都内で紅葉の季節はここということで二年ぶりのコース設定となりました。集団での公共交通機関利用を避けて、出発地点での集合としました。すこやか歩こう会の会員さんに電車内での会話をご遠慮くださいと言っても、なかなか実行できないので。
北の丸スクエア公開空地
九段下駅から地上に出て、こちらの公開空地を利用させていただきストレッチをしました。この日は北風が強く寒かった!
青海コーヒー
ホテルグランドパレス
東京大神宮
ソーセージのハライコ
二年ぶりだし、コロナ禍で飲食店に逆風が吹く中、街の風景も変わってゆきます。新しいコーヒー屋さんが出来ていたり、グランドパレスが営業を終了していたり。弓道具屋さんはなくなったかな。ハライコ健在でうれしいです。来ようと思って訪れたことないけど。
小石川運動場脇のビル
警視庁の遺失物係がこんなビル特徴的なだったかなぁと思いましたが、隣のビルのようです。
日中友好会館
小石川後楽園
小石川税務署
通っていた高校がかつてこの近くにあったのですが、後楽園庭園へ一度行ったくらいでまわりのことはほとんど知りません。一番興味があったのは後楽園球場だったかな。後楽園駅に「本日のゲーム」の表示があり、土曜日日ハムののデーゲームがあると少ない小遣いをはたいて行っていました。当時の監督は大沢親分。
北野神社
牛天神
御拝殿
狛犬
狛牛?
ルートは安藤坂を上るのですがちょっと変更して天神様をお参りしました。「ぎゅうてんじん」だと思っていたけど「うしてんじん」でした。「牛魔王(ぎゅうまおう)」と混同しているかも。
ねがい牛
道真公は、御生前大変牛を可愛がられた事でも知られております。牛天神境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)
撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。
牛天神北野神社のサイトからの引用です。境内社についても引用します。
太田神社・高木神社
太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。
芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、関東では牛天神の御末社、関西では京都と、全国でも二社でのみ祀られています。
もとは、貧乏神と言われた黒闇天女(くろやみてんにょ)(弁財天の姉)をお祀りしていましたが、江戸時代にあったとされる出来事から、人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることができると庶民の信仰を集めるようになったそうです。詳細は下記の御由緒を御覧下さい。
人々の信仰厚く、関東大震災のころまでは、祭りの日ともなると、未明から深夜まで参拝の人で賑わい、芸能の神として、歌舞伎、新劇人など芸能人の信者を集め、名のある役者がたびたび参拝に訪れたそうです。
太田神社の御由緒
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。
正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─
「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」
以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。
天神様を訪れようと思ったのは猿田彦命が道の神、旅人の神といわれウォーキングクラブの守護神のように思えたからです。今回太田神社にお参りし損ねましたが、次回は必ずお参りするようにしましょう。
天神脇の坂
天神坂かと思ったら牛坂でした。
西岸寺
富坂署
お寺が多いのは伝通院の塔頭でしょうか。
学芸大学竹早校地
学芸大学付属竹早高校だと思っていたら、高校は都立でした。学芸大学の前身で東京府立第二高等女学校が都立高校になっています。共通一次試験をここで受けました。
播磨坂さくら並木
播磨坂を下って間もなくゴールの小石川植物園。植物園前で解散し希望者のみ植物園を見学します。以下、写真は小石川植物園。
パンパスと青空
ヒマラヤ杉と本館
ヒマラヤ杉
コダチダリア
イロハモミジ(Optiow90)
イロハモミジ(SO-01K)
イチョウ(Optiow90)
イチョウ(SO-01K)
コンパクトデジカメOptiow90の写真は鮮やかさに欠けるんだよなぁと思って、XperiaスマホSO-01Kと撮り比べてみました。スマホの写真はvivid過ぎでコンデジの方がイメージに近いと思います。比べてみると以前もこんなことをしたような。コンデジをミラーレス一眼に代えようか、Xperiaの最高機種を購入しようか考えていましたが、道具に頼らず腕を磨きます。
イチョウ
カイノキ
日本庭園のイロハモミジ
日本庭園
水面に映るイチョウ
ナンキンハゼ
ハゼノキ
ラクウショウ
カイノキとハゼノキはウルシ科なんですね。葉っぱを見るとウルシの仲間だとよくわかります。ウルシ科の紅葉は鮮やかできれい。「ハゼ」がつくけどナンキンハゼは葉の形が違います。トウダイグサ科。ハゼノキの代わりに蝋をとる材料として使われるようになった、中国原産の木ということで「ハゼ」がついているのですね。
フクダ電子
帰りは会の皆さんと別れ共同印刷バス停から文京区のコミュニティバスBーグルに乗り文京シビックセンターへ。共同印刷の前にはお鷹狩りのスポンサーとしてAEDの貸し出しを受けているフクダ電子の事務所がありました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
北の丸スクエア公開空地
九段下駅から地上に出て、こちらの公開空地を利用させていただきストレッチをしました。この日は北風が強く寒かった!
青海コーヒー
ホテルグランドパレス
東京大神宮
ソーセージのハライコ
二年ぶりだし、コロナ禍で飲食店に逆風が吹く中、街の風景も変わってゆきます。新しいコーヒー屋さんが出来ていたり、グランドパレスが営業を終了していたり。弓道具屋さんはなくなったかな。ハライコ健在でうれしいです。来ようと思って訪れたことないけど。
小石川運動場脇のビル
警視庁の遺失物係がこんなビル特徴的なだったかなぁと思いましたが、隣のビルのようです。
日中友好会館
小石川後楽園
小石川税務署
通っていた高校がかつてこの近くにあったのですが、後楽園庭園へ一度行ったくらいでまわりのことはほとんど知りません。一番興味があったのは後楽園球場だったかな。後楽園駅に「本日のゲーム」の表示があり、土曜日日ハムののデーゲームがあると少ない小遣いをはたいて行っていました。当時の監督は大沢親分。
北野神社
牛天神
御拝殿
狛犬
狛牛?
ルートは安藤坂を上るのですがちょっと変更して天神様をお参りしました。「ぎゅうてんじん」だと思っていたけど「うしてんじん」でした。「牛魔王(ぎゅうまおう)」と混同しているかも。
ねがい牛
道真公は、御生前大変牛を可愛がられた事でも知られております。牛天神境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)
撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。
牛天神北野神社のサイトからの引用です。境内社についても引用します。
太田神社・高木神社
太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。
芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、関東では牛天神の御末社、関西では京都と、全国でも二社でのみ祀られています。
もとは、貧乏神と言われた黒闇天女(くろやみてんにょ)(弁財天の姉)をお祀りしていましたが、江戸時代にあったとされる出来事から、人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることができると庶民の信仰を集めるようになったそうです。詳細は下記の御由緒を御覧下さい。
人々の信仰厚く、関東大震災のころまでは、祭りの日ともなると、未明から深夜まで参拝の人で賑わい、芸能の神として、歌舞伎、新劇人など芸能人の信者を集め、名のある役者がたびたび参拝に訪れたそうです。
太田神社の御由緒
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。
正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─
「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」
以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。
天神様を訪れようと思ったのは猿田彦命が道の神、旅人の神といわれウォーキングクラブの守護神のように思えたからです。今回太田神社にお参りし損ねましたが、次回は必ずお参りするようにしましょう。
天神脇の坂
天神坂かと思ったら牛坂でした。
西岸寺
富坂署
お寺が多いのは伝通院の塔頭でしょうか。
学芸大学竹早校地
学芸大学付属竹早高校だと思っていたら、高校は都立でした。学芸大学の前身で東京府立第二高等女学校が都立高校になっています。共通一次試験をここで受けました。
播磨坂さくら並木
播磨坂を下って間もなくゴールの小石川植物園。植物園前で解散し希望者のみ植物園を見学します。以下、写真は小石川植物園。
パンパスと青空
ヒマラヤ杉と本館
ヒマラヤ杉
コダチダリア
イロハモミジ(Optiow90)
イロハモミジ(SO-01K)
イチョウ(Optiow90)
イチョウ(SO-01K)
コンパクトデジカメOptiow90の写真は鮮やかさに欠けるんだよなぁと思って、XperiaスマホSO-01Kと撮り比べてみました。スマホの写真はvivid過ぎでコンデジの方がイメージに近いと思います。比べてみると以前もこんなことをしたような。コンデジをミラーレス一眼に代えようか、Xperiaの最高機種を購入しようか考えていましたが、道具に頼らず腕を磨きます。
イチョウ
カイノキ
日本庭園のイロハモミジ
日本庭園
水面に映るイチョウ
ナンキンハゼ
ハゼノキ
ラクウショウ
カイノキとハゼノキはウルシ科なんですね。葉っぱを見るとウルシの仲間だとよくわかります。ウルシ科の紅葉は鮮やかできれい。「ハゼ」がつくけどナンキンハゼは葉の形が違います。トウダイグサ科。ハゼノキの代わりに蝋をとる材料として使われるようになった、中国原産の木ということで「ハゼ」がついているのですね。
フクダ電子
帰りは会の皆さんと別れ共同印刷バス停から文京区のコミュニティバスBーグルに乗り文京シビックセンターへ。共同印刷の前にはお鷹狩りのスポンサーとしてAEDの貸し出しを受けているフクダ電子の事務所がありました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール