X巡回
▼200回
太陽展もそうですが、本格的に太陽のファンサービスの本格化の口火が切られて、その仕上げがテキサス殉職、再放送開始、スコッチ登場というお祭り騒ぎ的状況。ただ、やっぱり200回記念ベルト期間の「不幸」濃度が高すぎて・・・・。
すべてを賭けて「!」。茶屋町さんのためにとっておきました(^_^;)
恐らくですが、正規データには残っていませんから、直前になって日テレの広報が付けたんでしょうね。それにしても・・・・やっぱり、1話では語り切れないものはありましたね。
それにしても、今年の「あぶ刑事」祭りは派手ですね。これぐらいじゃないとみんな本気にならないし、本編自体も新しいキャストが多くて新鮮だし、総合的に理想な続編かもしれません。
▼コルトローマンMARKⅢ
麻矢さんのお悩みを解消(^_^;)、ボン後期の愛銃はコルトローマンmarkIII。簡単に言えばコルトMARKⅢシリーズの警察用拳銃の一種としてローマンが存在したということで、マークトゥは無いです(^_^;)
▼主役級の刑事が通り魔に襲われて死ぬ…「太陽にほえろ!」が刑事ドラマとして日本で初めてやったこと
筆者は研究者かとは思いますが・・・・太陽に対しての掘り下げが本当に御免なさい、浅い。筆者が採り上げている初期についてはあくまでもファーストインパクトであって、バディものの定着的原点をボン・ロッキーに見出してほしいという欲もあるし、公式(プロ)な発信者であれば、一般的な「殉職」ばかり扱わないでほしいというところはありますね。
太陽自体は刑事ドラマという意識はマカロニ時代は薄かったことを前提に考えると、それこそマカロニの死はショーケンさんにしてみれば「最終回」だったし、最終回に主人公が死を迎えるというのは実は当時でも珍しい事ではなかったから(TV版の寅さんですら生命を落としているわけで)、構想的なインパクトとしてはそれほど新しい事じゃなかったですが、結果的に番組継続の中で主役が死ぬという形式となったことと、その完成作のインパクトがミソではあるんですよね。だからこそショーケンさんは偉大であるんですよね。
以下、ちょっと下世話となりますので、太陽にロマンを求める方はスルーしてください<(_ _)>
=大人な話か¥スポンサー料金=
番組の製作費なんていうのは、正直よくわからない部分があって、あまり語られない部分ではあります。
まあ、確かに下世話な話ではあります。
ただ、スポンサーが居なければ番組の資金は調達できない、逆に言えばスポンサーがあってのTV番組でもあるのは事実、特に太陽のように長期放送が実現できるのは、スポンサーの理解があってからこそというのは、実は太陽中毒に陥った後にしみじみと痛感した部分であります。
現在では基本、放送後のスポンサーと作品との関係を切り離している傾向があって、これは各々の番組の性質や世情にも関わっているようですが、ただ、太陽に限って云えば、それは気にかけなければならないというのが小職の思いです。
だからと言って、スポンサーへの貢献というのは中々難しいんですよね。この年齢になって継続できているのは化粧品は資生堂のアウスレーゼを愛用しているぐらいと、ノンクレ協力企業であるトヨタの車を愛車にして推しているぐらいでしょうか。
国会図書館検索なのですが、
=「テレビCMと子どもたち」隅井孝雄 著 あゆみ出版 1981.12=
によると、太陽の制作費は当時で1本2千5百万円。スポンサー料は月間60秒で3千5百万円。三菱電機は180秒(6分)で1億5百万、グリコ・資生堂・久保田鉄工は60秒3千5百万、この差益(電波料)は製作の日テレとよみうりで3割、その他はNNN29ネット局で配分していたようです。
逆算すると、1本あたりのスポンサー料は5千万円弱。
となれば、まあまあ良い稼ぎではありますね(^_^;)、これも下世話ではあるのですが、そうなってくると敢えて新番組にするよりは継続できるのであればその方が良いということにもなる。
現在の1話の製作費は『相棒』で6千万円以上、通常のゴールデン・プライム枠で4千万円ぐらいなんだそうで、1万円あたりの価値は実は1981年と今ではあまり変わりがないそうですが、人件費が膨れ上がっているので、『相棒』を基準に個人的に算出すると、今太陽を同じキャストとスタッフで製作するとなると、1本1億円以上は軽くいくのではないかと思われます。
太陽本放送の時代は、スポンサーもキャストもスタッフも各自の信念で金銭は二の次なところはあったと思いますが、現在は「誇りの報酬」は信念を満たしたり、出来上がるものに誇りを持ち、満足するというよりは、あくまでも個人の満足と金銭というのが主流のようで、これのどちらが良いのか悪いのか・・・・。
スポンサーとドラマって確かにギブアンドテイクな部分はあるのですが、太陽はどちらかというとお金がかかるドラマであったことは確かで、スポンサーはそれに出資し維持してもらえていたということで、長寿番組では絶対外せない存在かと思います。
とは言いつつも、番組単体の「商品」が商材として多く存在していたというところもあったり、まあ、やっぱり一つの「共同企業体」的な性質が普通のテレビ番組より強かったとも言えます。