目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

第二回神田川遡上コース(支流日本橋川) 約6.3Km

2024-11-27 11:45:12 | 東京都中央区、千代田区
前回は神田川を水道橋まで歩いたので、今回は日本橋川を水道橋まで歩きます。「支流日本橋川」と書きましたが、仙台掘りの放水路ができる以前はこちらが神田川の本流、古典落語で魚河岸といえばこの川沿いにあった日本橋河岸のことで、江戸経済の大動脈といっていいでしょう。


豊海橋近くのビルの公開空地
こちらをお借りしてストレッチをしてスタートします。集合は茅場町駅でした。




豊海橋

日本橋川

永代橋

日本銀行創業の地
日本橋川最下流の橋が豊海橋でその先は隅田川です。日本銀行創業の地も豊海橋のすぐ近くにありました。


日本橋水門

富士山の壁画

東京証券取引所

三越本店

日本国道路原標レプリカ

日本国道路原標

日本橋麒麟像

日本銀行

常盤橋

外堀の石垣

渋沢栄一
このあたり説明いりませんね。日本橋川沿いは見所満載です。


太田圓三君像
Wikipediaから引用します。
静岡県田方郡伊東町(現在の伊東市)出身。東京府立一中、一高を経て、1904年に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。大学では広井勇に師事。逓信省鉄道作業局(後の鉄道院→鉄道省)に入省。1910年から2年間、欧米に留学。1923年の関東大震災後、帝都復興院土木局長に抜擢される。
帝都復興院では、隅田川六大橋(下流から相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)をはじめとする「震災復興橋梁」の建設を、橋梁課長の田中豊と共に主導した。
また、弟(木下杢太郎)が詩人であり、自身も文学を志したことがあったことから、橋梁のデザインについて文学者・画家などの意見を聴いたり、山田守・山口文象ら建築家との協働も行った。
また、アメリカ人技術者を雇って、ニューマチックケーソン工法を橋梁の基礎工法として本格的に導入した。
親友の十河信二とともに巻き込まれた、土地売買に関わる贈収賄疑惑(復興局疑獄事件)にて自殺した。 復興局跡地のそばに架かる神田橋近くに記念碑が残る。



豊展観守像
金銅鎚起 豊展観守像
 この彫刻は、活気とやすらぎ・教育と文化の町として知られる千代田区に住む人々の豊かさと発展する町を観守する姿を、こがね虫と人間の擬人化により、造形表現をして製作されたものであり「彫刻のある町・千代田区」として潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した写真集、神田っ子の昭和史「粋と絆」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。
平成三年九月
千代田区



ツワブキ

フユザクラ

雉子橋

共立女子中学校・高等学校

まないたばし

専修大学10号館
俎橋で靖国通りを横断して堀留橋わきのビルの公開空地をお借りしてストレッチ。



讃岐高松藩上屋敷の庭園跡

三崎橋
神田川と日本橋川が分かれる新三崎橋まで歩いてこの日はゴールです。

ニュー神田屋水道橋西口店で反省会をしてお開き。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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神田川遡上コース(人形町~水道橋) 約5.1km

2024-11-23 15:48:04 | 東京都中央区、台東区、千代田区
9月15日に歩いたコースです。書き漏れていたのですが神田川シリーズの一回目なので写真を載せておきます。
玉川上水を羽村の堰からずっと歩いてくるシリーズを終えてシリーズ物の第二弾で、実施したのは十年以上前になります。このコースを歩いたことがない会員も増えてきたのでまた実施してみることにしました。


人形町交差点
集合は人形町駅。


名所・旧跡案内
・賀茂真淵県居の跡
・谷崎潤一郎生誕の地
・富塚碑
・玄治店跡
・蛎殻銀座跡
・鉄造菩薩頭
さすが下町、名所がいろいろあるようです。


久松児童公園
運河を埋め立てた場所でしょうか、こちらをお借りしてストレッチを行いました。


金座通り


堤防を越えて墨田川へ



隅田川テラスから

日本橋中学校
金座通りを北東へ向かい隅田川にぶつかったら、隅田川テラスを両国橋まで北へ。


両国橋からスカイツリー

柳橋

神田川
柳橋が神田川にかかる最後の橋で、その先で隅田川に合流します。


浅草橋

アイリスボタン
浅草橋は日本人形、玩具、文具、アクセサリー、装飾資材などの問屋街


神田川

和泉橋

風情のある建物

秋葉原萬世橋

神田川

ビリヤード淡路亭
秋葉原を抜けてお茶の水へ。


湯島聖堂

神田上水懸樋(掛樋)跡の石碑

東京都立工芸高等学校

東京ドームホテル
この日歩いた神田川は外堀として開削された放水路で湯島聖堂あたりは仙台藩が開削し仙台掘りと呼ばれます。神田上水と外堀が交わるので上水には掛樋の橋がかけられたことから水道橋の地名が生まれました。この日は水道橋駅がゴールでした。

JRで渋谷に出て山家で反省会。


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【番外】目黒多摩川ウォーキング

2024-11-12 12:10:01 | 東京都目黒区、世田谷区
「目黒区立砧野球場/砧サッカー場、協栄・目黒体育協会グループ」主催によるウォーキングイベントをお手伝いしました。目黒ウォーキング協会が協力しているイベントです。「オリンピックを歩こう!」~オリンピックの史跡をたどる道のり~とのサブタイトルがつけられています。


碑文谷野球場
碑文谷体育館に集合しストレッチをしてスタート。野球場ではこの日グランドゴルフの大会が開かれていました


泳心一路 古橋廣之進 石碑
碑文谷体育館のすぐわきにプールと学生寮があり、その前にこの碑が設置されています。終戦の混乱で古橋さんはオリンピックには参加していないようです。



駒沢オリンピック公園のメタセコイア

東京オリンピック1964のサブ会場聖火台

東京オリンピック1964の皇居二重橋前集火式聖火台
東京オリンピック1964のサブ会場になった駒沢オリンピック公園。まず聖火についてWikipediaから抜粋引用します。
10月7日から9日にかけて東京都庁に到着した各コースの聖火は、9日の夜に皇居二重橋前で集火式が行われた。オリンピックの開会式が催される翌10日、皇居前から国立競技場まで最終聖火リレーが行われた。

聖火の最終ランナーは、1945年(昭和20年)8月6日に広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則(当時早稲田大学競走部所属)であった。原爆投下の日に広島市に程近い場所で生を享けた若者が、青空の下、聖火台への階段を駆け上る姿はまさに日本復興の象徴であった。


つぎに駒沢オリンピック公園総合運動場・バレーボールコートについて日本オリンピック委員会のサイトから引用します。
1964年10月23日、日本中の視線は駒沢のバレーボールコートに集まりました。東京オリンピックバレーボール女子決勝・日本対ソビエトは、日本のスポーツ中継史上最高視聴率66.8%を記録。「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子日本代表は3-0でソビエトを下し、悲願の金メダルを獲得しました。コートは現在もバレーボールをはじめ、屋内競技を中心に活用されています。


駒沢オリンピック公園
秋色に変わってきました。


桜新町一丁目緑地(サザエさん公園)
駒沢通りを西へ進み、呑川橋で右折して呑川本流に沿って北へ、玉川通りをまた西へ進み、ちょっと北側の路地に入りサザエさん公園へ。



寶泉山玉眞院(玉川大師)
再び玉川通りを西南へ進み、階段を下りて玉川大師へ。


岡本公園民家園
丸子川沿いを西へ向かい岡本公園。


野川

駒澤大学玉川キャンパス

多摩川の向こうにうっすらと富士山
多摩川の堤防に出て目黒区立砧球技場管理事務所まで西へ向かいました。目黒区立砧野球場/砧サッカー場は台風の影響により使用できない状態で、改修工事に取り掛かるそうです。


リコー 総合グラウンド
多摩川の堤防を折り返し東へ向かい、ゴールの二子玉川を目指します。だいぶ昔になりますが、わきを通った時にグランドの片隅で子豚を丸焼きにしている外国人選手を見たことがあります。

二子玉川に到着し、ストレッチをして解散となりました。最終盤が単調でちょっと疲れましたが、天候に恵まれ暑くもなく寒くもなく、良いウォーキングでした。


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第二十一回お鷹狩りすこやか歩こう会スタッフ研修

2024-11-02 14:57:17 | 東京都千代田区、港区、新宿区、渋谷区、目黒区
11月3日のお鷹狩りウォークの一週間前、最終確認のスタッフ研修を行いました。ロングコースは9時に日比谷公園健康広場、ショートコースは10時に神宮外苑絵画館前に集合しそれぞれ歩きます。


日比谷公園
猛暑の中話題となった花の咲いたリュウゼツランは枯れてしまったようで、新しいリュウゼツランが植えられていました。


国会前庭

国会議事堂

伊藤博文像
日比谷公園霞門を出て弁護士会館、裁判所総合庁舎の前を北西に向かい外務省上交差点へ。議事堂の前に国会前庭を見て、国会議事堂を見て、議事堂参議院側と国会図書館の間の道から初代内閣総理大臣伊藤博文像が見えます。後ろ向きで木の陰になっているので少し見にくいのですが。


自民党本部
衆議院議員選挙のこの日国会は休会中なので議事堂周辺の警備はまばらでしたが、数日前に火炎瓶が投げつけられた自民党本部には警察車両が多く停まっていました。


東宮御所

高橋是清翁記念公園
平河町から青山通りを西へ進み赤坂見附を過ぎて坂を上るとカナダ大使館手前に高橋是清翁記念公園があります。平河町交差点と記念公園の標高が30メートルに対し赤坂見附交差点の標高は10メートルなのでこの20メートル差の谷越えが前半の難所です。赤坂見附の谷は赤坂川(別名鮫川)の川跡。


青山一丁目交差点

権田原交差点
青山一丁目交差点を右折し、外苑東通りを北上します。左側に港区立青山中学校があり目標として「節度ある行動」が掲げられていますが、中学生に節度を求めるとはと笑ってしまいます。国会議事堂に掲げたらいいんじゃないかなぁ。


聖徳記念絵画館


樺太国境画定標石
絵画館前でトイレ休憩します。画定標石以外にも御鷹の松、明治神宮外苑の舗装(土木遺産)、「あるけあるけ」(ウオーキング運動発祥記念碑)など見どころがたくさんあるので一部紹介してみましょう。まずは土木学会のサイトから

 聖徳記念絵画館前通りをふくむ明治神宮外苑の道路舗装は、ワービット工法を採用したわが国最初の工事でした(1926年竣工)。ワービット工法とは、下層に粗粒度アスファルトコンクリート(15cm)、上層に富配合のアスファルトモルタル(5cm)を敷いて、上下層を同時に転圧して仕上げる工法です。絵画館前通りには、80年前の舗装が今もなお使われています。これは現存する車道用アスファルト舗装としては最古級のものです。アスファルトは国産品(秋田県豊川産)を、下層のアスファルトコンクリートの主要骨材は相模川で採取した砂利を使用し、当時最新の機械化施工でつくられました。
 外苑道路の設計にあたっては、交通や苑地の美観に配慮して、排水管や水道管・電線ケーブル・ガス管をすべて地下埋設し、歩車道分離もおこないました。聖徳記念絵画館前通りの道路遺産は車道のワービット舗装だけでなく、絵画館前の池と統一的につくられたサクラ御影の歩道敷石、山梨県塩山産の花崗岩縁石、L字溝のグレーチングなどに、今ではあまりみられない丁寧な仕上げをみることができます。
 絵画館前通りは、竣工当時“絵画館前広場道路”と称され、広場としての機能も期待されていました。現在も東京を代表とする道路景観として親しまれています。

次に新宿観光振興協会のサイトから。
「歩け歩けの会」から誕生したウォーキング運動
日本初といわれるウォーキング大会は、1964(昭和39)年の東京五輪会期中、神宮外苑絵画館前から世田谷・駒沢公園に向けて歩く大会としてスタートしました。そんな歴史に思いを馳せて、今の新宿を歩いてみるのも楽しいですよ。



オクトーバーフェスト
絵画館前の草野球場ではビールの祭典が行われています。円安でドイツビールも高根の花になってしまいました。


銀杏並木

忠犬ハチ公の碑
神宮外苑銀杏並木を抜け青山通りを横断しそのまま南下。上野英三郎先生の墓の脇に碑があり、墓地内の小さな祠がハチ公の墓のようで様々な供え物が見られます。お鷹狩りウォークは物見遊山のイベントではないのですが、マーチ形式(フリーウォークではなく、実行委員が参加者を誘導して歩く)をとっているため普段見逃すようなところを案内できるので、今回この場所を訪れることにしました。


根津美術館
後藤象二郎の墓の先で青山霊園を出て青山美術館通りを西へ向かいます。道なりに南下して六本木通りを横断。小さな谷を下り常陸宮邸に沿って西へ向かい國學院大學でトイレ休憩後、氷川の杜公園で土俵を見ながら通り過ぎます。こちらの公園では相撲部屋が来て朝稽古をしてちゃんこの販売もあるようです。過去には八月第四週に行われていたようですが、直近では今年4月21日に行われています。興味がある方はこまめにチェックしてみてください。
明治通りを南へ向かい東三丁目で右折し渋谷川を渡り山手線ガードをくぐりローソンの先を左折。恵比寿公園横を歩いて駒沢通りへ。昨年茶屋坂上までの標高差10メートルの登りでばてたという声があったので今年は距離が長くなるものの登りを避けて鎗ヶ崎へ迂回し、目黒学院前を通り、東京高等・地方裁判所中目黒分室裏、共済病院と中目黒公園の間を抜けて目黒川へ。田道広場公園まで歩いてゴールとなりますがこの日は雨が降ってきたので目黒区民センターで雨宿りをしながらストレッチをして解散しました。

ショートコースを研修してきた会員と合流し、学芸大学の天狗で反省会をして解散でした。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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