以下は月刊誌HANADA今月号の巻頭に掲載されている九段靖之介の連載コラムからである。
いつまで続ける「悪魔の証明」
「なかったこと」を「なかった」と証明するのは不可能で、これを世に「悪魔の証明」と呼ぶ。
朝日新聞と野党が森友問題を持ち出し、「首相の有罪」を望んでから、もう一年越しになる。
首相に説明責任を果たせというなら、野党側には挙証責任があるはずだ。
なのに確たる証拠を挙げられぬまま、忖度と推測を押しつける同義反復の質問を繰り返し、首相は「その質問にはもう何度もお答えしましたが」などと同じ答弁を繰り返す。
将棋でいえば、これはもう千日手だ。
千日手は一定の手数を繰り返したところで、指し直しとなる。
それまでに費やした時間を差し引いた持ち時間で以後の勝負を争う。双方が新たな攻守の手を考えなければならない。
国会の審議もこれに倣ったらどうか。
一定の時間、同義反復の質問が繰り返されたところで審議を打ち切り、新たな攻め手を示さない限り、同じ問題で質問を認めない。
裁判だってそうだ。
検察と弁護士が、片や有罪の証明を試み、片や無罪を主張して防御する。
検察が有罪の証明ができなければ、一事不再理で無罪が確定する。
逆に「有罪の証明」がなされた場合、弁護側がそれをひっくり返すには新たな「証拠」を提示しなければ再審法廷は開かない。
国会の審議は攻めるも守るも共に立法府に身を置く議員同士のやり合いだ。
それにしてはリーガルマインドに欠ける。
とりわけ攻め手の野党議員にそれがいえる。
忖度や推測に基づく質問には、法廷なら即座に「オブジェクション!」(異議あり!)の声が出て、裁判長が「サスティン!」(認めます!)となりかねない。
「裁判長」とは審議を視聴する我ら国民(視聴者)だ。
三月二日、朝日新聞が近畿財務局による森友学園への国有地売却に関する決裁文書の書き換え疑惑を報じた。
おや、これで千日手に陥った勝負の指し直しが始まるのかなと思わせた。
ほどなく、財務省が書き換えを認めた。
大阪地検特捜部が近畿財務局から押収したパソコンにDF(復元)処理を施し、決裁文書の「原本」を探り出し、すでに一部は国交省などにコピーが渡っている。
それを知った財務省が、もはや逃れられぬと観念したらしい。
財務相・麻生太郎によれば、書き換えは本省理財局の一部職員の手によって行われ、当時の理財局長・佐川宣寿(前国税庁長官)がその責任者で、書き換えの理由は、佐川の国会答弁と整合性を図ったものとする。
朝日と野党の追及の核心は「誰が書き換えを指示したか?」だ。
三月十四日の国会審議で、安倍も麻生も「書き換えの指示」を否定した。
一方、野党六党が財務省理財局にヒアリング(聞き取り)をした。 「誰が書き換えを指示したのか?」
希望の党・山井和則の問いに理財局次長・富山一成は繰り返す。
「理財局の一存で書き換えた」
ここでも千日手だ。
おまけに問題は「書き換え、あるいは削除された内容」だ。
たとえば書き換え前の決裁文書に、四人の政治家と並んで安倍昭恵夫人の名が記され、「昭恵夫人を現地に案内し、夫人から『ここはいい土地ですから、前に進めて下さい』というお言葉を頂いた」とある。安倍によれば、「妻に確認したところ、そのような言葉は言っていない。これは籠池氏がそう言っている、と書いてある(だけ)」
山井はこれについて富山に訊く。
「安倍総理は、(私も妻も)関係していないことが明らかになったというけど、国民の受け止めは逆ですよ。昭恵夫人の名前が肝心のところで出て来て、籠池理事長の言葉だが、(それを)決裁文書に書くということは、担当者は軽い気持ちでは書いていないと思う。もし関係してないのであれば、なぜわざわざ削除したのか。関係しているから、昭恵夫人の名前が出ているのではないか」
これは自らの忖度・推理を国民の名を借りて押しつける典型的な追及例だ。
小欄が「書き換えられた、あるいは削除された内容」を見る限り、安倍夫妻が森友学園への国有地売却に直接に関与した記述は見当たらない。
四人の政治家-鴻池祥肇、平沼赳夫、鳩山邦夫らの名が列挙されているが、いずれも秘書が口利きしたもので、「どうにもならない」とハネられている。
総じて「書き換えられた内容」は、それがどうした?とさえ言いたいような内容だ。
一体、いつまで首相に「悪魔の証明」を求めるつもりか?
隣国の“悪魔”が核ミサイルを抱えて笑っているぞ。