赤穂藩断絶後、内蔵助を忠臣とする浪士は仇討ちの成就に生き甲斐を求めた。
しかも、その先には"死”という公儀の断罪が待ち受けていることも覚悟していた。
生きる張り合いを『生き甲斐』と言うなら、『死に甲斐』をも持ち合わせていたはずだ。
なのに主人公・寺坂吉右衛門(中村梅雀)は討ち入りの四十七士の一人でありながら本懐を遂げた後、内蔵助(西郷輝彦)から「生きる」ことを命じられて生き続けた。
『最後の忠臣蔵』はそんな男の物語です。
今までに見たこともない『忠臣蔵』であった。
通常ならクライマックスで演じられる「討ち入り」から、今回は物語がはじまる。
それと主役の梅雀が新しい人間ドラマを創りあげた。
忠臣の心と、足軽ゆえの哀しみの狭間に揺れながらも、必死に命を繋いで己の使命に生きた寺坂右衛門の姿は、忠臣蔵が単なる「事件」ではなく、人としての「生き方」の姿を問うているのだ、と思われてならない。
梅雀は持ち前の柔らか味があってうってつけての役。
花道の引っ込み、大詰の京郊外の林道では、己の信じた道を貫いた男の真情をしかと見せた。
それと、もう一人。
討ち入り前夜に脱盟した瀬尾孫左衛門(原田龍二)である。
瀬尾には内蔵助から密かに託された後事があった。
それは内蔵助の落とし種である可音(渋谷飛鳥)の養育である。
同じ境遇にある寺坂と瀬尾は討ち入りの16年後に再会した。
奇しくも大石の息女・可音の婚礼の前夜だった。
再会したふたりは76歳。今で言えば後期高齢者である。
原田龍二はことさら役をつくらず自身の年齢で演じた。それが成功している。
老け役だからといって、役をつくる人がいるが、逆に芝居がせせこましくなる。
「おれの心には・・・・魔が住んでいた・・・」
外に出すことのなかった情熱を、旧友寺坂だから孫左衛門は語った。
それは…禁断の恋であった。
「おれの一生は・・・・魔との戦いであった・・・それも程なく終る・・・それがまた、耐え難い・・・」
原田は自分自身どうにもならない気持ちを熱演。そして哀感をにじませた。
思わず胸が熱くなった。
大詰の可音の輿入れの場は圧巻である。
それに中嶋正留の装置がいい。
漆黒の闇の中、可音の乗った女乗物が数多くの人足の担う嫁入道具の行列が本舞台を横切る。
「恐れながら・・・・大石内蔵助どのの御息女とお見受け仕る」
内蔵助に恩義を受けた旧赤穂藩士が続々名乗りをあげる。
一転して華やかな嫁入の行列に変わる。
この場の出演者はもとより、宮田慶子の演出も切れ味がいい。
赤穂浪士の討ち入りは上野介の首級をあげた時、つまり「死」によって終ったのではなく、「可音」という大石の落とし種の婚儀という新しい「生」を得てはじめて完結した、との思いが強い。
難を言えば、2回も泉岳寺への行列という花道の芝居がある。これは1回だけで充分。
商業演劇には舞台転換とはいえ、どうしてこう幕前の芝居が多いのか?
さりとて筋売りでもなく、単に通行人だけを見せているようなもの。
長谷川稀世が大石りく役で一場だけに登場。家老の妻の気品に乏しく、艶っぽすぎて芸者に見えてしまう。
今回感心したのは天川儀兵衛の林 啓二。
声がら、風貌とも円熟した堂々たる大きさ。
あっさりしながら舞台を締めている。
そのほか青山良彦 田村 亮 篠塚勝 原口 剛 外山高志など助演陣が達者だった。
【師走 2009・東京】も今回でおしまい。
最後までお付き合いくださった方には感謝します。ありがとうございました。
お疲れさまです
(舞台写真は明治座のご協力で掲載させていただきました)