ダブルさんの「気まぐれ日記」

趣味のマラソンを中心に、その日のあったことや思ったことを気まぐれに書いています。

今日は母親の命日・・・

2020年09月22日 | その他
私の母親は昭和34年(1959年)9月22日に他界しました。
満年齢は39才で、私は10才の時でした。
元々高血圧の持病があり、夕方に晩ご飯の支度をしている時に倒れました。
10分近く意識はあったと思いますが、その後は昏睡状態になり、その翌日の早朝に息を引き取りました。
当時のことなので、往診の先生が来てくれましたが、注射を打つくらいの処置しかしなかったと思います。
死亡の原因は脳卒中、脳のどこの箇所からの出血かもわかりません。
現在なら後遺症が残っても、おそらく命は助かっていたでしょうね。
大正10年生まれですので、生きていれば100才近いです。
それはとても無理でしょう。
私は小学4年生で姉は6年生、妹は小学校へ入学する1年半前でした。
祖母も他界していたし、その後の生活は祖父と父親、姉ががいろいろの家事をしていました。
それからは、母が生きれいればということが数えきれないくらいありました。
おそらく自分の人生も大きく変わっていたと思います。
といっても現実は今ですので、それも自分の人生でしょうね。
今のところ、こうして健康で71才の生活をしているのですから幸せなのでしょう。
これも母や父の子供だったからだと思います。
今日はお彼岸の中日、仏壇の前であらためで先祖にお礼を言いました。

今日は朝から忙しかったです。
朝の10時から「大野地域戦没者追悼慰霊祭」の地域の民生委員代表として参列しました。

会場はコロナ禍の影響で「忠魂碑」の前ではなく公民館です。
忠魂碑の写真の前で黙祷や献花など、1時間あまりで終了しました。
私は戦後生まれですが、当時の青年たちはどんな思いで戦場に行ったのでしょう。
それを思うと涙が出てきました。
こうして今の生活が成り立っているのも、そうした歴史があったからだと思います。

午後は「厳島神社(弁天さん)」の稲刈り神事のお手伝いに行ってきました。

この行事は初めてでしたが、一つ知識を得ることができました。
田んぼでの神事の後、小学生の早乙女による稲刈りです。

彼女たちは、刈り方を教えてもらいながら10株くらいの稲刈りをしたかなあ。

今まで新聞などで報道されていましたが、実際に自分の目で見てこの行事の状況がよくわかりました。

後先になりましたが、今日も朝ランができました。
出発は5時、まだ暗い時間でしたが走っているうちに徐々に明るくなってきました。
洲浜橋から見た朝焼けです。

それから10分後くらいの炬口海水浴場から見た朝焼けです。

再び洲浜橋に戻ってきたところで友人に会い、後姿の写真を撮ってくれたようです。

その後は洲本港から大浜公園へ。
大浜公園で太陽の姿が見えてきました。

そして太陽の全容が見えました。

いつもながらこうして日の出はいつ見てもいいなあって思います。
それから海岸線を古茂江まで行って折り返してきました。
写真を写した時以外はボチボチながらも歩くことなく走り続けました。
朝ランの記録です。

今朝はちょっと頑張ったかな。
でも走り始めてから1時間くらいで一気に疲れが出てきます。
気持ち的なこともあるのでしょうが、確かに体力も落ちてきているのでしょうね。

今日もこの日記を読んでいただき、ありがとうございました。
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