あまりにも衝撃的な終幕だった。
暗黒と化した舞台に突如…今や完全に現実感 を失い、幸福だった娘時代のおもかげに帰った母親のメアリー(麻美れい)が、思い出のウエディングドレスを引きずって登場。自分のすべての不幸は、聖母マリアに対する信仰を失ったことにあると、狂おしく、しかも深い静けさをたたえてつぶやく幕切れの演技は、劇的緊張感に満ち、しかも強烈なパンチを放った。
20世紀最大の戯曲といわれたオニールの『長い夜への旅路』は、朝から夜への旅路であり、舞台ではこれが時とともに深まりゆく暗黒と、霧のとばりで表現される。同時に、この劇の中心人物である母親役の麻美れいの麻薬による現実喪失と過去への逆行のプロセスにつながるのである。
一口で云えば、ある夏の一日の四人家族の物語である。
麻薬中毒の母親メアリー(麻美れい)。今は落ち目の俳優だが、もとはシェクスピア役者だったという父親タイロンに益岡 徹。夫婦にふたりの息子がいる。
兄のジェイミイー(田中 圭)は自堕落で酒浸り。弟のエドモンド(満島真之介)は肺を病んでいる。父親に云わせれば、病的詩人。ナーバスな若者である。
父親の益岡 徹は、かつて『オセロ―』のイヤゴー役を演じた経歴の持ち主。もう少し地力を出し、奔放に大きく演じて欲しかった。前回の新国立劇場の『負傷者16人』がよかっただけに残念である。
息子役の兄・田中 圭は、器用な役者さんである。第二幕で自己の苦悩を父にぶちまける長い対話は圧巻である。この人の姿態も生々しく、そして美しい。欲をいえば、もう少し喪失感が欲しい。
満島真之介の弟・エドモンドは、オニール自身である。影のある退廃的な役どころを力演したのは評価したい。だが、いまいちエドマンドの主体性が見えてこないのが欠点である。
演出は新進気鋭の熊林弘高。
はじめ、この演出手法はどこかで見たと思った。今年のはじめ池袋の東京芸術劇場で見た清水邦夫の『狂人なおもて往生をとぐ』も熊林弘高が手掛けた。今回もこれと同じ演出手法である。
どちらかというと、熊林は小劇場空間で劇の局部をクローズアップする演出手法だけに、原文通り上演すれば6時間超かかる大作を、今回のように2時間そこそこの凝縮台本にせよ、古典劇を思わせるオニール一家の異常で悲惨な家庭生活を粉飾なしに描いたオニール劇の支柱が見えてこないのでは、という疑問がのこる舞台でもあった。