
われら一夜大いに飲めば寒明けぬ 石田波郷
波郷にもこんな句があったとは驚きだ
病魔に苛まれた悲劇の俳人との影がつきまとうが
本当の彼はこうしたところに存するべきだったのだと思わざるを得ない
大いに飲む この措辞に大いに飲めない彼が悲しい
彼の寒明けは遠かった
(小林たけし)
森繁久弥の歌で知られる「知床旅情」の一節を思い出した。「……飲んで騒いで丘に登れば はるか国後の白夜が明ける」。いずれも青春の一コマで、懐かしくも甘酸っぱい香りを放っている。詩人の永瀬清子に、ずばり『すぎ去ればすべてなつかしい日々』という本があるように、郷愁は文芸の大きな素材の一つとなってきた。「子供にも郷愁はあるのです」と言ったのは、辻征夫だ。ところで揚句の「飲めば」とは、俳句でよく使われる日本語だが、どういう意味(用法)なのだろうか。いつも引っ掛かる。みんなで大いに飲んだ「ので」、さしもの寒も明けたのか。そんな馬鹿なことはない。飲んだことと寒が明けたこととは、まるで関係がないのである。「飲めば死ぬ、飲まなくても死ぬ」とは、どこの国の言い習わしだったか。少なくとも、こうした用法ではない。「飲めば」は、原因や条件を述べているわけではない。かといって「待てば海路の日和あり」のように、飲んでいる「うちに」と時間の経過を表現した用法と解釈すると、ひどくつまらない句になってしまう。アタボウである。日常的には、とうてい通用しない言葉遣いだと言うしかない。が、面白いことには、誰もが句の言わんとしていることは了解できる。不思議なことに、よくわかるのである。文法は嫌いなので本の持ち合わせもないが、当該項目の説明だけは読んでみたい気がする。私なりの説明がないこともないのだが、まだ自信が持てないので伏せておく。寒明けをことほぐあまりに、不勉強ぶりをさらしてしまった。立春不吉(苦笑)。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
【寒明】 かんあけ
◇「寒明ける」 ◇「寒の明け」
寒があけて立春になること。大体2月の4、5日頃に当たる。寒が明けても寒さはまだ続くが、耐えてきた寒さへの思いを深く込めた言葉である。
例句 作者
寒明や雨が濡らせる小松原 安住 敦
川波の手がひらひらと寒明くる 飯田蛇笏
きささげの莢は空つぽ寒明くる 布施れい子
寒明けや横に坐りて妻の膝 草間時彦
われら一夜大いに飲めば寒明けぬ 石田波郷
寒明けの波止場に磨く旅の靴 沢木欣一