Dream Gate ( 中野 浚次のブログ )   

本日はようこそ開いてくださいました!お芝居のことグルメを語ります!


          

【師走 2009・東京】    神田・神保町の「ミロンガ ヌオーバ」

2009-12-22 | おでかけ
        
        何も変わらず
        あの「喫茶店」が
        まだ残っていた





「神保町」という町は、ある年代にとっては古本屋と喫茶店という2つのキーワードでくくられてしまう。
さらに忘れてならない、もう1つのキーワードがある。
それは日本最高のカレーの激戦区だということだ。

古書街を通りぬけて、一歩路地に入れば、時間の止まったような店がまだまだ残っている。

神保町では、「カフェ」ではなく、あくまで「喫茶店」。
そう呼ぶことしか許されないのが、歴史がつまっている老舗喫茶店のポリシーであろう。

古本を探して、昔ながらの喫茶店で、やっと探し当てた本を開く至福のひととき。
そんなささやかな喜びを演出してくれる。
それが「神保町」なのだ。

誰にも教えたくない、とっておきの喫茶店があるものです。

「えいっ!!」

今回はバラしちゃいましょう。

靖国通り沿いにある古本のデパート「小宮山書店」の横を右折して、最初の路地の手前にあるのが「ミロンガ ヌオーバ」です。

1953年の創業。タンゴフアンには欠かせない喫茶店。
というのは、オーナーがタンゴオタク。アルゼンチンタンゴを主体とした500枚以上のLPを用意している。
ターンテーブルが2台。アルテックのスピーカーも完備している熱の入れよう。
音楽を聴かせる喫茶店ならではのシステム。
なんでも明大タンゴ研究会のメンバーがお店の常連ときいた。




コーヒーの味にはもともと定評があります。
但し、運ばれてくるまで15分~20分程度のお覚悟が必要。

ワタクシの注文はストレート・モカマタニー

コーヒー豆の鮮度には、細心の注意を払っているそうです。
ブレンド、ストレートともに炭火焼焙煎となり、挽き立ての香りの豊かなコーヒーの味。

やっぱ、人に淹れてもらうコーヒーは美味しい!!




さりげない目配りと気配りがある。
背の低い椅子も、シャンデリア風の照明も。そして絵画にも・・・。
テーブル、インテリアともに無垢材を使っています。

「昭和の喫茶店ってさ、きっとこうだったよね」

と言いたくなる、超アナログの風景です。



看板でもお気付きでしょうが、メニューのもう1つの特色はビールの品揃えの豊富なこと。
ギロチンやギネスなど世界のビールが50種類以上。

最近はビールを飲みながら本を読んでいる若い女性客が多いとか。





週末は古書店巡りを終えた人が一息入れるために来店することが多かった。
ところが最近、ちょいと異変が・・・。
近隣に古い名作映画を1日4本上映する「神保町シアター」ができた。しかも格安料金。
お目当ての作品が上映されるまでの時間潰しの客が多いらしい。


古書、音楽、名作映画、がっつりフードなど神保町にやってくる目的はさまざまですが、「ミロンガ」のレンガ造りの外観、黒檀のような輝きを見せるインテリア。
忘れてならないのが、「極上のコーヒー」。

だから、いつも行きたくなるお店「ミロンガ」なのかもしれません。


       次回は「人形町ぶらり散歩」です。
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【師走 2009・東京】  高輪・泉岳寺探訪

2009-12-21 | おでかけ



【師走 2009・東京】のトップは「泉岳寺」です。

講談風に申せば、
「時は元禄14年12月15日、辰の上刻。2,3日降りつづきたる大雪は、夜前より晴れわたりて、今日は一天四方雲もなき上天気。見事、吉良上野介を討ち取った一行が、めざすは芝高輪泉岳寺!!」の名調子になりましょう。


現在では都営地下鉄「浅草線」泉岳寺駅から西へ歩くこと2分。
曹洞宗江戸三ヵ寺のひとつである「泉岳寺」があります。
つまり、ここが元禄の世を揺るがした赤穂四十七士の眠る兆域。
いまも線香の煙が絶えることがないという。


