読書日記

いろいろな本のレビュー

昭和と師弟愛 小松政夫 KADOKAWA

2017-12-23 13:56:26 | Weblog
副題は「植木等と歩いた43年」。小松氏は俳優・コメディアンで今年75歳。植木等の付き人から始まって苦労の末いまの地位を築いた苦労人だ。もともとは裕福な家庭に育ったが父が早くに亡くなってから苦労の連続だった。高校を卒業後車のセールスマン等を経て、植木等の付き人募集の広告に応募して600倍の競争を勝ち抜いて職を得た。植木は「君はお父さんを早くに亡くされたそうだね。これからは私を父親と思えばいい」と言って安心させてくれたという。また「小松はものまねがうまい。それは観察眼があると言うことだ。大いに結構」といって励ましてくれた。このころ植木の属するハナ肇とクレージーキャッツは「シャボン玉ホリデー」のレギュラーで「ザ・ピ-ナッツ」と共に人気絶頂だった。この番組はコントが秀逸で大人の笑いが横溢していた。その中で植木の「お呼びでない。こらまた失礼をいたしました」は当時の流行語になった。私もこの番組が好きで、エンディングに「ザ・ピ-ナッツ」が名曲スターダストを英語で歌うのも洒落ていた。
 小松は植木の付き人として全身全霊励んだ結果、この番組にちょこちょこ出してもらい、人気をつかんでいった。最近の芸人がテレビのバラエティー隆盛のなか、うたかたのように出てきては消えを繰り返しているがそれは本物の笑いとは何かを自問自答して作り上げていない故、到底芸とは言えない代物をわれわれに見せているからである。私が小松の芸で覚えているのはてんぷくトリオの伊東四朗とやった「電線音頭」と「しらけ鳥音頭」だ。二人の熱演ぶりに思わず笑ってしまった記憶がある。彼らの芸人魂がぶつかり合うことで化学変化を起こしたようなインパクトがあった。
 小松の師匠の植木等は「無責任男シリーズ」で人気が爆発したが、元々はお寺の息子で、本人も東洋大学に行っていた経歴をもつ。本にも書いていたが、素顔は無責任どころか、酒を飲まない真面目な人柄で求道者の面影がある。小松にとっては植木が師匠で良かったといえる。私は寅さんの渥美清にも同じようなにおいを感じる。渥美は寅さんで笑顔を振りまいているが、素顔はそんなに明るくない気がする。ときどき見せる目つきの鋭さはカタギとは少し違った雰囲気を感じさせる。もともとヘラヘラしている人間には喜劇はできないということかもしれない。シリアスでリゴリスティックな修行の果てに実現するのだろう。
 この本は昭和30年代の終わりから40年代にかけての日本の状況をお笑いを通して懐かしく思い出させてくれた。小松さんありがとう。