年はじめ恒例の七福神巡りです。正確には「江戸最初 山手七福神」で「新宿山ノ手七福神」と区別しています。「江戸最初」の枕詞の通り江戸の七福神巡りでは最古参の部類に入るようです。一部は朱引き外で江戸ではなく武蔵の国ですが、目黒不動が寺社奉行の管轄だったのでほぼ江戸といっていいのでしょう。
大鳥神社
集合は大鳥神社、区内最古の神社といわれています。お参りをし、境内をお借りしてストレッチをしてスタートです。
センリョウ
マンリョウ
蟠龍寺(弁才天)
岩屋辯天
辯天堂のお前立
おしろい地蔵
辯天堂の木造辯天像は岩屋辯天のお前立だそうです。
不動尊参道のカレー屋さん
いろいろ店が変わっていますが元のお寿司屋さんの看板が残っているようです。
蛸薬師(成就院)
比翼塚
かむろ坂の名の由来にもなっています。
滝泉寺(目黒不動:恵比寿)
大日如来
増長天
御本尊は不動明王で毎月28日に御開帳が行われ、その日は縁日で露店が並びます。不動明王は大日如来の化身といわれ、御本堂の裏に大日如来坐像が控えています。不動明王の役割についてWikipediaから一部抜粋します。
仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
四天王で南方を守る増長天は戟(げき、ほこ)を持ち邪鬼を踏み従えています。
墓地の観音様
十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像と弥勒菩薩半跏思惟像です。十一面観音がもたらしてくれる恵みについてWikipediaから抜粋します。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。
十種勝利
・離諸疾病(病気にかからない)
・一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
・任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
・一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
・國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
・不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
・一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
・水不能溺(溺死しない)
・火不能燒(焼死しない)
・不非命中夭(不慮の事故で死なない)
四種功德
・臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
・不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
・不非命終(早死にしない)
・從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
ありがたや、ありがたや。
甘藷先生墓
国指定史跡
所在地 目黒区下目黒3-20-26滝泉寺内
指 定 昭和18年5月1日
江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相 の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
彼は八代将軍徳川吉宗 の命により蘭学 を学び、長崎に遊学し、『和蘭文学略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述する。また、『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷 の栽培を奨励したために”甘藷 先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳。
昭和62年3月21日建設
東京都教育委員会
墓石の文字は青木昆陽先生が生前書いたものです。
椎の木・太鼓橋
椎の木
椎の木はブナ科の紅葉常緑樹で、目黒区の木として指定されている。椎の木は浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797-1858)画の<江戸名所百景-目黒太鼓橋夕日の岡>1857(安政4)年中にも描かれている。水と緑に恵まれたここ夕日の岡一帯は、遠く富士の頂をのぞむ美しい自然の名勝として椎の木とともに親しまれてきた。
太鼓橋
太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人たちが資材を出し合って1764(宝暦14)年から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ型の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえ言われていたが、1920(大正9)年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、1932(昭和7)年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により1991(平成3)年11月に完成した。
大円寺(大黒天)
八百屋お七と吉三(西運)
江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は、天和2年(1682)の火事の際、避難のためしばらく間近くの円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓吉三に恋したという。お七が十六才、吉三が十八才でした。
しかし、短い避難生活のこと、やがて離れ離れになってお七は吉三に会いたさゆえに乱心し、自宅に火を放ったのです。大事には至らなかったものの、当時放火は火あぶりの大罪。お七は江戸中引き廻しの上、大井・鈴が森の処刑場で火刑に処せられました。
その後、恋人吉三は剃髪し、西運と名を改めて、お七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国を行脚しました。その後、江戸にもどった西運は、大円寺の坂下にあった明王院(現ホテル雅叙園東京)に阿弥陀三尊仏を祀り、身を寄せながら隔夜日参一万日という念仏業を始めました。浅草寺までの道のりを雨の日も雪日も休むことなく、鉦をたたき念仏を唱えながら、一万日の行を二十七年と五か月かけて成し遂げました。その夜、お七が夢枕に立って成仏したことを告げたのですがその姿が今現在も阿弥陀堂に祀られているお七地蔵になります。
西運は集まった浄財で行人坂の石畳を直し、目黒川に架かる橋を石の橋に造り替え、社会活動の数々を行いました。そのことを伝える当時の石碑があり、現在文化財指定となり、寺に伝えられています。
地蔵菩薩 ご真言
おん。かかか。びさんまえい。そわか。
ホリプロ
目黒駅上空に猛禽類
妙円寺(福禄寿、寿老人)
プラチナ ドン・キホーテ白金台店
こちらのお店には将軍お鷹狩りウォークのスポンサーとしてお世話になっています。
地蔵堂
瑞聖寺(布袋尊)
日吉坂町会
♪白金小学校合唱団♪NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール銅賞受賞!!おめでとうございます。
クラウン
トヨタモビリティ東京にあったのですが車種が分からず、前から見た時「マセラティ?」と思ってしまいましたが、クラウンでした。
覚林寺(毘沙門天)
前会長の腰の痛みが治ってすこやか歩こう会のみんなと一緒に歩けるように浄行菩薩様の腰をたわしでこすってきました。
旧海軍軍人白金墓地記念堂
明治学院大学
高輪消防署二本榎出張所
三菱電機高輪荘
清正公から桜田通りを高輪台まで南下します。
池田山公園
雪つり
ロウバイの蕾
石に根付く若木
池田山公園で二度目のトイレ休憩、トイレが新しくきれいになりました。ロウバイはまだ葉が落ちず開花は先のようです。
タイ大使公邸
目黒駅近くまで戻り上大崎児童遊園をお借りしてストレッチをして解散しました。
