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森光子から仲間由紀恵へ『放浪記』再び    -大阪・新歌舞伎座ー

2015-12-14 | 演劇

 

『放浪記』といえば森光子。 

あの2000回も上演された『放浪記』は、当時の社会現象にもなり、森光子はこの作品で国民栄誉賞に輝いた。

この大きく聳え立つ森光子の『放浪記』は、東宝の大きな財産にもなった。

ふたたび、この『放浪記』が上演されることはないだろうと誰もが思った。

かりに”森光子の放浪記”を没後のいま上演しようとしても、手を挙げる女優さんは果たしているだろうか。それほど『放浪記』と森光子が

結びついていたのである。

それが某日の日刊紙を見て私はおどろいた。

あの美人女優の誉れ高い仲間由紀恵さんが『放浪記』に挑もうとしている。『放浪記』という作品に強い憧れを持っていて、いつか演じて

みたいとのことだった。彼女を助けるべく脇を舞台経験者で固めるといった内容の記事だった。

 

 

しかし幕が開いてみれば、「美人だといわれないヒロイン」を、美しさを全く意識しないで演じて、しかも説得力もあった。

森光子は心底身についた貧しさ、立ち振る舞いの端々に見える「泥臭さ」というか「下品さ」、そういうものの見せ方がとても上手かった。

彼女は一秒であっても、30年を語り継ぐところまで芙美子像を磨き上げていた。

 

たとえばカフエ―の女給部屋のシーンで、神戸の楠公神社でハトの豆を売るおばあさんの話。森光子の芙美子はまるで自分自身が

ほんとに体験したかのように語った。

仲間由紀恵は、そういう点で手づかずの演技で、単なる過去の述懐にすぎなかった。

今後回数を重ねて、仲間由紀恵の林芙美子になって行くことを期待したいのです。

 

          

 

三幕の尾道の場面が私はいちばん好きである。

今回の装置(中嶋正留)は、芙美子の実家のそばに、モクレンの木が1本、あの白い花を咲かせて、この場をしっとり盛り上げた。

行商一家に寄せる芙美子の思い、傷つくことばかりの東京の生活に疲れ果てた彼女が、故郷のかつての恋人に逢うシーン。

しかしその恋人は結婚しており、子供まであるという。

この場は菊田一夫という作家ならではのリリシズムがあり、スピリットを感じるのです。

芙美子の恋人の香取恭助には、佐野圭亮。きけば里見浩太朗の息子さんとか。、 

 

     

 

『放浪記』で、林芙美子と共に重要な役どころがある。

日夏京子である。芙美子の恋敵であり、作家としても互いに切磋琢磨した末、一時は断絶するという難役である。モデルはなく菊田

一夫が創造した人物にすぎない。

新たに挑むのは、「無名塾」出身の若村真由美。

過去に、浜木綿子、奈良岡朋子、黒柳徹子、山本陽子、池内淳子、有馬稲子、樫山文枝、高畑淳子など錚々たる女優が演じてきた。

日夏京子の有名なせりふ「お芙美 あんたちっとも幸せじゃないんだね」と一言いって去り、最後の幕が下りる。

作者菊田一夫は、観客に林芙美子の生きざまをこの一言で届けたのだ。

初演で日夏京子を演じた浜木綿子さんから「考え過ぎず、ご自分の京子を作りなさい」と若村真由美さんにエールが届いたという。

しかし、あのテレビ『白い巨塔』の院長夫人で見せたシャープな演技は姿を消していた。

舞台の日夏京子は、華やかさと高慢さがなく、奈良岡朋子のコピーにすぎなかったのは残念である。

 

 

永年『放浪記』の演出を手がけた北村文典さんが語った。

「新生『放浪記』はコピーしたようにそっくりになるわけではなく、そこに新しい血を通わせたい」と。

 

出演者たちはいうに及ばず、あの部屋、あの布団に、大正から昭和への時代の匂いがあまりないのが気になった。.田村親分を演じた新

派の田口守だけが、当時の雰囲気を醸し出しているのが印象深い。

 

者の皆様へ

どうぞよいお年をお迎えください。来年もまたよろしくお願いします。

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