目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

蛇崩川双子の給水塔コース 約5.5km

2024-09-30 12:00:55 | 東京都目黒区、世田谷区
ようやく何の懸念もなく歩ける季節となり22名の参加がありました。


ノウゼンカズラ
集合は中目黒GT。ウォーキング塾期間中はこちらが集合場所になるのですがそれ以外の中目黒集合は目黒川船入場になっています。今回は蛇崩川沿いに歩くので集合は中目黒GT、目黒銀座児童遊園に移動してストレッチをして出発です。ノウゼンカズラの花の時期は長いですね。


ハナツクバネウツギ

フヨウ

アサガオ

アオイ

キバナコスモス

ヒガンバナ

ムラサキシキブ

シモツケソウ

ハギ

カンナ
蛇崩川は暗渠で緑道になっていてさまざまな植物が植えられて、この時期でも多くの花を見ることが出来ます。


駒繋神社

末社の稲荷神社
源頼朝が馬を繋いだ松があったということで駒繋神社。下馬の地名の由来と芦毛塚の記事を神社のサイトから引用します。
源頼朝公が、奥州藤原氏征伐にあたり大軍を率いて多摩川の矢口を渡り、今の目黒区と世田谷区の境の道を渋谷に向って進む途中、乗馬にて沢を渡ったところ、馬が何かに驚いて暴れだし、沢の深みに落ちて死んでしまいました。この場所は、砂利場といわれ赤色の山砂利が出るところでした。そのため、馬を引き上げようとしても砂利が崩れて引き上げられず、馬が死んでしまったので、沢の岸辺近くに葬り塚を作り、馬が芦毛であったため芦毛塚と名付けられました。
その時に源頼朝公が「これから先、この地に来たときは、必ず馬から下りて沢は引いて渡れ」と厳命し、この沢を「馬引きの沢」と名付けました。(この沢は、蛇崩川で砂崩川とも書かれ、現在の蛇崩川緑道になっています。)
出陣にあたって総大将の馬の死は不吉である、程近い「子の明神(当社)」にて祈願をされては、と農家の姥の進言にしたがい「子の明神」で戦勝祈願をして奥州に向いました。
奥州攻めを終えて鎌倉への帰途、再びこの地に立ち寄った源頼朝公は、「子の明神」に額づいて戦勝の報告をし、芦毛塚では、馬の供養をされました。また「子の明神」で祈願することを進めてくれた農家の姥は、すでに亡くなっていると聞き、いたく悲しまれ、この地を姥ケ谷と名付けられました。

この源頼朝公の古事により駒繋神社付近一帯を「下馬引沢村」(馬から下りて沢は引いて渡る村)と呼ぶようになり、大正14年町制がしかれたため、引沢村が取れて下馬になりました。
また、芦毛塚は、もともと祠でしたが昭和44年8月24日に下馬史跡保存会の第一事業として、「芦毛塚の碑」が建設されました。

下馬史跡保存会刊 「しもうま」より一部引用



アオイ

キャロットタワー
蛇崩川緑道をさかのぼってゆくと三軒茶屋で玉川通りと交差します。そのあたりから撮ったキャロットタワー。飛行機で渋谷上空を飛ぶ際にこのビルは良い目印となります。


じんこ製麺所
三軒茶屋でお気に入りの武蔵野うどんの店「じんこ」。ここに製麺所があることに初めて気づきました。


小泉公園

小泉公園のタカトオコヒガン桜
ジュウガツザクラやシキザクラが秋に花をつけることは知っていますが、タカトオコヒガン桜の秋の花は始めて見たように思います。新宿御苑でも咲いているのかなぁ?


弦巻通りの向こうにキャロットタワー
こうやってみても地図で確認しても弦巻通りは三軒茶屋まで一直線です。給水塔からの本管が通る水道道路なんだと思います。


水道管をイメージさせるベンチ



駒沢給水所配水塔(双子の給水塔)

ヒガンバナ
世田谷区のサイトから引用します。
明治末期から大正初期にかけての東京市(当時)周辺は、人口の増加につれて安全な飲料水の確保が必要となり、上水道布設事業が相次ぎました。特に人口増加の著しい豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)では早くから具体化が進み、東京市の水道事業推進の重鎮であった東京帝国大学の中島鋭治博士に依頼して、町営上水道布設の計画に着手、大正6年には実地調整を基に、取水地に多摩川河畔の砧村(現鎌田)を、中継の給水所に駒沢を選び、計画を取りまとめて認可を申請、大正9年に内務大臣、大正10年には大蔵大臣の認可を得、ここに世田谷を横断する大規模な水道工事が、国家事業並みの扱いで大正10年5月に着工となりました。

中島博士の計画は、砧村に浄水所を設けて清潔な水を作り、送水ポンプの力で駒沢給水所に設置した給水塔に押し上げた後、自然重力で渋谷町へ送水するという斬新な仕組みでした。工事は順調に進み関東大震災を挟んで大正13年3月に全工事が完了しました。

