「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

それぞれの詩

2025-02-13 06:53:51 | 当直室日記

千歳や小職の職場の2月は、飛行機の欠航のリスクがまだまだ高いので札幌雪まつり時期は危険なんですよね・・・・。と、2月の雨空にため息をつくけぶでございます<(_ _)>
日中がプラスで夜がマイナスという気温の推移でドカ雪必須状況ではあります。

X巡回

▼はなむけの詩

そういえば、というネタ。
太陽には挿入歌って本当に少ない。#639の「春なのに」を除き店内BGMとしてはさりげなく挿入していますが、メンバー関連の挿入歌で本人歌唱でリリースしているもので行けば、下記のものになります。

「ブルージンの子守唄」「少年の魂」(ショーケンさん #1)
「風よ」(小野寺さん、#150)
「白いページ」(小野寺さん #165)
「ひとり立ち」 (勝野さん  #208、#216)
「夕焼けの街」(宮内さん #303)
「都会の潮騒」 (木之元さん #407)
「思い出のキーラルゴ」 (神田さん #652)

裕次郎さんはご自分の楽曲ではないものを歌う機会は何度かありましたが、世良さんは自ら希望して歌わないこととし、渡辺徹さんは太陽在籍中のデビューでしたが、本編の挿入が無かったのは、おそらくスポンサーであるグリコCMにも流れるため、「諄い」と判断し敢えて避けたのではないかと。その後はヒットしたので敢えて歌唱を避けたようにも思います。
既に楽曲を出していた、沖さん・三田村さん(ただし、三田村さんは必殺シリーズの方が優先された模様)の歌唱は無く、長谷さんも、金田さんも、寺尾さんも、西山さんも、辰平さん、竜さんも歌わなかった・・・。小野寺さんの歌手としてのデビューは番組のファンサービスが始まりで、セカンドシングルまで大野克夫さんが作曲、その後は独自の展開となりました。
神田さんは既にレコードを出されており、最初は1979年で、1984年にレコード会社も新たにほぼ再デビューという形でリリースとなっています。

勝野さんデビューは完全に太陽卒業企画でしたが、太陽関連の方が絡まない、おそらくスター誕生方式のレコード会社の入札で決まったのではないかと。
その後、宮内さんと木之元さんがデビューするのですが、同じ方式でリリースが決定したのだと思いますが、太陽卒業とはタイミングが違うのですが、これ・・・おそらく卒業企画で立ち上げたものが卒業自体がお流れとなってしまい、レコード企画が単独で動いていたため止めることができず、それが2回続いたため木之元さんで中止となったのではないかと思います。
宮内さんはほぼ1978年で卒業が決まっていて、それも公けとなっていましたが、木之元さんについては・・・小野寺さんの卒業が正式に決まる前の計画の名残でしょうか。
ちなみに宮内さんのセカンドシングル「風のメッセージ」は1979年7月リリース。おそらく卒業後のタイミングだったのではないかと思われるので、挿入歌としては使用されなかったようですが・・・。

▼ころしやの詩

あるXポストで、#27は盗作で欠番と書かれたものがありました。
え?初耳。

小職が把握している欠番理由は「実銃の使用」だけだったと。

ちなみに、盗作の疑惑があるのであれば、ノベライズの2巻「藤堂ボス大活躍」も収録の内容から落とされる(原題「狙撃者」で掲載)筈、それに初期巻なので刷を何度も重ねているため、削除するのであればタイミングが多く、もし盗作であれば前期刷で落とされていてもおかしくはないので、それは無いのかなぁ・・・とは思っています。

 


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