文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

2018年04月06日 14時00分42秒 | 日記

以下は前章の続きである。

東京裁判との違い 

では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

① どちらも勝者による敗者への報復裁判であることは共通する。

② 東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。 

③ 東京裁判は世界のマスコミに公開されたが、ハバロフスク裁判はソ連のマスコミとソ連市民にのみ公開された。当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

④ 東京裁判は昭和215月から昭和2311月まで2年半の歳月をかけたが、ハバロフスク裁判はわずか6日間だった。

言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった。 

⑤ 東京裁判は連合国と日本の弁護人がついて、米国軍人のブレイクニーのように見事な弁護をする人もいて判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

三友一男によると、裁判の前に弁護人をつけるといわれたが、本気で弁護してくれるとは思わなかったので断った。

だが、執拗に迫られて承諾したと記したうえで、裁判のとき弁護人は「検事同様の口調で、被告人を極悪非道の犯罪者ときめつけ、厳罰を当然のこととし、弁護の余地すらないときめつけた」というありさまだ。

川島清も弁護人とは事前に一回だけ会ったが、公判の話はしなかったと記している。 

以上の事実からしてハバロフスク裁判が裁判の名に値しない宣伝(プロパガンダ)であり、政治ショーだったことは明らかだろう。私かフェイク裁判と呼ぶ由縁である。 

NHKは番組で川島清や柄沢十三夫などの被告の法廷写真を「極悪非道な犯罪者」であるかのように何度も映し出した。

また父親の法廷陳述テープを聞かされた柄沢十三夫の遺族の苦渋にみちた表情と重い口調も映し出した。

いずれも重大な人権侵害ではないのか。

中国は関東軍防疫給水部のあったハルビンの平房に「侵華日軍第731部隊陳列館」を設置して反日プロパガンダを仕かけている。

NHKの渋谷放送センター内に中国中央電視台(CCTV)の支局が入っていることは周知の事実だ。

今回の音声テープがCCTVに渡れば反日プロパガンダに利用されるのは目に見えている。

いずれ南京事件と同じように「細菌戦被害者30万人」のプロパガンダを仕かけてくるに違いない。 

もっとも重要なことは、ハバロフスク裁判の本質を踏まえたうえで、今回の音声テープの内容を詳しく検証し、731部隊の真実を明らかにして中国の新たな歴史戦に備えることである。

その際「弁護人」の研究者が必須なのはいうまでもない。

(文中敬称略)


言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった

2018年04月06日 13時59分24秒 | 日記

以下は前章の続きである。

東京裁判との違い 

では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

① どちらも勝者による敗者への報復裁判であることは共通する。

② 東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。 

③ 東京裁判は世界のマスコミに公開されたが、ハバロフスク裁判はソ連のマスコミとソ連市民にのみ公開された。当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

④ 東京裁判は昭和215月から昭和2311月まで2年半の歳月をかけたが、ハバロフスク裁判はわずか6日間だった。

言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった。 

⑤ 東京裁判は連合国と日本の弁護人がついて、米国軍人のブレイクニーのように見事な弁護をする人もいて判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

三友一男によると、裁判の前に弁護人をつけるといわれたが、本気で弁護してくれるとは思わなかったので断った。

だが、執拗に迫られて承諾したと記したうえで、裁判のとき弁護人は「検事同様の口調で、被告人を極悪非道の犯罪者ときめつけ、厳罰を当然のこととし、弁護の余地すらないときめつけた」というありさまだ。

川島清も弁護人とは事前に一回だけ会ったが、公判の話はしなかったと記している。 

以上の事実からしてハバロフスク裁判が裁判の名に値しない宣伝(プロパガンダ)であり、政治ショーだったことは明らかだろう。私かフェイク裁判と呼ぶ由縁である。 

NHKは番組で川島清や柄沢十三夫などの被告の法廷写真を「極悪非道な犯罪者」であるかのように何度も映し出した。

また父親の法廷陳述テープを聞かされた柄沢十三夫の遺族の苦渋にみちた表情と重い口調も映し出した。

いずれも重大な人権侵害ではないのか。

中国は関東軍防疫給水部のあったハルビンの平房に「侵華日軍第731部隊陳列館」を設置して反日プロパガンダを仕かけている。

NHKの渋谷放送センター内に中国中央電視台(CCTV)の支局が入っていることは周知の事実だ。

今回の音声テープがCCTVに渡れば反日プロパガンダに利用されるのは目に見えている。

いずれ南京事件と同じように「細菌戦被害者30万人」のプロパガンダを仕かけてくるに違いない。 

もっとも重要なことは、ハバロフスク裁判の本質を踏まえたうえで、今回の音声テープの内容を詳しく検証し、731部隊の真実を明らかにして中国の新たな歴史戦に備えることである。

