「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

新野プロデューサーまとめ+国際放映№7セット

2024-11-01 06:52:11 | 当直室日記

▼マカロニマカ男氏のXが興味深い。
1972年5月16日~6月27日に放送された火曜日の女シリーズ『ある朝、突然に・・・』において、七曲署のセットが使用されていたとのこと。
この件、国際放映のナンバー7ステージの「警察署セット」が果たして太陽のために作られたのか、はたまた国際放映のデフォルト的セットとしてもともと作られていたのか・・・・。
太陽クランクインが6月2日なので、太陽のために用意したセットを使用したということも考えられますが、太陽制作決定からクランクインまでの時間が短かったことから、デフォルトセットを太陽がほぼ専有したというのが自然に思えてきました。
他の国際放映作品で太陽クランクインよりずっと前に使用されていれば、確定なんですけどね(^_^;)
そして、「竜In太陽」でもお馴染みな、火曜日の女シリーズ『木の葉の家』最終回でも使用。
既に太陽はスタートを切っているので、これは太陽セットの流用といえるのですが、これって結構微妙なセンではある、今のところ小職としては国際放映の警察デフォルトセットの太陽専有の線かも。
それに、いずれも東宝製作で『ある朝、突然に・・・』は浜美枝さん、『木の葉の家』は星由里子さんといえば、直後に太陽ゲスト出演。というか出演交渉の場でもあった?
『小野小町殺人事件』(1986年)見た記憶が・・・・。特に山城新伍さんで思い出したんですよね。ホームズは撤去されて、最新だったビジネスフォンも黒電話にわざわざ変えていますね。ただ、応接セットは復活していて、ちょっとうれしい<なにが?

▼新野悟プロデューサー。
太陽に長く関わられていたプロデューサー。岡田さん、梅浦さん、服部さんはインタビューなどがあるのでそれなりに情報はあるのですが、新野さんがなかなか情報がありません。いつか調べてみようとは思っていたのですが。
いや、これ、先日のペッパー先輩の補足的な要素も含め調べてみたわけです。
ペッパー先輩はパリロケの仁科秀人を新野さんだと認識されておられなかったので、僭越ながら小職が証跡を提供させていただいております。実際の完成作ではノンクレジットですが、週刊テレビ番組のシナリオ掲載時(#608)にしっかり明記されています。
プロデューサーが演者だというのも確かになかなか無いことですし、予算の関係上かそれとも代役だったのか・・・。
そもそも海外ロケのゲストは最少人数に絞り込むので、豪ロケは関虎実さんが殺し屋として登場するなどもありましたが、秀人は結構キーマン的な役でしたからね。(第一容疑者)
ただ、新野さんが演じられることによって、逆にリアリティーはあったかもしれません。
(パリロケのストーリーは何となくですが、ロス疑惑を連想させる・・・)

ところで、新野さんにつきまして色々とネットなどから拾い集めてきた情報をまとめると・・・・

「東宝ニューフェイス」(新人育成のオーディション)の最後の15期としてデビュー(同期 古谷敏さん 二瓶正也さん)
(知人の推薦で入社・・・古谷さん談)

1962年~1963年に俳優として映画出演。
『河のほとりで』(東宝 1962年)学生C 役
『太平洋の翼』(東宝 1963年)水野二飛曹 役
『林檎の花咲く町』(東宝 1963年)萩原和夫  役

その後、裏方に転向されたようですが、
円谷プロダクションへ出向(?)。
『ウルトラQ』では裏方として演技事務担当と、#11で出役・・・通信員(ノンクレジット)。
古谷さんをケムール人スーツアクターに起用⇒ウルトラマンへ
『ウルトラマン』『ウルトラセブン』制作デスク担当。
森次さんをダン候補の一人とした。

その後、東宝に戻り、

『恋の罠』(NTV 1970年)プロデューサ(補?)
『兄貴の恋人』(CX 1970年)プロデューサ補
『コートにかける青春』(CX 1971年)プロデューサー補
『決めろ!フィニッシュ』(TBS 1972年)ユニ ット・マネージャー
『マドモアゼル通り』(YTV 1972年)ユニ ット・マネージャー
『高校教師』(12CH 1974年)プロデューサー補
『傷だらけの天使』(NTV 1974年)プロデューサー補

●太陽は#145~#291まで、プロデューサー補。

竜雷太さん主演映画『俺の選んだ女』(1976年)制作補

横溝正史シリーズ『三つ首塔』『悪魔が来りて笛を吹く』『獄門島』
(MBS 1977年)プロデューサー

●太陽のプロデューサーに昇格、#292〜PART2最終回まで。

『原子炉の蟹』(NTV 1987年)プロデューサー
『遠眼鏡の中の女』(ANB 1990年)演技事務
『時効を待つ女 -信州・蛍橋-』(TBS 1990年)プロデューサー※東宝退社?
『湯けむり仲居純情日記 1,2,3』(TBS 1993年~1994年)プロデューサー
『愛と感動の実話 さよなら盲導犬ベルナ』(CX 1998年)プロデューサー

息子さんはプロダクション代表・・・太陽は朝日?夕日?という疑問に新野さんに問い合わせ。答えは「朝日」。撮影は千葉県某所。10日間ほど泊まり込みで撮影。(確かに太陽のコンセプトは「刑事の白昼の活動」なので、初代OPが夜明け⇒ボス闊歩・・・は当然といえば当然。)

お孫さんは歯科医。

・・・と、拾い集めてみました。
印象的にはキャスティング(ゲスト)中心のお仕事をされていたように思いますし、裏方のお仕事をかなり把握なさっていた方ではないかと思います。
インタビュー、拝見したいですね・・・<とボソリと。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 向こう一週間の太陽放送2024.... | トップ | サンテレビ太陽放送11/3=誤射!?ス... »

当直室日記」カテゴリの最新記事