これまでこのウォーキングの後必ず寄っていた天狗目黒西口店が閉店してしまったので、この日は惠比壽ビヤホールへ。山手線外回りが渋谷駅改良工事のため運休しているのでタクシーで向かいました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
大鳥神社
集合は大鳥神社、区内最古の神社といわれています。お参りをし、境内をお借りしてストレッチをしてスタートです。
センリョウ
マンリョウ
蟠龍寺(弁才天)
岩屋辯天
辯天堂のお前立
おしろい地蔵
辯天堂の木造辯天像は岩屋辯天のお前立だそうです。
不動尊参道のカレー屋さん
いろいろ店が変わっていますが元のお寿司屋さんの看板が残っているようです。
蛸薬師(成就院)
比翼塚
かむろ坂の名の由来にもなっています。
滝泉寺(目黒不動:恵比寿)
大日如来
増長天
御本尊は不動明王で毎月28日に御開帳が行われ、その日は縁日で露店が並びます。不動明王は大日如来の化身といわれ、御本堂の裏に大日如来坐像が控えています。不動明王の役割についてWikipediaから一部抜粋します。
仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
四天王で南方を守る増長天は戟(げき、ほこ)を持ち邪鬼を踏み従えています。
墓地の観音様
十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像と弥勒菩薩半跏思惟像です。十一面観音がもたらしてくれる恵みについてWikipediaから抜粋します。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。
十種勝利
・離諸疾病(病気にかからない)
・一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
・任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
・一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
・國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
・不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
・一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
・水不能溺(溺死しない)
・火不能燒(焼死しない)
・不非命中夭(不慮の事故で死なない)
四種功德
・臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
・不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
・不非命終(早死にしない)
・從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
ありがたや、ありがたや。
甘藷先生墓
国指定史跡
所在地 目黒区下目黒3-20-26滝泉寺内
指 定 昭和18年5月1日
江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相 の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
彼は八代将軍徳川吉宗 の命により蘭学 を学び、長崎に遊学し、『和蘭文学略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述する。また、『蕃薯考』を著し、救荒作物として甘藷 の栽培を奨励したために”甘藷 先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳。
昭和62年3月21日建設
東京都教育委員会
墓石の文字は青木昆陽先生が生前書いたものです。
椎の木・太鼓橋
椎の木
椎の木はブナ科の紅葉常緑樹で、目黒区の木として指定されている。椎の木は浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797-1858)画の<江戸名所百景-目黒太鼓橋夕日の岡>1857(安政4)年中にも描かれている。水と緑に恵まれたここ夕日の岡一帯は、遠く富士の頂をのぞむ美しい自然の名勝として椎の木とともに親しまれてきた。
太鼓橋
太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人たちが資材を出し合って1764(宝暦14)年から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ型の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえ言われていたが、1920(大正9)年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、1932(昭和7)年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により1991(平成3)年11月に完成した。
大円寺(大黒天)
八百屋お七と吉三(西運)
江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は、天和2年(1682)の火事の際、避難のためしばらく間近くの円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓吉三に恋したという。お七が十六才、吉三が十八才でした。
しかし、短い避難生活のこと、やがて離れ離れになってお七は吉三に会いたさゆえに乱心し、自宅に火を放ったのです。大事には至らなかったものの、当時放火は火あぶりの大罪。お七は江戸中引き廻しの上、大井・鈴が森の処刑場で火刑に処せられました。
その後、恋人吉三は剃髪し、西運と名を改めて、お七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国を行脚しました。その後、江戸にもどった西運は、大円寺の坂下にあった明王院(現ホテル雅叙園東京)に阿弥陀三尊仏を祀り、身を寄せながら隔夜日参一万日という念仏業を始めました。浅草寺までの道のりを雨の日も雪日も休むことなく、鉦をたたき念仏を唱えながら、一万日の行を二十七年と五か月かけて成し遂げました。その夜、お七が夢枕に立って成仏したことを告げたのですがその姿が今現在も阿弥陀堂に祀られているお七地蔵になります。
西運は集まった浄財で行人坂の石畳を直し、目黒川に架かる橋を石の橋に造り替え、社会活動の数々を行いました。そのことを伝える当時の石碑があり、現在文化財指定となり、寺に伝えられています。
地蔵菩薩 ご真言
おん。かかか。びさんまえい。そわか。
ホリプロ
目黒駅上空に猛禽類
妙円寺(福禄寿、寿老人)
プラチナ ドン・キホーテ白金台店
こちらのお店には将軍お鷹狩りウォークのスポンサーとしてお世話になっています。
地蔵堂
瑞聖寺(布袋尊)
日吉坂町会
♪白金小学校合唱団♪NHK全国学校音楽コンクール全国コンクール銅賞受賞!!おめでとうございます。
クラウン
トヨタモビリティ東京にあったのですが車種が分からず、前から見た時「マセラティ?」と思ってしまいましたが、クラウンでした。
覚林寺(毘沙門天)
前会長の腰の痛みが治ってすこやか歩こう会のみんなと一緒に歩けるように浄行菩薩様の腰をたわしでこすってきました。
旧海軍軍人白金墓地記念堂
明治学院大学
高輪消防署二本榎出張所
三菱電機高輪荘
清正公から桜田通りを高輪台まで南下します。
池田山公園
雪つり
ロウバイの蕾
石に根付く若木
池田山公園で二度目のトイレ休憩、トイレが新しくきれいになりました。ロウバイはまだ葉が落ちず開花は先のようです。
タイ大使公邸
目黒駅近くまで戻り上大崎児童遊園をお借りしてストレッチをして解散しました。
これまでこのウォーキングの後必ず寄っていた天狗目黒西口店が閉店してしまったので、この日は惠比壽ビヤホールへ。山手線外回りが渋谷駅改良工事のため運休しているのでタクシーで向かいました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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すこやか歩こう会活動スケジュール