そして、給水所の中に西欧の中世風の趣きを持ち、独特な意匠を施した2基の巨大塔が姿を現しました。高さ30メートルの塔屋には王冠を連想させる装飾電球が付けられ、軽やかな特徴あるトラス橋で両塔が結ばれているこの独特な設計は二度のヨーロッパ出張で得た中島博士の卓越した土木建築デザイン感覚によるものであります。かつて、江戸川乱歩が怪人二十面相のアジトのモデルにしたというのもうなずけます。同時期砧浄水所(現鎌田)には、緩速ろ過池の横、青い西洋瓦葺き屋根の上に、愛らしい四角錐の小塔を載せたユニークな送水ポンプ室が竣工しています。なお昭和2年、ここ給水所には渋谷町上水道布設記念碑も造られました。

その後、関東大震災後の渋谷町の人口急増により、昭和6~昭和7年にかけて取水場所の作り変えや、ろ過池の増設など大規模な拡張工事が行われました。その際砧の浄水所には取水ポンプ室、駒沢の給水所には送水ポンプ室が新たに建造されましたが、いずれも優れたデザイン性に富み、昭和の名建造物といわれています。昭和7年10月、周辺郡部が東京市に併合されるのに伴い、渋谷町水道も東京市水道局に移管されて、その名は消えました。

戦後、東京都の水道局となってから、水道技術革新により浄水所は高度浄水施設への転換と給水所の地下埋設大型化が進み、大正・昭和初期の水道の姿を留めるものが極めて少なくなりつつある現在、数少ない例外とも言えるのが、駒沢給水塔を頂点とした多摩川河畔と駒沢の渋谷町水道遺産の数々ではないでしょうか。豊かな緑の樹林の中に聳え立つ双塔の偉容は、人々に近代水道文明の歴史を語りかけているよう思えてなりません。

平成14年、都水道局は老朽化の激しい布設記念碑の大掛かりな補修作業と併せ、塔屋の装飾球の復元やトラス橋の全面塗装替えでイメージを一新しました。殊に塔屋の夜間点灯は、復元後今日まで、世田谷区民に貴重な近代化遺産をアピールする恰好の風物詩となっています。平成24年度には、土木学会選奨土木遺産として、駒沢給水所(配水塔・配水ポンプ所)が都内で唯一認定されました。

また、水道の歴史的遺産として、地域の風景と共に給水塔を残していくために「駒沢給水塔風景資産保存会」、通称「コマQ」が平成14年から活動しています。


給水施設隣に立つマンションの公開空地をお借りしてストレッチをして解散。有志は渋谷に出て山家で焼き鳥とビールを楽しみました。桜新町からの田園都市線は満員電車状態。コロナ以降こんなに混んだ電車に乗るのは久しぶりでした。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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善福寺川公園コース 約6.6km

2024-09-26 11:50:29 | 東京都杉並区
秋彼岸とはいえまだまだ暑さが残るこの日の暑さ指数は、
10:00 27.7
11:00 27.6
12:00 29.9
「警戒」レベルから「厳重警戒」といった感じ。曇り空で風があり暑いけれどもこれまでと比べればましというレベルでした。参加者は4人、お彼岸で忙しいのか暑さ警戒なのか少ないです。皆さん運動不足は気にならないのかな?
集合は西永福駅、近くのお寺の門前をお借りしてストレッチをしてスタートします。



理性寺
当寺は法真山理性寺という法華宗の寺院で、本尊は十界諸尊(じっかいしょそん)の曼荼羅(まんだら)です。
「御府内備考続編(ごふないびこうぞくへん)」によれば、当寺は承応3年(1654年)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当(ただまさ)夫妻を開基として、その菩提のために開創したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿にちなんで法真山理性寺としました。
開創にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現・新宿区新宿一丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。現在地に移転したのは大正3年(1914年)です。
境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ約12センチメートルの木彫りの小さな大黒天が安置されています。
この大黒天は、日蓮が伊豆配流直前の弘長元年(1261年)に彫ったと伝えられる、お題目の「経」の字を形取った大黒天像で、寛政6年(1794年)に幕府寄合医師木村検校(けんぎょう)によって奉納されたものといわれています。「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の折、大黒天が大団扇(うちわ)をもって現れ、類焼から守ったことによるといわれています。以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」がおこなわれています。
墓地には、戯作者伊庭可笑(いばかしょう)、幕府医官林恒斎(はやしこうさい)、初代杵屋三五郎の墓等があります。
令和6年3月 杉並区教育委員会



方南通りに飾られた紙垂

大宮八幡宮

車修祓所

竹灯籠の準備

神楽殿
この日は十五夜の神遊びという神祭りが奉納されるため竹灯籠の準備が進められていました。


善福寺川宮下橋付近

護岸工事中
ここから善福寺川をさかのぼります。ずっと行われていた護岸工事が終わり歩道が広くなり、護岸工事は上流へ移動しました。


大成橋付近

ヒガンバナ
ようやくヒガンバナが出てきましたが白が多く、フォトジェニックな赤いヒガンバナには出会うことが出来ません。






西園橋付近
この辺りでトイレ休憩です。


キバナコスモスレモンブライト

上流は川幅が広がる


荻久保一丁目付近で善福寺川緑道が終わり、松渓橋あたりから川幅が広くなっています。


晶子と鉄幹の荻窪川南共栄会
おしかわ公園でストレッチをして忍川上橋を渡って荻窪駅まで行って解散しました。


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第二十一回将軍お鷹狩りウォークコース確認

2024-09-23 14:29:33 | 東京都千代田区、港区、渋谷区、目黒区
第21回めぐろウォーキングマーチ 将軍お鷹狩りウォークは現在参加者を募集しています。下記ページでご確認ください。

https://www.city.meguro.tokyo.jp/sports/event/otakagariwalk.html

今回は9月に行われた実行委員によるコース確認の様子をレポートします。まずはこの日の暑さ指数です。
9:00 29.4
10:00 30.7
11:00 31.3
12:00 32.9
13:00 31.7
9時台10時台、熱中症警戒情報は「厳重警戒」、11時以降「危険」となっていました。熱中症予防運動指針を見ると、厳重警戒でも危険でも運動は中止して涼しい部屋で過ごせということです。
これまで9月にコース確認を実施してきましたがこのような高温に見舞われたことはなく、熱中症警戒情報「危険」が予報されている中で実施してよいのかという議論がなされたことはありません。大雨や雷雨の中歩いたこともありました。今後はコース確認の中止も想定しなくてはならないでしょう。

このような状況の中私はロングコースの担当なのでスタート地点である日比谷公園健康広場へ向かいました。


準備体操の様子
30名ほどの実行委員が集まりスタート前の準備運動を行いました。


外務省前
日比谷公園内を少し歩き霞門から出ると弁護士会館。こちらには大岡越前屋敷跡の案内板があります。お隣は東京高等・地方・簡易裁判所庁舎で家庭裁判所は入居していないものの、朝ドラのブームに乗っかって見ました。更に北西に向かい外務省と総務省合同庁舎の間の坂を上ってゆきます。


国会議事堂
国会前庭南地区の日本庭園を見て国会議事堂前へ。


自民党本部
国会議事堂の北側を通り議員会館と自民党本部、青山通りに出て衆参両院議長公邸前を歩き、日本のキャピトルヒルを堪能します。


赤坂エクセルホテル
ビルの建て替えで歩道橋が使えないので外堀通りを横断歩道で横断し、青山通りを西へ。坂を上り切った高橋是清翁記念公園で給水休憩を取りました。青山一丁目交差点から外苑東通りを北へ向かい、権田原へ。


神宮外苑イチョウ並木

聖徳記念絵画館

国立競技場

カラスウリ
絵画館前広場でトイレ休憩、こちらはショートコースのスタート地点にもなります。

絵画館前広場を再スタートし、イチョウ並木を南下。青山通りを横断してさらに南下し、青山霊園内を歩き、忠犬ハチ公の碑に寄り道をしてから南下して、青山美術館通りを西へ向かいます。山種美術館や国立新美術館があるのでこの名前になったということですが、我々が歩くのは根津美術館、秋山庄太郎写真芸術館の前となります。
六本木通りを横断して、常陸宮邸から西へ向かい國學院大學で二回目のトイレ休憩。再スタート後氷川の杜公園で土俵を見て明治通りを南下。東三丁目で右折し山手線のガードをくぐった後ローソンのかどを左折して恵比寿方面へ。恵比寿公園を過ぎて駒沢通りを西へ。昨年同じような場所から坂を上って茶屋坂の上に出てそのコースでばてたという声が多かったので、今回は坂を避けて槍ヶ崎へ向かいます。槍ヶ崎交差点先を左折して目黒学院前を南東に、東京地方裁判所中目黒庁舎裏の通路を通り、中目黒公園の脇から目黒川へ。目黒区民センターを経由して田道広場公園がゴールとなります。さすがに暑くてばてた。

二回目のコース確認は22日秋分の日。この日の暑さ指数は、
9:00 23.6
10:00 26.1
11:00 26.6
12:00 25.2
13:00 23.7
10時から12時台が「警戒」となりました。時々小雨にあいちょっと蒸し暑かったけれど、前回と比べると雲泥の差でしたね。


リュウゼンツラン
開花で話題になった日比谷公園のリュウゼンツラン、葉が枯れてきています。花が咲くと枯れてしまうのかな?


ヒガンバナ
暑さのせいか今年のヒガンバナは遅いです。


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