道設備に衣がえしながら使用され続けてきました。地下鉄工事などで出土した石樋や木樋が新宿歴史博物館に保存されています。


新宿歴史博物館にも一度行ってみたいです。四谷大木戸の設置が1616年、水番所は1653年で玉川上水が完成した年、内藤新宿の設置が1699年です。甲州街道の一つ目の宿場が高井戸では遠すぎると名目でしたが、浅草の商人が新たな繁華街を開発したい狙いがあったようです。しかし内藤新宿は1718年に廃止、1772年に再開と紆余曲折があったようです。現在は浅草を上回る日本一の繁華街ですね。なにしろ新宿駅は乗降客三百万人/日の世界一のターミナル駅ですから。


元サンミュージック本社
アイドル歌手が投身自殺した場所で、今でもここを訪れるファンがいるようです。


穏田川源流部
玉川上水ができるまで小川だったと思われ、谷が形成されていません。水番所から余った水を流すようになりこの川幅が必要になったのでしょう。



内藤町の表札
内藤町は広いのですが大部分が新宿御苑なので戸数は限られており一丁目しかありません。大京町、左門町、須賀町、信濃町、南元町と小さな町があります。古くは四谷区だったんですね。





多武峰(とうのみね)内藤神社

駿馬
駿馬について大成建設のページから引用します。
天正十八年(一五九〇)、江戸に入った徳川家康は、まだ原野だった西郊に出て、功臣の内藤清成(ないとうきよなり)、青山忠成(あおやまただなり)の二人に「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言ったという。二人は一日駆け続けて約束どおり広大な邸地を拝領した。これが内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にする新宿区西部一帯)と青山(港区西部から渋谷区東部)の始まりである。

走った後駿馬は死んでしまうのですが広大な敷地を手にした功績でこうして神社に祀られています。青山でも同じような話があると思っていたのですが、内藤さんと青山さんが競って駆け回ったのですね。



鉛筆の碑
明治20には新宿御苑近くのこの場所で水車が回るほどの水が流れていたということです。北斎の富嶽三十六景「穏田の水車」はこれより下流になります。




外苑西通り沿いの穏田川

新宿御苑正門

大番児童遊園
新宿御苑沿いに南下した穏田川は正門の少し北側で外苑西通りを渡り、四谷第六小学校の敷地内を通り、児童公園の先で中央線の高架下を通り、外苑西通りを南下します。国立競技場がある霞ヶ丘は穏田川が削った西向きの丘ということになります。外苑西通りは谷筋を通っていますが、このあたりではそれほど大きな谷とは言えません。


新国立競技場が映るビル


新国立競技場

嘉納治五郎

長野オリンピック聖火台(レプリカ)

札幌オリンピック聖火台(レプリカ)

東京オリンピック1964聖火台(レプリカ)

五輪と新国立競技場

クーベルタン男爵


岸清一先生
外苑西通りから霞ヶ丘を登り新国立競技場の南端にやってきました。以前は「日本青年館前」という交差点で、一本北に霞岳町という交差点がありましたが、新国立競技場が元日本青年館、明治公園があった場所まで大きくなってしまい道が一本無くなりました。この一角は17年前の第一回お鷹狩りウォークの休憩地点に予定していたもの、当日ナビスコカップでレッズ対アントラーズ観戦のサポーターで埋まっており休憩できなかったことが今でも語り草になっています。そんな思い出の地が無くなったことも感慨深いです。
新国立競技場の南側、スタジアム通りに面してJAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE、日本青年館の二つのビルが新築されました。嘉納治五郎像から岸清一先生の銅像までJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREの敷地内にあります。
大河ドラマ「いだてん」を見るまで知らなかった岸清一先生は嘉納治五郎に続き第二代の日本体育協会会長となり、私費を寄付して岸記念体育館が駿河台下に建設され、我々のなじみが深いファイヤー通り沿いの岸記念体育館は二代目になります。東京オリンピック1964に合わせて建設された二代目岸記念体育館でしたが、同じ場所での建て替えを断念しこちらへ移ってきました。東京オリンピック2020でもこの場所は象徴的な撮影ポイントとなることでしょう。


明治神宮野球場

秩父宮ラグビー場
秩父宮ラグビー場は東京オリンピック2020のあとすぐに解体工事に入るのかと思ったらそうではないようです。Wikipediaから一部引用します。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの翌2021年に神宮第二球場を解体し、2022年以降に新たなラグビー場の建設を開始する。新たなラグビー場の工事が一旦完了する2024年以降に現在の秩父宮ラグビー場を解体し、その跡地に新たな野球場を建設する。新たな野球場が完成する2027年以降に現在の神宮球場を取り壊して、ラグビー場の観客席を増設するという。神宮外苑地区の再開発は2030年秋ごろに完了予定である。


青山熊野神社

原宿橋
熊野通りを通り外苑西通りを横断して穏田川に戻ってきました。外苑西通りは仙寿院から南は上り坂になります。穏田川は西にそれて裏原宿となってゆくのですがその先に笄川の源流があるはずです。調べて見ると梅窓院のあたりが源流で外苑西通りの谷を流れ天現寺で渋谷川に合流します。穏田川と笄川はこのあたりでニアミスしているということですね。



裏原宿



キャットストリート

宮下公園
宮下公園は現在改修が行われており来年オープンの予定です。見た感じ公園には見えないのですが、“広場と緑の共存”をコンセプトに整備が行われているとのことです。


渋谷キャスト

渋谷スクランブルスクエア

東京メトロ銀座線
日に日に変わる渋谷についてはまだ尋ねてもいないしよくわからないのですが、そのうち探検してみたいと思います。銀座線渋谷駅についてはヒカリエ隣りの地上に改札口が工事中で、新年早々運用開始となると思います。東横線との乗り換えが楽になりますが、ここで乗り換えると運賃が高くなるのであまり使わないでしょう。


セルリアンとマークシティ

渋谷ストリーム

渋谷川

渋谷川沿いの歩道

八幡通り

並木橋から渋谷方面を望む
穏田川と宇田川が合流して渋谷川となりました。渋谷ストリームから先の遊歩道ではこの場所に東横線が通っていたことを示すように線路のオブジェがあります。それほど広くない道を横断する場所に横断歩道がないので、少し遠回りをしなくてはならないのが不便です。早々に横断歩道の整備をしてほしい。八幡通りは中途半端に高さがあるので横断する際には明治通りに出る必要があります。明治通り沿いのビルにとって渋谷川側は見る人がいない面だったので現在は裏側感満載です。人目につくようになり徐々に改善されてゆくことでしょう。


渋谷ブリッジと清掃工場

ベンチ

渋谷川

庚申橋付近
庚申橋は江戸時代から渋谷川に橋が架けられ目黒や世田谷の農民が朝野菜を担いで通っていた道にあり、通り沿いに多くの庚申塔が残ります。


恵比寿東公園
駒沢通りを渡り、こちらでストレッチをして解散です。


日暈
ストレッチで空を見上げると虹が出ていました。年内最後のウォーキングを終えライオンで納会。本年もお世話になりました。いよいよやってくるオリンピックイヤーも楽しく歩きましょう。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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明治神宮新宿都庁コース 5.4km

2019-12-24 09:56:10 | ウォーキング
このコースの狙いは都庁の展望台から夕陽と、シルエットになった富士山を見ることです。そのため冬至のあたり、年内最終ウォーキングに設定されることが多いコースです。昨年から午後のウォーキングスタートが13時30分から13時に変更になり、日没までの待ち時間が長くなったので展望台で待っていられない。この日は寒々とした曇り空だったので、夕日も富士山も望むべくもない。


東京大学教養学部
井の頭線駒場東大前駅西口改札で集合し、東京大学正門前の場所をお借りしてストレッチをします。


キャンパス内の立て看板
最近の大学の立て看板はクオリティが高い。何より感心したのは二次元バーコードが描かれていること。手書きでは無理だと思うんですよ。


駒場博物館前のヒマラヤスギ

イチョウ並木

コミュニケーションプラザ側

ツタの紅葉
東大のキャンパスをぬけて裏門へ出ます。西側のイチョウはほとんど葉を落としていますが、東側は少し葉が残っています。日当たりの関係かな。


松濤にある住宅のキク

渋谷公会堂ビル

代々木公園ケヤキ並木のススキ

青の洞窟

代々木公園花の小径

ナンテン
松涛を抜け、NHK放送センターの東側の坂を登り渋谷公会堂跡地の建設現場へ。昨年は代々木体育館の敷地内を通り五輪橋に出たのですが、今年は代々木体育館の敷地内が歩けないので代々木公園ケヤキ並木を通りました。個人的に歩くときもこの方向に歩くことがあまりないので、花の小径の看板は初めて見たような気がします。


代々木体育館

位置関係に注目
代々木体育館は小学生の頃にスケートでよく通っていたので、特別な思いはありませんでした。この建物が戦後17年で建設されたことを理解したうえで改めて見ると、当時の人は度肝抜かれたんだろうなと想像できます。体育館の二本の大きな柱は丹下さんが鳥居を意識しているという話があります。位置関係でマップを見てみると、明治神宮拝殿のちょうど南正面にこの二本の柱が立っていることが分かります。地図内で「国立代々木競技場」となっているのが代々木体育館です。


明治神宮一の鳥居

南参道


明治神宮ミュージアム
明治神宮は2020年で鎮座百周年を迎え、ミュージアムもその記念として建設されました。



酒樽の入れ替え
お正月を前にしてということなのか、酒樽の入れ替えが行われていました。この光景は初めて。


南参道鳥居
ここからまっすぐ南に代々木体育館の二本の柱が立っています。


結婚式
大安だったこの日、花嫁行列を見ることが出来ました。


西参道の芝生広場

西参道の鳥居
芝生広場をよく見ると杭が立っています。この場所は流鏑馬が行われるためその準備なのでしょう。


渋谷区立代々木ポニー公園

西参道

東京都庁
西門から明治神宮を出て、ポニー公園、東京乗馬クラブの前を通り、参宮橋を渡り西参道を歩きます。こちらの常夜灯は表参道ほど目立ちません。甲州街道を横断し都庁でストレッチをして解散となりました。曇り空だったためか、都庁展望台を訪れる人は少なく皆さん帰られました。


チロリアンダンス
帰り道「変な格好の連中がいるな」と思ったら踊り出しました。YouTubeか何かに投稿されているのかとググって見ましたが、検索結果上位はチロリアン饅頭の千鳥屋でした。


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上野桜木・谷中コース 約6.5km

2019-12-16 14:52:53 | ウォーキング
前年度は二月に実施したコースですが、今回は忘年会会場の関係からこの時期になりました。上野は国内外の観光客が増えたように思います。


寛永寺清水観音堂

上野公園から東京国立博物館
中目黒→日比谷線→上野と時間はかかりますが、始発電車で一本なので移動は楽です。いつもは昼から酔っ払いがたむろする御徒町の大統領のあたりを通るのですが、今回は時間に制約があり地下通路を使って最短距離で不忍口に出て、さくらテラスのエスカレーターで上野公園に到着。ストレッチをしてウォーキングスタートです。


旧東京音楽学校奏楽堂


京成電鉄旧博物館動物園駅
最近駅の扉が開いてイベントのようなことをやっていることがあるのですが、この日は閉まっていました。これまで扉のレリーフに気づきませんでしたが、前回は開いていてレリーフは見えなかったのでしょう。リニューアルされているとのことなので、それ以前の写真を探したのですが、残念ながら見つからず。いつから気づかず素通りしていたんだろう?


黒田記念館

国際子ども図書館

東叡山寛永寺
江戸の鬼門、丑寅の方角を守るため徳川家康が建立したといった程度の知識でした。丑寅の方角を確認すると北東です。京都の北東の鬼門を守る比叡山にならい、東の比叡山という意味で「東叡山」という山号が付けられ、寛永年間に建てられたので「寛永寺」となったとのこと。いろいろ奥が深いです。開基は徳川家康ではなく家光、ご本尊は薬師如来で秘仏とのこと。



旧吉田酒店
1斗瓶はどれくらいの量だろう、まさか10升も入らないだろうと思っていたら十升でした。一升はなじみがあるけど一斗なんてなじみがないと思っていたら知らず知らずのうちに使っていました「一斗缶」。金だらいとともにドリフのコントでおなじみですが、意味を考えたことはありませんでした。一斗缶の代替品として使われはじめたのが20リットルのポリタンクだそうです。


谷中霊園

朝倉彫塑館

谷中銀座

夕焼けだんだん

後藤の飴
谷中銀座は相変わらず人多い。あとの予定があるので自由時間は最小限でした。


岡倉天心記念公園

防災広場初音の森

観音寺築地塀

幼稚園バス


瑞輪寺
江戸十大祖師 安産飯匙の祖師由来
文永十一年(1274)三月十三日

日蓮聖人佐渡配流、赦免となり鎌倉に向かうの途路、武蔵国粂川の辺りに関善左衛門という者あり、その妻難産に苦しみ救いを請う、聖人その家に入り、飯匙ありたるに御本尊をしたため産婦にいただかせ給うに、たちどころに安産して母も子もつつがなし、一家一門その感応を拝みて入信、かしこみて聖人の御尊像を彫みて武州谷中(現在東日暮里)に善性寺を建立しその尊像を安置す。
のち谷中感王應寺(現在の天王寺)に移す。
以来安産救護の利益あらたかに多く庶民の信仰を得、元禄十一年(1698)十一月十二日、感應寺改宗を命せられし折り、御尊像を瑞輪寺に勧請、利益昔に変わらず。
平成二十一年五月吉日
瑞輪寺第五十七世
井上日修代



谷中のヒマラヤスギ

三浦坂

ねんねこ屋

池之端の都電

不忍池とスカイツリー

不忍池
三浦坂は以前外国人が多かったけれど今回は落ち着いた感じでした。築地塀からヒマラヤスギまでお寺が多く、上野は寺町だと実感します。上野というより谷根千かな、お寺が多いのは。


吉池食堂から見えるスカイツリー
今回のウォークが見どころでもあまり時間をかけない駆け足となってしまったのは、忘年会のためです。吉池食堂での忘年会は景色の良い広い部屋で好評でした。

あと二回の活動を残していますが、今年もお疲れ様でした。


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【番外】目黒不動と恵比寿ガーデンプレイス

2019-12-09 11:21:32 | ウォーキング
7日日曜日の活動は雨で中止となりました。今年は9月以降雨が多いように思います。活動が中止となったのは台風19号の影響の時以来で、活動日は比較的雨に祟られることが少なかったのですが、降雨量が多いような気がするんですよね。
今回は番外で、近所で撮った写真を載せて見ました。


目黒不動本堂脇の紅葉

仁王門付近のサクラ
天台宗の泰叡山瀧泉寺、通称目黒不動尊の仁王門は五島慶太の発案で寄進されたとか、仁王像は下目黒の和菓子店玉川屋が資金を出したとか、その縁で玉川屋では仁王餅を売っており包装紙には江戸時代に書かれた目黒不動の絵図がデザインされているとか。様々な視点からのお話を聞いて、新たな発見がありました。


月とガーデンプレイスのツリー

ツリーの奥に東京タワー

バカラシャンデリア
バカラのシャンデリアが点灯されると毎年訪れているのですが、今年は人が多いように思いました。


バカラシャンデリアとツリー
ライオンで飲んで帰りは日も暮れて、さらに人が増えた感じです。シャンデリアはこれまで正面からばかり撮っていましたが、このアングルで撮られた写真を見て真似してみました。
ライオンではサッポロ黒ラベル(黒)のキャンペーンをやっていて、黒ビールかハーフアンドハーフを頼むと三角くじが引けます。あたってしまったのでまた行かなければ。うまい仕掛けにはまってしまう。


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小石川植物園コース 約3.7Km

2019-12-03 11:02:34 | ウォーキング
昨年より早めたつもりだったのです。昨年は「もう少し早い方が良かったね」といった感じだったので、12月の初回の活動から11月の最後の活動へと一回分はやめたつもりだったのですが、結果的には一日早かっただけ。それでも今年の紅葉は遅めということで、かなり楽しめました。


北の丸スクエア

九段中坂
中目黒→東横線→渋谷→半蔵門線→九段下と乗り継いで地上に出ると北の丸スクエアです。昨年警備員の方に教えていただいた公開スペースでストレッチしました。奥の階段を上るとどこへ行くのだろうと帰ってから調べて見ると築土(つくど)神社に出るようです。神社についてWikipediaから引用します。
祭神
現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。

戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。

拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶(文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。


正直知らなかったのですが、機会を作ってお参りしてみたいと思います。北の丸スクエア奥の階段を見て、傾斜地となっている理由を考えました。標高は九段坂上交差点25.1m、九段下6.4m、日本橋川にかかる俎橋5.1m、神保町交差点3.8mです。九段下から駿河台下にかけての平地は日本橋川の浸食によるもののようです。地形図を見て思い出しましたが、神田川仙台堀は放水路で、本流は日本橋川の方なんですね。


北辰社牧場
維新後榎本武揚がここに牧場を持っていたとのことです。目黒区役所の場所が牧場だったことに驚いていましたが、皇居に近い場所にも牧場があったのですね。傾斜地で使い道が限られたのでしょうか。


東京大神宮

ハライコ
ハライコでビールを飲みたいなどと考えながら飯田橋交差点まで目白通りを進みます。


飯田橋SS

大江戸線飯田橋駅

日中会館前のケヤキ

道案内

後楽園庭園の紅葉

小石川運動場

清掃事務所

鹿島道路
遺失物センター、盲学校、運動場など私が高校に通っているときにもありましたが、運動場は新しくなっています。後楽園庭園、日中会館、清掃事務所も当時からありましたが、大江戸線飯田橋駅は当時ありませんでした。鹿島道路のビルが建っている場所にかつて通っていた高校があり、「こんなに広かったかなぁ」という感じです。


