テキサスが逝ってしまって、スコッチが登場した頃、要は1976年9月あたりの刑事ドラマ事情。
太陽が作り出して、『非情のライセンス』や『夜明けの刑事』等が盛り立てて、『Gメン’75』が更なる起爆剤となってどんどん盛り上がっていた頃・・・・。
実はこの時期は余り有難くはないのですが、ある意味ちょっとした殉職ブームの年。この年は、正月からGmen関屋警部補、3月に『非情のライセンス』の江沢刑事が殉職、そして『大非常線』の高山が殉職、特に関屋警部補の殉職はかなりのインパクトがあったと思います。実際、小職が自我が芽生えて初めての殉職だったかと思いますので、強烈に頭に焼き付いています。
何しろ毎週土曜日はこの時点でも小職としては遅くまで起きていることができるお祭り日で、ダービー⇒全員集合⇒Gmenというのが、ある意味デフォルトな土曜日となっていましたので、Gmenの主役である関屋警部補があっさり殺されてしまったことはショックでしたね・・・。
更なる新番組投入がちょっと落ちついた感じがあった中で、太陽が200回あたり(5月ごろ)からのテキサス殉職へのある意味動線づくりというか煽りが他番組へも殉職編含め、番組の転機的なものに影響した感じがします。
話戻して1976年9月頃と言えば、『大都会 闘いの日々』でクロさんがムンクのママを見送った→終了の8月3日、『夜明けの刑事』の相馬課長が退職したのが8月25日、『特別機動捜査隊』で流しに化けた水木刑事がボコられた9月1日<違、『非情のライセンス』坂井刑事が殉職したのが9月2日、テキサスは死なず!が9月3日。スコッチ登場が9月10日、『非情のライセンス』右田刑事殉職が9月16日、『非情のライセンス』で右田と坂井の宣材写真を眺めながら黄昏る会田を描いたのが9月23日、『夜明けの刑事』新体制が9月29日、太陽のジュンの復讐が10月1日。
小職としては、初めてリアルタイムで観た『非情のライセンス』が9月2日・・・再放送で観ていて好きだったんですよね、坂井さん。結構ショックを受けた記憶があって、その次の日がテキサス・・・こちらもショックで断片的記憶しか残っていません。
うん・・・・集中し過ぎ。(毎月のようにどこかの番組で殉職編があった1980年も似たようなものではありましたが・・・。)
それともう一つは退職でも殉職でも、まるで番組出演にケリをつける(これはテキサスも含めてなのですが・・・)前提にみえる降板劇なんですよね。
日の出署の相馬課長は完全に退路を断たれるように自分で仕向けた感じだし、坂井さんはどちらかと言えばジーパン殉職系かもしれませんが、テキサスは弁慶の立往生、特に右田刑事は完全に死にに行った感じだし・・・というか、これこそ何発被弾してるんだ・・・というか会田のリボルバーは14連発か?という突っ込みは置いておき、特捜部って意外と話題に上らないんですよね・・・・と言いながら、恐らく刑事ドラマ好きな方(全てを観た方は少なくとも小学生以上かと思いますが)にはかなりキツイ時期でもあったわけで・・・。
(ライセンスの特捜部は第二シリーズの2年半で5人殉職・・・)
太陽の殉職編はテキサスの焦り殉職に対しての反省だったのかこの後、誰かを助けるためや何かを守るため、余命いくばくもないなど本当にやむを得ない場合や本筋にクライマックスを迎えた後や事故など不意を突く展開という方向性が強くなっていきましたが、他番組では「死にに行く」展開というのが残っていくわけで、これはファンとしては辛いことではありましたね。