すずりんの日記

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小説「雪の降る光景」第4章2

2008年09月20日 | 小説「雪の降る光景」
 一面の暗闇の中に、空気がうごめいているのを感じた。光の中では存在し得ないものが闇に漂っていた。じっと闇を見つめていると、その“幻”が形を成して触れてくるような気がした。私は、その感触を確かめることができず、恐ろしさのあまり思わず目を閉じた。その時、闇の濃淡が、再び一面の真っ暗闇になった。
 私は、総統と会うのが恐かったのだろうか。総統が、私の姿を見、私の説得に耳を傾け、私の手を取り、その上で、自らの死ではなくボルマンと同じ道を選ぶのが。そしてその思想が、彼らと共に民衆の中に生き続けるのが。
 しかし、私にはわかっていた。総統とエバが死を覚悟したであろうことを。総統は、再三私に面会を命じてきていたが、私がそれを受け入れたことを伝えると、面会は3日後、ということになった。つまり、その間に総統の心は定まったのだろう。急いで私に意見を求める必要が無くなったのだ。
 総統は、自らの死後、この20世紀を、「殺戮の世紀」とした人間の1人として世界中の人間に語られていくだろう。私は今、死に臨もうとしている。しかし、そのことだけは確信することができる。総統とその忠実な部下である私たちが悪魔として人々に憎まれ続けていくこと、それが私たちができる唯一の償いであり、私たちが死んだ後の未来を「平和の世紀」としていく唯一の道であるのだ。民衆に、恥ずべき歴史として、そして真実として憎まれ続けていってこそ、総統も私も、最期までナチスとして自決する甲斐があるというものだ。
 ボルマンは、口では大きなことを言っていたが、彼には天下を取ることも、悔い改めて生き延びることもできはしない。ボルマンは総統を崇拝している。その総統が、死を覚悟しているという私の言葉を、彼は信用していないようだが、総統が死んだら、彼にはもはやその同じ道しか残されはしないのだ。
 アドルフ・ヒトラーの思想は、ボルマン程度の人間であれば、おそらく立ちどころに破壊してしまうだろう。狂った人間でなければ、狂った思想を受け入れることはできないのだ。大きな悪は、人間の心を狂わせ、死に至らしめるが、決して自らが滅びることは無い。人は、そのようなものが常に自分たちの周りに息づいていることを知らない。大きな暗黒を自らの狂気として受け入れた人間が目の前に現れて初めてその邪悪の存在を知り、その存在と、それが自らの心の中にも存在し得ることを憎むのだ。


(つづく)

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