目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

文化財めぐり上目黒コース 約5.5km

2024-12-30 11:46:27 | 東京都目黒区、世田谷区
このコースは目黒区のサイトで紹介されている「文化財めぐり」を参考にルートを作ってみたコースです。今回は上目黒。このサイトの面白いのは目黒区にとどまらずお隣の区まで行くところなのです。今回は旧村名でいうと上目黒村、下馬引村、碑文谷村をめぐります。
コース概要をサイトから引用します。以降茶色の文字部分は目黒区のサイトからの引用です。
このコースは旧上目黒村大橋(おおはし)から、東山を経由し宿山(しゅくやま)に至り、後半は蛇崩川(じゃくずれがわ)を遡り世田谷観音までを巡ります。

大橋(おおはし)は、大山道(おおやまみち)(現在の玉川通り)が目黒川を渡る所に架けられた橋に地名が由来するように、古くから交通の要衝でした。近代には玉電(たまでん)の名で親しまれた路面電車が通り、その車庫が置かれ、最近では首都高速道路の大橋(おおはし)ジャンクションが設置されるなど、現在でも交通のかなめとなっています。

また、現在の池尻大橋(いけじりおおはし)駅付近、玉川通りをはさんで北側と南側の一帯には、戦前には陸軍輜重兵(しちょうへい)大隊、騎兵連隊などの施設があり、兵隊屋敷と呼ばれていました。

東山地域からは、東山貝塚を始めとして、縄文時代の人々の生活を伝える遺跡があちこちから発見されています。近代には軍の広大な練兵場(れんぺいじょう)として使用され、戦後は公務員住宅、小学校、中学校などが建てられています。

宿山(しゅくやま)は、上目黒地区の中でも古くから集落があった場所で、鎌倉道と呼ばれた中世以来の古道(こどう)が通り、宿山(しゅくやま)の名も宿場があったことに由来するといわれています。この地域には寿福寺(じゅふくじ)、烏森稲荷神社があります。

蛇崩川(じゃくずれがわ)は馬事公苑(ばじこうえん)(世田谷区上用賀二丁目1番1号)付近を源とし、中目黒駅下流で目黒川に合流する目黒川の支流のひとつです。緑道(りょくどう)として整備されている所が多く、川すじをたどることができます。

目黒から世田谷にかけて、川に沿って芦毛塚(あしげづか)、下馬(しもうま)、上馬、駒繋神社(こまつなぎじんじゃ)など、馬にまつわる地名があり、源義家、頼朝の奥州遠征に関わる言い伝えがあります。



上目黒氷川神社

大山道の道標

花手水

ご拝殿

急な階段
大橋氷川神社(おおはしひかわじんじゃ)(目黒区大橋二丁目16番21号)は旧上目黒村の鎮守で上目黒氷川神社とも呼ばれています。天正(てんしょう)年間(1573年から1592年)に上目黒村の旧家である加藤氏がこの地に迎えたと言われています。

祭神(さいじん)はスサノオノミコトです。あわせて天照大神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭っています。

正面の階段は、文化13年(1816年)に小松石(こまついし)で造られましたが、明治38年(1905年)の大山道(おおやまみち)改修の際に敷地を削られ、現在の急勾配の階段に改修されました。石段の下には、石段の改修記念碑、「武州荏原郡古菅刈庄目黒郷(ぶしゅうえばらぐんこすげかりのしょうめぐろごう)」と刻まれた供養塔、天保13年(1842年)に建てられた大山道(おおやまみち)道標があります。



目黒富士登山口

目黒富士山頂
また境内には、目切坂上(めきりざかうえ)にあった目黒元富士(めぐろもとふじ)から移された浅間神社(せんげんじんじゃ)の石祠、碑があります。

神社に向かって左手の斜面には、「目黒富士(めぐろふじ)」と名付けられた登山道が設けられ、毎年7月1日には山開きが行われています。



東山児童遊園の紅葉

東山貝塚公園
東山貝塚は、北区の西ヶ原貝塚、港区の丸山貝塚とともに都内三大貝塚とよばれた著名な貝塚でしたが、駒沢練兵場や区画整理などで比較的早い時期に消滅したものと考えられていました。

しかし、昭和58年から60年の発掘調査で縄文時代の住居跡が次々と発見され、集落の一部が残っていることがわかりました。現在まで住宅建設などの際に断続的に調査が行われ、旧石器時代の礫(れき)、縄文時代中期から晩期の住居跡、土坑墓(どこうぼ)、落し穴、弥生時代後期・古墳時代の住居跡、駒沢練兵場(れんぺいじょう)跡などが見つかっています。