     ● 山 門 ●

画像↑山門の二階部分には十六羅漢が安置されています。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書だそうです。





     ● 本 堂 ●

かつての本堂は空襲にあい焼失、現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。
本堂の正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読むそうで、お釈迦様の説法のことを指すらしいです。





     ● 四十七士墓所案内図 ●

時は元禄16年2月4日。赤穂義士が切腹したあと、直ちにこの地に埋葬されました。

この案内図をよく見ると墓碑は48基ありますよね。
アレッ!!一人多いのではと思われませんか?
そのことは、のちにお話致しましょう。




     ● 浅野家の墓所 ●

あまり上演されたことがありませんが、真山青果に『泉岳寺』というお芝居があります。
その中で「三代将軍家光の頃、その命によりて赤穂浅野家の香花院となり、同家累代の兆域がその境内にある」
とト書きに記されています。




     ● 浅野内匠頭  瑤泉院の墓所 ●

瑤泉院があまりにも美人なので、吉良上野介が横恋慕したのが刃傷の原因だという説もあるようです。





     ● 大石内蔵助墓所 ●

「昼行灯!!」とか「大石でのうて小石じゃ!!」ともいわれましたが・・・
没46歳とはまだお若い。働きざかりですよね。
「指導力発揮せず」、「肝心なことは先送り」。
どこかの国の首相とはチガイマス。




     ● 大石主税墓所 ●

歌舞伎のお役でいえば、主税は音羽屋の尾上松也くんに演らせればムチャうまい。
没16歳とは、石川遼クンとほぼ同じ年齢ですよね。


  

     ● 四十七士の墓所 ●

四十七士のほかに、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対にあい討ち入り前に切腹したのが萱野三平です。
画像で萱野三平の墓があるのは、供養墓として建てられたものです。
ですから、赤穂義士四十七士なのに、墓碑が48あるのです。

もうひとり、それは寺坂右衛門です。
寺坂は本懐成就後、瑤泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、83歳の天寿を全うしました。寺坂の墓は、萱野と同じく供養碑にすぎません。
いずれ寺坂については、明治座公演『最後の忠臣蔵』の主人公であり、【師走 2009・東京】の最終章で詳しくお話したいと思います。




     ● 線香屋のおやじに睨まれました ●

線香一束 100円。
参拝客のほとんどが買い求めていました。
買わないのはワタクシだけ。
線香も買わずに写真だけ撮るので、線香屋の親父さんがワタクシを睨みつけました。


 


● 大石内蔵助銅像  陣太鼓 ●

この銅像は浪曲の桃井軒雲右衛門の発願により鑄造されたものです。
内蔵助が当時の元禄陣羽織を身につけ、連判状を手にして江戸の空をじっとにらんでいる姿を表しています。


「山鹿せんべい」など売っている参道のみやげもの屋さん。
陣太鼓の看板がおもしろい。

     「あれは、まさしく山鹿流の陣太鼓!!」

歌舞伎の『松浦の太鼓』での松浦候の名場面があります。


このほか、吉良上野介の首級を洗ったという「首洗い井戸」
浅野内匠頭が田村邸の庭先で切腹した際に、その血が飛び散ったという「血染の梅」「血染の石」がありますが、古典落語の「火焔太鼓」ではありませんが、なんだか嘘っぽいので割愛させていただきました。

       次回は、神田・神保町の古典喫茶「ミロンガ ヌオーバ」をアップしますね。

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【師走 2009・東京】  愉しかったです!!

2009-12-20 | ホテルライフ



                           「朝焼け冨士」です。

昨夜は、南青山のとあるダイニングバーで遅くまで飲んでいまして、目覚めると、朝焼け冨士どころか、ヘミングウェイの『日はまた昇る』になっちゃいました。

それと、更新が怠りがちになってしまい申し訳ございません。
サボってばかりしているうちに、クリスマスまであと4日。
師走ってどうしてこう矢のように過ぎちゃうの?
それにめちゃ寒いし・・・。
邪魔くさいという怠慢さ。 部屋も荒れ放題!!
とにかくワタクシ以外は立ち入り禁止

さてさて【師走 2009・東京】のスタートです。と同時にデジカメ{RICHO CX1}デビューです。
↑画像はホテルニューオータニ・タワー32Fの客室から撮りました。

ワタクシがまだ高3で、東京の某大学の受験面接のときでした。

試験官が「関西にだって大学が多いのに、どうして東京なの?」と問われて、ワタクシは返答しませんでした。
すると試験官が「富士山が見えるから?」とイヤな目線で、ワタクシを見下しました。

あのときの試験官の顔だけは、今もよく覚えております!!




                         「西新宿の高層ビル」

画像/左の摩天楼を思わせるような建物が「パーク ハイアット東京」です。
このホテルにある「ニューヨークバー」に行ったことがあります。
地上235㍍から見下ろす夜景がみごとでした。
それにニューヨーク本場のジャズバンドによる生演奏があって、セミプライベートスペースやブース席で味わうのもライブ感あふれるステキな空間でした。




                        「赤坂 迎賓館」

鬱蒼とした森の中にあるのが「赤坂 迎賓館」です。
昨夜はトルカメニスタンのベルドイムハメドフ大統領がお泊りになったようです。




                         「ホテルの朝食券」

                            アッ!!

と驚く為五郎ではないですが、この朝食券を見て「八ッ!!」としたというか、「ギョ!!」としたというか・・・。

どうして? ただの朝食券じゃん!!
そうです!確かに!
なぜワタクシが「アッ!!」としたか、まあ知る人ぞ知る!!ということで・・・
ここでは申し上げられません。

正直、大切に保存しておこう・・と。
それでは「ご朝食は実費で・・・」となりますよね。
「朝抜き!!」もいかがなものかと、結局は使わせていただきました(笑)。

           次回は「高輪の泉岳寺探訪」です。ご笑覧くださいね。
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京都・イノダのコーヒー

2009-12-08 | グルメ



「私の朝は、イノダのコーヒーから始まります。もう、長い間の習慣で、イノダのコーヒーをのまないことには、一日が始まりません」

京都の或る商家の老主人が、そう言ったそうです。


「イノダのコーヒー」の旨さは、日本人の舌に合う旨さだということだけはわかる。
私も京都へいくたびに、かならず一度はイノダに立ち寄る。
コーヒー好きで有名だった池波正太郎さんが『むかしの味』(新潮社)にそう書いています。

わたしは、堺町通りにあるイノダの本店に一度だけ行った。
今でこそ珍しくないが、酒蔵を改造したクラシカルなカフェ。それだけでも当時は人気があったようです。


本店のほかに、いくつもの支店を出していますが、どこへ行っても、本店と少しも替らぬコーヒーをのませてくれます。
わたしが頻繁に利用するのが、京都駅地下にあるポルタ店(↑画像)。

後述の清水店には2~3回ほど行ったことがあります。
清水寺へ向う産寧坂にその支店があるのですが、青龍苑の中にあって、庭の眺めがすこぶるよろしい。
京都では、おススメのスポットです。
それにステンドグラスからは、やわらかい光が射し込むなど、老舗の格調が看てとれるのです。






イノダのコーヒーは格別に特種な味わいがするのではない。

しかし理屈なしに旨い。

いつ来ても、この店のコーヒーは旨い。

この日はブレンドコーヒーとフレンチトースト。
トーストのこの厚み!! それでいてサクサク感は抜群!!




           「イノダ」のコーヒー豆は仕入れ、その挽き方、いれ方、出し方。
           これが、いまや一つの伝統になってしまった感じがするのです。



 



      ↑画像は「イノダコーヒー」のグッズ。
      蒐めています・・ワタクシ。いまのところ2点だけですが・・・(←コレ、お店でくすねて来た
      のではありまシェン!!)。


       ● 京の朝食 ●





二日目。
京のホテルで朝寝坊して、朝食をとらずに「イノダ」の清水店に直行。

定番モーニングは、京の朝食(1050円)をオーダー。

コーヒーはアラビアの真珠、
フレッシュオレンジジュース、焼きたてのクロワッサン、プレートにはふわふわのスクランブルエッグ、
サラダはアスパラやポテトサラダなど。
そして、ボンレスハムが絶品だ。
ほどよい塩加減、やわらかさ。
なんでも湘南・茅ヶ崎にあるハム工房ジローに保存料を使用しないよう特別に発注しているそうです。

サラダは別添えの「イノダオリジナルドレッシング」をかけていただきました。



   やっぱり、「平塚」は湘南じゃない!!

   
「イノダ」のボンレスハムが湘南は茅ヶ崎のハム工房でつくらせていると、お話しました。
そうです。茅ヶ崎はあきらかに「湘南」です。なにびとも否定しません。
では「平塚」はどうなんだ?  ということです。

中西哲生さんが出演している「サンデーモーニング」(TBS 12月6日放送)で、またまた「平塚」が話題になりました。
ことの発端は、J1に昇格が決まった「湘南ベルマーレ」のサッカーチーム。
元は「平塚ベルマーレ」だったのが、最近「湘南ベルマーレ」に改名しました。
(画像は「湘南ベルマーレ」のイメージキャラクター)

出演していた大沢親分「平塚は湘南じゃないよ!! だれが改名したんだ!!」

中西哲生さん「平塚は湘南じゃないですか!!」

時間枠がありましたので、喧喧囂々にはなりませんでしたが、またもや「平塚」の湘南論議が再燃しました。

祇園の鮨「まつもと」のご主人は平塚出身。詳しいことはこちらを見てください。

「どうして、そんなに平塚にこだわるの?」

ワタクシって、そうゆう”キャラ”なんです、とだけ申し上げておきましょう。

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侘助が咲きました

2009-12-03 | 本日の○○





その朝、いつもなら閉めきっていた障子を開ける。

はっとする。

昨年、一昨年と莟すら付けなかった侘助の花に出逢う。
こまやかな白い花の群れが、張り出した梢に咲いていた。
おだやかでやさしい花びら。花の色ではなんといっても純白の五弁の花が、いちばんきれいな気品をもっている。

まだ開ききらず釣鐘型のままにとどまっている風情も好ましい。
花弁は手漉きの和紙のような、そして可憐で初々しい。
自然の微妙は、どんなにきびしい季節にも、すぐれた美しさを備えているもの。

奈良の「お水取り」の二月堂に供えられる紙製の『一枚かわり』侘助は、一輪五弁のうちに紅白の花びらがある。
むかし実在した侘助なのだそうです。





「出がけに、庭に咲いていて美しかったものですから・・・・」

霞は何気なく家から持ってきたと告げたが、伊織は白い花びらから、、侘助のある庭を想像した。
茂みの手前に蹲踞(つくばい)があり、奥に燈籠が見える。その陰にでも咲いているのか、それとも竹林から洩れてくる陽射しの先に、静まりかえっていたのか。
いずれにしても、侘助が咲く庭なら、静かな趣きのある庭に違いない。
そこに夫と暮している霞に、伊織は軽い妬みを覚えた。

引用が長くなりましたが、不倫のなかの真実を描いた渡辺淳一さんの小説ひとひらの雪からの抜粋です。


この小説に魅せられて「侘助」を購って植えたのが、15年も前のこと。
とすれば『ひとひらの雪』が書かれたのも、ほぼ同じ年になります。



● ついでに紅葉もアップしました ●




今年11月は何かと外出することが多く、ほとんど家にいなかった。

あるじの留守中にも、時季がくれば、鮮烈に燃えあがるように紅葉していました。







          紅葉!!  それは血の色!!

と言ったのは随筆家の岡部伊都子さん。

   ウソ!!

それは三島由紀夫だろ!!  と思っていました。
血と三島とは、いつも同一視していましたから。

「その激しい紅が心に近くなったのは、人生の半ばを経て、人の世の不合理や、自己の魔性に、気づいてからのことだ」
岡部伊都子さんの精神的不安定な時代の発言であったことを、のちに知りました。

紅葉前線は北から下りてきます。
紅葉をたずねて・・今も人は動いているようです。


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