目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

水無川下見

2017-10-24 16:13:32 | ウォーキング
ここで何度か書いていますが、烏山川を、終点である池尻からさかのぼってゆく企画をやっています。11月に水源の一つである高源院に到着して企画のゴールと思っていたのですが、蘆花公園近くで合流する支流もけっこう先までたどれることがわかり、下見をしてきました。


写真:蘆花公園
京王線八幡山駅から蘆花公園まで歩き、川跡にたどり着きました。蘆花公園のあたりが支流の合流点に当たり、台風の後にできた水たまりを見て「ここはかつて湿地だったのかなぁ」などと考えました。


写真:世田谷自動車学校とガスタンク
自動車学校は一段高くなっており、その反対側を見ても上り坂で、この道路が谷底にあることがわかります。それ以外にここに川が流れていた形跡は見当たらないのですが、上流へ向かって進みます。


写真:暗渠

写真:水辺の散歩道の看板

写真:暗渠
バス通りを渡ると川跡が現れます。水辺の散歩道の看板には、この川の名前は書いてありません。


写真:水無川の説明


写真:水無川暗渠
「これも烏山川」と思って歩いていた私には意外でしたが、水無川という名前のようです。看板から引用してみると
水無川は、旧烏山村と旧給田村のさかいを概ね南東方向に流れ、旧粕谷村、旧船橋村を経て、現在の千歳清掃工場付近で、北烏山寺町にある高源院鴨池等を水源とする本来の烏山川(本流)に合流していた川です。
この水無川は、河川法上の名称は烏山川となっていますが、もともと烏山川(本流)とは別の支流であり、江戸時代には、水無川沿いに帯状に広がっていた水田は、水無田圃とよばれ、武蔵国烏山村検地帳に北水無、南水無と記載されています。
水無川の由来は、旧烏山村字出井向(現在の世田谷区北烏山8丁目付近)や旧北野村(現在の三鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたため、雨期以外は流れが細り、いつしか「水無川」と呼ばれるようになったと言われています。

烏山川との関係も詳しく書かれていました。


写真:自転車置き場になっています
千歳烏山駅付近では暗渠は自転車置き場に転用されていました。ここは大勢では通れないので、代わりの道を探しておかなければなりません。


写真:南烏山六丁目のお地蔵様
お地蔵さまがあったので撮っておきましたが、改めて地図を見ると旧甲州街道沿いで、「それでお地蔵様があるんだ」と納得しました。首が無いのは廃仏毀釈の影響でしょうか?教育テレビの「百分で名著『歎異抄』」の中で釈先生が「宗教は差別性と暴力性を内包している」と解説しておられましたが、そんなことの表れですかね。「そうならないよう、それぞれの教えにはリミッターがあるが、いろいろな宗教をつまみ食いするとそのリミッターが外れてしまう」ともおっしゃっていました。首のないお地蔵様を見て、この言葉を思い出したいと思います。




写真:北烏山九丁目
甲州街道を越えると畑が目につくようになってきます。「この先どこへ行くのかな」と思っていると、きちんと緑道の入り口が示されわかりやすくなっています。中央高速の下では道路工事が行われているため、緑道を見失いやすいかもしれません。






写真:中川遊歩道
三鷹市に入ると川の名前は中川に変わるようです。東八道路の三鷹台団地南口交差点あたりで、遊歩道は終わっています。三鷹台団地の中を探せば、まだ川跡が残っているかもしれませんが、ウォーキングはここから久我山駅へ向かうことにします。


写真:牟礼一丁目の栗林
十数年前によくテニスに来ていた朝日生命スポーツクラブの近くで、何となく車で走った記憶のある場所でした。現在工事中の大きな道路に車が走り始めると、このあたりの雰囲気も大きく変わってくるのでしょう。

地図を引いてみると久我山駅まで7.3kmと、よいウォーキングコースになりそうです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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救急救命講習会

2017-10-22 10:51:06 | ウォーキング
すこやか歩こう会は目黒ウォーキング協会に所属しています。協会では目黒区が主催する将軍お鷹狩りウォークや、めぐろウォーキング塾を主管しており、これらのイベントに備えるため年に一度、任意参加の「普通救命講習会」を実施しています。消防署から派遣される講師によるもので、受講し試験に合格すると「救命技能認定証」が発行される公的な講習会です。


写真:実習用の人形
私はこの認定証を受けているのですが、今年更新の三年目となるので、受講してきました。前回とは少し内容が違っており、「死戦期呼吸」という初めて聞く言葉も出てきました。心停止後しばらく口が動いて呼吸をしているように見える症状で、実際には呼吸できておらず、「普段どおりの呼吸」ではないと判断し、心肺蘇生を行わなくてはならない状況です。数か月前野球部のマネージャが車に乗れずに走って学校に帰り、倒れた時の状態で、この際「呼吸あり」と判断をしてしまい結果的に救命できなかったニュースが記憶に新しいと思います。今回の講習では判断を誤らないよう、口元ではなく胸を見て呼吸の判断をすることを教わりました。

もう一点、人工呼吸についての認識も新たにしました。講習を受ける前は、「人工呼吸はしなくてよい」と認識していたのですが、この認識は正しくないようです。平成28年7月発行のテキスト、「身につけよう応急手当 普通救命講習テキスト ガイドライン2015対応」から引用してみます。
〇成人に対する人工呼吸は、口対口の呼気吹き込み人工呼吸が、最も簡単で効果があるといわれ、基本となる方法です。
〇人工呼吸のために胸骨圧迫中断時間が長くならないように訓練しましょう。
〇訓練を積み技術があり、意思がある場合は人工呼吸を実施してください。

とあります。「他人である」、「嘔吐がある」など人工呼吸をためらってしまうケースも考えられますが、救命措置の対象が家族などかけがえのない人である場合も考え、訓練を積み技術を身につけておく必要があるでしょう。ネットで調べると「胸骨圧迫(心臓マッサージ)のみの方が救命率が高い」などの記述も見られますが、最新の指針では「人工呼吸も必要」となっていることを、認識しなくてはなりません。厚労省が発行した「救急蘇生法の指針 市民用 2015」から一部引用しておきます。
 今回の改訂では、すべての心停止傷病者に質の高い胸骨圧迫が行われることをもっとも重視しました。そのために、普段どおりの呼吸かどうかわからず心停止の判断に迷うときは心肺蘇生を開始することを強調しました。講習を受けて人工呼吸の技術を身につけていて、人工呼吸を行う意思がある場合には、胸骨圧迫と人工呼吸を組み合わせることとしました。
 救急蘇生法の学習は、自分の大切な家族、友人、そして隣人の命を守りたいという人間的な愛の表現であり、市民の義務の1つと考えます。救急蘇生法の学習を通して市民がお互いに「命を慈しみ合う」安心で安全で温かな社会が醸成されることを、強く願っています。
 本指針の編集委員会および心肺蘇生法委員会委員の皆様に心から感謝を申し上げるとともに、本指針の普及により心停止にみまわれた傷病者から一人でも多くの社会復帰者が出ることを祈ります。

その通りだと思います。テレビもくだらない不倫の話ばかりでなく、このようなことを周知するようにすればいいのに。

今回の講習で使用した人工呼吸用補助具は「レサコ・RT」というものでした。逆流防止弁とプラスチックのシートからなり、感染を恐れず人工呼吸が出来るというものです。近所の薬屋で手に入るものではなく、救急救命協会の売店などで販売しているとのこと。検索すればネット販売でも見つけることが出来るでしょう。ただし道具だけ持って安心してしまうのではなく、消防署で行われる救命講習を受講されることをお勧めします。心構えと技術も学ぶことが出来ます。


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秋の八ヶ岳散策旅行

2017-10-16 15:44:56 | ウォーキング
一週間前から予報が好転する期待を持ちながら天気予報をチェックし、金曜日の予報を見て「土曜日は何とか歩けそう」と雨間の曇りに感謝しながら、8時ちょうどのあずさ5号で茅野へ向かいました。


写真:茅野駅東口の紅葉
到着した茅野駅ではぽつぽつと雨が降っているなか、樅の木荘の送迎バスに乗り八ヶ岳自然文化園へ向かいます。バスが標高をあげてゆく中、1,000メートルくらいでは霧が出ていて、この先の天気が気になります。朝は小雨が降っていたとのこと。




写真:八ヶ岳自然文化園
標高1,300メートルの自然文化園では霧が晴れ、雲の上に出た感じで、時々降られる雨を覚悟しているものの、スタートとしては上々です。紅葉も始まり、この先が期待できます。


写真:農場の小径

写真:リンドウ

写真:マムシグサ

写真:ウルシの紅葉

写真:雲に隠れた八ヶ岳
自然文化園前でストレッチをしてから出発。「信州・原村 八ヶ岳森の小径散策マップ」で紹介されている「農場の小径」を歩き、途中二子の清水に寄り道をしながら、八ヶ岳農業実践大学校へ向かいます。二子の清水は信玄の棒道に湧き出る清水で、かつては武田の騎馬武者や軍馬がのどの渇きをいやしたことでしょう。




写真:八ヶ岳農業実践大学校
大学校ではヒツジやヤギがお出迎え。こちらには大学校で収穫した農産物を販売する直売所があり、そちらの場所をお借りして昼食にしました。ちょっと寒いくらいでしたが、紅葉を眺めながらの芝生の上で、さわやかなランチタイムとなりました。



写真:白樺の小径
昼食後は「白樺の小径」を歩いて、自然文化園へと戻ります。







写真:まるやち湖
自然文化園の隣に位置している農業用水のため池の様な湖ですが、自然文化園の施設ではないようです。薄日が差して八ヶ岳の山々が見えたのは、一週間前の天気予報から考えると奇跡のような瞬間でした。ここでしばし、紅葉と山の風景を楽しみました。


写真:ワレモコウ

写真:ノコンギク

写真:ススキ
紅葉はまだはしりといった感じで、秋の草花も楽しめました。



写真:自然文化園内の紅葉
日帰り組は自然文化園から『八ヶ岳鉢巻周遊リゾートバス』に乗り、ここから小淵沢駅に向かいました。小淵沢駅とたてしな自由農園を結ぶこのバスは、運航日が限られているものの、車でないとちょっと不便な原村観光にはとても良い足になっているのだと思います。


写真:樅の木荘への帰路にあった紅葉

写真:アジサイ
自然文化園から樅の木荘まで「もみの湯小径」を歩く予定にしていたのですが、入り口が見つからず車道を通って帰りました。白樺の小径を歩いているときに、もみの湯小径の入り口付近を通ったようなので、次回はちゃんと確認しておかなければ。この「信州・原村 八ヶ岳森の小径散策マップ」は自然文化園にも常備されておらず、文化園の方も知りませんでした。自然文化園に車を停めて歩くのによいルートが紹介されているので、是非参考にしてください。








写真:山の幸でのお食事
宿泊は原村町営もみの木荘にお願いしたのですが、夕食は山の幸での宴会となりました。山の幸で送迎のバスを出してくれるので、心おきなく飲むことが出来ます。山の幸は地元の方が法事などで使うので宴会はお手の物。天ぷらや茶わん蒸しは熱々で給仕してくれます。そば焼酎を濃い蕎麦湯で割った蕎麦湯割りはついつい飲みすぎてしまう逸品です。〆の蕎麦を撮り忘れているのは、すでに酔っぱらっていたのでしょうね。美味しい夕食ごちそうさまでした。


写真:小淵沢駅
翌朝の天気予報で、この日は一日雨。スパティオの温泉施設で一日過ごすしかないだろうと思い、宿を後にしました。樅の木荘の皆さんありがとうございました。
茅野駅までバスで送ってもらい、10時38分の普通電車に乗って小淵沢駅まで移動しました。樅の木荘からだと茅野駅より富士見駅の方が近かったようです。次回があれば富士見駅も候補の一つとして検討したいと思います。
中央本線に乗っている間は小雨で、歩くべきか否かずっと考えていました。小淵沢駅で隊を歩く組と温泉組の二つに分けた結果、温泉8名歩きが7名。建替えられた後、初めて訪れた小淵沢駅で、昼食のカツサンドを受け取り、私は歩く組で駅を出発しました。


写真:収穫まぢかの蕎麦畑




写真:大滝湧水公園

写真:ツリフネソウ

写真:南アルプス
大滝神社にお参りし、さあこれからというときにちょうどよく雨が上がり南アルプスが見え始めました。




写真:八反歩堰遊歩道
この日の歩きは八反歩堰遊歩道を中心とした馬場の里。大好きな里山の風景で、私が里山を意識し始めた原点のような場所です。最後の写真の真ん中に見えているのが甲斐駒ヶ岳です。



写真:稲架掛けと南アルプス
思わずうっとり立ち止まり、いつまでも見飽きない風景でした。こんな景色を見ると「日本人でよかったな!」と思います。まさに日本の原風景ですね。都合よく電線も入らず、写真に撮るにはうってつけでした。


写真:三峰の丘
日本の高い山ベストスリー、富士山、北岳、穂高岳を眺めることが可能な丘なのですが、残念ながら一番近い北岳さえも雲の中で、一峰も目にすることはできませんでした。


写真:エフエム八ヶ岳
いつも車で通行していた中央高速のアンダーパスが工事中で、最近この前を通ることが多かったのですが、ここにFM局があることに初めて気が付きました。


写真:身曾岐神社


写真:本殿拝殿

写真:火祥殿

写真:献酒


写真:能楽殿

写真:ゆず北川悠仁さん
この近所に住む知りあいが毎年薪能を見に来るという話は聞いていたのですが、初めて訪れてその規模の大きさにはびっくりしました。ゆずの北川さんのお母様が教祖だということですが、身曾岐神社と彼の関係についてはWikipediaから引用してみましょう。
祭神である天徳地徳祚身曾岐自在神こと井上正鐵が伝えた古神道の奥義「みそぎ」の行法並びに徳を伝えるため、1985年に現宮司の坂田安儀が創建した神社。
2004年より新興宗教団体「かむながらのみち」の傘下となった(登記上の所有者は、音楽グループゆずの北川悠仁)。境内敷地は、約4万坪。

中略

本殿の造りは、唯一神明造り。
2006年以降、ゆずが度々同内能楽殿でライブを行っており、2008年の公演は『素晴らしきこの世界』として通信販売限定DVDにまとめられている。2011年10月20日にはゆずの北川悠仁と、フリーアナウンサーの高島彩が挙式したことで知られるようになった。


ここで雨が強くなってきたのでウォーキングは中止しタクシーで小淵沢駅へ戻りました。温泉組もタクシーで戻り合流して、14時36分のあずさ20号で新宿への帰途に着きました。

新宿駅で解散後有志でダブリナーズへ。この日は三名の酒好きが集まり、一杯が二杯になり、だらだらと4時間くらい飲んでいたかもしれません。ああでも、旅行も反省会も楽しかったです。天気の悪い中、二日間とも歩けたのは神の恵か。これからお鷹狩ウォークなど大きなイベントがありますが、その前に命の洗濯になったことでしょう。


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秦野渋沢丘陵・震生湖コース 約9.4Km

2017-10-09 16:30:57 | ウォーキング
このコースを設定した経緯の記憶がおぼろげになっているので、過去のブログで確認しました。まだすこやか歩こう会のブログを始める前の2013年10月10日の記事に下見の経緯が書いてありました。要約すると、千葉県大多喜で購入した生落花生がおいしかったので、どこかで購入できないかと探したところ秦野農協の「じばさんず」で購入できることが判明。買いにゆくのに合わせてどこか近くで歩くところがないか調べ、小田急のページに紹介されていたこのコースを採用した。ということでした。2014年からこのコースを採用し始め、昨年は雨で中止になったので今回が三回目です。もともとお買い物が目的で始めたコースなので、昨日の参加者21名のうち17名が女性だったことも納得ですね。
ブログやらホームページやらで以前の行動が記録されているので、その時の気持ちを明確に振り返ることが出来ます。便利なような、ちょっと怖いような。

中目黒GTに集合し、東横線・副都心線→新宿三丁目駅→徒歩→小田急新宿駅と移動し、小田原行きの急行に乗ります。1時間10分の移動となるので席の確保は必須で、皆さん席を確保し、秦野駅に到着しました。


写真:秦野駅北口の風景

写真:駅前の水無川
この日の水無川は水が流れていましたが、過去には流れていないときもありました。橋の上から川の水を眺めながら、扇状地である秦野の特徴について説明します。水無川は扇状地の特徴の一つなのです。



写真:弘法の清水

写真:近くの民家のお堂
湧水が多いことも扇状地の特徴で、秦野盆地には芦ノ湖の1.5倍の地下水が蓄えられていると言われています。秦野盆地は神奈川県では唯一の盆地とのこと。


写真:大上公園の金木犀
湧水などを見た後、秦野駅南口にあるこの公園をお借りしてストレッチを行います。金木犀が香る贅沢なストレッチの時間です。週末朝の天気予報を担当する気象予報士の南さんがおっしゃっていた「金の香り、銀の香り」でいえば、金の香りですね。


写真:秦野駅南口荒井用水

写真:今泉名水桜公園
名水桜公園の池には湧水がどかどか湧いており、鯉が悠々と泳いでいます。今回はちらっとですが、カワセミの姿を見ました。


写真:野菜畑

写真:角茄子の花
駅近くの住宅街にも畑が残っているのですが、いずれも小規模で自家用といった趣です。角茄子は名前も種類もわからなかったのでネットで調べましたが、確かに茄子の花ですね。


写真:南小学校

写真:室川

写真:白笹稲荷神社

写真:うどん屋の看板
小学校では幼稚園の運動会が行われていました。神社手前の室川はこの先で水無川と合流します。関東の三大稲荷である白笹稲荷神社については神社のホームページを引用します。
 創建の年代については詳らかでありませんが、この地先住の古代水田農耕民族は、その水田耕作に不可欠の水源に、また人間の生存の礎となる衣食住の源としての「水源(みなもと)」に、清らかに神奈備を覚出しました。 「宇迦之御霊」と仰ぐ稲魂・穀霊を祀り、「保食神」、「生産の神」として信仰し、現・白笹稲荷神社の前身としての白篠稲荷の小祠を祭祀してきました。
 秦野は古代大和豪族・秦氏にゆかりの地であるといい、『風土記』によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利(伊奈里)」を」祭祀したことに始まるといわれています。
 天保12年(1841)に成立した『新編相模風土記』には、「稲荷社 白笹稲荷と号す。祭神蒼稲魂命。例祭二月初午の日。及六月二十八日なり。拝殿あり。老松 園一丈。一株を神木となす。末社 明王権現 子安明神」と記されています。
 江戸時代初頭の頃の奉納物が残存しており、すでに民衆の信仰の篤かったことがうかがわれ、江戸時代中期には正一位の神璽を再祀し、屋敷神として早くも独立し、神社独自の定例の社頭訓話などのあったことも知られています。時代が下っては献詠歌などが定期的におこなわれ、文芸活動なども活発だったことがしのばれ、崇敬者の信仰により支えられて現代に及んでいます。

先が長いのでいつもお参りせずに通り過ぎていますが、道の神、旅人の神である猿田彦命をお祭しているのであれば、次回はお参りしなくてはなりませんね。
白笹うどんについては製麺会社の「麺のしげの」のホームページから引用します。
神奈川県の秦野には有名なうどん店(白笹うどん)「多奈加」がある。秦野駅から白笹稲荷へ向かい徒歩15分くらいの静かな住宅街の中だ。分かり難い場所で道案内の看板も質素なので見落としがちだが、平日でも同店へ向かう人たちが多いので、その流れに従って歩けば自然に着いてしまう。

ひと昔前の民家を改造し、外観もまた店内も田舎風で素朴な雰囲気。趣のある佇まいだ。私が食べたのは「ゐなか(ざる)うどん」(600円)。右がその写真。漂白していないのか、真っ白ではないのが嬉しい。うどんが出来るまでセルフのおでんを食べる。おでんはどれも120円。下(右)の写真は大降りの大根。上品な味で美味しい。

うどんはかなりコシがある。いや、コシというよりも硬い。半端じゃなく硬い。かといって、芯があるわけではない。よくこねられている。こんなにコシの強いうどんは初めてかもしれない。つゆはあっさり。あまり特徴があるようには思わなかった。しかし、硬い麺とのバランスでベストマッチなのであろう。

特筆すべきは同店のハイコストパーフォーマンス。このページの下のほうにメニューの一覧(一部のみ)を掲載したのでご参照願いたい。とにかく安いのだ。メニューを見たときにまず驚いたのは1000円以上のものが無いことだ。つまり高級店を標榜しているのではなく、あくまでも大衆料金であることが嬉しい。雰囲気がいいのに加えて店員さんの明るさ、応対も気持ちがいい。是非一度は行っておきたい店である

この記事を見て、ちょっと行ってみたくなりましたが、ウォーキングと絡めるのはちょっと難しいかな。


写真:震生湖の看板
ここから秦野盆地の南壁、渋沢丘陵への上り坂が始まります。この日のコースで一番つらいのが、この上り坂か、買い物を終えた後の渋沢駅への行程か。


写真:ススキ

写真:コスモス

写真:秦野盆地

写真:アカマンマ
上り坂はきついけれど、花や景色が気を紛らわしてくれます。



写真:震生湖

写真:湖畔の弁天堂
その名の通り関東大震災で崩れた土砂により川がせき止められてできた湖で「しんせいこ」と読みます。ここでランチの休憩です。


写真:蕎麦畑と秦野盆地

写真:向山配水所
このあたりが渋沢丘陵を歩く、景色のよい場所。配水所から北へ向かうと3キロくらいコースが短くなるのですが、その道が面白いかどうかはちょっと疑問です。ミカン畑も栗畑も見られなくなるし。。。


写真:パンパスグラス

写真:蜜柑山
蜜柑山を過ぎてからの道が冗長なので北に折れたところですが、坂が急すぎるのか道がありません。南斜面で育つ蜜柑はおいしいでしょうね。





写真:秦野農協じばさんず
こちらで30分弱のお買いものタイム。ウォーカーから主婦の顔に変身する時間です。「安いだけではなく新鮮」と、持ち帰りが重いのに皆さん大量購入です。
この後渋沢駅まで1.6Kmのウォーキングがあります。じばさんずで終わりだと皆さん喜ぶのでしょうが、そのあたりは如何ともし難いところです。渋沢駅前でストレッチをして、この日は解散となりました。


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青山千駄ヶ谷コース 約8.6Km

2017-10-03 16:30:20 | ウォーキング
7月8月の夏バージョンの短いコースから、9月に徐々に距離を伸ばし10月になり長いコースが多くなってきます。今回はその第一弾で、中目黒を出発し恵比寿、青山墓地、国立競技場、明治神宮を通り、代々木公園に至るコースです。



写真:目黒川舟入場
徐々にというにはまだ早いですが、さくらは一部で紅葉が始まっています。このあたりの目黒川は潮の満ち干の影響があるのですが、この時間満潮の様でいつになく水が多い。川面を注意深く眺めていると、ボラのような小魚が光っていました。



写真:別所坂
別所の反対語は本郷。別所とは新たに開発された場所です。村の人口が増えてきて新田開発の必要があったのか、目黒川に護岸をして従来河原だった場所が開発されたのか。別所という地名は日本各地で見ることが出来ます。


写真:馬頭観世音

写真:道しるべ
この道の由来が馬頭観世音の説明ととも書いてあるので、引用してみましょう。
馬頭観世音
恵比寿南三丁目9番7号
 このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(一七一九)年。このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が馬頭観音に祈って悪病を退散させました。その御礼に石で観音をつくり。祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程に安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願したので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
 この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂を下りると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。
渋谷区教育委員会



写真:蔵

写真:恵比寿駅アトレ

写真:恵比寿像
この蔵は以前は目立たなかったのですが、隣の建物を壊したので蔵の様子がよくわかるようになりました。恵比寿駅前には二棟目のアトレが建ち、ますます人を集めています。昔の記憶と変わらないのは恵比寿像と交番と、公衆トイレかな。


写真:渋谷川

写真:明治通り
渋谷川を越えるといよいよ江戸御府内に。明治通りのあたりまで以前は渋谷川の河原だったのでしょう。ここから淀橋台への上り坂。



写真:渋谷区立広尾小学校
モダンな建物で、うまく写真に撮れなかったのですが校章の下のガラス窓はステンドグラスになっています。国の有形登録文化財に指定された理由を小学校のホームページから引用してみましょう。
 東京都生活文化局資料を要約すると、指定の理由は以下の通りである。
 現在渋谷区となっているこの一帯は、江戸時代はのどかな風景であった。「名所江戸百景」の一つとして「広尾の川」を広重が描いている。明治・大正と時を経て東京都豊多摩郡渋谷町となった頃は、地域の人口があふれ、渋谷町は人口急増地帯となり、大正4年には広尾小を含め3校が建設され、町の財政は火の車であった。
 広尾小学校は大正5年の創立で開校式典を挙行した5月21日を開校記念日としている。
 昭和3年3月3日、明治通りにあった校舎は不審火のために全焼した。そこで昭和7年、関東大震災後の復興建築のひとつとして、耐震・耐火の鉄筋コンクリート造りの校舎が上智の丘に建設された。この校舎には次のような特徴が認められる。

① インターナショナル・スタイル(国際建築様式)で機能主義的な校舎であること。
② 表現主義デザインの施された校舎であること。
③ コの字型の校舎配置の東北隅部に高い塔をあげていること。この塔は渋谷消防署上智出張所の望楼である(昭和22年まで使用された)。
  この望楼と玄関まわりに装飾がある。

 この校舎建て替えの際の校長は、第3代の赤崎等校長であった。赤崎校長は、鹿児島師範附属小で県下に有名であったが、大正10年12月から昭和20年まで、24年6か月の長きにわたって広尾小の経営にあたった。当時の卒業生の語るところによると、正規の授業のあと、児童全員が教室・廊下・階段・講堂・校庭を1時間半位毎日掃除をやる。いったん家へ夕食に帰り、また学校に来て夜9時、遅いときは11時頃まで補習授業をした。「おそうじ学校」「ちょうちん学校」と広尾小のことを世間で言ったそうである。
 校舎の北側に道路一つ隔てて、旧沼田藩主・土岐子爵の邸があった。南面に校舎が建つのに、土岐子爵は率先して付近の住民とともに校舎建設に協力・援助を惜しまなかった。その後何かと広尾小のために尽くされた。このため、昭和50年代初頭まで、広尾小の公式行事には、渋谷区長より上座に土岐氏の席が設けられていた。
 昭和50年頃になっても、赤崎校長のとなえた「広尾魂」は脈々と生き続け、知力・体力・気力・協力におきかえ、教育充実のためのモットーとする気概が学校に残っていた。この頃の学校規模は、22学級、心障学級2,児童766人であった。
 現在、学校の周辺は常陸宮邸、國學院大學、実践女子学園、常磐松小、広尾中、広尾高校、渋谷図書館、温故学会(塙保己一の「群書類従」版木=国の重要無形文化財=を保管している)がある。

  筆者:渋谷区立広尾小学校 第10代校長 松本 武(日本学校図書館学会顧問、世田谷区在住)



写真:広尾高校

写真:塙保己一資料館

写真:渋谷氷川神社

写真:國學院大學

写真:実践女子学園

写真:常陸宮邸
ウォーキングを始めて資料館の前を通るようになり、初めて塙保己一の名を知りました。ヘレンケラーが「塙先生のことを知ったおかげで障害を克服することができた」と言ったと聞いて、「すごい人なのかな」という印象を持ちました。ヘレンケラーのことは小学生のころから知っているけど、塙保己一のことはいつごろ習ったのでしょうね。
渋谷氷川神社は三島由紀夫の小説豊饒の海第二巻「奔馬」に國學院大學とともに出てきます。


写真:六本木通りの事故現場
通りがかった時は負傷者が救急車へ運ばれていました。六本木通りを通行中のトラックと乗用車の直進と右折車の事故とのこと。日本コカ・コーラ本社の電飾看板にトラックが突っ込んだとニュースになっていましたが、幸い車に乗っていた四名の軽症者を出したのみで通行人は巻き込まれなかったようです。ここで信号待ちをしていたらと思うと、怖いですね。


写真:南青山六丁目

写真:根津美術館

写真:外苑西通りの大きな谷
通りの名前がわからないので「根津美術館の通り」と呼んでいます。外苑西通りを陸橋で越えてゆくのですが、かなりの高低差があり考えると不思議な光景です。調べてみるとこれは笄川が浸食して作った谷のようです。


写真:青山墓地
墓地の中を歩いて、管理事務所のあたりでトイレ休憩を取りました。ここに公営墓地が設けられたのは明治になってからですが、墓地を見るだけでも様々な近代史が語れそうです。


写真:神宮外苑銀杏並木

写真:ヤクルト戦の席取り

写真:神宮球場

写真:新国立競技場

写真:明治神宮外苑

写真:新国立競技場

写真:東京体育館
300メートルにわたり146本の銀杏が植えられており、四年に一回剪定作業が行われます。その際、青山通り側の銀杏は高く、絵画館よりは低く剪定され、遠近法の錯覚を利用し絵画館がより遠くに見えるようになっています。
1964年の東京オリンピックで男子体操団体が金メダルを取ったのが東京体育館ですが、現在の建物は1990年に落成した二代目です。設計は槇文彦さん。






写真:明治神宮
北参道から入り、お参りしましたが、拝殿は現在修復作業中です。2020年に百周年を迎えるため、いたるところで修復作業が進行中です。「白岳しろ」のコモ樽を見て、初めて日本酒だけではないことに気づきました。「久米仙」などは気づいていたのですが、その時はそれが焼酎であることが頭に浮かばなかったので。このコモ樽は202個あるそうで、興味のある方は数えてみてください。
清正の井を水源とする隠田川支流の橋を渡り、南参道を出て代々木公園原宿門で場所をお借りしてストレッチをして解散しました。

その後渋谷まで歩いて山家で反省会。久しぶりに長い距離を歩き、ビールがおいしかったのでついつい飲みすぎ。反省すべきは飲みすぎの方でした。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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