いろいろ考えさせられた2020年、最後のウォーキングとなりました。9年前の震災でも「これまでの日常が続かない」ということを学んだ気になっていましたが、2020年は日常が続かないということに加え、感謝を学ぶ年となりました。
上目黒氷川神社参道
拝殿
手水舎
シクラメン
集合は上目黒氷川神社です。お花がきれいに飾られている境内をお借りしストレッチ後、急な階段を下りてウォーキングスタートです。
東山公園の白梅
みかん
東山小学校
保育園
目黒川を渡り、工事中の東山貝塚公園を横目に見ながら急坂を上り東山公園へ。1979年に国土地理院が筑波へ移転し跡地が東山公園となりました。4階建ての公務員住宅が高層住宅に建て替えられ、余裕が出た部分が加わり現在の広い公園となりました。
かつてはアスファルトの校庭だった東山小学校は隣接した公務員住宅跡地と、間にあった区道を取り込み拡張し、校庭は人工芝となっています。「双葉の園」はかつて大橋に幼稚園があった記憶がありますが、そちらも保育園となり東山にも保育園があるのですね。
寿福寺
目黒ゴルフ練習場
ハナミズキの実
大下橋
寿福寺を訪れた後ゴルフ練習場とテニスクラブの間にある細い道を下ります。古い地図にも載っているので昔から地元の人々が細々と利用していたものと思います。蛇崩川緑道に出て蛇崩橋からさらにさかのぼり、大下橋に至ります。蛇崩交差点は野沢通り、五本木通り、蛇崩・伊勢脇通りが交わる五差路です。車で西へ向かうときには野沢通りから五本木通りを経由して芦毛塚がある旧鎌倉街道というルートですが、区界が大下橋にあることから本来の鎌倉街道は宿山から大下橋を渡り芦毛塚に出ていたように思います。
芦毛塚
ヒメジョオン
下馬通り
源頼朝の馬を埋葬したのが芦毛塚で、湿地だったこの地は馬をひいてゆくように命じられ下馬引沢村となり、現在短縮して下馬という住居表示なっていることは何度かこの場で書きました。下馬と上馬の意味は?蛇崩川の上流側が上馬で、下流側が下馬です。北沢川の上流側が上北沢で下流が下北沢。目黒川の上流が上目黒で下流が下目黒。地域が広かったのでその間が中目黒ですね。
ハクモクレンの花芽
何かの実の殻
駒繋神社
手水舎
末社の稲荷
頼朝が芦毛の供養を依頼し奥州征伐の帰りにも寄ったと言われる駒繋神社です。柄杓を使わなくても手水ができるよう工夫されています。
蛇崩川緑道
GARAGE310
駒留中学校
蛇崩川緑道案内図
新道橋の親柱モニュメント
駒繋神社付近の緑道は現在再整備が行われており、工事が終了すると手前のような感じになります。GARAGE310は「がれーじさんいちまる」と読むのかと思っていましたが「がれーじみと」だそうで、Googleに「閉業」とありますが、つい先日まで営業していたイメージがあり今度歩くときに確認してみましょう。
駒繋と駒留について考察してみました。戦後、新制中学校が設置されるにあたり駒繋は字が難しいから駒留にしたのかなぁなどと推察しネットで調べてみても明確な答えがありません。蛇崩川緑道案内図の橋の名前にヒントがあるようです。神社へ向かう太鼓橋が駒繋橋ですが、駒留橋ははるか上流環七に架かっています。駒留橋の近くには駒留八幡神社があり、八幡神社が由来となっているようです。下馬にある駒留中学校は本来駒繋中学校であるべきだったのでしょうが、駒繋小学校と混同しないよう駒留としたのでしょうか。駒留八幡神社についてWikipediaから歴史の一部を引用します。
この神社は、上馬一帯(旧馬引沢村)の鎮守社である。創建の年代について、『新編武蔵国風土記稿』では「鎮坐ノ年代ソノツマビラカナルコトヲキカズ」としている。社伝などによれば、創建は徳治年間(1306年-1307年)までさかのぼる。その頃、鎌倉幕府からこの地に所領を与えられた北条左近太郎入道成願という人物がいた。太郎入道は、所領である村の中心となる神社を建てたいとかねてから思いを抱いていた。ある夜、八幡神が太郎入道の夢枕に立ち「馬に乗ってその留まったところに儂を祀れ」と命じた。太郎入道は夢告に従って愛馬に乗り、その立ち止まったところを社地と定めたという。
世田谷観音
行ってみると北門の鉄の扉が閉じており、正面に回っても入ることができません。土日祝祭日は午前中しか参拝できないとのこと。除夜の鐘も中止だそうです。
学芸大学高校の塀
結構広いです。下手な大学より広いかも。
野沢龍雲寺の微妙なスロープ
野沢龍雲寺
十三重の塔とタヌキの焼き物
紅梅
ハゼの実
細川宗源師の墓
地蔵と半跏像
とろけ地蔵
三峯神社・榛名神社
稲荷神社
子育て地蔵尊
愛染明王
一期一会
野沢龍雲寺付近で一番高くなっているのは環状七号線です。北東側は蛇崩川が削ったにしてはなだらかすぎるスロープとなっていてちょっと不思議な感じがします。南西側は呑川柿の木坂支流に向かって下り坂となっています。
カワヅザクラの蕾
まっすぐの道とその先は渋谷
駒沢通りの街路樹はモミジバフウ
まっすぐ渋谷まで続いているわけではありませんが、珍しいほどのまっすぐな道。今年は車で移動することが多く駒沢通りもよく走りました。街路樹が紅葉する頃「何の木だろう」と思っていましたが、ここに答えがありました。西へ向かって駒沢公園から街路樹はイチョウになります。
競馬好き?
碑文谷体育館でストレッチをして解散しました。碑文谷公園近くのこのマンション(というよりアパート)、オークスで大金を当てて建てた訳でも無かろうに。
年をあけても同じ8コースを歩きます。ワクチンが期待通りの効果を発揮し、オリンピックが行われて、日常が戻ってくることを期待します。
本年もご愛読ありがとうございました。よい新年をお迎えください。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
上目黒氷川神社参道
拝殿
手水舎
シクラメン
集合は上目黒氷川神社です。お花がきれいに飾られている境内をお借りしストレッチ後、急な階段を下りてウォーキングスタートです。
東山公園の白梅
みかん
東山小学校
保育園
目黒川を渡り、工事中の東山貝塚公園を横目に見ながら急坂を上り東山公園へ。1979年に国土地理院が筑波へ移転し跡地が東山公園となりました。4階建ての公務員住宅が高層住宅に建て替えられ、余裕が出た部分が加わり現在の広い公園となりました。
かつてはアスファルトの校庭だった東山小学校は隣接した公務員住宅跡地と、間にあった区道を取り込み拡張し、校庭は人工芝となっています。「双葉の園」はかつて大橋に幼稚園があった記憶がありますが、そちらも保育園となり東山にも保育園があるのですね。
寿福寺
目黒ゴルフ練習場
ハナミズキの実
大下橋
寿福寺を訪れた後ゴルフ練習場とテニスクラブの間にある細い道を下ります。古い地図にも載っているので昔から地元の人々が細々と利用していたものと思います。蛇崩川緑道に出て蛇崩橋からさらにさかのぼり、大下橋に至ります。蛇崩交差点は野沢通り、五本木通り、蛇崩・伊勢脇通りが交わる五差路です。車で西へ向かうときには野沢通りから五本木通りを経由して芦毛塚がある旧鎌倉街道というルートですが、区界が大下橋にあることから本来の鎌倉街道は宿山から大下橋を渡り芦毛塚に出ていたように思います。
芦毛塚
ヒメジョオン
下馬通り
源頼朝の馬を埋葬したのが芦毛塚で、湿地だったこの地は馬をひいてゆくように命じられ下馬引沢村となり、現在短縮して下馬という住居表示なっていることは何度かこの場で書きました。下馬と上馬の意味は?蛇崩川の上流側が上馬で、下流側が下馬です。北沢川の上流側が上北沢で下流が下北沢。目黒川の上流が上目黒で下流が下目黒。地域が広かったのでその間が中目黒ですね。
