若い俳優たちが情熱をたぎらせる「上方歌舞伎会」も今年で20年目を迎える。
この節目に上方歌舞伎の色濃い『夏祭』の通しでも上演すろのかと少しは期待していた。
ところがフタをあければ、今回で3度目になる『対面』、『戻籠』 『寺子屋』の三本立である。
『菅原伝授手習鑑』では、4段目の『寺子屋』は今回が初めて。
『菅原』でも『車引』が上演回数が最も多く、『賀の祝』 『加茂堤』と続く。
初演の『寺子屋』に期待して行ったが、全体的にサラサラと淡彩で格別面白いところもなかった。
まず「寺入り」からの上演。
扇乃丞の千代だけが一頭地を抜いている。
門口で小太郎に袖をひかれるところも、これが一世の別れかと緊張感に満ちている。
花道七三の扇子で顔を隠すところなど、格別の技巧を凝らさず、じっとしていても母親の気持ちが如実に観客に伝わってくる。
それと、源蔵に切りかけられようとした時の、思い入れが実にうまい。
苦言を一つ。
どういうわけかクドキが散漫。
義太夫狂言だから、やるところははっきりやって欲しい。
対する松王の松之助が芳しくない。
ニンでなく気の毒だが、今のメンバーでは、松王はこの人以外には見当たりそうにない。
ことに門口で上半身がゆれるのは病気を強調しているのだろうが、それでいてセリフは張りすぎる。
行き当たりばったりで、すべてがチグハグ。
「桜丸が不憫でござる」
これまでの過去が見えてこない。上っ面だけのセリフになってしまっている。
泣き笑いも大落しも引ッ立たないことおびただしい。
千志郎の源蔵は大車輪の熱演だが、前半の見せ場で、戸浪とのイキが合わず、夫婦の切羽詰った迫力がない。
情が出る『寺子屋』らしいこの場面も白けすぎ。
段取りだけを消化しているのが千壽郎の戸浪。
バタバタしているのだけが目立って不出来。
だから全体に影が薄くなる。
感心したのはりき彌の園生の前。
駕籠からの「出」が抜群にうまい。
普通なら駕籠を出て「秀才や・・・」と門口に駆け込むパターンが通例である。
りき彌は駕籠から出て、静止する。
歌舞伎の芸で大事なのは「出」と「引っ込み」。
りき彌はこの「出」を強く印象づけたのは秀逸だった。
なぜなら静止することによって、役の格を示すのである。
管丞相の御台所という、品と位が大事なことはいうまでもない。
りき彌の園生の前は終始神妙で、終幕でも絵面になっていた。
(2010年8月21日 夜の部 国立文楽劇場で所見)
▼ こんな写真も撮りました ▼
”上方歌舞伎会”観劇の幕間はいつも「文楽茶寮」。
オーダーしたのが「松花堂弁当」。
およそ”松花堂”の概念では考えられない見栄え。
「松花堂」というよりも、○○御膳か、××御膳!!
これだけを幕間20分でたべるのはムリ。
季節柄、はもの湯引きだけが美味しかったです。
画像newしました!!
(画像 舞台写真は国立文楽劇場提供によるものでございます)
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