
あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ 脇屋義之
一読 顔が崩れる句だ
あろうことか それがあったのだという作者の自虐めいた措辞
踏んずける は虚構だろうが
踏んづけそうになったのだろう
朝寝は妻だけでなく作者もしていたに相違あるまい
(小林たけし)
季語は「朝寝」で春。春眠暁を覚えず……。よほど気が急いていたのか、何かに気を取られていたのだろう。「あっ、しまった」と思ったときは、もう遅かった。「あらうことか」、寝ている妻を思い切り「踏んづけ」てしまったというのである。一方の熟睡していた奥さんにしてみれば,強烈な痛みを感じたのは当然として、一瞬我が身に何が起きたのかがわからなかったに違いない。夫に踏まれるなどは予想だにしていないことだから、束の間混乱した頭で何事だと思ったのだろうか。この句は「踏んづけた」そのことよりも、踏んづけた後の両者の混乱ぶりが想像されて,当人たちには笑い事ではないのだけれど,思わずも笑ってしまった。こうして句にするくらいだから、もちろん奥さんに大事はなかったのだろう。私は妻を踏んづけたことはないけれど,よちよち歩きの赤ん坊に肘鉄を喰らわせたことくらいはある。誰にだって、物の弾みでの「あらうことか」体験の一つや二つはありそうだ。この句を読んで思い出したのは、川崎洋の「にょうぼうが いった」という短い詩だ。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれてはいない」。「あらうことか」、こちらは早朝に踏んづけられた側の例である。『祝福』(2005・私家版)所収。(清水哲男)
【朝寝】 あさね
暑くなく、寒くなくて、春の朝の寝心地は格別である。十分に寝足りても、なお寝床を離れがたく、うつらうつらしやすい。いかにも春を満喫したという情趣の季語。
例句 作者
川音の切なくなりぬ朝寝覚め 雨宮きぬよ
世にありしわが名を呼ばれ朝寝覚む 井沢正江
嫁の座もしかと十年大朝寝 服部壽賀子
鳰二つこゑのもつるる朝寝かな 森 澄雄
長崎は汽笛の多き朝寝かな 車谷 弘
花を踏し草履も見えて朝寝哉 蕪村
旅にあることも忘れて朝寝かな 高浜虚子
朝寝せり孟浩然を始祖として 水原秋櫻子
ものの芽のほぐれほぐるる朝寝かな 松本たかし
脳神経外科医朝寝の階下に父 相原左義長