すずりんの日記

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小説「改・雪の降る光景」第1章Ⅱ~2

2006年10月02日 | 小説「雪の降る光景」
 私はイスに腰掛ける前に、午前中に行われた実験の報告書が無造作に置いてあるデスクに上着を置き、その書類を手に取った。

「サンプルNO.710 25歳 男
溺死に至る各器官の変化。
水温15~20℃。サンプルはプール内で遊泳中、溺死。
解剖結果は、次の通りである(図、写真は別紙に添付)。

溺れて水を飲んだ際、鼻の奥から鼓膜の裏側に通ずる耳管にも水が入り込むと、毛細管のような耳管に水の栓ができ、続けて水を嚥下すると、耳管の栓がピストン運動を起こし、鼓室やこれに通ずる乳様蜂巣に、陰圧、陽圧が繰り返し生ずる。そのために、乳様蜂巣内の被膜や毛細血管が、圧の急変で破綻し、耳の奥で中耳や内耳を取り囲む錐体の中に出血が起き、錐体の中心にある三半規管が、錐体内うっ血や出血のために機能を低下させる。その結果、平衡感覚が失われてめまいを起こし、泳ぎのうまい人間でも溺れてしまう。
耳管は、子供のときは真っ直ぐであるが、成長するにつれて、少しねじれを生じて完成することから、子供は大人より耳管に水が入りやすい。つまり、あらゆる水難事故において、単に体力の差だけでなく、耳管の構造により、子供は大人より溺れやすい、ということがわかる。

なお、実験後、遺体は衛生的に、かつ速やかに処理した。


                          以上。   」


 私は、1ページ目を読み終えると、余白にサインをした。いつもながらよくできた報告書だな、私はそう思った。このサンプルが、新しく死体処理に使用する予定の穴に水を満たした後、なぜ急に溺死したのか、容易に見当がつく。このサンプルが100%この実験の意図に沿って溺死するために、立ち会った部下は、水に浸かった弱ったユダヤ人に向かって、威嚇発砲でもしたのだろう。この、いつ見ても自然を装った実験方法の描写と、それとは逆に、あくまでも正確で断定的な結果報告。・・・全く、いつ見ても、よくできている。
 私はデスクの上の時計をちらっと見て、いまだに折り目も消えていない真っ白のままの白衣に手を伸ばした。午後12時45分。あと15分ほどで、午後の実験が始まる。


(つづく)


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