目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 北部公園コース 約6.0km

2023-05-29 11:45:01 | 東京都目黒区
ちょっと暑いくらいの天気に恵まれたウォーキング日和となり、塾からの参加者が五名いらっしゃいました。


目黒川船入場のアメリカデイゴ

ビヨウヤナギ
中目黒GTから目黒川船入場へ移動し、ストレッチをしてスタートしました。


目黒川とアトラスタワー

菅刈公園の柑橘
田楽橋を渡り目黒川右岸をさかのぼります。皀樹橋、宿山橋などを説明しプリンのマハカラで右折し次の交差点を左折して中目黒キンケロシアター、青葉台北野神社の後北に向かって西郷山通りを横断、道なりに菅刈住区センター。こちらですこやか歩こう会の名称の由来、菅刈の「す」、駒場の「こ」、東山の「や」、烏森の「か」、北部地区を構成する四つの住区から来ていることを説明します。
菅刈公園の柑橘はサイズとしてはカボスかスダチなのですがどちらなのか、どちらでもないのかわかりません。この場所に江戸時代豊後岡藩の下屋敷があったことから、この柑橘は「カボス」と勝手に決定しました。

菅刈公園の坂を上り西郷山公園、旧山手通りを北へ向かいます。特徴的な建物はマレーシア大使館。大使館がカタカナ表記しているのは「マレイシア」ですが、Googleマップの表記、信号の表記もマレーシアです。
神泉交差点で玉川通りを横断しその先を左折して淡島通りを西へ向かいます。松見坂の説明をして、駒場バラ園で駒場がバラの町であることを説明。炊事門から東大教養学部へ入ります。


駒場博物館


橄欖(かんらん)の碑
 齋藤阿具(明治元年・1868~昭和17年・1942)は第一高等学校の教授で教頭を務め、退職後も講師として死去するまで同校で教鞭をとった。彼自身も一高の卒業生(明治23年・1890)で、夏目漱石と同期である。一高教授に着任前の第二高等学校在任中に、ドイツ、オランダに留学し、帰国時にオリーヴの苗木を持ち帰った。この苗木は、千駄木の自宅に植えられた後本郷の一高本館の右手に植えられたが、一高の駒場移転に際し、現在の場所に移植されたものである。碑の表面の『橄欖』と裏面の「昭和八年教授齋藤阿具寄贈」文字は、齋藤の自筆である。


一号館

イチョウの芽生え
大量のギンナンが落ちていましたが、イチョウがこのように密集してに芽生えるのは始めて見たように思います。野球場の脇を通り北門から出ました。


駒場公園洋館前のバラ
駒場はバラの町、駒場バラの会の方たちがお世話しています。このような花壇が東大の正門近く、駒場野公園にもあります。

駒場野公園へ移動し、ストレッチをして解散となりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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ウォーキング塾地区活動(北部) 菅刈、東山、上目黒コース 約5.4km

2023-05-27 15:13:27 | 東京都目黒区
5月19日からウォーキング塾がスタートしています。このウォーキングはその翌日、霧雨の中のウォーキングとなりました。


中目黒GT
塾の期間中中目黒の集合場所はわかりやすくGTです。船入場に移動してストレッチをしてスタートします。


目黒川とアトラスタワー

さいかち橋歩道橋から
目黒川沿いをさかのぼってゆきます。目黒川にかかる駒沢通りの橋が「皀樹橋」(さいかちばし)、読めないですね。樹木の「サイカチ」を調べると「皂莢」となっていますが、橋名の由来はこの樹木だと思っています。


菅刈公園

菅刈公園和庭園
西郷山公園とともに西郷従道邸があった場所で、明治天皇が何度か行幸されています。西郷邸以前江戸時代は豊後岡藩の下屋敷がありました。西郷邸の後国鉄の官舎があり、国鉄スワローズの合宿所もこちらにありました。小笠原諸島が連合軍の管轄下にあった時代に、島民の方がこのあたりに住んでいたという話を聞きますが資料を目にしたことはありません。


ミキモトさんのバラ

スターバックス
相変わらず多くの外国人が訪れるスターバックスです。ビールには興味がありますが、コーヒーは???


