目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

横浜山手・三渓園コース 約4.7Km(園内を含めると約8Km)

2017-04-24 16:30:49 | ウォーキング
これまで午前中に二回くらい歩いたこのコースですが、今回初めて午後スタートとなりました。元町中華街から5Km弱なのですが、横浜特有のアップダウンがあり休憩を多めに取りながらのウォーキングとなります。


写真:ボーリング発祥の地の碑
江戸末期に開港した横浜は様々な発祥地でもあり、ここ港の見える丘公園にこんな碑がありました。





写真:港の見える丘公園の花たち
公園をお借りしてストレッチをして、丘の上を目指します。この日のウォーキングは二回の急なのぼりがあり、オーバーペースにならないよう各自のペースで花を愛でながら丘を登りました。



写真:フランス軍の駐留地
この公園は「フランス山」とも呼ばれています。横浜が開港され居留地が作られ、丘の下にフランス軍、丘の上にイギリス軍が駐留していました。



写真:ベイブリッジ


写真:山手西洋館のミニチュアハウス
「第33回全国都市緑化よこはまフェア」の催しとして展示されているようで、フェアのホームページを見ると横浜中に花が飾られているようです。



写真:イングリッシュローズガーデン
バラの季節には少し早いですね。



写真:山手の住宅地

写真:キリン公園・麒麟麦酒開源記念碑
山手の住宅地を歩き、北方小学校隣のキリン公園へ寄ります。良港の条件のひとつは「良い水がある」ことで、横浜で積み込んだ水は赤道を超えても腐らないと船員に喜ばれていました。船に積み込んだのは道志川水系から取水した水道水のようですが、日本で初めてビール製造をしたアメリカ人のコープランドは、山手のこの地に湧く井戸水をビールづくりに利用していました。


写真:大鳥小学校



写真:本牧山頂公園
山手から本牧方面へ向かい大鳥小学校が本牧山頂公園への急な階段の入り口になります。本牧山頂公園がある場所はかつて米軍横浜海浜住宅地区として接収されており、1982年3月31日に返還され、公園として整備され1998年に開園しました。急なのぼりがつらいのですが、景色が良く気持ちの良い公園となっています。







写真:本牧神社
大きな注連縄が印象的な本牧神社は港町の鎮守らしく、国際信号旗が掲げられていました。


写真:三渓園近くのおうちの牡丹

写真:根岸駅へ向かったバス停
本牧神社で4時となり「さて三渓園の閉園時間は?」と調べてみると4時半。もう一時間早くスタートするべきだったようです。三渓園は断念し、根岸駅まで歩き始めたのですが、途中でバス停を発見しそこからバスに乗りました。

京浜東北線で横浜駅まで戻り、一部有志はジョイナス地下二階のライオンで反省会。歩いた後のビールはやっぱりおいしいです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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目黒区北東部の庚申塔めぐりコース 約8.3Km

2017-04-17 16:55:49 | ウォーキング
昨日のバスハイク参加者にとっては連日のウォーキングとなりますが、この日も多くの参加者がありました。皆さん元気ですね!
区内の庚申塔を巡るコースは北東部と南西部の二つに分けて実施していますが、少し距離が長いので本来であれば三回くらいに再編したいところ。ですがなかなか実現できていません。菅刈公園に集合、ストレッチをして寿福寺へ向けて東山の急坂を上ってゆきます。


写真:モッコウバラ
桜の季節が終わり、早くもモッコウバラが咲き始めています。


写真:寿福寺のシダレザクラ

写真:ウコンザクラ

写真:八重桜
参道の先に鎌倉街道が通り、向かい側に墓地を持つ寿福寺は古くからある地元のお寺です。江戸時代の綱差、種まき権兵衛こと川井権兵衛さんのお墓もこの墓地にあります。この綱差という役割について、目黒区のホームページから引用してみましょう。

野鳥がどんなにたくさんいても、将軍は、一面の笹原や林の中を馬上で追うのであるから、そう簡単には捕まらない。狩りの度に一羽の鳥も捕れないようでは、将軍家のご威光にかかわる。しかも野鳥が減少するにつれ、御用役人の心配は一層強くなる。そこで一計を案じ、あらかじめ野鳥を捕まえて飼育しておき、いざというときの御用にと、飼付御用を務める綱差という役が各筋に設けられた。

目黒筋の初代綱差(つなさし)は、武州多摩郡野津田村(現在の町田市)の農民で、キジ捕りの名人といわれた川井権兵衛さん。権兵衛さんは、享保3年(1718年)に下命を受けて駒場野の近くに移り住み、将軍家遊猟の際の陰の演出者として活躍した。以後、目黒筋の綱差は、代々川井家が受け継ぎ、権兵衛を襲名した。

初代権兵衛さんのキジ捕りの方法は、まず、笹原を10坪ほど切り開き、キジの大好物の大豆をまいておく。そして、近くの番小屋で様子をうかがい、キジが大豆を食べる瞬間に引き綱を引いて網をかぶせる。しかし、肝心のキジよりも先にカラスがえさを失敬してしまう。こうした毎日を繰り返すので、ほとほと手を焼いた権兵衛さんは、6尺もある木刀(だんびら)を振り回してカラスを追う。

そんな情景をおもしろおかしくうたった、「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる、三度に一度は追わずばなるまい、ズンベラ、ズンベラ…」という俗謡(ぞくよう)が生まれたという。しかし、同じ俗謡が和歌山、福岡両県をはじめ各地方でもうたわれており、目黒で生まれたという説の真偽のほどは明らかではない。

かくて、徳川歴代将軍による目黒筋での鷹狩りは、綱差や農民の苦労をよそに、幕末まで続けられたのである。



写真:目黒ゴルフ練習場の私道
宿山の庚申塔群を見た後、この細い道を蛇崩川まで下ります。



写真:蛇崩川支流緑道

写真:ヤマブキ
蛇崩川を少し下り南に折れて支流を遡ります。この支流は祐天寺駅付近まで暗渠となり残っています。先日NHK天気予報担当の南さんが、「春は梅に始まりヤマブキに終わる」と言っていましたが、菜種梅雨がおわり、まもなく爽やかな初夏がやってきます。


写真:五本木庚申塔群

写真:十日森神社

写真:さわら庚申

写真:とちの木庚申
五本木庚申塔群は屋根付きなので庚申塔が良い状態で保全されています。近くにある十日森神社は参道を駒沢通りと東横線にさえぎられてちょっと気の毒。馬喰坂から続く道が現在の駒沢通りにぶつかる位置にあるのがさわら庚申。何代目かのサワラの木が植わっています。粗末な扱いを受けているとちの木庚申。


写真:谷戸前川
さわら庚申付近から始まる谷戸前川は現在ほそい暗渠となっていますが、深い谷を削り、目黒区最大斜度を誇る十七が坂を形成するなどで存在感を示しています。谷戸前川の暗渠を通り山手通りまで来ました。


写真:ひいらぎ庚申

写真:田道庚申塔群

写真:誤字?
山手通りを渡り区民センター脇にあるひいらぎ庚申。区民センターで休憩の後保存状態の良い田道庚申塔群。きれいなお花が生けられています。この案内板が立てられたのはずいぶん前だと思うのだけれど、「田道庚申塔軍」て「群」の間違いじゃない?


写真:十七が坂上庚申塔

写真:馬喰坂上庚申塔

写真:藤の木庚申

写真:菖蒲?

写真:天祖神社

写真:天祖神社の庚申塔
十七が坂から天祖神社にかけては庚申塔銀座と言っていいくらい庚申塔が残されています。この道は目黒不動と宿山を結ぶ尾根道で、地元の人たちにとって日常使う重要な道だったのでしょう。


写真:渋谷区との区界にある公園の八重桜

写真:別所坂上庚申塔群

写真:別所坂公園から中目黒方面を望む
このコースの最後は別所坂上庚申塔群で、普段は別所坂を登るのですが、連日のウォーキングで疲れているので槍が埼を回り別所坂上を目指しました。登る高さは同じでも、このほうがずいぶん楽です。
最後は景色の良い別所坂公園でストレッチをして、解散となりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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4月14日(金)目黒ウォーキング協会バスハイク

2017-04-17 15:34:05 | ウォーキング
天気に恵まれ絶好のバスハイク日和です。7時半に目黒総合庁舎に集合し、バスに乗り込み目黒通り三か所のピックアップポイントに寄って全員集合しました。本日の参加者総勢46名で大型バスがいっぱいになります。
三軒茶屋から首都高渋谷線に乗り、大橋ジャンクション、中央環状線、川口線を通り東北道へ。途中蓮田SAで休憩後、館林ICで降りて15分程度で渡良瀬遊水地「親水ゾーンB駐車場」に到着しました。ストレッチ後各自体力に合わせて遊水地にある人造湖「谷中湖」のまわりを歩くコースです。


写真:中の島への道

写真:谷中湖

写真:スミレ

写真:中の島の柳
体験活動センターわたらせから南へ向かう中の島への道の西側にはスミレがたくさん咲いているのですが、東側には一切咲いていません。西側は縁石で影になったり、風よけになったりして、東側の縁石は直射日光がもろに当たり風も強いのでスミレが育つことが出来ないのでしょう。過酷な環境の中でもしぶとく生き抜く植物の生命力を感じます。


