目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

小江戸川越コース 約6.4Km

2017-03-23 11:12:58 | ウォーキング
人気の観光地川越を巡るコースです。季節がらお墓参りも兼ねて、東京とは一線を画す雰囲気を持った川越を歩きます。



写真:フクジュソウ


写真:カンヒザクラ


写真:シデコブシ

写真:エゾムラサキ?

写真:クロッカス

写真:お墓参り

写真:川越一中のシモクレン

写真:シダレザクラ
川越工業高校の垂れ幕。写真には撮らなかったけど、横浜にドラフトされた「狩野行寿」内野手の名前があり、日ハムにいる「太田賢吾」内野手と同期くらいかなぁと思って調べてみましたが、狩野選手が二、三年先輩のようです。狩野選手も遊撃手ということで、よい遊撃手が育つ伝統があるのでしょうか?それとも野球センスがあるから遊撃手をやっていて、ドラフトにかかることが多いのでしょうか。半世紀くらい前には夏の甲子園に二度出ているようですが、野球の名門というイメージはありません。代表的な卒業生はハウンドドッグの大友康平さん。
近くにフクジュソウが咲いていました。カンヒザクラは中院。そのほかはお墓参りに行ったお寺に咲いていたものです。川越一中のシモクレンは大きな木です。シダレザクラは運がいい年は咲いていることがあるのだけれど、今年は一輪も咲いていませんでした。木全体が少しピンクがかって見えてはいましたが。


写真:川越八幡宮



写真:民部稲荷神社
川越八幡宮にある民部稲荷神社は全国でも珍しい足腰の健康にご利益がある神社。教えてあげたら皆さん早速拝んでいました。目黒ウォーキング協会の目標は「棺桶まで歩いてはいる」なので、足腰健康の重要性は皆さんにしみわたっています。



写真:中院
中院に咲いている桜がありましたが、エドコヒガンでしょうか。ソメイヨシノのように見えますがちょっと早すぎます。見事なシダレザクラはまだ一輪も咲いていなくて、これが咲くとミモザとのコントラストが見事です。



写真:南院遺跡

写真:仙波東照宮
このあたりの説明はWikipediaから引用します。
平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。
東照宮の階段は朝ドラつばさのオープニング映像でつばさ(多部未華子)が振り返っているショットが良かったですね。





写真:喜多院
こちらのシダレザクラはわずかに花をつけていました。



写真:成田山川越別院
ご本尊のお不動様のほか、入り口のところに大師堂があり、その周りに八十八カ所巡りができるようになっています。


写真:川越まつりの山車の倉庫

写真:本丸御殿

写真:市役所前の太田道灌像
手前の家と比較して山車の倉庫がいかに大きいかお分かりいただけると思います。川越城を築城したのは江戸城と同じ太田道灌で、当初は江戸城よりもはるかに重要な拠点でした。童謡「とおりゃんせ」は城内にあった三芳野神社を歌ったものだそうです。






写真:菓子屋横丁
蔵の街並みと菓子屋横丁は相変わらずの人出です。いつも気になっていた大きなハクモクレンは幼稚園にある木でした。


写真:川越まつり会館



写真:蔵の街並み

写真:時の鐘
小江戸と呼ばれ江戸情緒が売りの川越ですが、蔵の街並みは明治時代のものです。川越大火のため街の大半を失った川越の商人たちは、耐火性に優れた蔵を建てることにより次の災害に備えました。大きな空襲もなかったので明治時代の蔵が今観光資源になっています。桜の古木が多いのも、江戸時代から比較的裕福な街が戦災に遭わなかったため。蔵の街並みを含めて、川越は小江戸です。



写真:大正ロマン通り

写真:出世稲荷神社
大正ロマン通りにある小川菊さんはおいしいうなぎ屋さんです。出世稲荷神社の境内をお借りしストレッチをしてから、川越市駅へ向かいました。

反省会は渋谷の天狗。たまたま私の誕生日だったので、皆さんにお祝いのお言葉をいただきました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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とことん烏山川コースその1 約5.7Km

2017-03-14 16:40:43 | ウォーキング
今回は初めてのコースです。川に沿って歩くコースは下見をしなくてもいいのですが、このコースはずいぶん前に下見をしました。烏山川をさかのぼるコースは他にもあり、大部分がすでに歩いているコースとなるので、ハイライトとして世田谷区立郷土資料館を訪れます。この資料館おもしろい!


写真:東京燃料林産中央支店
池尻大橋駅に集合し、こちらの燃料屋さんの前をお借りしてストレッチをします。十年くらいずっと見ているのですが徐々に薪の扱いが増え始め、今回は手前にも積み上げられています。ピザを焼くための業務用に使われるのでしょう。


写真:菜の花


写真:ユキヤナギ

写真:北沢川烏山川合流点

写真:オオイワウチワ

写真:遊歩道案内

写真:清流復活
目黒川緑道を上流に向かって歩き始めると土手に咲く菜の花が鮮やかです。ユキヤナギは咲き始めですが一杯に花を咲かせている木を見つけました。ピンクがかったユキヤナギは種類が違うのでしょうかねぇ。
馬酔木のネームプレートに「アシビ」と読み仮名がふってあったのを「アセビじゃないの」と考えながら歩いていました。戻って写真を撮るほどではなかったのですが帰ってから気になって調べてみると「アセビ」が正解のようです。かつて馬酔木を「アシビ」と読ませる俳句雑誌があり、「アシビ」と入力するとIMEが「馬酔木」を候補として表示してくれます。
合流点は川をさかのぼる我々にとっては分岐点。今日は烏山川緑道へ向かいます。この緑道も清流復活事業により、落合水再生センターで高度に処理した再生水が流されています。


写真:マメザクラかな?

写真:環七にある世田谷線踏切

写真:国士舘大学

写真:柳の花

写真:品川橋
歩行者天国になっている茶沢通りを渡り、環七へ。茶沢通りから上流には人口のせせらぎは作られていませんでしたが、国士舘大学を過ぎると新たに整備されたせせらぎが現れ品川橋まで続いています。品川橋は品川と府中を結ぶ品川みちに架かる橋です。品川みちはいくつかあるのですが、ここはメジャーな道の一つです。新たに整備された緑道に植えられた柳の花はちょっとフライング気味ですかね。


写真:上町の和菓子屋さん



写真:大場家住宅の門

写真:大場家の由来
世田谷の領主だった吉良家の本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の一門とのこと。奥州(武蔵)吉良氏と呼ばれ、豊臣秀吉の小田原攻め際今川側について没落。徳川家康が江戸に入ると世田谷の領主は井伊氏に代わりました。忠臣蔵の吉良上野介は三河吉良氏と呼ばれ、もともとはつながっているものの南北朝時代に分かれたようです。大場家は吉良氏の代から代官をしており、吉良氏の没落により帰農したものの、井伊氏の支配となった際に再び代官として登用されたとのこと。今の大河ドラマはこれらの源流部になるのでしょうか。中流部かな。
どちらにしても寺社の管理地が多かった目黒区と異なり、守護大名が管理していた世田谷は異なる文化があったのかもしれません。


写真:白州門

写真:白州跡





写真:大場家住宅
お代官様のお屋敷には白州があるのですね。


写真:サンシュ

写真:ミツマタ

写真:ジンチョウゲ


写真:大山道道標
世田谷区を貫く主要街道大山道ですから、立派な道標が残っています。


写真:道標など
目黒区の四倍の面積がある世田谷区に現存する庚申塔の数は目黒区の十倍です。こちらにも良い状態の庚申塔や道標が残っていますね。


写真:郷土資料館


写真:玉川上水木樋
入った途端に大きな木樋。玉川上水から江戸市内へひかれた水道に使われていたのもので、四ツ谷で発掘されたとのこと。板を張り合わせて作られているそうです。


写真:立体地形図
最も興味をひかれたのがこの立体地形図です。呑川の支流に「芳窪川」とあり初めて聞く川の名でした。現在は暗渠になり呑川柿の木坂支流と呼ばれている部分です。目黒区東が丘に「芳窪街かど公園」があり、こんなところに忘れられた川の名前が残っていることに感心しました。かつての字名は「碑衾村大字衾字東上芳窪」といったもののようです。


写真:蛇?

写真:ゲーベル銃
説明はよく読まなかったのですが蛇でしょうか?鶴見に「蛇も蚊も祭り」という祭りがあり、その際にも同じような物体が写真に写っていたので同じような信仰があるのだなぁと思いました。


写真:庚申塔の説明
北府中道・南六郷道とあるので、品川みちにあったものと考えられます。「東目黒道」は現在のどの道路をさすのでしょう。目黒区のホームページにある「目黒のみち」にも「目黒道」の記述はなく、わかりません。世田谷の方言でしょうか。


写真:ボロ市通り

写真:世田谷線
大場家住宅の前はボロ市通りになります。Wikipediaで調べると
1578年、北条氏政の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった楽市を嚆矢とする。江戸と小田原の間にある世田谷宿において伝馬の確保のため、宿場を繁栄させようという目的があったといわれる。当時は、毎月1日、6日、11日、16日、21日、26日に開かれた。
となっています。
世田谷三丁目で世田谷線を渡り、烏山川へ戻ります。


写真:烏山川緑道

写真:ボケの花

写真:豪徳寺橋
豪徳寺参道前に豪徳寺橋がありました。


写真:世田谷線宮の坂付近

写真:世田谷八幡宮

写真:力石

写真:八幡様の土俵
世田谷八幡にお参りをし、境内をお借りしてウォーキング後のストレッチです。「力石」は「ちからいし」であることは頭では理解しているのですが、思い浮かぶのが「力石徹」となってしまうのはあしたのジョー世代の宿命ですね。
新横綱稀勢の里が楽しみな春場所が初日を迎えるこの日、境内の土俵では親子の取り組みが行われています。この後行司役も取り組みに加わり、姉弟でお父さんに向かってゆきました。
どうしてこの神社に力石や土俵があるのだろうと漠然と考えてみると、八幡神が武家の守護神だからかなぁ。

この後有志は渋谷マークシティにある銀座ライオンへ向かい、先週の戦利品であるビール一杯無料券を目いっぱい活用して、大いに酔っぱらいました。


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渋谷川コース(新宿御苑~恵比寿) 約6.6Km

2017-03-06 15:33:50 | ウォーキング
昨日このコースのブログをほぼ書き終えていたのですが、秀丸が突然の異常終了で一時間かけて作成したブログがおじゃんになりました。(涙)
EXCELではよく経験したことですが、秀丸の異常終了は初体験。昨日はもう一度書き直す気力がなく、秀丸最新バージョンへのアップデートだけ行いました。今日は気分も新たに書き直しです。

このコースは恵比寿で行った忘年会用に恵比寿をゴールにする目的で作ったもので、初回は時間が足りずに渋谷から山手線に乗りました。二回目はゴールし、今回が久しぶりとなる三回目です。国立競技場が改修工事に入り封印していたのですが、工事の経過を見てゆくのもまた一興と考えを改めての企画です。
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑前と乗り継いで、新宿御苑大木戸門からスタートです。



写真:サンシュ
大木戸門の入場口の手前で場所をお借りしてウォーキング前のストレッチを行います。


写真:水道碑

写真:四谷大木戸の碑

写真:例の現場
新宿御苑大木戸門の由来は江戸時代四谷大木戸があったため。木戸が設けられたのは豊臣の残党が江戸に入ることを防ぐためというから、江戸初期に設けられたようです。それに加えてここには「水番所」という江戸幕府の出先機関がありました。羽村で取水され、開渠で玉川上水を流れてきた水は、ここから先地下を通り江戸へ向かっていました。その水位を管理するのが水番所で、水道局といったところでしょう。これらの碑は四谷地域センターにあるのですが、このセンターには東京都水道局新宿営業所が入居しており、江戸時代から400年続く水道局と言っていいでしょう。


写真:渋谷川の始まり
渋谷川にはいくつかの支流があり明治神宮の清正の井戸も源流の一つですが、ここは本流と言っていいと思います。かつては湧水を集めた小川であったと思われますが、玉川上水完成後は、この上水の余った水を流す吐水としての機能が加わり、源流から相当量の水が流れていたものと思われます。この場所は新宿御苑の北東角に当たり、渋谷川は御苑の東側を南へ向かって流れていました。



写真:多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)
新宿と言えばかつては内藤新宿と呼ばれ、信州高遠藩内藤家とのゆかりが深い土地。この神社にも内藤家の家紋である上り藤が描かれています。徳川家康は、内藤清成に馬を走らせて回れるだけの土地を授けると言い、その結果、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保にまでおよぶ広大な土地を賜ったと伝えられています。その伝説の駿馬も神社に祭られています。



写真:三菱鉛筆発祥の地
三菱鉛筆は明治二十年に「眞崎鉛筆製造所」としてこの地に創業しました。鉛筆を製造するための動力として渋谷川の流れを利用した水車が使われていました。かつての水番所からわずか200mの場所で水車を回すことが出来る水量があったのですから、玉川上水から相当量の水が流れていたのでしょう。


写真:伝沖田総司逝去の地
渋谷川が外苑西通りを横切るあたり(渋谷川にせり出した大京町交番がある)にこの解説板が新たに設置されていました。渋谷川は外苑西通りの東側、国立競技場との間を南下してゆきます。


写真:新宿御苑正門

写真:外苑橋交差点
普段使われることはありませんが、新宿御苑の正門は外苑西通りに面したところにあります。また通りにはかつて渋谷川が流れていたことを感じさせる「橋」がつく交差点名が残されています。


写真:国立競技場建設現場

写真:旧霞ヶ丘住宅跡
国立競技場は現在基礎工事が行われており見通しの良い状況になっています。東京オリンピックの際に建設された霞ヶ丘住宅は2020東京オリンピックのために解体されています。まさにオリンピックに翻弄される感じです。


写真:原宿橋の親柱

写真:ノースキャットストリート

写真:表参道
このあたりから人が多くなります。ショッピングの人と我々では歩く速さが異なるので、歩きにくいことこの上ない。


写真:さんどうばし親柱

写真:サウスキャットストリート

写真:ピンク・ドラゴン
表参道を境に北をノース、南をサウスと呼ぶようになっていますが、私のイメージとしては南のみがキャットストリートと呼ばれていた。ような気がする。渋谷川が明治通りを横切るあたりにピンクドラゴンがあり、渋谷川はここから明治通りに沿って南下してゆきます。かつてはこの辺りまでは渋谷川ではなく、穏田川と呼ばれていたことがあるようで、葛飾北斎の富嶽三十六景の「穏田の水車」が有名です。渋谷川は下流で笄川と合流して古川となり江戸湾に流れていました。



写真:宮下公園のボルダリング施設

写真:宮下公園のスケートボード施設
私が中学生のころまで、宮下公園は普通に歩くことが出来る公園でした。その後ブルーシートハウスが増え、近寄ることが出来ないちょっと怖い公園となっていましたが、ナイキが指定管理となり公園を整備したので、かつての賑わいを取り戻しました。



写真:渋谷駅東口
こちらは整備の真っ最中。地下鉄がビルの三階に吸い込まれてゆくかつての渋谷の象徴的な光景も、あと数年で見られなくなります。最終的はヒカリエのような高層ビルがいくつも立ち並ぶ街になるようです。


写真:渋谷警察署

写真:ミキプルーン
吾郎ちゃんが拘留された渋谷警察署です。



写真:金王八幡神社
渋谷の鎮守で、かつてこの場所は渋谷城があり川に囲まれた自然の砦でした。



写真:氷川神社

写真:氷川の杜公園の土俵
さらに南下すると國學院大学近くに氷川神社があります。現在渋谷区の公園となっている氷川の杜公園はかつて神社の一角だったのでしょう。江戸時代こちらで行われていた相撲興業は賑わいを見せていたという話を聞いたことがあります。


写真:明治通り

写真:庚申橋の庚申塔
江戸時代渋谷川の川幅はもっと広かったと思われますが、橋も今のようにたくさんかけられていません。渋谷の大山街道の一つ下流の橋が並木橋。その次がこの位置にあった庚申橋です。目黒や世田谷あたりの百姓が毎日野菜を担いでここを通り、江戸に住む人々の胃袋を支えていたのでしょう。


写真:恵比寿東公園

写真:渋谷川
駒沢通りを渡り、恵比寿東公園でストレッチをして解散となりました。渋谷川を写したのはこの一枚だけです。
東京オリンピックのため急増した水洗トイレへの対応で下水路となってしまった渋谷川は渋谷駅まで暗渠となっています。渋谷から下流は東京都の清流復活事業により、落合水再生センターで処理された高度処理再生水が流されています。
渋谷から下流も川沿いに道がなく現在は橋から川を眺めるしかないのですが、渋谷駅の再開発の中には渋谷川の水辺を楽しむことが出来る親水公園も作られる予定です。渋谷川や目黒川に再び流れが戻ってきた清流復活事業は、我々目黒区民の生活を潤していると思います。

この日の反省会は恵比寿ガーデンプレイスのライオンでした。黒ラベル生ビール一杯ごとにスピードくじを引くことが出来、八名で28杯の生ビールを飲んで26杯分の飲み物券をゲットしました。また飲みに行かなければ!


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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