区立東山貝塚公園(目黒区東山三丁目16番7号)には縄文人の生活を再現したコンクリート製の竪穴(たてあな)住居があります。また、貝塚が出土した公園西側の斜面のあたりから、今も水が湧き出しています。



東山公園

こんな太い枝が
この日は風が強くとても寒い中のウォーキングとなりました。


寿福寺

参道のサザンカ
寿福寺(じゅふくじ)(目黒区上目黒五丁目16番6号)は、元和(げんな)元年(1615年)鳳算大阿闍梨(ほうさんだいあじゃり)の開山と伝えられています。本尊は阿弥陀如来像です。

境内には、区内に伝わるものとしては最古の弘安(こうあん)2年(1279年)の板碑(いたび)があります。

また、相生地蔵(あいおいじぞう)、庚申塔(こうしんとう)など多くの石造物があります。

寿福寺(じゅふくじ)墓地には、川井権兵衛(かわいごんべえ)の墓があります。川井家は、将軍の鷹狩りに備えて獲物を餌付けしておく綱差役(つなさしやく)を代々務めた家です。川井家に伝わる古文書は、鷹狩りや幕府の支配などを知る上で貴重な史料として、目黒区指定文化財に指定されています。



蛇崩川遊歩道とブーゲンビリア

芦毛塚
源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州征伐(おうしゅうせいばつ)でこの地を通ったとき、乗っていた馬が沢に脚を取られ転落して死んでしまいました。この馬の供養のために芦毛塚(あしげづか)(五本木1丁目18番先)を建てたという伝説があります。

この伝説から、あたりの地名を馬引沢(うまひきざわ)といい、上(かみ)馬引沢(うまひきざわ)、下(しも)馬引沢(うまひきざわ)に分かれ、さらに上(かみ)馬、下(しも)馬の地名になったという説があります。



ハクモクレン

ナンテンの紅葉

駒繋公園

駒繋神社
駒繋神社(こまつなぎじんじゃ)(世田谷区下馬四丁目27番26号)の祭神(さいじん)は大国主命(おおくにぬしのみこと)です。

平安時代後期の天喜(てんぎ)4年(1056年)、源頼義・義家(みなもとのよりよし・よしいえ)父子が朝廷の命令を受け、奥州安倍氏征伐に向かう際ここに立ち寄り、戦勝祈願(せんしょうきがん)をしたという説があります。

のちの文治(ぶんじ)5年(1189年)、源頼朝が奥州藤原泰衡(おうしゅうふじわらのやすひら)征伐の際、源義家の古事にちなみ戦勝祈願(せんしょうきがん)を行い、社殿脇の松に馬を繋いだという言い伝えがあり、現在の神社名の由来になっています。

参詣後、頼朝は馬に乗って移動しようとしましたが、湿地のため馬を曳いて移動し駒留八幡神社(こまどめはちまんじんじゃ)(世田谷区上馬(かみうま)五丁目35番3号)から馬に乗ったので、下馬(しもうま)、上馬(かみうま)の地名になったという説があります。



ベンツ

駒留中学校

ハクモクレン


世田谷観音
駒留あたりから移転してきたので駒繋小学校の近くに駒留中学校があるという状況のようです。世田谷観音は土日は12時に閉門して見学できません。


サンタさん

東京学芸大学附属高等学校の塀

龍雲寺

龍雲寺の紅葉

斑入りの葉っぱ

タヌキ
目黒区のサイトのコースには入っていませんが、龍雲寺にお参りして寺社巡りは終了。


クロガネモチの大木

造園業

キンカン
龍雲寺がある野沢は造園業が盛んで今でも多くの造園業者があり、庭木とも造園業者のストックともつかない立派な木が目を引きます。
この後碑文谷体育館でストレッチをして今年の活動を終え、こじんまりと納会をして解散しました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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自由ヶ丘コース 約4.9km

2024-12-20 12:22:28 | 東京都目黒区
都立大学駅付近を出発し、自由が丘の熊野神社に行き都立大学駅へ戻ってくるコースです。


呑川本流緑道
工事が行われるようで囲われていました。いつもストレッチをする場所を人が通れなくなり、通行の邪魔をする心配がなくなりました。ストレッチをしてスタートです。


