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自然災害 仕組みとアプローチ -  南海トラフ地震の規則性 謎

2016-04-13 20:46:06 | 地震 津波
 今日、先ほど書いた記事で、少し気になるのは次の点です。
 仮に日向灘でM7.5程度の地震が今後数年以内に発生した場合、堀氏の見方によればそのまた数年後には、隣接する四国沖の南海トラフでM8.3の地震が起き、そしてその1年後、その東側でもM8.1の地震が発生するという通りになり、日向灘の地震により、150年前後だった発生間隔が半分程度に短縮される可能性がある、となります。
 ところがそうとすると、相模トラフやその延長上の断層での大地震が発生しないままの場合、過去の規則性に矛盾が生じてしまいます。
 相模トラフやその延長上の断層で大地震が発生していないにもかかわらず、南海地震や東南海地震が前回、つまり1944年の東南海地震(昭和東南海地震)と、1946年南海地震(昭和南海地震) から100年しないのに、繰り返す事になるからです。
 どちらの規則性が優先されるのでしょうか?
 そもそも過去の規則性が今後も繰り返されるとは限らない事もあるのですが、それでも上記の矛盾がどうなるのかは謎です。

自然災害 仕組みとアプローチ -  南海トラフ地震の規則性

2016-04-13 19:42:20 | 地震 津波
 南海トラフ地震については良く研究されていて、これもその一例です。

引用開始(一部抜粋)

http://p.jcc.jp/news/10783947/
016/04/06
NHK総合 【NHKスペシャル 巨大災害】
南海トラフ・最新報告・地震発生が早まる!?
堀は九州南東の日向灘に注目した。
日向灘では数十年毎にM7クラスの大地震が起きている。
ここでの地震が東北沖と同様、巨大地震を誘発する可能性を考えた。
堀は南海トラフ周辺の詳細な地形など、最新の観測データに基づいてシミュレーションしてみた。
プレートの境目にたまったひずみが限界に達すると、巨大地震が発生する。
約1000年の間にどのような地震が起きるかシミュレーションすると、多くの場合150年前後の間隔で巨大地震が発生する結果となった。
その中に、巨大地震の発生間隔が短くなる場合があった。
日向灘の地震に誘発されるケースだった。
日向灘でM7.5の地震が発生すると、その4年後、隣接する四国沖の南海トラフでM8.3の地震が起きる。
その1年後、その東側でもM8.1の地震が発生する。
日向灘の地震により、150年前後だった発生間隔が半分程度に短縮される可能性がある。
堀は「今まで南海トラフ地震は規則的に起きていたと思われていた。
シミュレーションから、過去に起きたものではないパターンも見えてきている。
そういう多様性をしっかり検討する必要がある」と説明。

引用終了

 これについては、筆者も同感な面はあるものの、実は別の要素を考えてました。
 
 筆者が導いていた結論から先に書きますと、こうなります。

 「相模トラフかその延長上の断層で大地震か巨大地震が発生すると、 
 『北米プレートに貯まっているた歪が開放され、フィリピン海プレートの勢いが増す事から、ユーラシアプレートの歪みが急に増し、その歪みを開放する力が増すのと、ユーラシアプレートの歪みが開放されるのを抑える役割が多少ともあった北米プレートでその役割が弱まる為、ユーラシアプレートは貯まった歪みを開放しやすくなり、東海地震、東南海地震、南海地震のいずれかが発生する。』
 そして3つのうちの1つで地震が発生すると、南海トラフで地震が起きずの残っている場所に、力がかかるため、順次歪みを開放する。
 過去に発生した地震記録の資料からはある程度の規則性が見出されるのですが、今後もこの規則性が繰り返すかどうかはわからない。」

 その根拠は次の通りです。
引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29

684年11月26日(11月29日)(天武13年10月14日) 白鳳地震(天武地震、南海トラフ連動型地震説あり) - M 8 1/4(Mw 8~9)、死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12km²)が海面下へ沈下(『日本書紀』)。南海地震を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海・東南海地震も発生。日本最古の津波記録[31]。

878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と[42]、館山市の海岸で見出された900年頃と推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある[43]。

887年 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8~8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。津波堆積物からM 9クラスであったとする説もある[47]。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したと、仮説を唱えた[46]。

1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海・東南海地震) - M 8~8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。

1200年頃 地質調査によれば南海・東南海・東海地震が発生。

1241年5月15日(5月22日)(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M 7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
1257年10月2日(10月9日)(正嘉元年8月23日) 正嘉地震 - M 7~7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)※。
1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M 8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3,000人あまり、余震多発。

1331年
8月11日(8月19日)(元弘元年、元徳3年7月7日) 元弘地震 (東海地震?)※[54] - M 7。

1361年7月26日(8月3日)(正平16年、康安元年6月24日) 正平地震(康安地震)(南海トラフ連動型地震説あり) - M 8 1⁄4~8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。

1433年10月28日(11月6日)(永享5年9月16日) 相模地震(永享関東地震) - M 7以上、死者多数。津波により利根川が逆流[注 8]。

1454年
12月29日(1455年1月7日)(享徳3年12月10日) - 鎌倉で余震とみられる大地震(『鎌倉大日記』)。

1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[58])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、「理科年表」には記載がない。地層[注 9]や史料[59]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が疑われている[60][61][62]。

1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 - M 7~7.5、死者多数。同日、畿内でも地震。南海地震との説もある[63]。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2~8.4、死者3万~4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流されるなど ※。地質調査によればほぼ同時期に南海地震も発生。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[64]

1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M 7.0~7 3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院破壊、津波有り。

1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。

1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ連動型地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9~8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万~2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。

1615年6月26日(慶長20年6月1日) 相模・江戸で地震 - M 6 1⁄4~3⁄4、小田原、江戸で被害。

1628年8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた - M 6.0。
1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M 7.1あるいはM 7.0±1⁄4、小田原で大きな被害を出し死者110~150人。駿河・熱海に津波。
1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M 6.0前後、大きな被害。

1677年
11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震(延宝地震) - M 8.0前後(Mw 8.5)、死者500~600人。福島県~千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害[78])。

1703年
12月31日(元禄16年11月23日) 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1~8.2(Mw 8.1~8.5[83])、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M 6.7±0.1、死者約20~100人。

1854年
12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,000~3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震 - M 8.4、死者1,000~3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。

引用終了

 冒頭の結論で書きました「過去に発生した地震記録の資料からはある程度の規則性が見出されるのですが」はこの資料からわかる事でそれは次の通りです。
 南海、東南海、東海と言う3つのトラフのいずれかの地震が発生した場合は、100年の間を置かずに残りのトラフで大地震が発生している。
 場合によっては数年以内に発生している。
 相模トラフと思われる地震、相模トラフの延長にある陸上の断層と思われる地震があった場合は、その後数年とか、数十年とか以内に南海地震、東南海地震、東海地震は繰り返しているケースが殆どで、仮にその期間内でなかった場合でも、100年の間を置かずに繰り返す場合が多い。ただ100年以上の期間を置いてから繰り返した場合もある。
 「相模トラフと思われる地震、相模トラフの延長にある陸上の断層と思われる地震が無い場合は、『例外なく』100年より長い期間を置いてから繰り返している。」