旧小石川町
 京都聖護院門跡道興准后が、「廻国雑記」(文明18年・1486)に次のことを書いている。
 ここ(上野忍岡)を過ぎて小石川と言へる所にまかりて、我方を思ひ深めて小石河いつをせにとかこひ渡るらん」
 また、「江戸砂子」(享保17年・ 1732)に、「小石多き小川が幾流もある故なり・わけて伝通院の後の流、ねこまた橋の川筋小石川の濫觴なり」とある。
 むかし、千川(小石川)、江戸川(神田川)や周囲の高台から流れた細流が、現在の後楽園一帯で合流していた。これらの川は砂や小石が多かったので、この辺を小石川村と呼んだ。明治5年、小石川町とした。


写真に撮った時には気づきませんでした、地図には母校が残っていました。


文京シビックセンター

古美術商?

道案内

北野神社牛天神
北野神社は富嶽三十六景の「礫川 雪の旦(こいしかわ ゆきのあした)」の舞台なのです。丸ノ内線後楽園駅の隣に礫川公園があるのですが、礫川を「こいしかわ」と読むとは知りませんでした。牛天神には一度行ってみようと思います。


伝通院


春日通りのサザンカ

金栗四三青春の地

八百屋の看板

播磨坂桜並木
安藤坂を上り伝通院前。春日通りを歩いて播磨坂に到達し、坂を下ってゆきます。


旧白山御殿町
旧白山御殿町(昭和41年までの地名)
町の大部分は、白山御殿の跡である。
承応元年(1652)館林藩主徳川綱吉が、別邸を与えられた。ここは白山神社の鎮座地であったので、白山御殿(小石川御殿)と称した。綱吉が五代将軍に就任後、御殿は廃止されて幕府の御薬園となった。それで付近の土地を併せて白山御殿跡地と称した。
周辺を合併して明治24年、新たに町をおこした。町名は、俗にいう白山御殿跡から白山御殿町とした。
小石川薬園は、明治10年、東京大学付属の小石川植物園となった。また、江戸時代から小石川養生所が薬園内に置かれた。青木昆陽が甘藷の試作を行ったのも、この薬園内であった。文京区



ナンテン

小石川植物園本館
小石川植物園は東京大学の施設であり、この本館も東大総長を務めた内田祥三さんが設計した内田ゴシックと呼ばれるデザインです。このブログで何度も登場した旧公衆衛生院や駒場東大一号館と同じですね。


コダチダリア

ヤドリギ
皇帝ダリアとも呼ばれますがWikipediaでは「キダチダリア」となっており、こちらは「コダチダリア」となっています。東大の植物園ですから間違えていることはないと思われ、どちらもありなんでしょうね。英名は“Tree dahlia”なので、翻訳の問題?







イロハモミジ

イチョウ

ハゼノキ

マルバチシャノキの実

センリョウ



松ぼっくり

ハゼノキ

日本庭園

イチョウ


赤黄の紅葉は何の木?

イイギリ

逆さ紅葉


ラクウショウ

ラクウショウの気根

ヒイロタケ
小石川植物園のイロハモミジは紅葉が始まった感じで、まだ青い葉も多く見られます。夕方、斜光線に照らされ紅葉が輝いて見えます。
ラクウショウの気根については、新宿御苑のブログから一部引用します。
地中から様々な形をしたものが生えているのが見えます。これは「気根」と呼ばれる根っこです。原産地の北アメリカでは、湿地や沼地に生息しているため地中に根を張り巡らせていると、酸素を充分に吸収することができません。そのため酸素不足を補うために、地上や水面に気根という呼吸根を出しています。





八百屋お七の墓
八百屋お七の墓 文京区白山1-34-6
 お七については、井原西鶴の『好色五人女』など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年〔1682〕12月、近くの寺院から出火)で、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年(1683)3月29日火あぶりの刑に処せられた。数えで16歳であったという。3基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年間(1789~1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。
 文京区教育委員会 平成14年(2002)3月


地下鉄白山駅近くに八百屋お七の墓がある圓乗寺があると知り帰りに寄ってみました。吉三郎はその後僧となり、お七を弔うために毎日目黒不動と浅草寺にお参りし、行人坂下、現在の太鼓橋の場所に橋をかけました。


この日は有志六名、コリドー街地下の天狗で「やっぱり銀座の天狗は違う」などと馬鹿なことをいいながら、楽しい時間を過ごしました。


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