目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

善福寺川公園コース 約6.6km

2024-09-26 11:50:29 | 東京都杉並区
秋彼岸とはいえまだまだ暑さが残るこの日の暑さ指数は、
10:00 27.7
11:00 27.6
12:00 29.9
「警戒」レベルから「厳重警戒」といった感じ。曇り空で風があり暑いけれどもこれまでと比べればましというレベルでした。参加者は4人、お彼岸で忙しいのか暑さ警戒なのか少ないです。皆さん運動不足は気にならないのかな?
集合は西永福駅、近くのお寺の門前をお借りしてストレッチをしてスタートします。



理性寺
当寺は法真山理性寺という法華宗の寺院で、本尊は十界諸尊(じっかいしょそん)の曼荼羅(まんだら)です。
「御府内備考続編(ごふないびこうぞくへん)」によれば、当寺は承応3年(1654年)、大久保越中守忠辰、忠陰兄弟が両親の忠当(ただまさ)夫妻を開基として、その菩提のために開創したものです。
寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿にちなんで法真山理性寺としました。
開創にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現・新宿区新宿一丁目付近)に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。現在地に移転したのは大正3年(1914年)です。
境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ約12センチメートルの木彫りの小さな大黒天が安置されています。
この大黒天は、日蓮が伊豆配流直前の弘長元年(1261年)に彫ったと伝えられる、お題目の「経」の字を形取った大黒天像で、寛政6年(1794年)に幕府寄合医師木村検校(けんぎょう)によって奉納されたものといわれています。「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の折、大黒天が大団扇(うちわ)をもって現れ、類焼から守ったことによるといわれています。以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」がおこなわれています。
墓地には、戯作者伊庭可笑(いばかしょう)、幕府医官林恒斎(はやしこうさい)、初代杵屋三五郎の墓等があります。
令和6年3月 杉並区教育委員会



方南通りに飾られた紙垂

大宮八幡宮

車修祓所

竹灯籠の準備

神楽殿
この日は十五夜の神遊びという神祭りが奉納されるため竹灯籠の準備が進められていました。


善福寺川宮下橋付近

護岸工事中
ここから善福寺川をさかのぼります。ずっと行われていた護岸工事が終わり歩道が広くなり、護岸工事は上流へ移動しました。


大成橋付近

ヒガンバナ
ようやくヒガンバナが出てきましたが白が多く、フォトジェニックな赤いヒガンバナには出会うことが出来ません。






西園橋付近
この辺りでトイレ休憩です。


キバナコスモスレモンブライト

上流は川幅が広がる


荻久保一丁目付近で善福寺川緑道が終わり、松渓橋あたりから川幅が広くなっています。


晶子と鉄幹の荻窪川南共栄会
おしかわ公園でストレッチをして忍川上橋を渡って荻窪駅まで行って解散しました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
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善福寺川公園コース 約6.6km

2022-09-19 13:07:20 | 東京都杉並区
二年ぶりに訪れるコースで、これまでは午後に歩くことが多かったのでこのコースの午前中は初めてかな?風は爽やかでもお日様が暑いウォーキングとなりました。


井の頭線

理性寺
この日の集合は西永福駅で、駅近くのお寺の前をお借りしてストレッチをして出発です。


大宮八幡宮

大宮幼稚園
由緒を八幡宮のサイトから引用します。
第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053~57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。
また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。
かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。
今や大東京の重心「東京のへそ」として、神々の記憶と数々の日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る神秘的な場所とされております。







大宮八幡宮

和田堀公園
八幡様にお参りをして、すぐわきを流れる善福寺川に出ます。改修工事が行われているためしばらくは公園内を進みます。


ヤブミョウガ

和田堀池

いろいろな花

オシロイバナ

チョウセンアサガオ

アサガオ

大成橋
大成橋からようやく川沿いを歩くことが出来ます。


ヒガンバナ

カメ

ルリシジミ

川の蛇行

せきれい橋近くのトイレ
まもなく公園が終わるのでその前にトイレ休憩。木陰を渡る秋の風が心地よい休憩となりました。


川沿いの農地

工事のため通行止め
この部分もずっと工事が行われて川沿いを歩くことが出来ませんが、ようやく川沿いへ。


カラスウリ

カワウ

ミカン
公園から上流にも狭いながらも遊歩道が続いています。氾濫の危険があるので川幅は狭められないし、周辺を買収して広げることもなさそうなのでこの先もずっと狭い遊歩道のままでしょう。


晶子と鉄幹
環八にかかる荻窪橋の一つ下流にある忍川上橋を渡り、おしかわ公園をお借りしてストレッチをします。荻窪南口仲通り商店会ではこのあたりに住んでいた晶子と鉄幹を押しています。
忍川上橋の名前が気になり調べてみると江戸時代は服部半蔵の所領で小字は「忍ヶ谷戸(しのびがやと)」だったとのこと。次回歩くときの小ネタに使えそうです。

公園で解散し、荻窪駅から地下鉄に乗り渋谷のライオンで一杯やって帰りました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント (1)
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