ブログを見返すとこのコースを歩くのは三年ぶりです。2020年はどうしたんだっけとさらに調べてみると雨で中止にしていました。お隣なのに世田谷区をメインに歩くコースはあまりなく、隣村(荏原郡下馬引沢村)の寺社をめぐるコースは改めて面白いなぁと感じたところです。
五本木児童遊園
祐天寺駅改札で集合し、上目黒小学校に貼り出された昔の祐天寺駅界隈の写真を見ながら盛り上がり、こちらの公園をお借りしてストレッチをしてスタートです。
謡坂
アベイズム
木の標柱は目黒区で設置しているもので風雨にさらされ読めなくなっています。石のものは沿道のマンションに設置されたもの。アベイズムはこちらが本社の印刷関連会社のようです。
蛇崩川支流緑道
紅梅
ソメイヨシノの古木
芦毛塚
新導入のミラーレスは「すげえ」と思えるくらい自動で最適露出を選択してくれるのですが、さすがにこの紅梅は無理でした。どう補正しても写真にするのは難しそうだけど。
芦毛塚は下馬の字名の元になった場所。Wikipediaから引用してみましょう。
地名の由来
旧:荏原郡下馬引沢村(しもうまひきさわむら)の省略による。源頼朝が遠征に向かう途中この地を訪れ、土砂崩れに遭った際、「以後ここを渡る際は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来とされる。また、この他にも、駒繋、駒留など馬にまつわる地名が存在する。蛇崩交差点から五本木方面に向かう道の真ん中にこの馬を埋めたことに由来する「葦毛塚」がある。また駒沢は、合併時に「馬引沢」などの地名に因んでつけられた新しい村名である。
著名な出身者としてずんの飯尾和樹が紹介されています。出身の小中学校は紹介されていませんが、両親は目黒区役所勤務の公務員だったとのこと。
キンカン
世田谷区の蛇崩川緑道は工事中
宮下橋
駒繋公園
ソメイヨシノの古木
宮下橋から上流の緑道の工事が終わったので、現在はその下流の世田谷区内の改修工事が始まっています。宮下橋の宮は駒繋神社。公園は宮下公園ではなく駒繋公園。駒繋という字名は源頼朝が神社に戦勝祈願に訪れた際馬を繋いだとされる木から来ています。駒繋小学校の児童は校名を書くのに苦労したことでしょう。
神橋
御神木(イチョウ)
拝殿
稲荷社
大国主扁額
九百周年
招魂社
神社を巻いた蛇崩川緑道
子の神として古くから親しまれています。
重要文化財武家屋敷門
西澄寺御本堂
お地蔵さまと梵鐘
紅梅
雪囲い
マンリョウ
西澄寺は龍雲寺通り沿いの落ち着いた雰囲気のお寺です。龍雲寺通りですが目黒区内の地図表記は野沢通り。タクシーの運転手さんにも通じますが、私が子供の頃はオリンピック道路と言っていました。昭和15年に実施されなかった東京オリンピックで整備された道でした。
弘善湯
目黒五十番
栄通り商店街
うまえびす
西澄寺裏を道なりに歩き栄通り東端から栄通り商店街へ。玉川通りを横断します。
大山道道標
キャロットタワー
世田谷線
教学院
教学院納経堂
教学院についてWikipediaから引用します。
最勝寺(さいしょうじ)は、東京都世田谷区太子堂四丁目にある天台宗の寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称教学院(きょうがくいん)、正式名称は竹園山最勝寺教学院。目青不動(めあおふどう)の通称でも知られる。
本尊
本堂本尊 - 阿弥陀如来
寺伝では源信(恵心僧都)の作という。
札所本尊 - 不動明王
明治15年(1882年)に廃寺とされた観行寺(正善寺とも)の本尊であった不動明王像。伝承では円仁(慈覚大師)の作という。江戸五色不動の1つの目青不動である。秘仏であり公開されていない。前立ちの青銅製不動明王像は寛永19年(1642年)の作である。
歴史
寺の縁起によれば、応長元年(1311年)、玄応和尚によって江戸城紅葉山付近に創建され、太田道灌による江戸城築城(康正3年・1457年)により麹町貝塚に移転、のちに赤坂三分坂(青山墓地近辺)へ移転したという。その後慶長9年(1604年)、青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転し、明治42-44年(1909年-1911年)、太政官布告により3カ年の期間を経て現在地に移転したという。
上記の縁起を信じれば鎌倉時代の創建ということになるが、玄応和尚による創建を慶長9年(1604年)とする説もある。
明治8年(1875年)には当時青山にあった境内地のうち100坪に「幼童学校」を創立。これが後の青山南町小学校となった。明治15年(1882年)には当時麻布谷町(現・港区六本木一丁目付近)にあった観行寺が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が最勝寺に遷された。この不動明王像は江戸五色不動の1つの「目青不動」と呼ばれるが、「五色不動」の呼称自体が近代に入ってからのものであることが指摘されており、正確な造像事情は不明である。
境内には小田原藩大久保氏・荻野山中藩(駿河松長藩)大久保氏・烏山藩大久保氏の歴代藩主の墓がある。
道標の上にある仏像は不動明王だと思います。この辺でお不動様はあったかなぁと考えてみると目青不動があり納得しました。寺の歴史を見るとお不動様が移設されたのは明治になってから。道標の設置は江戸時代です。さらに調べてみると大山道の道標には不動明王像が多いとの情報。大山と言えば「大山阿夫利神社」ですが、「雨降山 大山寺(大山不動)」があるので、不動明王像なのでしょう。
アセビ?
アセビのようだけど時期も違うし、調べてもわかりませんでした。
太子堂弁天
太子堂八幡宮
神楽殿
稲荷社
お狐様
花手水
門前の紅梅
三軒茶屋駅を過ぎると怒涛の寺社巡りです。
八幡湯
聖徳太子参道
この道標は茶沢通りにあります。この日の通りは歩行者天国。
東京ワンタン本舗
林芙美子旧居
祖父が聞いていた競馬中継ラジオでの東京ワンタン本舗のCMを覚えています。まだ小学校に上がる前だったんじゃないかな。「赤ちゃんおめぇの顔見たら、ワンタン餃子を思い出す。結婚してけれねぇハナちゃん、東京ワンタン本舗」というもの。YouTubeでも見つけることが出来ませんでした。
円泉寺の白梅
地蔵堂のタヌキ
聖徳太子堂
古木の庚申堂
狸が袈裟を纏っています。
三宿の森の紅梅
紅梅の蕾
アカマツと十三重の塔
大日如来?
釈迦如来?
地蔵菩薩
不明
コブシの花芽
三宿の森は個人の邸宅から法務省の施設となり、大蔵省管理となった後世田谷区が買い取り公園になったという経緯から、個人の邸宅時代からあったと思われる不思議なものがあります。
三宿神社
稲荷社
神楽殿
三宿の森に隣接する三宿神社で怒涛の寺社巡りは終了。
多聞寺橋
烏山川にかかっていた橋の跡で忘れていましたが以前も写真に撮ってブログに載せていました。付近に多聞寺という寺院はありません。現在の多聞小学校の場所にあったと言われる三宿城が多聞寺砦とも呼ばれていたので、そんな関係かもしれません。もう少し読みやすい字でもいいと思います。
緑道沿いの紅梅
補助26号線
シャクナゲ
環状6.5号ともいわれる補助26号線は信号機が設置されまもなく運用開始でしょうか?五本木の方はこんなに進んでいないように思います。シャクナゲは時期になると大きな花をつけますが、今から準備が進んでいるのですね。
ギョリュウバイ
カワヅザクラの蕾
ホソバヒイラギナンテン
緑道の鯉
ハボタン
三宿神社でストレッチを済ませているので、流れ解散で大橋まで歩いてきました。爆発的な感染拡大の割には14名の参加と、三回目接種を済ませている会員も出てきているようです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
五本木児童遊園
祐天寺駅改札で集合し、上目黒小学校に貼り出された昔の祐天寺駅界隈の写真を見ながら盛り上がり、こちらの公園をお借りしてストレッチをしてスタートです。
謡坂
アベイズム
木の標柱は目黒区で設置しているもので風雨にさらされ読めなくなっています。石のものは沿道のマンションに設置されたもの。アベイズムはこちらが本社の印刷関連会社のようです。
蛇崩川支流緑道
紅梅
ソメイヨシノの古木
芦毛塚
新導入のミラーレスは「すげえ」と思えるくらい自動で最適露出を選択してくれるのですが、さすがにこの紅梅は無理でした。どう補正しても写真にするのは難しそうだけど。
芦毛塚は下馬の字名の元になった場所。Wikipediaから引用してみましょう。
地名の由来
旧:荏原郡下馬引沢村(しもうまひきさわむら)の省略による。源頼朝が遠征に向かう途中この地を訪れ、土砂崩れに遭った際、「以後ここを渡る際は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来とされる。また、この他にも、駒繋、駒留など馬にまつわる地名が存在する。蛇崩交差点から五本木方面に向かう道の真ん中にこの馬を埋めたことに由来する「葦毛塚」がある。また駒沢は、合併時に「馬引沢」などの地名に因んでつけられた新しい村名である。
著名な出身者としてずんの飯尾和樹が紹介されています。出身の小中学校は紹介されていませんが、両親は目黒区役所勤務の公務員だったとのこと。
キンカン
世田谷区の蛇崩川緑道は工事中
宮下橋
駒繋公園
ソメイヨシノの古木
宮下橋から上流の緑道の工事が終わったので、現在はその下流の世田谷区内の改修工事が始まっています。宮下橋の宮は駒繋神社。公園は宮下公園ではなく駒繋公園。駒繋という字名は源頼朝が神社に戦勝祈願に訪れた際馬を繋いだとされる木から来ています。駒繋小学校の児童は校名を書くのに苦労したことでしょう。
神橋
御神木(イチョウ)
拝殿
稲荷社
大国主扁額
九百周年
招魂社
神社を巻いた蛇崩川緑道
子の神として古くから親しまれています。
重要文化財武家屋敷門
西澄寺御本堂
お地蔵さまと梵鐘
紅梅
雪囲い
マンリョウ
西澄寺は龍雲寺通り沿いの落ち着いた雰囲気のお寺です。龍雲寺通りですが目黒区内の地図表記は野沢通り。タクシーの運転手さんにも通じますが、私が子供の頃はオリンピック道路と言っていました。昭和15年に実施されなかった東京オリンピックで整備された道でした。
弘善湯
目黒五十番
栄通り商店街
うまえびす
西澄寺裏を道なりに歩き栄通り東端から栄通り商店街へ。玉川通りを横断します。
大山道道標
キャロットタワー
世田谷線
教学院
教学院納経堂
教学院についてWikipediaから引用します。
最勝寺(さいしょうじ)は、東京都世田谷区太子堂四丁目にある天台宗の寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称教学院(きょうがくいん)、正式名称は竹園山最勝寺教学院。目青不動(めあおふどう)の通称でも知られる。
本尊
本堂本尊 - 阿弥陀如来
寺伝では源信(恵心僧都)の作という。
札所本尊 - 不動明王
明治15年(1882年)に廃寺とされた観行寺(正善寺とも)の本尊であった不動明王像。伝承では円仁(慈覚大師)の作という。江戸五色不動の1つの目青不動である。秘仏であり公開されていない。前立ちの青銅製不動明王像は寛永19年(1642年)の作である。
歴史
