銀座の資生堂パーラーで食事をするとき、いつも、かならず、脳裏に浮かんでくることがある。
それは、わたしがまだ詰襟金ボタンの高校生だったころ、当時、売り出しの作家であった北条誠先生と資生堂パーラーの特別室でお会いしたことである。
私には、初めての「銀座」であり、はじめて訪れた「資生堂パーラー」であった。
いまは9階建ての新ビルを構えて、銀座中央通りの8丁目に移転しているけれど、その当時は銀座4丁目の交差点の角地にあった。
服部時計台の向えであったろうか、あのころ場所をきいた交番だけはいまも健在である。
資生堂パーラーの存在を、
「おどろいたよ。チキンライスが銀の容器に入って出てくるんだぞ!」
と、教えてくれたのは、株屋仲間のK君だった。
食通で知られた作家の池波正太郎さんが何かの随筆に書いている。
兜町で株式仲買店の店員として働いていた池波少年は、丸の内界隈の会社を株券書きかえの手続きで自転車でまわるが、その帰り道には、きまって銀座に出て資生堂で食事をする。
注文するのが、チキンライス!!
次に行っても、
「今日もチキンライス」
だったらしい。
「チキンライス」が銀の容器(いれもの)に入って出てくるのは、いまも変わらない。
池波正太郎さんが昭和50年代になっても食べたという「チキンライス」の写真をみると、容器は同じだが、当時は少々ダサイ。
わたしもはじめは「ステーキ」が運ばれてきたのかとおもった。
歌舞伎の先代・中村勘三郎丈も「資生堂パーラー」ファンだった。
こちらは「薄いチキンカツ」一本槍だったらしい。
しかも勘三郎さんらしく注文がうるさい。
皮のついてないトリ肉でなければダメ。トリ肉の皮はブツブツ毛穴があって、見ただけで鳥肌が立つという。
お店でもよく心得ていて、勘三郎さんには、かならず、皮なしの薄くてカラリと揚がったカツレツが出る。
昭和50年代の資生堂料理の写真をみると、フクシン漬け、らっきょの2種類が、平皿で盛りつけてある。
いまは画像のような4段回転ピクルススタンドに変わっている(画像/上)。
しかも4種類あり、4個のピカピカのスプーンがそえてある。
「カレーライス」、「チキンライス」、「ハヤシライス」のメーニュ―には、サラダがつく。
ドレッシングにクセがなく、透き通って、サッパリしており、しかも新鮮なのがよい。
私はいつも「チキンライス」と同時に、レモンティを注文する。
「匂いが ちがう」
これぞ!! 銀座の洋食の匂い!!
いつも、そう思っている。
■ 私の『資生堂パーラーものがたり』 ■
資生堂パーラーは、1902年(明治32年)、日本で初めてのソーダ―水やアイスクリームの製造を行う「ソーダ―ファウンテン」として誕生した。
なにも資生堂パーラーの歴史を書くつもりはない。
冒頭に北条誠先生とここでお会いしたと書いたが、いまも鮮明におぼえていることがある。
それは先生の若いころのエピソードだ。
若い頃は、毎日のように「資生堂パーラー」で新橋芸者さんとデートしていた
資生堂パーラーの改築前。
1階のサロンが吹き抜けになっていて、2階席はぐるっとそれをとりまき馬蹄型になっていた。
北条先生がまだ早稲田の学生のころ、毎晩花柳界に行くお金がないので、おけいこ帰りの「しんばし」の芸者さんと、しょっちゅう資生堂パーラーの2階でデートしていた。
ある日、当時は文壇の大御所といわれた菊池寛先生に見つかり、お叱言を食った。
お茶屋以外の場所で芸者と逢うような、そんなみっともない真似をするな、と言うのである。
お茶屋に行きたければ、せっせと人を感動させる小説を書け、とも言われた。
その叱言は身にしみた。
北条誠先生から、じかにきいた話である。
先代・勘三郎さんは「資生堂パーラー」でボーイ漁りをしていた
時効だからバラしちゃいますが、「チキンカツ」一本槍の勘三郎さんにも面白いエピソードがある。
資生堂パーラーのボーイをひっかけては、よなよな銀座の街へ消えていったというはなしである。
資生堂の男性新入社員(ウエイター)は、最初の4年間は清潔感を身につけるために丸坊主にされる習慣が昭和30年代まであった。
そのころのボーイはピッチリした白い上着、詰襟の金ボタンでスマートだったとか。
しかも現在(いま)で云うイケメンが揃っていた。
勘三郎さんが日参していたのは、資生堂パーラーの二階の手すりのところの指定席だった。
そこでボーイを物色して、気に入ったボーイには過分のチップをわたす。(←そのころは客からのチップだけで、らくらくひと月は生活できたというよき時代であった)。
夜になるとそのボーイを誘い出すのが常だったらしい。
「薄いチキンカツ」が資生堂に行く目的なのか、「イケメンボーイ」が目的なのか?
勘三郎さんにとって、もしかして「チキンカツ」は単なる”隠れ蓑”だったのか。
それは、いまだわからない。
(画像/左は大正8年ころの資生堂外観 画像/右は建築家川島理一郎デザインによる店内)
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