歌舞伎十八番の『暫』が昼の部の序幕にでる。
海老蔵の『暫』だけでも、昨年のこんぴらこそ見逃がしたものの、5年前
の襲名公演、同年暮の京都の顔見世、そして今回のさようなら公演と数
回は観ている。
善人たちの危難が迫るところへ、「しばらァーくゥ」と大声をあげて海
老蔵の鎌倉権五郎が颯爽と登場する。なんのことはない、言ってみれば
様式美だけの一幕ものである。
『暫』は江戸歌舞伎を代表する荒事です。
講釈はともかく、荒事とはむずかしい。ひとつ間違えば、味も素っ気も
なくなる。
ですから観客のノリもわるいし、心なしか劇場内が白けて、隙間風が吹く。
第1に力の表現がイマイチ。
荒事はヴイオレンスの魅力だから、まずは勢いがほしい。
それに大素襖、継足が動きにくいのはわかるが、下半身の表現がまずい。
だから襟元が寒そうに見えてしまう。
音吐朗々、言語明晰、大胆豪快なところがいいのだが、相変わらずせりふ
の高音部がまずい。しかも語句の区切り方、せりふ尻にしてもイキが抜け
きらない。
揚幕の中からの第一声「しばらく」も沈みすぎて生彩がない。人の動き
を止めるだけの「しばらく」でなければいけない。
生彩を欠くといえば、権十郎以下の腹出しのお兄さん方、やはり昼イチでは
少々声が出せませぬか、元気のない赤っ面の腹出しの面々です。
荒事は成田家の”家の芸”。
ぞんざいで、不鮮明なことが多い芝居であっても、「大きさ」と「力強さ」
が舞台にほしい。
全体的に今回はバラバラで停滞ムードの『暫』であった。
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