その際「弁護人」の研究者が必須なのはいうまでもない。

(文中敬称略)


当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

2018年04月06日 13時58分24秒 | 日記

以下は前章の続きである。

東京裁判との違い 

では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

① どちらも勝者による敗者への報復裁判であることは共通する。

② 東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。 

③ 東京裁判は世界のマスコミに公開されたが、ハバロフスク裁判はソ連のマスコミとソ連市民にのみ公開された。当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

④ 東京裁判は昭和215月から昭和2311月まで2年半の歳月をかけたが、ハバロフスク裁判はわずか6日間だった。

言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった。 

⑤ 東京裁判は連合国と日本の弁護人がついて、米国軍人のブレイクニーのように見事な弁護をする人もいて判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

三友一男によると、裁判の前に弁護人をつけるといわれたが、本気で弁護してくれるとは思わなかったので断った。

だが、執拗に迫られて承諾したと記したうえで、裁判のとき弁護人は「検事同様の口調で、被告人を極悪非道の犯罪者ときめつけ、厳罰を当然のこととし、弁護の余地すらないときめつけた」というありさまだ。

川島清も弁護人とは事前に一回だけ会ったが、公判の話はしなかったと記している。 

以上の事実からしてハバロフスク裁判が裁判の名に値しない宣伝(プロパガンダ)であり、政治ショーだったことは明らかだろう。私かフェイク裁判と呼ぶ由縁である。 

NHKは番組で川島清や柄沢十三夫などの被告の法廷写真を「極悪非道な犯罪者」であるかのように何度も映し出した。

また父親の法廷陳述テープを聞かされた柄沢十三夫の遺族の苦渋にみちた表情と重い口調も映し出した。

いずれも重大な人権侵害ではないのか。

中国は関東軍防疫給水部のあったハルビンの平房に「侵華日軍第731部隊陳列館」を設置して反日プロパガンダを仕かけている。

NHKの渋谷放送センター内に中国中央電視台(CCTV)の支局が入っていることは周知の事実だ。

今回の音声テープがCCTVに渡れば反日プロパガンダに利用されるのは目に見えている。

いずれ南京事件と同じように「細菌戦被害者30万人」のプロパガンダを仕かけてくるに違いない。 

もっとも重要なことは、ハバロフスク裁判の本質を踏まえたうえで、今回の音声テープの内容を詳しく検証し、731部隊の真実を明らかにして中国の新たな歴史戦に備えることである。

その際「弁護人」の研究者が必須なのはいうまでもない。

(文中敬称略)


東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。

2018年04月06日 13時57分21秒 | 日記

以下は前章の続きである。

東京裁判との違い 

では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

① どちらも勝者による敗者への報復裁判であることは共通する。

② 東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。 

③ 東京裁判は世界のマスコミに公開されたが、ハバロフスク裁判はソ連のマスコミとソ連市民にのみ公開された。当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

④ 東京裁判は昭和215月から昭和2311月まで2年半の歳月をかけたが、ハバロフスク裁判はわずか6日間だった。

言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった。 

⑤ 東京裁判は連合国と日本の弁護人がついて、米国軍人のブレイクニーのように見事な弁護をする人もいて判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

三友一男によると、裁判の前に弁護人をつけるといわれたが、本気で弁護してくれるとは思わなかったので断った。

だが、執拗に迫られて承諾したと記したうえで、裁判のとき弁護人は「検事同様の口調で、被告人を極悪非道の犯罪者ときめつけ、厳罰を当然のこととし、弁護の余地すらないときめつけた」というありさまだ。

川島清も弁護人とは事前に一回だけ会ったが、公判の話はしなかったと記している。 

以上の事実からしてハバロフスク裁判が裁判の名に値しない宣伝(プロパガンダ)であり、政治ショーだったことは明らかだろう。私かフェイク裁判と呼ぶ由縁である。 

NHKは番組で川島清や柄沢十三夫などの被告の法廷写真を「極悪非道な犯罪者」であるかのように何度も映し出した。

また父親の法廷陳述テープを聞かされた柄沢十三夫の遺族の苦渋にみちた表情と重い口調も映し出した。

いずれも重大な人権侵害ではないのか。

中国は関東軍防疫給水部のあったハルビンの平房に「侵華日軍第731部隊陳列館」を設置して反日プロパガンダを仕かけている。

NHKの渋谷放送センター内に中国中央電視台(CCTV)の支局が入っていることは周知の事実だ。

今回の音声テープがCCTVに渡れば反日プロパガンダに利用されるのは目に見えている。

いずれ南京事件と同じように「細菌戦被害者30万人」のプロパガンダを仕かけてくるに違いない。 

もっとも重要なことは、ハバロフスク裁判の本質を踏まえたうえで、今回の音声テープの内容を詳しく検証し、731部隊の真実を明らかにして中国の新たな歴史戦に備えることである。

その際「弁護人」の研究者が必須なのはいうまでもない。

(文中敬称略)


東京裁判との違い では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

2018年04月06日 13時56分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。

東京裁判との違い 

では、同じ「戦犯」裁判でもハバロフスク裁判は東京裁判とどう違うのか。

どちらも勝者による敗者への報復裁判であることは共通する。

東京裁判は連合国の判事や検事が加わった国際法廷だったが、ハバロフスク裁判は純然たるソ連の国内裁判だった。 

東京裁判は世界のマスコミに公開されたが、ハバロフスク裁判はソ連のマスコミとソ連市民にのみ公開された。当時、どうせソ連の宣伝と見られて世界的には注目されなかった。 

東京裁判は昭和215月から昭和2311月まで2年半の歳月をかけたが、ハバロフスク裁判はわずか6日間だった。

言い換えれば、東京裁判は時間をかけた審理が行われたのに対して、ハバロフスク裁判は審理らしい審理のない裁判だった。 

東京裁判は連合国と日本の弁護人がついて、米国軍人のブレイクニーのように見事な弁護をする人もいて判事・検事との応酬があったが、ハバロフスク裁判ではソ連の弁護人がついたものの被告の弁護はしなかった。 

三友一男によると、裁判の前に弁護人をつけるといわれたが、本気で弁護してくれるとは思わなかったので断った。

だが、執拗に迫られて承諾したと記したうえで、裁判のとき弁護人は「検事同様の口調で、被告人を極悪非道の犯罪者ときめつけ、厳罰を当然のこととし、弁護の余地すらないときめつけた」というありさまだ。

川島清も弁護人とは事前に一回だけ会ったが、公判の話はしなかったと記している。 

以上の事実からしてハバロフスク裁判が裁判の名に値しない宣伝(プロパガンダ)であり、政治ショーだったことは明らかだろう。私かフェイク裁判と呼ぶ由縁である。 

NHKは番組で川島清や柄沢十三夫などの被告の法廷写真を「極悪非道な犯罪者」であるかのように何度も映し出した。

また父親の法廷陳述テープを聞かされた柄沢十三夫の遺族の苦渋にみちた表情と重い口調も映し出した。

いずれも重大な人権侵害ではないのか。

中国は関東軍防疫給水部のあったハルビンの平房に「侵華日軍第731部隊陳列館」を設置して反日プロパガンダを仕かけている。

NHKの渋谷放送センター内に中国中央電視台(CCTV)の支局が入っていることは周知の事実だ。

今回の音声テープがCCTVに渡れば反日プロパガンダに利用されるのは目に見えている。

いずれ南京事件と同じように「細菌戦被害者30万人」のプロパガンダを仕かけてくるに違いない。 

もっとも重要なことは、ハバロフスク裁判の本質を踏まえたうえで、今回の音声テープの内容を詳しく検証し、731部隊の真実を明らかにして中国の新たな歴史戦に備えることである。

その際「弁護人」の研究者が必須なのはいうまでもない。

(文中敬称略)


このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

2018年04月06日 13時54分43秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


25年の刑を言い渡されたのである。東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

2018年04月06日 13時52分47秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。

2018年04月06日 13時51分13秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の12月3日付の文書ですでに判決案がモロトフ

2018年04月06日 13時49分58秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている

2018年04月06日 13時48分52秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、

2018年04月06日 13時47分56秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

2018年04月06日 13時47分02秒 | 日記

以下は前章の続きである。

フェイク裁判 

昭和2410月、山田乙三関東軍総司令官以下の細菌戦関係者12名は「戦犯」として起訴されたと告げられ、ハバロフスクの「白壁の監獄」に収容された。 

三友一男によると、裁判は次のように進行した。  

12月25日 検事による起訴状の朗読、被告の尋問  

12月26~28日 被告の訊問(続)、証人の尋問  

12月29日 証人の尋問(続)、検事の論告求刑  

12月30日 判決言い渡し 

被告12人と証人16人の審理がたったこれだけで終わったのである。 

判決の内容は山田乙三大将、川島清少将など4名が禁錮25年、6名が禁錮20年~10年、2名が禁錮3年と2年だった。

三友一男は15年だ。 

最高刑として死刑を免れたのは、ソ連では昭和225月から昭和251月まで死刑が廃止されていたからにすぎない。

死刑廃止前には、氏名が分かっているだけでも32人の日本人「戦犯」が銃殺されており、おそらく100人を超える日本人が不法に銃殺刑に処されたと推定される。 

重大案件でありながらこれほど短時日で結審したことはハバロフスク裁判の虚妄性をよくあらわしている。

しかも、他の「戦犯」裁判と同じく、判決内容が事前に決まっていたのだからなおさらだ。 

ロシアの研究者アルハングリスキーによると、ハバロフスク裁判開廷の22日前の123日付の文書ですでに判決案がモロトフ(スターリン側近、第一副首相)に報告されていたという(アルハングリスキー『プリンス近衛殺人事件』)。 

《同志モロトフB/M殿 細菌兵器製造と使用の罪に問われている日本人罪人山田、梶塚、その他の立件に関する有罪決定と判決の文案のご検討を仰ぎます。クルグロフ、ソ連内務大臣ゴルシェニン、ソ連法務大臣 サフォノフ、ソ連検事総長》 

スターリンはこの判決案を採択したから、まさにハバロフスク裁判の茶番性を証明するものだ。 

しかし、ソ連の弾圧はこれにとどまらなかった。

証人の田村正大佐や三品隆以大佐らはその後の秘密裁判で25年の刑を言い渡されたのである。

東京裁判に出廷した瀬島龍三たちと同じ最高刑である。

武部六蔵は昭和25年に中国「戦犯」として中共に引き渡され、6年にわたる拘禁・洗脳を経て20年の有罪判決を受けた。

このように証人も冷酷非情に扱われたのである。

この稿続く。


勝者が敗者を裁いた、とは正鵠を得ている。

2018年04月06日 13時31分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。

自著のタイトル『蘇武の賦』はソ連抑留11年の境涯を、前漢の武帝の時代の名臣、蘇武の運命に重ねたものである。

蘇武は使者として匈奴に派遣されたが、捕われて抑留され、穴蔵に放置されるなど虐待されたが節を曲げず、19年後に帰還した忠臣である。 

三友一男軍曹は731部隊ではなく第100部隊の所属だった。

第100部隊は正式には関東軍軍馬防疫廠といい、軍馬にかかわる防疫と鼻疽菌などの研究を目的としていた。 

三友はコムソモリスクに抑留され、シベリア「民主運動」にかかわるうちやがて積極的なアクチーヴ(活動家)となって各地にオルグに行くまでになっていた。 

アクチーヴは、日本ではなくソ連を「わが祖国」と呼んでいたから、ソ連から見れば三友は好都合な人物であったことは間違いない。 

*NHKの番組制作局の中枢に中国や朝鮮半島のアクチーヴがいることは朝日新聞の中枢と同様に疑いの余地もない事実だろう*

『細菌戦の罪』によると、三友は昭和23年10月、MVDから取調べに呼び出される。

取調べの過程で三友は、100部隊での細菌の培養が鼻疽菌の研究ではなく、細菌戦のためだと供述させようとしていることに気づく。

食事などの待遇はよかったというが、アクチーヴとして親ソ的な三友は別に強要せずとも取調べに協力するのだから当たり前だろう。

それでも取調官から「今まで供述した通り法廷で陳述する様再三念を押された」というから、MVDは公開法廷で供述を翻されるのを恐れていたのだ。

他の被告と証人も、同様に「法廷で自白を翻すな」と強い圧力を受けただろう。 

親ソ派の三友でもモスクワの国立政治図書出版所から(バロフスク裁判の公判記録として出版された『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ、元日本軍軍人ノ事件二関スル公判書類』1950年)について次のように批判的に述べている。 

《残念なことにこの記録は、一定の意図の下に、勝者が敗者を裁いた記録ともいうべきものであって、731部隊に関してはいざしらず、事100部隊に関する部分については誇張されていることが多く、必ずしも事実を正確に伝えているものとは言い難い》 

だからこそ自著に100部隊のありのままを書き残しておくことにしたというのだ。

勝者が敗者を裁いた、とは正鵠を得ている。

この稿続く。


それでも取調官から「今まで供述した通り法廷で陳述する様再三念を押された」というから、MVDは公開法廷で供述を翻され

2018年04月06日 13時29分50秒 | 日記

以下は前章の続きである。

自著のタイトル『蘇武の賦』はソ連抑留11年の境涯を、前漢の武帝の時代の名臣、蘇武の運命に重ねたものである。

蘇武は使者として匈奴に派遣されたが、捕われて抑留され、穴蔵に放置されるなど虐待されたが節を曲げず、19年後に帰還した忠臣である。 

三友一男軍曹は731部隊ではなく第100部隊の所属だった。

第100部隊は正式には関東軍軍馬防疫廠といい、軍馬にかかわる防疫と鼻疽菌などの研究を目的としていた。 

三友はコムソモリスクに抑留され、シベリア「民主運動」にかかわるうちやがて積極的なアクチーヴ(活動家)となって各地にオルグに行くまでになっていた。 

アクチーヴは、日本ではなくソ連を「わが祖国」と呼んでいたから、ソ連から見れば三友は好都合な人物であったことは間違いない。 

*NHKの番組制作局の中枢に中国や朝鮮半島のアクチーヴがいることは朝日新聞の中枢と同様に疑いの余地もない事実だろう*

『細菌戦の罪』によると、三友は昭和23年10月、MVDから取調べに呼び出される。

取調べの過程で三友は、100部隊での細菌の培養が鼻疽菌の研究ではなく、細菌戦のためだと供述させようとしていることに気づく。

食事などの待遇はよかったというが、アクチーヴとして親ソ的な三友は別に強要せずとも取調べに協力するのだから当たり前だろう。

それでも取調官から「今まで供述した通り法廷で陳述する様再三念を押された」というから、MVDは公開法廷で供述を翻されるのを恐れていたのだ。

他の被告と証人も、同様に「法廷で自白を翻すな」と強い圧力を受けただろう。 

親ソ派の三友でもモスクワの国立政治図書出版所から(バロフスク裁判の公判記録として出版された『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ、元日本軍軍人ノ事件二関スル公判書類』1950年)について次のように批判的に述べている。 

《残念なことにこの記録は、一定の意図の下に、勝者が敗者を裁いた記録ともいうべきものであって、731部隊に関してはいざしらず、事100部隊に関する部分については誇張されていることが多く、必ずしも事実を正確に伝えているものとは言い難い》 

だからこそ自著に100部隊のありのままを書き残しておくことにしたというのだ。

勝者が敗者を裁いた、とは正鵠を得ている。

この稿続く。


取調べの過程で三友は、100部隊での細菌の培養が鼻疽菌の研究ではなく、細菌戦のためだと供述させようとしていることに

2018年04月06日 13時28分39秒 | 日記

以下は前章の続きである。

自著のタイトル『蘇武の賦』はソ連抑留11年の境涯を、前漢の武帝の時代の名臣、蘇武の運命に重ねたものである。

蘇武は使者として匈奴に派遣されたが、捕われて抑留され、穴蔵に放置されるなど虐待されたが節を曲げず、19年後に帰還した忠臣である。 

三友一男軍曹は731部隊ではなく第100部隊の所属だった。

第100部隊は正式には関東軍軍馬防疫廠といい、軍馬にかかわる防疫と鼻疽菌などの研究を目的としていた。 

三友はコムソモリスクに抑留され、シベリア「民主運動」にかかわるうちやがて積極的なアクチーヴ(活動家)となって各地にオルグに行くまでになっていた。 

アクチーヴは、日本ではなくソ連を「わが祖国」と呼んでいたから、ソ連から見れば三友は好都合な人物であったことは間違いない。 

*NHKの番組制作局の中枢に中国や朝鮮半島のアクチーヴがいることは朝日新聞の中枢と同様に疑いの余地もない事実だろう*

『細菌戦の罪』によると、三友は昭和23年10月、MVDから取調べに呼び出される。

取調べの過程で三友は、100部隊での細菌の培養が鼻疽菌の研究ではなく、細菌戦のためだと供述させようとしていることに気づく。

食事などの待遇はよかったというが、アクチーヴとして親ソ的な三友は別に強要せずとも取調べに協力するのだから当たり前だろう。

それでも取調官から「今まで供述した通り法廷で陳述する様再三念を押された」というから、MVDは公開法廷で供述を翻されるのを恐れていたのだ。

他の被告と証人も、同様に「法廷で自白を翻すな」と強い圧力を受けただろう。 

親ソ派の三友でもモスクワの国立政治図書出版所から(バロフスク裁判の公判記録として出版された『細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ、元日本軍軍人ノ事件二関スル公判書類』1950年)について次のように批判的に述べている。 

《残念なことにこの記録は、一定の意図の下に、勝者が敗者を裁いた記録ともいうべきものであって、731部隊に関してはいざしらず、事100部隊に関する部分については誇張されていることが多く、必ずしも事実を正確に伝えているものとは言い難い》 

だからこそ自著に100部隊のありのままを書き残しておくことにしたというのだ。

勝者が敗者を裁いた、とは正鵠を得ている。

この稿続く。