写真:エキサイゼリ

写真:セイヨウタンポポ


写真:ノウルシ

写真:スギナ

写真:カラスノエンドウ
中の島から東へ向かい谷中湖の谷中ブロックを一周します。日差しの向きが変わり、植生がまた少し変わってきました。



写真:葦の新芽
渡良瀬遊水地は巨大な葦原(ヨシハラ)で、毎年春にヨシ焼が行われます。今年は3月18日に行われ、ひと月近くたって葦の新芽が元気に育ち始めています。



写真:ヒメオドリコソウ

写真:ユキヤナギ

写真:キランソウ

写真:オオイヌノフグリ

写真:オヘビイチゴ

写真:ムラサキサギゴケ

写真:スイバ

写真:ホトケノザ
谷中湖から少し外れて谷中村史跡保全ゾーンを歩きました。渡良瀬遊水地の概要をWikipediaから引用してみましょう。
渡良瀬川に思川と巴波川の2つの川が合流する地点の湿地帯全体が堤によって囲われ遊水池となっている。足尾鉱毒事件の発生当時は、鉱毒対策が目的で設けられたのではなく洪水防止が目的とされたが、1903年の政府の第二次鉱毒調査委員会が渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白であった。
法令上は、国土交通省が管轄する河川の内部になっている。足尾鉱毒事件から100年近く経った現在では鉱毒は減少し、主に治水と利水のための地域になっている。ただし、減少したのは上流から新たに流れてくる鉱毒の量であって、遊水地の土壌には2010年現在でも銅などの鉱毒物質が多く含まれている。

また沿革では次のように述べられています。
足尾鉱毒事件による被害が大きくなり、農民の鉱毒反対運動が盛り上がると、1905年、政府は栃木県下都賀郡谷中村全域を買収してこの地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。ただし、これは、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を廃村にすることにより、運動の弱体化を狙ったものであるという指摘が当時谷中村に住んでいた田中正造によって既になされている。

谷中村は公害防止のために廃村になりました。渡良瀬遊水地は日本の公害対策の始まり、世界でも先駆けとなる公害対策の地だったかもしれません。

現在の渡良瀬遊水地は視線を遮るものがない広大な葦原です。何もないところですが、この何もないところが結構魅力的だったりします。目黒ウォーキング協会の会員の皆さんとともに、ウォーキングを大いに楽しんで帰路へ着きました。


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鎌倉山越え極楽寺コース 約5.1Km

2017-04-12 15:35:12 | ウォーキング
新年度を迎えすこやか歩こう会に新たに入会される方もあり、去る方もおられて総勢47名でのスタートとなりました。初回のウォークは雨で中止となり、今回も微妙な天気予報というより雨の予報だったのですが、決行し14名の参加がありました。



写真:湘南モノレール
中目黒で集合し、横浜で乗り換え大船へ。珍しい懸垂式のモノレールは運転席からの景色も独特で空を飛んでいるよう。





写真:夫婦池公園
湘南深沢でモノレールを下りて、鎌倉山ののぼり口になる夫婦池公園へ。雨が強くなってきたので、公園事務所で雨宿りをさせていただきながら各自持ってきたお弁当を食べました。



写真:鎌倉山山頂尾根道のソメイヨシノ


写真:シャクナゲ
夫婦池公園の急な階段を上るとこの尾根道に出ます。「鎌倉山記」と記された石碑があり、ここが山頂なのかなぁと思っていたのですが、実は鎌倉山は山の名称ではなく町の名称であり、「鎌倉山記」にはその開発の歴史が刻まれているとのこと。


写真:車がよく通る急坂
目的のコースは鎌倉山神社の前を通り山道を抜け稲村ケ崎小学校へ出る予定だったのですが、雨で足元が悪いのでこちらの道を利用しました。ここは抜け道の様で多くの車が通ってゆきます。



写真:江ノ電と道路
下ってきたのはちょうど稲村ヶ崎駅。稲村ヶ崎駅と極楽寺駅の間に柵もなく江ノ電と道路が並行している場所があり、以前に歩いた記憶がよみがえりました。何度地図を見て調べてみても、十年以上前に連れてきてもらった道がわからず今回の歩行路の設定となっているのですが、以前は通行できた私道が通れなくなっているのかなぁ?


写真:極楽寺駅

写真:極楽寺坂切通し
歩いたり、歩くコースを設定したりしているとブラタモリの影響を受け「この場所はもともとどうなっていたんだろう」などと考えるようになります。この日この切通しを通って、軍事的重要な意味を持っていた鎌倉時代に思いをはせました。





写真:御霊神社(ごりょうじんじゃ)
参道を江ノ電が横切る面白い神社というくらいの認識だったのですが、近年人気の神社のようです。Wikipediaの解説を引用します。
権五郎神社の創建年代は詳らかではないが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると推定することができる。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。







写真:長谷寺
ここまで来ると観光客が多く七割外国人といった感じです。桜の時期に来日して、有名な観光処を見て歩くといったスタイルですね。これらの外国人が地方の魅力に目覚めると、東北や長野など、遅い春を迎えるところにも押し寄せるようになるのかな。


写真:長谷駅
長谷寺への入場前にウォーキングは解散しており、元気な女性陣は長谷寺の上の方まで散策に行きました。男性陣は次の楽しみのためこの日は恵比寿へ。全員中目黒なので普通なら中目黒へ帰ってくるところですが、桜の季節の混雑を避けるためこの日は恵比寿ガーデンプレイスへ。新年度初めの反省会はライオンでした。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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