ハクモクレンの花芽
何かの実の殻
駒繋神社
手水舎
末社の稲荷
頼朝が芦毛の供養を依頼し奥州征伐の帰りにも寄ったと言われる駒繋神社です。柄杓を使わなくても手水ができるよう工夫されています。
蛇崩川緑道
GARAGE310
駒留中学校
蛇崩川緑道案内図
新道橋の親柱モニュメント
駒繋神社付近の緑道は現在再整備が行われており、工事が終了すると手前のような感じになります。GARAGE310は「がれーじさんいちまる」と読むのかと思っていましたが「がれーじみと」だそうで、Googleに「閉業」とありますが、つい先日まで営業していたイメージがあり今度歩くときに確認してみましょう。
駒繋と駒留について考察してみました。戦後、新制中学校が設置されるにあたり駒繋は字が難しいから駒留にしたのかなぁなどと推察しネットで調べてみても明確な答えがありません。蛇崩川緑道案内図の橋の名前にヒントがあるようです。神社へ向かう太鼓橋が駒繋橋ですが、駒留橋ははるか上流環七に架かっています。駒留橋の近くには駒留八幡神社があり、八幡神社が由来となっているようです。下馬にある駒留中学校は本来駒繋中学校であるべきだったのでしょうが、駒繋小学校と混同しないよう駒留としたのでしょうか。駒留八幡神社についてWikipediaから歴史の一部を引用します。
この神社は、上馬一帯(旧馬引沢村)の鎮守社である。創建の年代について、『新編武蔵国風土記稿』では「鎮坐ノ年代ソノツマビラカナルコトヲキカズ」としている。社伝などによれば、創建は徳治年間(1306年-1307年)までさかのぼる。その頃、鎌倉幕府からこの地に所領を与えられた北条左近太郎入道成願という人物がいた。太郎入道は、所領である村の中心となる神社を建てたいとかねてから思いを抱いていた。ある夜、八幡神が太郎入道の夢枕に立ち「馬に乗ってその留まったところに儂を祀れ」と命じた。太郎入道は夢告に従って愛馬に乗り、その立ち止まったところを社地と定めたという。
世田谷観音
行ってみると北門の鉄の扉が閉じており、正面に回っても入ることができません。土日祝祭日は午前中しか参拝できないとのこと。除夜の鐘も中止だそうです。
学芸大学高校の塀
結構広いです。下手な大学より広いかも。
野沢龍雲寺の微妙なスロープ
野沢龍雲寺
十三重の塔とタヌキの焼き物
紅梅
ハゼの実
細川宗源師の墓
地蔵と半跏像
とろけ地蔵
三峯神社・榛名神社
稲荷神社
子育て地蔵尊
愛染明王
一期一会
野沢龍雲寺付近で一番高くなっているのは環状七号線です。北東側は蛇崩川が削ったにしてはなだらかすぎるスロープとなっていてちょっと不思議な感じがします。南西側は呑川柿の木坂支流に向かって下り坂となっています。
カワヅザクラの蕾
まっすぐの道とその先は渋谷
駒沢通りの街路樹はモミジバフウ
まっすぐ渋谷まで続いているわけではありませんが、珍しいほどのまっすぐな道。今年は車で移動することが多く駒沢通りもよく走りました。街路樹が紅葉する頃「何の木だろう」と思っていましたが、ここに答えがありました。西へ向かって駒沢公園から街路樹はイチョウになります。
競馬好き?
碑文谷体育館でストレッチをして解散しました。碑文谷公園近くのこのマンション(というよりアパート)、オークスで大金を当てて建てた訳でも無かろうに。
年をあけても同じ8コースを歩きます。ワクチンが期待通りの効果を発揮し、オリンピックが行われて、日常が戻ってくることを期待します。
本年もご愛読ありがとうございました。よい新年をお迎えください。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール