すずりんの日記

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小説「改・雪の降る光景」第1章Ⅱ~6

2006年10月11日 | 小説「雪の降る光景」
 私は午後の実験の報告書にサインをし、デスクの上に、白衣と一緒にその書類を放り投げて、今日の任務を終えた。
まっすぐ家に帰ると、妹のアネットが、お帰りなさい、と叫んだ。
「お邪魔していますよ。」
妹の婚約者であるパン屋のクラウスが夕食に招かれて、使い古したテーブルに着いていた。妹は、奥のキッチンに立って、黙々と料理を作っていた。クラウスは、我々と同じドイツ人でありながら、我々ナチスのやり方に反感を持っている。彼は、ナチスとしての私を憎み、私は、反ナチ分子としての彼を憎んでいる。そんな彼を、どうしてよりによって妹の恋人として認めているかと言えば・・・、簡単なことだ。私は彼を反ナチとして見た事は無いし、彼もまた、私をナチスの一員として見た事が無いのだ。もし、私と彼が、ナチスと反ナチとしての関係であったなら、その間に立つ妹はどうなってしまうだろう。私は妹を愛している。そして、クラウスも。彼らは、ナチスとして、ではなく、1人の人間としての、私の最後の砦といっていいだろう。
「総統は、お元気ですか?」
クラウスは、皮肉たっぷりに言った。
「あぁ、相変わらずだよ。」
私はそうつぶやくと、クラウスと向かい合ってテーブルに着いた。

 アネットとクラウスが、私が人として生きていくための最後の砦なら、アドルフ・ヒトラーという人間も、私がナチスとして生きていくために必要不可欠な存在かもしれない。私にとって彼の存在は、“手の付けられないわがままな子供”のようなものなのではないかと思う。ただ、普通の子供と違うのは、彼のわがままを、狂気が支配しているということだ。そう。彼は狂っている。しかし、それが何だというのだ。正気を失っている彼の下で働いている私たちが、はたして彼を、彼が狂っているということを、非難することができるのだろうか。所詮、正しい者の下では狂った者はやっていけないし、狂った者の下では正しい者はやってはいけないのだ。私は彼の敵に回ることはできないし、彼を見殺しにすることもできない。・・・彼が死ぬ時、自分も死ぬ。それは、我がドイツの支配者とその部下としての感情ではない。例えば、知恵遅れでわがままに育った子供を守るために他人への迷惑をも黙認してしまう母親の愛情のようなものだ。「君とエバは、唯一この世の中で、アドルフ・ヒトラーを、アドルフ・ヒトラーとして見ている。つまり、血のつながった父と母のようなものだと言っているんだよ。」―――何の深い意味も無くそう言ってのけたボルマンの屈託の無い笑顔が、一瞬、脳裏をかすめた。
 アドルフ・ヒトラーに、本当の意味で親としての愛情を注いでいるのが、彼の産みの親ではなくこの私だとしたら、・・・それが事実なら、私が彼に注ぐ愛情と全く同じものを、この私に対して注いでくれているのは、はたして誰なのだろうか。いや、“誰なのか”というよりも、“存在するのか”と問うた方が良いかもしれない。私を包み込んでくれるもの、そのようなものがこの世にあるのだろうか。人でなくても良い。犬でも、猫でも、馬でも、山でも、海でも、雲でも、雪でも。・・・そう。何も語らずとも、ただ、真っ白な雪が、私の、頭や肩や手のひらに降り注ぐ・・・。ただ、それだけで、良いのだ。


(つづく)

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