寿福寺
目黒川沿いを玉川通り近くまで歩き、東山貝塚公園を見て、目黒世田谷の区境、加藤家の墓地、旧帝国陸軍の馬料庫を利用しているクロネコさんの倉庫、国土地理院跡地などをめぐり寿福寺へ。ついでに寿福寺墓地にある川井権兵衛さんのお墓へ。権兵衛さん関連の記事を目黒区のサイトから引用します。
歴史を訪ねて 目黒の鷹狩り 2
更新日:2013年10月1日

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

◆駒場野
享保元年(1716年)の鷹狩り復活後、目黒筋の中で最も利用されたのは駒場野であった。現在、その大部分は東京大学教養学部が占めているが、当時の駒場野は人の背丈ほどもある笹が一面に生え、ところどころに松林が茂る広大な原野(約16万坪といわれる)で、キジやウズラなどの野鳥をはじめイノシシ、ウサギなどがたくさん生息していたといわれる。
八代将軍吉宗が駒場野で、初めて鷹狩りを催したのは享保3年(1718年)秋のことである。以後、吉宗の遊猟は15回を数えたという。また、駒場野では鷹狩りが中心であったが、次第にウズラ狩りやイノシシ狩りも行われるようになり、鉄砲を使う大がかりな狩りへと発展していった。

◆つらかった「ケラの御用」
このあおりを受け、付近の農民は、農事に使う牛馬の飼料である駒場野での秣採りを禁止された。そのうえ、鷹狩りの雑役や野鳥飼育用の大豆畑の仕事までも請け負わされ、鷹狩りが度重なるにつれて大きな負担となった。特に、鳥見が常駐していた上目黒村では、お触れが出ると、鷹の生餌であるケラを納めなければならなかった。
ケラ捕りは夜中に、ちょうちんの灯りで田畑のあぜを捜し回るのだが、なかなか捕まらない。そこで、炒り糠(いりぬか)をまき散らし、そのにおいに誘われ土中から出てくるケラを捕まえた。しかし、命ぜられた数量を確保するのは容易なことではなく、村方は再三、ケラ捕りの延期を願い出たほど、厳しく、そしてつらい御用であった。

◆各筋に綱差を設置
野鳥がどんなにたくさんいても、将軍は、一面の笹原や林の中を馬上で追うのであるから、そう簡単には捕まらない。狩りの度に一羽の鳥も捕れないようでは、将軍家のご威光にかかわる。しかも野鳥が減少するにつれ、御用役人の心配は一層強くなる。そこで一計を案じ、あらかじめ野鳥を捕まえて飼育しておき、いざというときの御用にと、飼付御用を務める綱差という役が各筋に設けられた。
目黒筋の初代綱差は、武州多摩郡野津田村(現在の町田市)の農民で、キジ捕りの名人といわれた川井権兵衛さん。権兵衛さんは、享保3年(1718年)に下命を受けて駒場野の近くに移り住み、将軍家遊猟の際の陰の演出者として活躍した。以後、目黒筋の綱差は、代々川井家が受け継ぎ、権兵衛を襲名した。

◆俗謡となった権兵衛さん
初代権兵衛さんのキジ捕りの方法は、まず、笹原を10坪ほど切り開き、キジの大好物の大豆をまいておく。そして、近くの番小屋で様子をうかがい、キジが大豆を食べる瞬間に引き綱を引いて網をかぶせる。しかし、肝心のキジよりも先にカラスがえさを失敬してしまう。こうした毎日を繰り返すので、ほとほと手を焼いた権兵衛さんは、6尺もある木刀(だんびら)を振り回してカラスを追う。
そんな情景をおもしろおかしくうたった、「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる、三度に一度は追わずばなるまい、ズンベラ、ズンベラ…」という俗謡が生まれたという。 しかし、同じ俗謡が和歌山、福岡両県をはじめ各地方でもうたわれており、目黒で生まれたという説の真偽のほどは明らかではない。
かくて、徳川歴代将軍による目黒筋での鷹狩りは、綱差や農民の苦労をよそに、幕末まで続けられたのである。



アカンサス

蛇崩川緑道

シモツケ咲き始め

アジサイ
蛇崩川緑道を歩き、目黒銀座児童遊園でストレッチをして解散しました。

ウォーキング塾の実習と位置付けている地区ウォーク、この日塾生は一人も来ません。開催場所が西部地区の八雲体育館で北部地区から申し込んだ塾生が6名。塾初日に出席したのが3名でしたが、地区ウォークの参加がゼロはこれまでありませんでした。宿山を知るにはよいコースだったのに残念、次回はだれか来るかな?


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春の三島親水コース・伊豆長岡温泉旅行

2023-05-24 16:46:20 | 静岡県三島市
春の旅行は秋の旅行を丸々焼き直しです。秋は雨にたたられたので今回は富士山を望む晴天を期待したのですが、やっぱりしとしと雨でした。


横浜駅で踊り子三号

三島駅
横浜駅に集合し、特急で三島へ。昼食を三島駅で買う予定だったのですが、今回も雨のためお弁当だけではなく飲食店も利用可能と伝えてあります。




楽寿園
駅前の楽寿園に入園しました。何かのイベントなのかアクセサリーなどを販売するブースが多数出店。雨でぬかるみ歩きにくい。秋はこの池に水が満ちていました。




源兵衛川
秋の旅行を焼き直したのは前回この川の飛び石を歩けなかったためです。三島のハイライトは源兵衛川と柿田川公園。源兵衛川の水は楽寿園から流れてきます。池に水があるということは水位が高く、源兵衛川の飛び石が流れの下になってしまうということ。今回は飛び石を歩くことが出来ました。


聖徳太子堂

三石神社

伊豆箱根鉄道駿豆線


源兵衛川



梅花藻
梅花藻はようやく咲きはじめというレベルでしたが花を見ることが出来ました。



中郷温水池公園のアジサイ



中郷温水池公園

コバンソウ

ゲンペイウツギ

東海道
三島は富士山の伏流水で豊富な水がありますが、温度が低いのでそのままでは稲作に利用できません。そのため温水池に一度水をためて農業用水にしています。中郷温水池公園を一周して東海道を西へ向かい柿田川公園へ向かいます。この時点で一度解散し、途中の飲食店を利用する会員とは柿田川公園で集合することになっています。



柿田川



湧水
前に行ったことがある中華料理屋が休みだったのでセブンイレブンでおにぎりを買って柿田川を見ながら立ち食いです。柿田川についてWikipediaから引用します。
柿田川(かきたがわ、かきだがわ)は、静岡県駿東郡清水町を流れる狩野川水系の一級河川。
全長は約1.2kmで、日本で最も短い一級河川である。かつては泉川、周辺地域は泉郷と呼ばれていた。水源の湧水は主要なもので数十カ所ある。大量の湧水を水源とする、日本でも稀有な川である。
本河川は、長良川・四万十川とともに日本三大清流に数えられている。1985年(昭和60年)、柿田川湧水群として名水百選に選定された。さらに国の天然記念物にも「地質鉱物」の枠で指定された。河川そのものが天然記念物に指定されるのは沖縄県本部町の塩川に次いで2件目である。これは民間の企画であるが、日本の秘境100選にも選定されている。





丸池公園・境川・清住緑地
こちらの湧水も見事です。



秋葉神社

木町観音堂

言成地蔵尊
言成地蔵尊は木町観音堂の敷地内にある物ですが、この地蔵菩薩を祀った別の寺院もあるようです。由緒を検索したら変な話だったので三島市のサイトから引用します。
 昔、今の東本町辺りに、尾張屋源内という猟師が住んでいました。
 ある日、源内のかわいいひとり娘、6歳になる小菊ちゃんが、町を歩いていました。お母さんが道の向こう側にいた、そのときです。
 明石の殿様、松平若狭守【わかさのかみ】の行列がやってきました。
「下にい、下にい」
 町の人びとは、息をひそめて行列が通りすぎるのを待ちます。お母さんはあわてて、小菊ちゃんにそこを動かないようにと、うっかり声をかけました。ところが、小菊ちゃんは、自分を呼んだものと勘違いして、なにげなく行列の前を横切ったから、さあ大変です。
 これを見た侍は、怒って、小菊ちゃんを本陣へ連れて行きました。
 驚いた町の人たちは、玉沢の偉いお上人に頼んで、小菊ちゃんが助かるよう、殿様にお願いしました。お上人の頼みとあって、殿様は、やっと許す気になりました。ところが、このときお上人はうっかり、小菊ちゃんのお父さんが、尾張の国の人であることを言ってしまいました。尾張の国と仲の悪い殿様は、また怒り出し、打ち首を命令したのです。
 小菊ちゃんは手を合わせて「お殿様の言いなりになりますから、助けてください」と、何度も何度も頼んだのですが、とうとう手討ちになってしまいました。
 これを知ったお父さんは、箱根の山にかくれ、行列のかごを待ち、殿様のかごが見えると、ねらいをつけて鉄砲を撃ちました。ところが、どうしたわけか、かごの中には殿様はいなかったのです。お父さんは、小菊ちゃんのかたきをうつこともできないまま、自殺してしまいました。町の人びとは、小菊ちゃんのためにお地蔵さんをつくりました。小菊ちゃんの最後の言葉から、「言成地蔵」と呼んでいます。




伊豆国分寺
こちらは二回目ですが、訪れた地に国分寺があれば立ち寄り、聖武天皇の大仏建立、国分寺建立への思いを感じるようにしています。


あい~ん
に見えました。

三島駅に戻り日帰り組とはこちらでお別れ。泊まり組は伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り宿泊地の温泉に向かいました。


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【下見】めぐろウォーキングマーチ将軍お鷹狩りウォークロングコース

2023-05-22 13:57:48 | 東京都千代田区、中央区、港区、渋谷区、目黒区
2003年江戸開府400年記念行事として始まったお鷹狩りウォークは2020年感染症による非常事態で1回の中止を余儀なくされたものの、今年20回の記念大会を迎えます。実施は11月3日(金・祝)ですが、6月から実行委員による実踏など準備が始まるため、この日は協会事務局でロングコースの下見を行いました。


ヘビイチゴ
スタートは恒例となっている日比谷公園健康広場。野イチゴが実をつける季節になりました。


数奇屋橋の碑
日比谷公園内を歩き有楽門から晴海通りを南東へ向かいます。首都高KK線などタイムリーな見どころもありますが、「真知子巻き」の方が参加者に受けがいいかもしれません。


日産ギャラリーのスカイラインGT-R
晴海通りから南西におれて銀座通りへ。この通りは現在国道15号ですが江戸時代は東海道でした。


ライオンビヤホール
この建物は昨年登録有形文化財となりました。


銀座の高級時計店
下見で歩いたのが5月9日、前日この時計店に手荒な強盗が入り大きく報じられました。


蓬莱橋歩道橋への階段
天国を左折し柳並木の銀座らしい通りを歩き、蓬莱橋からデッキに上がります。今回のコースはデッキが多く歩きやすいと思います。


イタリア公園
蓬莱橋歩道橋、さざなみの道を歩き、イタリア公園を横断して海岸通りを芝商高前まで南下、竹芝通りを東へ。




竹芝ふ頭
はじめのトイレ休憩場所となる竹芝ふ頭にはおがさわら丸が出航の準備をしていました。


ソフトバンク本社と東京タワー

芝離宮庭園
西へ向かう竹芝通りはデッキの上を浜松町駅まで。首都高の上を通るデッキは地上4階くらいの高さがあり、庭園を見下ろすことが出来ます。


増上寺三解脱門

旧台徳院霊廟惣門
台徳院霊廟は江戸幕府二代将軍徳川秀忠とその妻で浅井三姉妹の江姫の霊廟です。江姫は目黒区とゆかりが深く、目黒の地にあった知行地を死後増上寺に寄進します。そうした縁から増上寺36世住持祐天上人を祀る祐天寺があったり、灯明用の油をおさめることで年貢を免ぜられていた「油面」という字名があったりします。


プリンス芝公園から東京タワー
ここまで見どころ満載、この先は桜田通りを歩くので少し見どころに欠けるかもしれません。


イタリア大使館

津國屋酒店
高低差なく歩くには桜田通りが一番なのですが見どころに欠けるので少し丘を登ってイタリア大使館を通るルートを試してみましたが、それほどの見所があるわけではなく却下。桜田通りを歩くコースで実踏を行います。イタリア大使館の場所は江戸時代伊予松山藩邸でした。
津國屋酒店は明治26年に建てられた建物で、現在は居酒屋となってるそうです。


港区立郷土歴史館
赤羽橋から清正公前まで桜田通りを歩きます。アップダウンはないのですが見どころもあまりありません。歩道は狭いけど二本榎通りが正解なのか?今年の参加者の反応を見てみましょう。日吉坂を上り、ようやく二つ目のトイレ休憩場所。


長者丸踏切
埼京線の踏切です。ここに踏切があることを知らない人も多いだろうし、後半のハイライトであえてここを通るコースにしています。

目黒三田通りで下見を終了し恵比寿のライオンへ。ビールうまかったです。


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蛇崩川双子の給水塔コース 約5.5km

2023-05-07 13:34:51 | 東京都目黒区、世田谷区
4月30日、すこやか歩こう会は総会を無事終了しました。今回会長の改選はなく体制を少し強化した感じです。
ウォーキング活動では二回連続で蛇崩川をさかのぼるコースとなりました。蛇崩川を歩く短い新コースです。


目黒銀座児童遊園

オルラヤ
この日は10メートルを記録する南風、集合場所の中目黒GTはビル風でそれ以上台風並みの風が吹いていましたが、こちらの公園まで来ると風はそこそこ。ストレッチをしてスタートしました。


ソウル小町
ガード下にあるチジミのおいしい店で、森伊蔵が用意してあったのでちょっとびっくりした記憶があります。列車の音がうるさく落ち着かないので最近はご無沙汰しています。


シラン


アジサイ
アジサイはこれからだなぁと思っていたら咲きはじめた花もありました。


上四児童遊園

サルビア・ミクロフィラ
この花の名前を「リボンセージ」だと思っていて、ちゃんと調べたことがなかったので調べてみたら勘違いでしたね。「チェリーセージ」と呼ばれることもあるようです。



ウツギ

シャリンバイ

ザクロ

カルミア
ドクダミが咲くようになると花も少なくなるのですが、種類は結構あります。


下馬一丁目付近の蛇崩川緑道
ずっと蛇崩川をさかのぼります。世田谷区に入ったこのあたりから野沢通りまで、最近再整備が終了してきれいになりました。


赤芽常緑ヤマボウシ

駒繋神社の神橋

梅の実
梅が実をつける季節になりました。


駒留中学校

駒留八幡宮
駒繋神社近くに駒繋小学校がありますが、隣にある中学校は駒留中学校です。由来は駒留八幡宮から来ているようで、先日機会がありお参りしてきました。八幡様は環七沿いにあり歩行経路で検索すると1.8kmの距離があります。この命名はちょっと謎なので学校のサイトで確認しました。開校した場所が駒留国民学校(現在の三軒茶屋小学校)で五年後に現在の地に移転してきたのでこの校名とのことです。



常盤塚
伝承史跡常盤塚
 薄幸の桂人常盤の方ここに眠る

天文動乱の昔 南関東 の覇者世田谷城主 七代吉良頼康 は重臣奥沢城主大平出羽守の息女常盤の方をこの上なく寵愛していたが他の側室達の讒訴を信じてゆくりなくこれを退けんとした 常盤の方は早くも これを察知して城を脱出したが到底逃れかたきを悟り

 君をおきて仇し心はなけれとも
  浮名とる川 沈みはてけり

美麗たぐいなしとうたわれ鷺草にも比すべき麗人も無実を訴えたこの非痛な辞世を残してあわれ十九才の花の命を胎内の若子諸共に田の面の露と消えはてたのである
後にこれは冤罪てあることが明らかとなり頼康は後悔のほぞをかみ 遂に八幡の旧地に若子を相殿として祀る 駒留八幡 がこれである
時人また非業の最期を遂げた常盤の方を憐みこの地に一塚を築き語りつぎいい伝え連綿としてこれを守り続けたが年月の久しき 今は顧みるもの少く塚も朽ち果てて見るかげもない 有志これを憂い相謀って資を募りこれを復興してその霊の鎮まらんことを祈るものである
 春風秋雨四百年余年 歴史を越えた伝承に息吹がここに生きている心地がするのである
 願わくは常盤の霊よ 安かれ
 昭和五十八年十一月吉日
  常盤塚顕彰協賛会代表 下 山 新 三
  世田谷老人大学講師 風間幸二郎撰文
            木村 紫水 書


こちらは駒留八幡宮近くにありました。


ユキノシタ

ヤマボウシ

シモツケ

なんでこんなに食われちゃったの?

クワ
野沢通りを横断して進みます。


バラのきれいなお宅

丸山公園
玉川通りを横断する三軒茶屋で二名離脱。半年ほど前から歩行計画に離脱ポイントを示し、それぞれのペースで歩いてもらおうと試みています。
丸山公園では洪水を防ぐための下水道工事が行われていました。気になったのはこの絵。ここにライオンもキリンもいないと思います。


アカンサス

蛇崩川緑道
駒留陸橋で環七を横断すると川幅はさらに狭くなりました。


小泉公園のブドウ


小泉公園のオブジェ
この日は暑かったので丸山公園で臨時の給水休憩をとり、こちらは予定通りのトイレ休憩です。


向井潤吉アトリエ館の案内
前任の企画担当が好きだったアトリエ館。


給水塔から三軒茶屋へ伸びるまっすぐな道




双子の給水塔
世田谷区のサイトから給水塔について。
大正13年3月に当時の渋谷町の水道供給施設として竣工した。現在は、非常時用の応急給水槽として機能している。洋風の装飾等の意匠が施されており、当時を物語る建造物である。

せたがや百景にも選ばれている(No.25駒沢給水所の給水塔)。


お隣のマンションの公開空地をお借りしてストレッチをし解散となりました。

五月からウォーキングのスタート時間が十時からとなりウォーキングが終わるとお昼時。この日すこやかアルコール会の面々は桜新町まで歩き、渋谷に出て山家で焼き鳥でした。


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