まずは庚申塔について、目黒区役所のホームページから抜粋してみます。
旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
説明全体は庚申塔(こうしんとう)って何のページを、現存する庚申塔の場所と由来は「庚申塔めぐりガイド」のページを参照してください。
庚申塔は道標を兼ねていることが多く、もともとは古くからある道沿いに建てられます。現在の庚申塔は場所が移されたものもありますが、多くは江戸時代からあった道の近くに置かれており、その時代に思いをはせながら歩くには格好のコースです。
写真:大鳥神社境内の庚申塔
スタートは大鳥神社。ストレッチをして歩くことなく、庚申塔見学です。詳しい説明はこちら。
大鳥神社を出発して目黒通りを西に向かい、下目黒四丁目の町内に入ってゆくと、きれいな円弧を描く道があります。目黒競馬場のコーナーに沿って作られた外周の道で、マイルレースならば第一コーナーの途中から、第二コーナーの終わりまで、きれいな円弧を描いています。ウォーキングはコーナーを抜け、バックストレッチを歩きぬきます。
写真:清水庚申
目黒本町にありバス停の名称にもなっているので名前は聞いたことがあるかもしれません。都道補助26号線沿いにあり、詳細はこちら。それにしても目黒本町とは無粋な名前だと思います。清水とか、月光原とか情緒のある字名が残っていないのが残念です。
写真:碑小学校前の庚申塔
ここは文字だけの庚申塔。草に埋まっています。詳しくはこちら。
写真:円融寺
いつもは閑静な円融寺ですが、この日はオーガニックマーケットAOZORAが行われておりごった返していました。
写真:高木神社
こちらは文字だけの庚申塔で一見すると道標にしか見えません。写真に撮りにくいので、神社の方を撮りました。詳しくはこちら。
写真:碑文谷八幡宮
こちらには庚申塔はありません。お参りしてトイレをお借りしました。以前から日露戦争の石碑があることは気づいていたのですが、この日その理由が「八幡様は戦いの神様である」ことに気づきました。中目黒の八幡神社にも石碑があるのか、今度確かめてみます。
写真:板碑
神社拝殿の脇に飾られた板碑。この碑文を書いた石板が呑川から掘り出されたため、地域の字名が碑文谷となったという説があり、その現物です。
写真:鉄飛坂庚申塔
こちらはお堂の中に、庚申塔群が大切におさめられています。お堂に掲げられた板には「帝釈堂」と読め「昭和六稔十一月」と書いてあるようです。年が稔になっているのは、豊穣の願いが込められているのでしょう。詳しくはこちら。
身近にあるお堂にも、いにしえの人たち思いを見ることができ、面白く感じます。
写真:桜森神社前庚申塔
詳細はこちら。
写真:八雲氷川神社のお地蔵様
体の痛いところなでると治ると言われ、こんな姿に。多くの人たちの心を癒してきたのでしょう。これを見た会員さんは「ムンクの叫び」をイメージしたといっていました。
写真:日露戦争の石碑
八幡様ばかりでなく、氷川様にもありました。
写真:大辻の庚申塔
拝殿の横を抜けてゆくと氷川神社の奥宮でしょうか?その横に柿の木坂ゴルフ練習場から移設された大辻の庚申塔があります。大辻とは大きな交差点という意味なので、元は二子道と柿の木坂通りの交差点に置かれていたものかもしれません。詳細はこちら。
写真:枯れたあかがしのご神木
氷川神社拝殿の脇にあります。めぐろ観光まちづくり協会のページによると、「癪(腹痛)封じのご利益があるといわれ、煎じ薬にするために御神木の皮をはぐ参詣者が跡をたたなかったため、ついに枯死してしまったといいます。」とのことです。
碑文谷体育館まで歩き、ストレッチをして解散。この日はいつもの有志による反省会ではなく、ウォーキング活動の運営を担当していただいている歩行誘導員の会議でした。平成27年度ウォーキングの役割分担と、目黒ウォーキング協会による事業への協力体制上期分を決定し、解散しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)
宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
説明全体は庚申塔(こうしんとう)って何のページを、現存する庚申塔の場所と由来は「庚申塔めぐりガイド」のページを参照してください。
庚申塔は道標を兼ねていることが多く、もともとは古くからある道沿いに建てられます。現在の庚申塔は場所が移されたものもありますが、多くは江戸時代からあった道の近くに置かれており、その時代に思いをはせながら歩くには格好のコースです。
写真:大鳥神社境内の庚申塔
スタートは大鳥神社。ストレッチをして歩くことなく、庚申塔見学です。詳しい説明はこちら。
大鳥神社を出発して目黒通りを西に向かい、下目黒四丁目の町内に入ってゆくと、きれいな円弧を描く道があります。目黒競馬場のコーナーに沿って作られた外周の道で、マイルレースならば第一コーナーの途中から、第二コーナーの終わりまで、きれいな円弧を描いています。ウォーキングはコーナーを抜け、バックストレッチを歩きぬきます。
写真:清水庚申
目黒本町にありバス停の名称にもなっているので名前は聞いたことがあるかもしれません。都道補助26号線沿いにあり、詳細はこちら。それにしても目黒本町とは無粋な名前だと思います。清水とか、月光原とか情緒のある字名が残っていないのが残念です。
写真:碑小学校前の庚申塔
ここは文字だけの庚申塔。草に埋まっています。詳しくはこちら。
写真:円融寺
いつもは閑静な円融寺ですが、この日はオーガニックマーケットAOZORAが行われておりごった返していました。
写真:高木神社
こちらは文字だけの庚申塔で一見すると道標にしか見えません。写真に撮りにくいので、神社の方を撮りました。詳しくはこちら。
写真:碑文谷八幡宮
こちらには庚申塔はありません。お参りしてトイレをお借りしました。以前から日露戦争の石碑があることは気づいていたのですが、この日その理由が「八幡様は戦いの神様である」ことに気づきました。中目黒の八幡神社にも石碑があるのか、今度確かめてみます。
写真:板碑
神社拝殿の脇に飾られた板碑。この碑文を書いた石板が呑川から掘り出されたため、地域の字名が碑文谷となったという説があり、その現物です。
写真:鉄飛坂庚申塔
こちらはお堂の中に、庚申塔群が大切におさめられています。お堂に掲げられた板には「帝釈堂」と読め「昭和六稔十一月」と書いてあるようです。年が稔になっているのは、豊穣の願いが込められているのでしょう。詳しくはこちら。
身近にあるお堂にも、いにしえの人たち思いを見ることができ、面白く感じます。
写真:桜森神社前庚申塔
詳細はこちら。
写真:八雲氷川神社のお地蔵様
体の痛いところなでると治ると言われ、こんな姿に。多くの人たちの心を癒してきたのでしょう。これを見た会員さんは「ムンクの叫び」をイメージしたといっていました。
写真:日露戦争の石碑
八幡様ばかりでなく、氷川様にもありました。
写真:大辻の庚申塔
拝殿の横を抜けてゆくと氷川神社の奥宮でしょうか?その横に柿の木坂ゴルフ練習場から移設された大辻の庚申塔があります。大辻とは大きな交差点という意味なので、元は二子道と柿の木坂通りの交差点に置かれていたものかもしれません。詳細はこちら。
写真:枯れたあかがしのご神木
氷川神社拝殿の脇にあります。めぐろ観光まちづくり協会のページによると、「癪(腹痛)封じのご利益があるといわれ、煎じ薬にするために御神木の皮をはぐ参詣者が跡をたたなかったため、ついに枯死してしまったといいます。」とのことです。
碑文谷体育館まで歩き、ストレッチをして解散。この日はいつもの有志による反省会ではなく、ウォーキング活動の運営を担当していただいている歩行誘導員の会議でした。平成27年度ウォーキングの役割分担と、目黒ウォーキング協会による事業への協力体制上期分を決定し、解散しました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)
宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。