忘れ物かな

都立大学駅付近

目黒区みどりの散歩道


谷畑弁財天
自由が丘方面へ向かうと坂を上ると立源寺の前を通る品川道がありその先は下り坂です。都立大学駅は呑川の谷、自由が丘は湿地だった場所を呑川まで放水路を作り田畑としています。その放水路も現在は暗渠となり九品仏川緑道と呼ばれています。


目黒区みどりの散歩道




熊野神社
弁財天から西へ向かう道が緑小通り、熊野神社の裏手になります。これ以上駅に近づくと人があふれているのでウォーキングではこのあたりが適当。


セネガル大使官邸

クリスマスツリー

サザンカ


農産物直売所
緑小通り西の突き当りを北へ。目黒通りを横断してさらに北へ。


呑川本流緑道

呑川駒沢支流合流点

みどりの散歩道
呑川本流緑道を東へしばらく歩くと駒沢支流との合流点。こちらを北へ。


東京都立桜修館中等教育学校

めぐろ区民キャンパス万葉歌碑

府立高等学校と東京都立大学の門跡
桜修館の前の通りはやくも文化通りとなっていますが、近所ではないせいかあまりなじみのない名前。この通りは世田谷区に入ると深沢学園通りとなっています。桜修館は現在中高一貫校となっていますがわれわれの世代では都立大学付属高校でした。
ちなみに東急都立大学駅、開業当初は柿ノ木坂駅。五島慶太氏が誘致し学校が麹町から移転して府立高等前駅へ変更、翌年府立高等駅へ変更、都立高校駅を経て都立大学駅になっています。都立大学の名を有する学校がなくなった後、駅名を変更する検討を始めるかどうかのアンケートを行い変更派が過半数を占めたものの「3分の2以上の賛成で新駅名を検討する」という条件に達しなかったため現在も都立大学という駅名になっています。変更するとなっていたらどうなっていたんだろう?やっぱり柿ノ木坂駅かな、それもよさそう。


めぐろ区民キャンパスの紅葉

常圓寺大イチョウ
区民キャンパスから八雲氷川神社経由で都立大学駅へ戻るコースでしたが、私の勘違いで常圓寺参道を通り呑川本流緑道へ戻ってきてしまいました。最近区民キャンパスでストレッチをして解散してしまうケースが多かったので忘れていました。


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東部地区コース 約5.4km&忘年会

2024-12-10 11:58:45 | 東京都目黒区
12月の第二週は忘年会のため忘年会会場の近くでウォーキングを終える、忘年会の開始時間に合わせてスタート時間を決めるなど忘年会仕様になっています。


祐天寺墓地の広い空
集合は祐天寺駅改札、祐天寺に移動してストレッチをしてスタートです。私が子供のころは近所で広い空が見られる場所はいくらでもあったのですが、最近はこんな空が見える場所は少なくなりました。


油面小学校前の立派な門
個人のお宅のようですがヒマラヤスギも立派ですね。油面小学校は向田邦子さんが一時通っていたそうです。小字「油面」について目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 油面(あぶらめん)
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 油面
「油面(あぶらめん)」は、衾(ふすま)・碑文谷(ひもんや)などとともに、初めての人にはまず読めそうにない地名の一つ。もとは、現在の中町一丁目に、同二丁目、中央町二丁目の一部を加えた一帯の旧字名だが、その名は、油面小学校、油面公園をはじめ、商店街通りや交差点、バス停などに今も残り、「住区」の名称ともなっており、その長い歴史に新たな一ページを加えている。
さて、「油面」の地名は、多くの地名の例に漏れず、土地の産物にちなむもの。江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面」となったと伝えられる。
ただし、「面」については、韓国などで、村長のことを面長といっているように、「村」の意味とする説もあり、この説によれば、「油面」は、単に「油のとれる村」の意味となる。
なお、菜種の栽培は昭和の初めごろまで行われ、開校当時(大正14年)の油面小学校は、菜の花畑と竹やぶ、雑木林に囲まれた、畑の中の学校だったという。路線バスが商店街や住宅地を縫うように走る今日の町並みからは、想像もできない風景である。



油面子育地蔵尊
関連する情報を目黒区のサイトから引用します。
目黒のみち 油面地蔵通り
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒のみち 油面地蔵通り
目黒消防署の筋向かいの油面交番を北に入る道が、高地蔵尊を中心として栄える商店街、油面地蔵通りである。
現在、地蔵尊は商店街のほぼ中央の堂舎内にあるが、元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。
子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人も数多い。



林試の森公園 くぬぎ門

林試の森の紅葉

寒さを吹き飛ばして遊ぶ子供たち
ずっと南下し、くぬぎ門から林試の森公園に入ります。この日はこの冬一番の冷え込みで北風も強くとても寒い夕方でしたが、子供は元気ですね。


目黒不動仁王門とイチョウの黄葉

ジュウガツザクラと紅葉

車祈祷所

イチョウの黄葉

コダチダリヤ

仁王門と月
目黒不動でトイレ休憩。この日は階段下から遥拝するだけでした。


五百羅漢寺

目黒川
羅漢寺川跡に沿って山手通り、一本裏に入り電車道。電車道について目黒区のサイトから引用します。
目黒のみち 電車道
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒のみち 電車道
権之助坂の下、目黒川に架かる新橋のたもとから、不動前方面へ向けて斜めに走る道がある。歩道を含め、最大幅員18メートルに及ぶ立派な道だが、全長わずかに600メートル足らず。山手通りに交差した途端、こつ然ととぎれる、太く短い道である。
戦前、東京市が天現寺・恵比寿長者丸間の市電路線を延長するために買収した軌道敷用地が、この道の前身。昭和19年に、既存の路線自体が廃止となったため、戦後、新橋から終点予定地までの軌道敷用地が、そのまま道路に生まれ変わった。
柳並木があったため「柳通り」の名もあるが、現在はハナミズキの並木道である。昔を知る人の間では、今も「電車道」と呼ばれる、歴史を刻む道である。


太鼓橋で目黒川を渡ります。昔の太鼓橋はこちら
太鼓橋については八百屋お七に絡む話もあるのでWikipediaから引用します。
最初の架橋と伝説
1769年(明和6年)に完成した。建設された当時としては珍しい石造りであった。長さ8間3尺(約15.3メートル)、幅2間(約3.6メートル)であり、名前の通りいわゆる「太鼓橋」の形状をしていた。
斎藤月岑が『江戸名所図会』(第三巻、1834年)に選び、歌川広重が『江戸名所百景』(1857年)にも描いた。周辺には目黒不動や行人坂、千代ヶ崎(上大崎村千代ヶ崎、現在の品川区上大崎3丁目)等の名所が多かった。
太鼓橋を造った人物には諸説あり、八百屋お七の恋人の吉三郎が出家した西運上人だったという伝説がある。修行中に江戸の民衆から寄進を集めて太鼓橋を造ったという。橋の東側にあった大円寺には吉三の伝説が書かれた標識があったほか、旧太鼓橋に使用された石材が置かれてある。ほかにも、木喰上人(木食養阿)が1700年代の始めに作り始め、江戸・八丁堀の町人が資金を出し合い、完成させたという説がある。
同地は、1889年(明治22年)までは荏原郡下目黒村、1922年(大正11年)までは同郡目黒村大字下目黒、1932年(昭和7年)までは同郡目黒町大字下目黒であった。当初の石橋は、1920年(大正9年)9月1日に豪雨で流された。


目黒川沿いを北へ向かい、船入場でストレッチをして解散。多くは忘年会へ。


代官山花壇

この日のメニュー
贅沢な忘年会で楽しい時間を過ごしました。


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小石川植物園コース 約3.7km

2024-12-08 11:35:16 | 東京都千代田、文京区
今回は本隊は参加せず、小石川植物園で本隊と合流しました。小石川植物園の最寄り駅はは都営三田線の白山駅か丸ノ内線の茗荷谷駅になりますが、茗荷谷から文京区のコミュニティバスを利用して共同印刷で下車するのが最も近いかな。


東京大学小石川植物園
江戸時代徳川綱吉の別邸だった場所に現在の有栖川公園にあった薬草園が移されます。大岡越前の時代に小石川養生所が作られ、青木昆陽が甘藷の試験栽培を行いました。明治時代東京帝国大学の開設とともに大学の施設となり一般にも公開されるようになりました。


ソテツ

パンパスグラス

ヒマラヤスギ
入場料を支払い反時計回りに園内をめぐることにすると坂の登り口にソテツ、パンパスグラスが見えてきて、坂を上りきるとヒマラヤスギに圧倒されます。


コダチダリア

ピラカンサ

メンデルのブドウ

ニュートンのリンゴ




イロハモミジ並木
今年は紅葉が遅れていて11月24日ではイロハモミジは盛りを迎えていません。



イチョウ
イチョウの黄葉はちょうどいいようです。


シナユリノキとイチョウ

イチョウ

センリョウ


カリン
カリン林まで来るとずいぶん奥のほうで、このあと四阿で一休みしてから階段を下りて日本庭園へ。


キリシマツツジの紅葉

日本庭園

旧東京医学校本館

水鏡
好天に恵まれ池に映る紅葉もきれいです。写真を撮っているときには気になりませんでしたが、写真になると陽がかたむき木の影が目障りです。




メタセコイア

バショウ
一周回って入り口に戻ってきました。外国人観光客が増えたなぁという印象です。国によっては大きな声で話をするので多少煩わしい感じもありますが、それほど人が多くないので快適に園内をめぐることができました。

再びコミュニティバスでと思ったのですがタクシーが先に来たのでタクシーで後楽園駅へ向かい、渋谷の天狗で懇談して帰ってきました。


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小さな幸せ

2024-12-05 15:44:25 | 東京都目黒区、世田谷区
「すこやか歩こう会」の11月30日は、呑川、化坂、秋山の森コース7.1㎞
集合場所は都立大学駅付近吞川緑道でした。スタート時間は13時ですが12時45分くらいに到着しました。
まだ誰も来ていない。「あれ、まちがったかな」と思っていたら、三々五々次々と集合。総勢12名になりました。
朝晩は寒いけれど昼間は暖かい。晩秋のこの日は絶好の散歩日和になりました。
集合場所の近くをよく見るときれいな葉っぱが目に留まりました。思わず写真に。

13時になりました。いつものようにみんなで輪になりストレッチ体操。
まずは呑川本流緑道へ。そして八雲氷川神社。誰かが「目黒で一番古い神社だよ」。
「そうなんだ。ところで、八雲神社は何の神様?」
ちょっと調べると、須佐之雄尊(スサノオノミコト)と稲田姫尊(イナダヒメノミコト)、大国主尊(オオクニヌシノミコト)だそうです。
日本の神話の世界そのものですね。
見上げると真っ黄色い銀杏に青い空。コントラストがとてもきれいです。これも写真に。

金蔵院、化坂へ。「昔はきっとこの辺は幽霊が出たんでしょうね」と話ながら、呑川本流緑道へ。
全コースの凡そ半分の深沢神社・三島公園でトイレ休憩。
休憩した時はいつも誰かにアメをいただきます。いつもいただいてばかりですみません。

一人で黙って歩いていると距離が長く感じます。
でも、「実は前に尻もちをついてからちょっとした拍子に腰が痛くなるんです。ただ歩くだけなら問題ないんですが」
「そうなんですか。実は私も8月にひどいぎっくり腰をして、2~3日歩けなかったんです」のような話をしながら歩いていると、
あっという間に目的地に着きます。
家の中にいたのではわかりませんが、紅葉は街中や神社のいたるところにあるんですね。
紅葉も楽しいのですが、誰彼となく気の置けない話をするのも楽しいです。

よそ見をしていて歩道を仕切るポールにちょっとぶつかりました。
後ろからすぐに「ちゃんと前を見て歩かないとダメよ」とやさしい声が飛んできました。
「そうだ、気を付けないと」と思い直しました。

三島公園での10分間の休憩の後、秋山の森から駒沢公園のうま公園まで来ました。
小さな子供連れの若いお母さんが多い。子供は走ったり、自転車に興じています。
お母さんはみんなとてもファッショナブルですね。駒沢公園らしいと感心。

1964年、今から60年前の東京オリンピックの聖火台を横目に見て、衾公園、桜修館中高のお隣を通り、
目黒区民キャンパスに着きました。13時に出発しちょうど15時の到着です。
10分の休憩を入れて7.1㎞を2時間きっちりで歩いたことになります。
そこでみんなでストレッチ体操をして解散。この日の歩数は11,465歩になりました。

「健康のためにもっと歩きましょう」とよく言われます。「1日に何歩、歩いているか」を、意識されることはあるでしょうか。
「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」の推奨は、成人男女では8,000歩/日、高齢者では6,000歩/日だそうです。
でも「健康になるためにもっと歩きましょう」と言われると、なんだか「試験勉強をがんばりましょう」と言われているような気になります。
「健康になるために歩く」というよりも、「歩くことは楽しい、何となく気持ちがいい、だから歩こう」と思っています。

青い空、街や神社の紅葉、気の置けない話。小さな幸せを感じる11月30日の「すこやか歩こう会」でした。

S.O.記載
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