朝はまだ雨が降っており13時からのウォーキングを行うべきかどうか難しい判断でしたが、夕方には晴れ間もあるという予報を信じ活動「あり」とメーリングリストで連絡を出しました。
予報通り雨はやみましたが、寒い寒い曇り空の中集合場所の西永福町駅へ向かいました。
理性寺
駅近くの商店街の中にあるこちらのお寺の前をお借りしてストレッチをしました。お寺については杉並区のホームページから引用します。
当寺は法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。
『御府内備考続編』によれば、当寺は承応3年(1654)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿に因んで法真山理性寺としました。
創立にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現新宿区新宿一丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。
現在地に移転したのは大正3年(1914)です。
境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ約12センチメートルの木彫りの小さな大黒天が安置されています。
この大黒天は、高祖日蓮の作と伝えられ、お経の「経」の字を形取っており、寛政6年(1794)御殿医木村検校によって奉納されたものといわれています。
「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の折、大黒天が大団扇をもって現れ、類焼から守ったことによると言われています。
以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」が行われています。
墓地には、戯作者伊庭可笑・幕府医官林恒斎・初代杵屋三五郎の墓等があります。
平成23年3月
不二家
方南通りが井の頭通りに突き当たる西永福交差点の手前に昔からあり、社会人成りたて頃に何度か行った記憶があり、ちょっとなつかしい。
大宮八幡宮南参道鳥居
この鳥居はステンレス製です。見た目ではわかりませんが。
大宮幼稚園
毎回思うのですが、この鶏の絵が印象的です。
車修祓所
最近は神社などのステッカーを張った車をあまり見なくなりましたが、かつて大宮八幡神社のステッカーはよく見ましたね。南参道は車社会に対応するために作られたそうで、参道駐車スペースへの入り口にもなっています。
東京のへそ大宮八幡宮は人気の神社で、多くの車が訪れていました。安産祈願で訪れ大宮八幡息長帯(おきながおび)を授かり、お礼参りで訪れる人は車が便利ですね。
子年の扁額
戌年の時に訪れ戌の扁額だったので、「干支なのか安産のためなのか?」と疑問に思ったことがあるのですが、やっぱり干支でしたね。
御本殿
安産絵馬
いつもは多くの人が参拝しているのですが、雨上がりの寒いこの日はさすがにすいていましたね。
多摩清水社
神社のホームページから引用します。
神門を出た茶室入口に「広き野に靈(たま)の清水のあるところ」と青畝の句碑がありますが、ここに詠まれている広き野の靈の清水とは、「多摩の大宮」と云われた武蔵野の昔を想望してつくられ、今なお大宮八幡宮境内の多摩清水社からは御神水が湧き出ております。 水の大切な盛夏の時期、水神様の御神徳を称え、生命の源である水の恵みに感謝の誠を捧げる多摩清水社の例祭が水の日である8月1日朔旦祭に続いて執り行われます。参列員一同、水神様の御徳をお慕い申し上げ、命の源である水の恵みに改めて感謝の誠を捧げます。
表参道第一鳥居
参拝を終えこれから本格的なウォーキングです。気温は5度くらいと寒いのですが、適度に湿り気があり風がなかったので、冬のつらいウォーキングというよりすがすがしいウォーキング日和だなぁという印象でした。
ガードレールにカタツムリ
都道に設置されるイチョウマークのこのガードレールはよく見ますが、カタツムリ付きは初めて見ました。
宮下橋から善福寺川
和田堀公園野球場が貯水池の役割を果たすため、ここから善福寺川の水を流し込むのでしょう。昨年の台風では大いに活躍したことと思います。
和田堀池
この池にはカワセミも飛来します。この日も大きなレンズをつけたカメラマンが待機していました。ところで「和田堀」ってどんな堀?と思って調べて見ると、地名の和田と堀ノ内が合併して和田堀内町になり、それが短縮したものでした。以前にも調べて納得したような気がします。
善福寺川護岸整備工事
大成橋
宮下橋から大成橋まで三年くらい工事が続いている印象ですが、護岸を再整備して川底を下げているようです。この川の蛇行状況を見れば暴れ川であることが理解できます。
RIVER SHIPの遊具
ひこうきの遊具
負けない木
モクレンかな?
大谷戸橋
季節がら花もなく、ずっと川沿いを歩くので風景にあまり変化がありません。そんな中でも設置されたなんだかわからない標識のようなものから伸びてくる木や、春を待つ花芽などを探してみました。大谷戸橋のあたりは川が大きく蛇行しており、自然の善福寺川では大谷戸と呼ばれる湿地帯があったものと想像できます。
水草とカモ
白梅
善福寺公園から少し上流へ行くと川幅が広く取られ、水草がたくさん生えている場所があり、鴨の絶好のえさ場になっているようです。小魚やエビもこの水草の中で育つのかな。白梅が色のない冬景色に彩を添えようとしているように見えました。
おしかわ公園
晶子と鉄幹
荻窪駅の南に商店街があり、善福寺川を越えると川南共栄会商店街になるようです。晶子と鉄幹がデザインされたこのイラストは環八通りでもよく見ることが出来ます。旧居は環八の外側ですね。
このコース、今回で10回以上歩いていると思うのですが、そろそろ飽きたかな、終わりにしようかなと思っていました。この日歩いてみて、潤いがありウォーキングに適した気候だったこともあるのでしょう、とても気持ちの良いコースであると再認識しました。北風にあおられることもあるかと思いますが、またこのコースを歩き変化を楽しんでゆきたいと思います。次回は旧居跡にある与謝野公園でストレッチをしようかな?
解散後有志九名で新宿ライオン会館内のダブリナーズでピザとアイリッシュビールを楽しみました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
予報通り雨はやみましたが、寒い寒い曇り空の中集合場所の西永福町駅へ向かいました。
理性寺
駅近くの商店街の中にあるこちらのお寺の前をお借りしてストレッチをしました。お寺については杉並区のホームページから引用します。
当寺は法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。
『御府内備考続編』によれば、当寺は承応3年(1654)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿に因んで法真山理性寺としました。
創立にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現新宿区新宿一丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。
現在地に移転したのは大正3年(1914)です。
境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ約12センチメートルの木彫りの小さな大黒天が安置されています。
この大黒天は、高祖日蓮の作と伝えられ、お経の「経」の字を形取っており、寛政6年(1794)御殿医木村検校によって奉納されたものといわれています。
「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の折、大黒天が大団扇をもって現れ、類焼から守ったことによると言われています。
以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」が行われています。
墓地には、戯作者伊庭可笑・幕府医官林恒斎・初代杵屋三五郎の墓等があります。
平成23年3月
不二家
方南通りが井の頭通りに突き当たる西永福交差点の手前に昔からあり、社会人成りたて頃に何度か行った記憶があり、ちょっとなつかしい。
大宮八幡宮南参道鳥居
この鳥居はステンレス製です。見た目ではわかりませんが。
大宮幼稚園
毎回思うのですが、この鶏の絵が印象的です。
車修祓所
最近は神社などのステッカーを張った車をあまり見なくなりましたが、かつて大宮八幡神社のステッカーはよく見ましたね。南参道は車社会に対応するために作られたそうで、参道駐車スペースへの入り口にもなっています。
東京のへそ大宮八幡宮は人気の神社で、多くの車が訪れていました。安産祈願で訪れ大宮八幡息長帯(おきながおび)を授かり、お礼参りで訪れる人は車が便利ですね。
子年の扁額
戌年の時に訪れ戌の扁額だったので、「干支なのか安産のためなのか?」と疑問に思ったことがあるのですが、やっぱり干支でしたね。
御本殿
安産絵馬
いつもは多くの人が参拝しているのですが、雨上がりの寒いこの日はさすがにすいていましたね。
多摩清水社
神社のホームページから引用します。
神門を出た茶室入口に「広き野に靈(たま)の清水のあるところ」と青畝の句碑がありますが、ここに詠まれている広き野の靈の清水とは、「多摩の大宮」と云われた武蔵野の昔を想望してつくられ、今なお大宮八幡宮境内の多摩清水社からは御神水が湧き出ております。 水の大切な盛夏の時期、水神様の御神徳を称え、生命の源である水の恵みに感謝の誠を捧げる多摩清水社の例祭が水の日である8月1日朔旦祭に続いて執り行われます。参列員一同、水神様の御徳をお慕い申し上げ、命の源である水の恵みに改めて感謝の誠を捧げます。
表参道第一鳥居
参拝を終えこれから本格的なウォーキングです。気温は5度くらいと寒いのですが、適度に湿り気があり風がなかったので、冬のつらいウォーキングというよりすがすがしいウォーキング日和だなぁという印象でした。
ガードレールにカタツムリ
都道に設置されるイチョウマークのこのガードレールはよく見ますが、カタツムリ付きは初めて見ました。
宮下橋から善福寺川
和田堀公園野球場が貯水池の役割を果たすため、ここから善福寺川の水を流し込むのでしょう。昨年の台風では大いに活躍したことと思います。
和田堀池
この池にはカワセミも飛来します。この日も大きなレンズをつけたカメラマンが待機していました。ところで「和田堀」ってどんな堀?と思って調べて見ると、地名の和田と堀ノ内が合併して和田堀内町になり、それが短縮したものでした。以前にも調べて納得したような気がします。
善福寺川護岸整備工事
大成橋
宮下橋から大成橋まで三年くらい工事が続いている印象ですが、護岸を再整備して川底を下げているようです。この川の蛇行状況を見れば暴れ川であることが理解できます。
RIVER SHIPの遊具
ひこうきの遊具
負けない木
モクレンかな?
大谷戸橋
季節がら花もなく、ずっと川沿いを歩くので風景にあまり変化がありません。そんな中でも設置されたなんだかわからない標識のようなものから伸びてくる木や、春を待つ花芽などを探してみました。大谷戸橋のあたりは川が大きく蛇行しており、自然の善福寺川では大谷戸と呼ばれる湿地帯があったものと想像できます。
水草とカモ
白梅
善福寺公園から少し上流へ行くと川幅が広く取られ、水草がたくさん生えている場所があり、鴨の絶好のえさ場になっているようです。小魚やエビもこの水草の中で育つのかな。白梅が色のない冬景色に彩を添えようとしているように見えました。
おしかわ公園
晶子と鉄幹
荻窪駅の南に商店街があり、善福寺川を越えると川南共栄会商店街になるようです。晶子と鉄幹がデザインされたこのイラストは環八通りでもよく見ることが出来ます。旧居は環八の外側ですね。
このコース、今回で10回以上歩いていると思うのですが、そろそろ飽きたかな、終わりにしようかなと思っていました。この日歩いてみて、潤いがありウォーキングに適した気候だったこともあるのでしょう、とても気持ちの良いコースであると再認識しました。北風にあおられることもあるかと思いますが、またこのコースを歩き変化を楽しんでゆきたいと思います。次回は旧居跡にある与謝野公園でストレッチをしようかな?
解散後有志九名で新宿ライオン会館内のダブリナーズでピザとアイリッシュビールを楽しみました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール