東京都の人口が100万を超え
植木等が「ハイそれまでヨ」と唄い
松田聖子が「おぎゃあ!!」と生まれた1962年。
『真田風雲禄』はそんな時代に初演され、日本の演劇界を震撼させた傑作だった。
たしか昭和48年ころだった。
とある書店で『真田風雲禄』を見た。角川文庫だった。それが最初の出会いだった。
読んだ。驚いた。
わたしは思った。
まぶしいばかりの才能とは、こうゆう作品をいうのだと。
まだ芝居はみたこともなかったが、熱中して読み、しばらくは作品の主題歌ともいうべき
<わァわァわァ ずんぱぱッ>という声が耳にこびりついて、消えなかった。
2010年の今、ピッコロ劇団を中心に、関西のありとあらゆる劇団、しかもオーディションまでして総勢41名が結集してこの大作『真田風雲禄』に挑んだ。
それは豊臣の呼びかけに真田幸村はじめ多くの武将や浮浪人たちが呼応して、大阪城に馳せ参じたようでもあった。
あえて、ものがたりは省くが、一口でいえば、徳川が、豊臣を滅ぼした大阪の陣を背景に、真田幸村率いる真田十勇士の活躍と挫折を、当時の東西冷戦や全学連の学生運動に揺れた世相を反映させながら描いた青春群像劇だ。
だから、なんたってアンサンブルが問われる芝居だ。
演出の内藤宏敬には、この伝統的名作がちと荷が重過ぎたようだ。
蜷川幸雄らしきパクリがあったと云わないが、群集処理が拙い。
芝居が表面的かつ平面的になってしまっている。
それに『モスラを待って』のような切れ味もない。
肝腎の真田幸村(孫高宏)に人間的な魅力がない。
だから芝居に生彩がなくなる。真田幸村こそ憧れのヒーロー。
もっとオーラーがあってしかるべきだ。
同じことが猿飛佐助(東龍美)にもいえる。無鉄砲でもいいから精気がほしい。
望月六郎役の山田裕だけは、ある時は高く、またあるときは速く、あるいはゆっくりと、感情に訴え、唯一個性を見せた。
千姫(角朝子)は現在的に仕立てあげてユニークな味があって面白い。
見終ってみると、一味も二味も喰い足りない。
客席は静まり返ってすきま風が吹く。
出演者に若さがない。エネルギーが不足している。
時代を越えて『真田風雲禄』は常に新しい。
細かい時代考証など、どうだっていい。
現在のノリでテンションの高い『真田風雲禄』を見せて欲しかった。
明日は明日の風が吹く
かどうか 知っちゃいないけど
生きてる気分になりてえな わッ
てンで イキがって 行きてえな ぱッ
んぱ んば んぱ ずんぱぱッ
劇中のうたのように
「芝居を見ている気分になりてぇな わッ」・・・である。
(2月18日 兵庫県芸術文化センター・阪急中ホールで所見)
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