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すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

キヨちゃんとの珍道中記5

2015-04-13 20:54:49 | うちのキヨちゃん
 従兄の家に行くのは私は初めてだった。車で1時間ほどの住宅地にあり、若いころ建売住宅を抽選で買ったという話だが、何度もリフォームして今でも新築の様な面持ちだった。また一級建築士の従兄のリフォームである上に、物凄く綺麗好きのため、それこそキヨちゃんの言葉を借りれば
 「どこもかしこも、ぴっかぴか」
である。
 元々綺麗好きなので、家に泊った時は毎朝掃除機をかけてくれたほどで、車などは出掛ける度に洗っていた。まあ、私には真似出来ない生活である。
 綺麗な家で、美味しいケーキとコーヒーをご馳走になり、そこから赤間駅まで従兄の娘さんに車で送ってもらった。
 何と従兄夫婦は、その赤間の駅から一緒に汽車で博多まで送ってくれたのだ。本当に至れり尽くせりである。しかも、博多の駅でも新幹線に乗るまで荷物を運んでくれ、私がキヨちゃんをサポートしやすいようにしてくれた。お陰で安心して新幹線に乗る事が出来た。
 従兄に見送られて新幹線に乗り、岡山で特急に乗り換える。特急の中でお弁当を食べたが、キヨちゃんはお握りが喉を越さず、途中で中止した。そう、時々こういう事があるので気をつけているのだが、詰まった物はなかなか下りないので、お茶を飲むなどして様子を見て、結局気分が悪くなるからと止めたのだ。
 阿波池田に着いたのが19時10分。すでにくりりんが迎えに来てくれていて、改札口で待っていた。もし、汽車がつくのが奥のホームなら、入場券を買って迎えに来てもらう約束だったが、幸い改札口のすぐ前のホームだったので、改札口で待っていたのだ。
 ただ、そこのところのシステムがよく分からないキヨちゃんは、くりりんに階段(5段ほど)上まで迎えに来いと手招きしていた。
 家ではお風呂の準備もしてくれていたので、荷物を降ろしてキヨちゃんにお風呂を使ってもらった。続いて私たちもお風呂に入ったが、
 「疲れとるんじゃけん、早う寝なよ。」
と私に言った。しかし、気分の落ち着いたキヨちゃんは食べてなかった夕飯をそれから食べ始めたようだった。
 いつもならとっくに寝ている時間なので、くりりんは遠慮して部屋にいたのだが、
 「くりちゃんに留守のお礼を言いたいのに何で来ないん?」
と言う。それで、くりりんに母屋に行ってもらったら、今度は帰ってこない。様子を見に行くと、テンションの上がったキヨちゃんが、道中の話を一気に語っていた。何も今夜でなくても・・・と思いつつ、しばらく二人で話につきあった。
 結果、話し疲れた時点で、
 「早う寝なよ!疲れとんのに!」
と言い放って、キヨちゃんは自分の部屋に行った。
 やれやれの珍道中の終わりである。しかし、今も毎日毎日、
 「今度の旅は楽しかった。」
と言い、
 「母ちゃん行けるか自信ない。」
と行く前にこぼしていたキヨちゃんが、
 「また来るわな!」
と別れ際に言った事を考えても、やっぱり連れて行って良かったな・・・とつくづく思う。

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キヨちゃんとの珍道中記4

2015-04-11 21:21:09 | うちのキヨちゃん
 4月5日、いよいよ帰路に着く日である。泊めてもらったのが90近い伯母の家なので、キヨちゃんは終始、
 「片づけはお前がしてあげな。」
と言っていた。手伝えることは手伝うのだが(例えば配膳とか洗い物とか)、片づけだけは家の人間でないと後で探すことになるので任せることにした。観て、明らかに同じ皿があるものだけそこにしまった。
 さて、前日キヨちゃんのウオッシュレット騒ぎで起きるまで、私はちょっと横になっていた。伯母が気をつけてくれて、そっとひざ掛けや上着を布団がわりに掛けてくれ、枕もしてくれていた。キヨちゃんの騒ぎですっかり起きてしまった私は、掛けてくれていたひざ掛けなどは畳んで部屋の隅に置いた。するとキヨちゃんが、
 「枕も片づけなんだら。」
と言う。しかし前述の通り、片づけ場所が分からない場合は、下手に片づけると家主が困ることになる。そう説明すると、
 「おばちゃんは、押し入れから出してくれた。」
と部屋の押し入れを指差した。出所が分かったのなら話は早いと、私は言われるままに枕を片づけていた。
 ところが、朝起きて最初に伯母に言われたのが、
 「すず、枕はどこにやったの?」
である。
 「え?押し入れ。」
と言うと、
 「昨夜は枕がないし、二人とも寝てるから起こすの可哀想だし、仕方ないからひざ掛けを丸めて寝た。」
と言うのだ。そうなのである。あれは伯母が自分の枕を私に貸してくれていたらしい。何が、「押し入れから出していた。」だ!
 朝食の後、私は話の盛り上がる二人を置いて散歩に出た。少し歩くとセブンがあったので、コーヒーとチョコを買って戻ることにした。実は普段はインスタントだが、キヨちゃんはちゃんとしたコーヒーが好きなのである。
 暖かいコーヒーを持ち帰り、
 「砂糖とミルクはどうする?」
とキヨちゃんに聞いた。
 「母ちゃんはミルクだけで良い。」
と言うので、ミルクを入れ、砂糖のスティックは手元から遠ざけておいた。
 ところが、何を思ったのかやおら砂糖を持ち上げると、端を切ってしごくようにした後、首をひねりながら逆さまにした。
 「あ!!まけよるまけよる!(こぼれてるこぼれてる)」
私が慌てて制止したが時すでに遅く、砂糖はサーっとキヨちゃんの膝に、更にはフローリングへとこぼれて行った。
 「砂糖いらん言うたでえ。何でそれも逆さまにするんよ。」
 「母ちゃんストローかと思った。」
 そもそもホットのコーヒーをストローですすろうと何故考えたのかは、この際考えない事にする。確かに細くて砂糖には見えないかもしれないが、砂糖を振りまくというのは本当に厄介である。
 伯母がコロコロやダスキンモップを持ってきてくれたので、二人で掃除したが、ついに伯母が笑いながら、
 「あんたの母さん手間かかるね。」
と言った。まさしくその通りである。
 そうこうしていると、従兄が予定より早くやってきた。今回の旅行で目的以外に観光もしていない私のために、伊藤伝右衛門邸に連れて行ってくれるというのだ。「花子とアン」で吉田剛太郎さんが演じた炭鉱王のモデルである。
 従兄はキヨちゃんと伯母は留守番して話をしてもらい、私だけ連れて行く気だったようだが、キヨちゃん行く気満々だったので、一緒に出掛けることにした。

       

 敷地はとても広く、お屋敷も調度品も庭園も素晴らしかった。キヨちゃんが歩けるか心配だったが、結構頑張って歩いて、十分に堪能できた。ただ、2階の白蓮さんのお部屋だけは、階段が滑るというので諦めた。
 観光の後、家に戻ってかしわ飯をいただいた。

     

 それから、従兄の車で飯塚を後にして従兄の家に向かった。そこで休憩してから帰路に着く予定だったのだ。ということで、続きはまたの話に。

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キヨちゃんとの珍道中記3

2015-04-10 10:22:24 | うちのキヨちゃん
 博多では従兄の奥さんが新幹線のホームで待ってくれていた。そこからはキヨちゃんのサポートはお姉ちゃんに任せ、私は荷物を運んだ。
 篠栗鉄道に行く時に、お姉ちゃんは気を使ってエスカレーターに近いところを考えてくれていたが、その日転んだ事を伝えて、出来るだけエレベーターか、無いところは階段で・・・と言う事になった。
 ホームなどを良く知っているお姉ちゃんがいてくれなかったら、右往左往するところだったので大助かりだ。ただ、一か所だけエスカレーターしかなく階段は無く、エレベーターはとても遠いという所があり、そこだけはお姉ちゃんが抱きかかえるようにして乗せてくれたので、無事に乗り切る事が出来た。
 新飯塚では従兄が車で待っていた。そこから伯母の家まで移動。道中昨日からの感動物語をキヨちゃんは話し続けた。
 伯母は90近いのだが、数年前まで大学生相手の寮をしていた。第一期生は還暦を過ぎている。その還暦を過ぎた「卒業生」達が、旅行に連れて行ってくれるという事もあり、すてきな寮だったのだろうな・・・と思う。
 今はかなり耳も遠く、歩きっぷりもかなり危なっかしいが、それでも家事は完璧にこなしている。車で着いた時、庭先にいて車が近付いても気付かないくらいだったので、車道は出歩かないで欲しいな・・・と心配になった。
 伯母も暫く前まで元気が無かったのだが、キヨちゃんが訪ねると決まってからはすっかり元気になっていた。車を降りるとキヨちゃんと笑顔の再会。
 伯母の作ったお昼を頂いた後、私はキヨちゃんのお使いでお土産を買って送るために従兄たちと出掛けた。キヨちゃんたちは積もる話をしてもらっていた。
 戻って、従兄は家に帰った。従兄の家は伯母の家から車で1時間である。翌日は迎えに来て小倉まで送ってくれる段取りだった。
 従兄が帰った後、二晩ほとんど寝ていない私は、旅の疲れも出て、また伯母の家の安心感もあって睡魔に襲われた。
 「ちょっと寝たらええが。」
そう言われて、少し横になった。すこしウトウトしかけた時、キヨちゃんの悲鳴で目が覚めた。
 「早ぅ来て!」
 何ごとならんと跳び起きて廊下に出ると、まず私の靴下が冷たくなった。観るとトイレから廊下に向けて噴水のごとく水が飛んでいる。廊下も洗面台も水を止めようと立ちはだかるキヨちゃんも水浸しである。
 そうキヨちゃんは水を流そうと立ち上がって、ウオッシュレットのスイッチを押したらしいのだ。
 「だって!姉さんがここ押せって言うたもん!」
キヨちゃんがそう抗議すると、伯母は、
 「大丈夫大丈夫。初めての時は失敗する。」
と笑った。
 おそらくキヨちゃんも聞いていないスイッチは押さないので、耳が遠い者同士の会話で行き違いがあったのだろう。とにかく、にわかに拭き掃除となった。それにしても、あんなに飛ぶとは思わなかった・・・。
 その夜は、伯母が寿司を取ってくれた。布団は伯母が上げ下ろしに苦労しないようにと、従兄がレンタル寝具を用意してくれていた。

     
 
 80過ぎの年寄り二人と私で、この量が食べられるはずもなく、当然私が一番食べるわけだが、それにしたってこの量は食べきれなかった。お寿司は翌日の朝食にも私が食べたが、それでも少し残ってしまった。
 さて、その翌日にもハプニングはあるのだが、それはまたのお話で。

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キヨちゃんとの珍道中記2

2015-04-08 20:51:33 | うちのキヨちゃん
 キヨちゃんの家の墓参りを済ませた後、古い知り合いを探しに行った。それは、亡くなったキヨちゃんのお姉さんが、生前お世話になった人であり、キヨちゃんにとっても幼馴染や古い知り合いである。長く故郷に帰っておらず、生家は既になく、伯母の子供たちも県外なので、キヨちゃんとしてはどうしてもお礼を言っておきたかったらしい。
 キヨちゃんの記憶の中で、一緒に娘時代焼き物工場で働いていた人やご近所、大体7~8人を探す予定だった。
 親戚の人の機転で、他人の良く集まる散髪屋さんを訪ねることにした。この店で集まった人がカラオケをする事もあったようで、伯母も生前よく歌いに行っていたという。その人なら顔も広く情報が得られるのではと言うのだ。
 まず、その店を訪ねたのだが、雨の勢いは衰えておらず、車からの出入りや荷物の出し入れなどの度に人も車もびしょ濡れになる状態で、本当に親戚の人には気の毒をした。
 さて店に立ち寄ってみると、店のある時の他に雨で足止めを食っていた90過ぎのお婆ちゃんがいた。実はこのお婆ちゃんと言うのは、キヨちゃんの一番上のお姉さんの同級生だったという偶然。お陰で一気にふたりにめぐり会う事が出来た。
 その店でもう一人の情報を得る事が出来、揃って訪ねてみると、その方にも会う事が出来た。実に50年ぶりの再会に、どの人も驚きと喜びでいっぱいとなり、キヨちゃんと抱き合って泣いた。私にも色々と話しかけてくださったが、ネイティブな鹿児島弁は全く理解できず、最初の、
 「え!キヨちゃんね?」
以外は全く外国語だった。
 次に尋ねた家は電気も付いており鍵も開いていたが人の気配が無かった。風呂にでも入っているのかもしれないと、翌日に訪ねることに。そこからは道が分からないので、90過ぎのお婆ちゃんをナビに雇い、一緒に行動した。
 次の家は民生委員などをしていた方で、お婆ちゃんのナビですぐ分かった。ここでも暖かく歓迎してくれ、帰りに干しシイタケまで持たせてくれた。
 時間が時間になったので、この日の捜索は打ち切った。予定の内半分には会えたわけだ。
 夜は親戚の人が温泉施設に連れて行ってくれ、家で自家製のお漬物や煮物で夕飯をいただいた。とても手マメな方で、お漬物、お餅、灰汁巻き(鹿児島独特のちまき)など色々な物を作っていた。どれもとても美味しく、お腹一杯食べた。可愛いお孫ちゃんたちもいて、キヨちゃんは終始ニコニコだった。
 翌日8時半出発で、新幹線の時間まで残りの捜索と親戚の墓参りをした。幸い4日はかなり小雨で、傘が要らないほどだった。
 まず、昨日いなかったお家を訪ねた。すると今度は息子さんがいて、事情を話すと、
 「実はつい2~3日前に調子が悪くなって救急車で運んだんです。今は入院中で。」
との事だった。時間があれば是非お見舞いをしたいところだったが、キヨちゃんが訪ねた事を手土産と一緒にことづけた。
 「おばさんお元気で、是非また来てやってください。」
息子さんはそう言ってくださった。
 次にキヨちゃんの記憶を頼りに家を訪ねた。すると、違う若い方が住んでいて、家を売って息子さん家族と暮らしているとの事だった。幸い家は近いというので、教えていただいてその家に向かった。
 その方は探している中で唯一男性。2世帯住宅の片方に奥さまといらっしゃった。突然の訪問にも関わらず、しかも泣きながら肩を抱き合って喜ぶキヨちゃんを、奥さまは気持ちよく迎えてくれ、お茶まで出そうとしてくださったが、時間が無いのでと遠慮した。
 「是非住所を・・・。」
と言われたので、
 「またお写真を託ます。」
と伝えた。
 その次は一人暮らしの方で、運よく出先から戻っていたので会う事が出来た。遠くから来た娘さんを飛行場まで車で送ってきたという。キヨちゃんくらいの年齢で、女性で運転が現役と言うのは素晴らしいと思った。
 その後、親戚の墓参りを済ませて、新水俣の駅まで送ってもらい博多に向かう。次はキヨちゃんの姉の家を福岡に訪ねる旅である。博多からは篠栗鉄道で飯塚まで行くのだが、博多まで従兄の奥さんが迎えに来てくれ、更に飯塚からは従兄が車で送ってくれる事になっていた。
 続きはまた明日。

*旅の間もリハビリをするキヨちゃん。
    

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キヨちゃんとの珍道中記1

2015-04-06 22:06:03 | うちのキヨちゃん
 4月3日は前夜から台風の様な風雨だった。夜中に2度洗濯竿が落ちるほどで、キヨちゃんと出掛ける時も風に煽られながらくりりんの運転する車に乗り込んだ。
 くりりんに仕事の前に送ってもらい、地元の駅に着いたころからは雨も小雨になり、風も止んで日も少し差し始めたので、
 「良かったね。」
と二人で話していた。
 キヨちゃんは行きたい気持ち半分と、長旅を歩けるのかと言う不安半分で、数日前からあれこれ悩んでいたが、いざ駅に入るともう気持ちは鹿児島に向かっていた。
 阿波池田から特急で岡山に向かう。途中窓から少し散り始めた桜を二人で楽しんだ。岡山で新幹線に乗るまでに、30分の余裕を持たせていたので、おトイレを済ませてゆっくりと乗り換えのホームに向かった。
 一番最初のプチ事件は切符である。乗車券を機械に通す事がなかなか難しいだろうと思ったが、乗車券と特急券とをまとめて渡して、
 「これを一緒にここに入れて、向こうで出てきた分を取って。」
と説明した。キヨちゃんは言われるままに入れようとしたが、裏向きにしかも入れる時にバラけてしまう。結果、何だか1枚だけ通って1枚残った。それを私の方で回収して私が続いたのだが、その為に次の駅で一旦引っかかる事になる。
 そして、この日最大の事件はエスカレーターでの事だった。キヨちゃんは元々エスカレーターが苦手である。乗っかるタイミングが計れないのだ。しかし、階段はきつかろうと、そばにいながらタイミングを計って、
 「せーの。」
と乗ってもらった。
 しかし、足の置き場所が悪く足をすくわれる形になったキヨちゃんは、その場で後ろ向きに倒れかかった。ただやんわりとしゃがみこむ形だったので、大惨事にはならなかったが、座り込んでもエスカレーターは動くわけで、そうなると足の方が高くなっていき起き上がることは若くても無理だ。大荷物を持った私が荷物を放棄すると、
 「大丈夫ですか!」
とサラリーマン風の男性が荷物を支えてくれたので、私はキヨちゃんを抱き起こすことに成功。
 「すいません。本当に助かりました。」
 その方には何度も頭を下げた。
 「どこも痛めてない?」
そう聞くと、キヨちゃんも肝は冷やしたようだがどこも怪我はなく、
 「ことうない。どこっちゃ痛めてない。」
と言った。
 しかし、それからは怖くなったので、
 「母ちゃん階段にする。リハビリじゃ!」
と階段を使う事になった。勿論エレベーターが近いところはエレベーターを使ったが、最寄りにない場合は階段を使用。当然私は二人分の荷物を抱えながらキヨちゃんを見守る形で、階段を登ったので結構きつかった。まあしかし、無事で何よりだった。
 さて、新幹線が九州に入った頃、またまたお天気は大雨に。

     

 スケジュール的には一番雨では困る日だったのだが、こればかりは仕方なかった。
 新水俣に着いたのが13時10分。すでに親戚のお姉ちゃんが車で迎えに来てくれていた。実は直前までタクシーで40分行くつもりだったのだが、電話でその事を知ったお姉ちゃんが迎えに来てくれたのだ。
 親戚とは言え、電話くらいでしかやり取りもなく普段甘えられる立場でもなかったので遠慮していたのだが、そうして貰った事でこの先本当に助かる事になる。
 その日のスケジュールは、まずその親戚の家に荷物を置かせてもらい、先に家に送って預かってもらっていた菓子折りを貰い受ける。その家のお仏壇を拝ませてもらい、先日亡くなった従兄の家に行き、お墓参りを3か所して、キヨちゃんの古い知り合いを探すという予定だった。
 出掛けは雨もそこそこだったが、墓参りの時点では雷の轟く土砂降りとなっていた。キヨちゃんの親兄弟の墓は小山の上にあり、足元も悪い。
 「ばあやんや伯母ちゃんが帰るなって言いよるなあ。」
とキヨちゃんたちと笑い、しばし墓地で足止めを食らった。
 その後、キヨちゃんの知り合いを探すことになるのだが、それは次のお話に。

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無事に行ってきました。

2015-04-05 23:05:37 | ひとりごと
 キヨちゃんを連れての鹿児島福岡旅から、今夜無事に帰ってきた。
 ネタの宝庫を連れての旅は、ハプニングもありつつの珍道中だったが、キヨちゃんは大いに喜び、元気いっぱいで、良く笑った旅だった。
 何にせよ、無事に帰れて良かった。くりりんには、不自由な思いをさせた上に、多分明日はお弁当作る自信が無いので、後一日不便をかける。
 そして、私も明日はカンファレンスや請求や県外出張と忙しいので、今から不安である。ちゃんと出来るかな?
 キヨちゃんとの珍道中は、明日からアップする事にして、今夜は洗濯物も終わった事だし、眠る事にする。

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鹿児島~福岡

2015-04-04 16:08:43 | ひとりごと
只今、九州でキヨちゃんとふるさと巡りだ。
報告は帰ってきちんとアップするが、キヨちゃんと二人分の荷物にもらったお土産。
ハードだ。
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行ってきます。

2015-04-02 21:41:23 | ひとりごと
 明日は早起きして鹿児島に出発である。荷物のチェックもしたが、朝には追加の荷物(キヨちゃんの骨粗鬆症の注射など)を忘れずに入れなくては。
 今回は親戚に泊めてもらうので、しかも泊ったことにない親戚なので、ホテルのようにアメニティがあるわけではない。だから、タオルから全部荷物なのでちょっと多い。
 私のキャリーにキヨちゃんのバッグを乗せて、二人ともリュックで・・・。う~ん。
 どうか雨が降りませんように。

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旅の前の大喧嘩~クーリング・オフ~

2015-04-01 20:09:42 | うちのキヨちゃん
 昨日仕事から帰ると、キヨちゃんから報告があった。
 「今日な、若い男の子が二人来て、隣のKさん所で屋根直す仕事しよるって言うんよ。ほんで、屋上があんまり汚いし、水漏れせんか心配なし、手すりも汚いしで、ちょっと見てもろうたん。元々、うちはTさん(業者)にずっとしてもらいよったけど、近頃来んけん、どしたやろ~言うたら『辞めたみたいです』って言うん。ほんなら、この人らにしてもらおうかって、見積りしてもろうたら、屋上の掃除と塗り替えで20万って言うんよ。ほんで、『うちには九州に一級建築士の甥がいますから、見積もり見せて相談します。』って言うたら顔色変えて、『手すりも塗らせてもらって20万で。』って話が変わったん。『若いもんと相談して、九州の甥にも見せて相談します。』って言うたんよ。」
 とまあ、こんな報告である。ところが、見せてもらった「見積もり」は見積もりではなく、明らかに契約書の控えである。しかも、内訳は行う工程は箇条書きで書いてあるものの、金額はざっくり一式20万である。
 「これは契約書でえ!もし詐欺だったらどうするん?」
そう言うと、
 「Kさんはしっかりした人じゃけん、Kさん家でしよるんなら間違いないと思うたん。」
と言う。
 そもそもKさんに聞き合わせた訳でもない。仮にいい業者さんだったとしてもあまりに軽率ではないか。私が怒ると、
 「ほなって、お前らがちっとも掃除せんけん、母ちゃんはあんな汚い屋上見るのが辛い。母ちゃんも身体が万全でないけん、もうよう掃除せん。母ちゃんの金じゃ。お前らに一銭も出せとは言うとらん。使おうが捨てようが勝手じゃ。」
など、引くに引けなくなったのだろうが、この言い草なので私も切れてしまった。
 それからKさんの家に電話し聞き合わせ。幸い工事は丁寧らしいし、ぼったくられた感じもない。にしても気になるので、キヨちゃんの言う一級建築士の甥(従兄)に相談した。
 相談した時点でキヨちゃんも、
 「甥の話をしたら途端に内容が変わったけん、あれっとは思うたんよ。」
と言う。
 少しはまずいと思ったのかもしれないが、昨夜の時点では私が完璧に怒っており、私もキヨちゃんもハンスト状態だった(ちなみに私は後でポテチを食べた)。
 結局、今日従兄から電話があり、見積もりの内容を精査した結果キャンセルした方が良いだろうということになった。本来、面積や資材の量などに対していくらと無いと、後で追加が出たりする場合があるという。これが田舎の良く知り合った業者なら、ざっくりでも信用出来るし文句も言えるが、縁もゆかりもない業者なら、そう言う時に契約書だけが有効になってしまう恐れがある。
 Kさんの話ならいい若者のようだが、従兄のアドバイス通り、今まで家を任せた真面目な大工さんを通じて、業者さんを紹介して貰うのが一番だろう。
 結局くりりんから電話でキャンセルし、念のためにクーリングオフのハガキを出す予定だ。

  

 宵の桜が目に沁みるぜ・・・。

     

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