寺の縁起によれば、応長元年(1311年)、玄応和尚によって江戸城紅葉山付近に創建され、太田道灌による江戸城築城(康正3年・1457年)により麹町貝塚に移転、のちに赤坂三分坂(青山墓地近辺)へ移転したという。その後慶長9年(1604年)、青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転し、明治42-44年(1909年-1911年)、太政官布告により3カ年の期間を経て現在地に移転したという。
上記の縁起を信じれば鎌倉時代の創建ということになるが、玄応和尚による創建を慶長9年(1604年)とする説もある。
明治8年(1875年)には当時青山にあった境内地のうち100坪に「幼童学校」を創立。これが後の青山南町小学校となった。明治15年(1882年)には当時麻布谷町(現・港区六本木一丁目付近)にあった観行寺が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が最勝寺に遷された。この不動明王像は江戸五色不動の1つの「目青不動」と呼ばれるが、「五色不動」の呼称自体が近代に入ってからのものであることが指摘されており、正確な造像事情は不明である。
境内には小田原藩大久保氏・荻野山中藩(駿河松長藩)大久保氏・烏山藩大久保氏の歴代藩主の墓がある。
道標の上にある仏像は不動明王だと思います。この辺でお不動様はあったかなぁと考えてみると目青不動があり納得しました。寺の歴史を見るとお不動様が移設されたのは明治になってから。道標の設置は江戸時代です。さらに調べてみると大山道の道標には不動明王像が多いとの情報。大山と言えば「大山阿夫利神社」ですが、「雨降山 大山寺(大山不動)」があるので、不動明王像なのでしょう。
アセビ?
アセビのようだけど時期も違うし、調べてもわかりませんでした。
太子堂弁天
太子堂八幡宮
神楽殿
稲荷社
お狐様
花手水
門前の紅梅
三軒茶屋駅を過ぎると怒涛の寺社巡りです。
八幡湯
聖徳太子参道
この道標は茶沢通りにあります。この日の通りは歩行者天国。
東京ワンタン本舗
林芙美子旧居
祖父が聞いていた競馬中継ラジオでの東京ワンタン本舗のCMを覚えています。まだ小学校に上がる前だったんじゃないかな。「赤ちゃんおめぇの顔見たら、ワンタン餃子を思い出す。結婚してけれねぇハナちゃん、東京ワンタン本舗」というもの。YouTubeでも見つけることが出来ませんでした。
円泉寺の白梅
地蔵堂のタヌキ
聖徳太子堂
古木の庚申堂
狸が袈裟を纏っています。
三宿の森の紅梅
紅梅の蕾
アカマツと十三重の塔
大日如来?
釈迦如来?
地蔵菩薩
不明
コブシの花芽
三宿の森は個人の邸宅から法務省の施設となり、大蔵省管理となった後世田谷区が買い取り公園になったという経緯から、個人の邸宅時代からあったと思われる不思議なものがあります。
三宿神社
稲荷社
神楽殿
三宿の森に隣接する三宿神社で怒涛の寺社巡りは終了。
多聞寺橋
烏山川にかかっていた橋の跡で忘れていましたが以前も写真に撮ってブログに載せていました。付近に多聞寺という寺院はありません。現在の多聞小学校の場所にあったと言われる三宿城が多聞寺砦とも呼ばれていたので、そんな関係かもしれません。もう少し読みやすい字でもいいと思います。
緑道沿いの紅梅
補助26号線
シャクナゲ
環状6.5号ともいわれる補助26号線は信号機が設置されまもなく運用開始でしょうか?五本木の方はこんなに進んでいないように思います。シャクナゲは時期になると大きな花をつけますが、今から準備が進んでいるのですね。
ギョリュウバイ
カワヅザクラの蕾
ホソバヒイラギナンテン
緑道の鯉
ハボタン
三宿神社でストレッチを済ませているので、流れ解散で大橋まで歩いてきました。爆発的な感染拡大の割には14名の参加と、三回目接種を済ませている会員も出てきているようです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール