すずりんの日記

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小説「改・雪の降る光景」第1章Ⅱ~3

2006年10月05日 | 小説「雪の降る光景」
 実験室に入ると、4人の研究員が白衣に身を包み、大きなガラスで仕切られている隣の部屋に目を向けていた。その視線がこちらに向いたのを確かめると、私は白衣のボタンを1つ1つ穴に通しながら、後ろ手にドアを閉めた。
 「今日も半日出勤ですか、所長。」
ここでの勤務歴が一番長い、私より1つ年上の、彼らのリーダー役の研究員が手元のメモに何か書き足しながら、そう言った。
「まぁ、そう言うなよ。これでも、午前の報告書には目を通しておいたんだ。」
私に対して彼がそう言うのは嫌味でも何でもなく、挨拶代わりだった。その証拠に、私がいつどんな時間帯にここに来ても、彼の一言目は同じだった。
「今、2人でサンプルの用意をしています。」
「これは何の実験だ?」
「首吊り、です。」
私は隣の部屋とこちらを仕切っているガラスの前に立った。2体のサンプルが、目隠しをされて3メートル程の鉄筋の足場の上に立っていた。その足場の、さらに高い場所から、頭がすっぽり入る程度のロープが吊り下げられ、それぞれの顔の前にゆらゆらと動いていた。1人のサンプルの落下予定地点では、1人の研究員が小さな台を置いていた。
「首が絞まった状態が同じでも、体が完全に宙吊りになり全体重が作用する場合と、足が台に着いて全体重が作用しない場合の相違点を調べるのです。」
去年学校を卒業したばかりの新米が、私の横に立ち、まるでビールに合う料理の調理法を説明するように、にこやかに言った。
「1体はユダヤ系だな。もう1体は、イギリス人か?」
「えぇ、軍の捕虜です。今回は、人種は関係ありません。体重のみを考えて選びました。」
なるほど。確かに、骨格は違うが両方とも同じくらい痩せこけている。上半身裸の2体のうち、足場の下に小さな台を置かれたユダヤ系の老人の方は、さすがにここでの生活が長かったせいか、ノイローゼ状態のようだった。彼なら、ガラス越しに見える私の姿を自分の息子と錯覚し、私の方へ手を差し伸べようとして足を滑らせ、自ら首を吊ることも可能だろう。もう一方のイギリス軍人の方はというと、隆々たる筋肉が、厳しい軍隊での生活を物語っているようだった。その軍隊での訓練の1つとして、全身を鍛え上げるだけでなく、今のような状況に置かれた時の適切な行動も、当然教えられてきたのだろう。「あくまでも生き延びる手段を見出せ。もし、その可能性を見出せなければ、自らの手で死を選ぶしかない」・・・彼の上官は彼に、そのように教えたはずだ。敵の生体実験とはいえ、教えの通りに自ら命を絶てる手段が、自分の目の前にあるのだ。彼は、サンプルとして自分が選ばれた時から、自分の首がロープの輪にかかる瞬間のことだけを考えてきたに違いない。私の部下が、彼らの両手を自由にさせ、目隠しを取ってしまったのも、そのようなことを考えに入れていたからなのかもしれない。


(つづく)

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