すこやか歩こう会では二か月分の歩行計画を作成して郵送します。集合場所、目的地、距離などウォーキングに重要な情報がすべて記載されており、この歩行計画が活動のかなめとなります。
5月6月分を4月に発行するのですが、仕事が忙しく計画の作製に割く時間がありません。どこからか時間を借りてこないとならないので、下見と計画が逆転することがあります。通常は下見をし、地図を作成して計画するのですが、下見をせずに地図を作成して歩行計画をつくり、時間が出来た時に下見をしますが、今回がそのケースでした。
清水川公園
ストレッチに最適
フジ
二か月分、8回の計画に、せめてひとつは「これまで歩いたことがないコース」を入れたいと思っていて、川を辿るシリーズ企画のコース作ります。今回は野川で、昨年源流から歩き始め、今年三月に多摩川に合流し仙川源流へ移る予定でした。野川を辿る中で次太夫堀と呼ばれた六郷用水開削のために流路が大きく変わっていることを知りました。調布市つつじヶ丘あたりから下流はかつて入間川と呼ばれていた流路が整備され野川と呼ばれていること。本来の野川は現在の二子より上流の宇奈根あたりで多摩川に合流していたことがわかります。地図で確認すると旧野川と思われる岩戸川緑地公園が確認できます。下見をし、ネットで情報を集め検討したうえでコースを決めたいところでしたが、時間がないので歩行計画作成後の下見でしたが、なかなか興味深いものとなりました。
清水川公園について、狛江市の狛ナビから引用します。
遊具はないですが、広めの敷地にベンチや東屋などがあるのでゆっくり座ってお話できる憩いの場に最適です。
昭和40年代までは泉龍寺の弁財天池を源泉とする用水路があり、「清水川」と呼ばれていたそうです。
小金橋から始まる岩戸川緑地公園、野川緑地公園は狛江市役所付近ではすでに改修後の流れを辿っており、正確な川跡を発見することはできませんが、清水川は旧野川の支流の一つと思われます。
岩戸川緑地公園の再開
スズラン
狛江市東和泉、岩戸南、猪方の境界あたりから再び岩戸川緑地公園が再開します。この東側にも川跡暗渠の公園があり、どちらを旧野川本流とするのか判断できません。
岩戸川緑地公園
右側の法面を見ながら考えました。この暗渠より前からこのコンクリート壁があったのではないか。この場所が暗渠になったのはそれほど昔のことではないのでは?
江戸時代次太夫堀と呼ばれた六郷用水が開削され、旧野川の流れがなくなったものと理解していましたが、少なくとも昭和くらいまではここに小さな流れがあったように思われます。自然にできた川の記憶は消えないものなのでしょう。
ハナミズキ
コデマリ
ツツジ
ジャーマンアイリス
たくさんの花が目を楽しませてくれます。
岩戸川の再現
スノーフレーク?
シラン
モッコウバラ
花盛りで散歩にはもってこいの季節です。
喜多見緑道
狛江市から世田谷区へ行政区域が変わると岩戸川緑地公園が喜多見緑道に変わります。ちょっとだけ違和感。この看板をテキストに起こしたいところですが、世田谷区のパンフレットにリンクを貼っておきます。
砧浄水場
荒玉水道道路
多摩川から取水して供給される水道です。
喜多見まえこうち緑道
こちらも旧野川の暗渠のようです。
宇奈根中島公園周辺案内図
宇奈根西部地域の歴史
宇奈根二丁目内の公園と緑道は、平成13年、宇奈根西部土地区画整理事業により、区に帰属されたものです。これらの公園や緑道の名称は、かつての土地の名前に由来しています。
上の地図は、明治時代おわり頃の宇奈根の様子を絵にしたものです。当時、宇奈根は養蚕が盛んで、一帯は桑畑や乾田が広がる豊かな景観を成していました。多摩川北側のこの地域は宇奈根本村と呼ばれ、対岸には宇奈根山野と称される飛び地がありました(宇奈根山野は明治45年に、神奈川県に編入されました)。そして「下ツ河原」の岸には、宇奈根本村と宇奈根山野を結ぶ渡し舟、宇奈根の渡しがあり、そこに通じる道は「渡し場の道」と呼ばれていました。人々はこの渡しを利用して、双方を行き来していました。
多摩川はこれまで、氾濫を繰り返しながら流路を変え、流域には災害を引き起こす一方で、上流の栄養分豊かな土壌をもたらしてきました。江戸時代の多摩川は、この地図に示されたものより更に北寄り、現在の東名高速道路のあたりを蛇行していました。そのころ、多摩川に接する「龍王」には、龍王淵と呼ばれる淵があったそうですが、明治時代には沼地となっています。また、宇奈根本村の西部地域は、付近に比べて土地がやや高かったため、多摩川の洪水の際にもあまり水につからず、その様子が島のように見えたことから、「中島」とよばれたそうです。
宇奈根の渡しは、その時どきの多摩川の流路に合わせ、渡りやすい場所を選びながら、昭和22、23年頃まで続いてきました。戦後、桑畑は畑地や果樹園などへ姿をかえ、更に昭和30年代を過ぎると宅地化が急速に進み、景観や人々の生活も大きく変わりました。そして昭和46年の住居表示に伴い、かつての宇奈根の大部分と、隣接する喜多見と鎌田の一部が再編され、現在の宇奈根地区が整いました。
※ 龍王〔竜王〕・・・一般に、雨や水などを司るとされ、とくに農業・漁業と結びついて信仰されることが多い。竜神。
・参考文献:「世田谷区民属調査第10次報告 宇奈根」(世田谷区民属調査団編 平成4年3月発行)
宇奈根龍王公園
コデマリ
藤棚
宇奈根下河原緑道
宇奈根渡し場道公園
東名高速をどのように超えるか、野川の川跡はどのように残っているかなど、地図ではわからなかった部分で、下見をして初めて状況がわかりました。公園も比較的新しいようで、私が使っている古い地図には載っていません。このあたりで旧野川は多摩川に合流していました。
多摩川河川敷
クサフジ
水道施設
宇奈根から二子玉川の兵庫島公園までは前回と同じように多摩川河川敷を歩きます。ちょっと退屈ですが、他の方法もないんですよね。宇奈根の渡しが残っていればよかったのですが。。。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
5月6月分を4月に発行するのですが、仕事が忙しく計画の作製に割く時間がありません。どこからか時間を借りてこないとならないので、下見と計画が逆転することがあります。通常は下見をし、地図を作成して計画するのですが、下見をせずに地図を作成して歩行計画をつくり、時間が出来た時に下見をしますが、今回がそのケースでした。
清水川公園
ストレッチに最適
フジ
二か月分、8回の計画に、せめてひとつは「これまで歩いたことがないコース」を入れたいと思っていて、川を辿るシリーズ企画のコース作ります。今回は野川で、昨年源流から歩き始め、今年三月に多摩川に合流し仙川源流へ移る予定でした。野川を辿る中で次太夫堀と呼ばれた六郷用水開削のために流路が大きく変わっていることを知りました。調布市つつじヶ丘あたりから下流はかつて入間川と呼ばれていた流路が整備され野川と呼ばれていること。本来の野川は現在の二子より上流の宇奈根あたりで多摩川に合流していたことがわかります。地図で確認すると旧野川と思われる岩戸川緑地公園が確認できます。下見をし、ネットで情報を集め検討したうえでコースを決めたいところでしたが、時間がないので歩行計画作成後の下見でしたが、なかなか興味深いものとなりました。
清水川公園について、狛江市の狛ナビから引用します。
遊具はないですが、広めの敷地にベンチや東屋などがあるのでゆっくり座ってお話できる憩いの場に最適です。
昭和40年代までは泉龍寺の弁財天池を源泉とする用水路があり、「清水川」と呼ばれていたそうです。
小金橋から始まる岩戸川緑地公園、野川緑地公園は狛江市役所付近ではすでに改修後の流れを辿っており、正確な川跡を発見することはできませんが、清水川は旧野川の支流の一つと思われます。
岩戸川緑地公園の再開
スズラン
狛江市東和泉、岩戸南、猪方の境界あたりから再び岩戸川緑地公園が再開します。この東側にも川跡暗渠の公園があり、どちらを旧野川本流とするのか判断できません。
岩戸川緑地公園
右側の法面を見ながら考えました。この暗渠より前からこのコンクリート壁があったのではないか。この場所が暗渠になったのはそれほど昔のことではないのでは?
江戸時代次太夫堀と呼ばれた六郷用水が開削され、旧野川の流れがなくなったものと理解していましたが、少なくとも昭和くらいまではここに小さな流れがあったように思われます。自然にできた川の記憶は消えないものなのでしょう。
ハナミズキ
コデマリ
ツツジ
ジャーマンアイリス
たくさんの花が目を楽しませてくれます。
岩戸川の再現
スノーフレーク?
シラン
モッコウバラ
花盛りで散歩にはもってこいの季節です。
喜多見緑道
狛江市から世田谷区へ行政区域が変わると岩戸川緑地公園が喜多見緑道に変わります。ちょっとだけ違和感。この看板をテキストに起こしたいところですが、世田谷区のパンフレットにリンクを貼っておきます。
砧浄水場
荒玉水道道路
多摩川から取水して供給される水道です。
喜多見まえこうち緑道
こちらも旧野川の暗渠のようです。
宇奈根中島公園周辺案内図
宇奈根西部地域の歴史
宇奈根二丁目内の公園と緑道は、平成13年、宇奈根西部土地区画整理事業により、区に帰属されたものです。これらの公園や緑道の名称は、かつての土地の名前に由来しています。
上の地図は、明治時代おわり頃の宇奈根の様子を絵にしたものです。当時、宇奈根は養蚕が盛んで、一帯は桑畑や乾田が広がる豊かな景観を成していました。多摩川北側のこの地域は宇奈根本村と呼ばれ、対岸には宇奈根山野と称される飛び地がありました(宇奈根山野は明治45年に、神奈川県に編入されました)。そして「下ツ河原」の岸には、宇奈根本村と宇奈根山野を結ぶ渡し舟、宇奈根の渡しがあり、そこに通じる道は「渡し場の道」と呼ばれていました。人々はこの渡しを利用して、双方を行き来していました。
多摩川はこれまで、氾濫を繰り返しながら流路を変え、流域には災害を引き起こす一方で、上流の栄養分豊かな土壌をもたらしてきました。江戸時代の多摩川は、この地図に示されたものより更に北寄り、現在の東名高速道路のあたりを蛇行していました。そのころ、多摩川に接する「龍王」には、龍王淵と呼ばれる淵があったそうですが、明治時代には沼地となっています。また、宇奈根本村の西部地域は、付近に比べて土地がやや高かったため、多摩川の洪水の際にもあまり水につからず、その様子が島のように見えたことから、「中島」とよばれたそうです。
宇奈根の渡しは、その時どきの多摩川の流路に合わせ、渡りやすい場所を選びながら、昭和22、23年頃まで続いてきました。戦後、桑畑は畑地や果樹園などへ姿をかえ、更に昭和30年代を過ぎると宅地化が急速に進み、景観や人々の生活も大きく変わりました。そして昭和46年の住居表示に伴い、かつての宇奈根の大部分と、隣接する喜多見と鎌田の一部が再編され、現在の宇奈根地区が整いました。
※ 龍王〔竜王〕・・・一般に、雨や水などを司るとされ、とくに農業・漁業と結びついて信仰されることが多い。竜神。
・参考文献:「世田谷区民属調査第10次報告 宇奈根」(世田谷区民属調査団編 平成4年3月発行)
宇奈根龍王公園
コデマリ
藤棚
宇奈根下河原緑道
宇奈根渡し場道公園
東名高速をどのように超えるか、野川の川跡はどのように残っているかなど、地図ではわからなかった部分で、下見をして初めて状況がわかりました。公園も比較的新しいようで、私が使っている古い地図には載っていません。このあたりで旧野川は多摩川に合流していました。
多摩川河川敷
クサフジ
水道施設
宇奈根から二子玉川の兵庫島公園までは前回と同じように多摩川河川敷を歩きます。ちょっと退屈ですが、他の方法もないんですよね。宇奈根の渡しが残っていればよかったのですが。。。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール