石川県能登地方で目立つ地震が有ったのは去年の9月。
Mj 最大震度
2021年9月16日 18時42分ごろ 石川県能登地方 5.2 5弱
でしたが、去年7月あたりより小さな有感地震は増加していました。
地震だけでなく地殻変動がここ1年位続いているようです。
引用開始(一部抜粋)
https://news.livedoor.com/topics/detail/21450457/
能登半島で1年続く謎の地殻変動 3cm隆起した場所も、原因は水?
2022年1月2日 8時0分 朝日新聞デジタル
石川県能登地方で謎の地殻変動が1年続いている。
3センチほど隆起した観測点があるほか、震度5弱など震度1以上の地震は約70回発生した。専門家は、地下から上昇してきた水が地殻を膨張させた可能性を指摘する。しかし、仮にそうだとして、その水はどこから来たのか。詳しい原因は不明なままだ。変動が終息に向かう兆候もなく、注視するしかないのが現状だ。
「なぜ地震活動と地殻変動が続いているのか、明確な理由が分からない。我々が経験していないことが起きている可能性もある」
2021年12月にあった地震調査委員会の会合後、能登地方の地震と地殻変動について記者から問われた平田直委員長は、専門家の間でも議論が続いている現状を明かした。
国土地理院によると、能登半島の先端にある珠洲市では20年12月ごろから隆起が続き、これまでに3センチほど隆起した地点もあった。
地震も増えている。金沢地方気象台によると、21年1月から12月22日までに震度1以上の地震が69回発生。21年9月16日には震度5弱の地震も起きた。体に感じない揺れも含めたマグニチュード(M)1以上の地震は3千回以上を数える。
京都大防災研究所付属地震予知研究センターの西村卓也准教授(測地学)は「ふつうは大きい地震のあとに余震が続き、発生数はだんだん減っていく。これだけ続くということは、地下に何らかの力がかかり続けていると考えないと説明がつかない」という。
地下でいったい何が起こっているのか。京大と金沢大のGPS観測では、地殻変動が始まって以降、震源周辺の地下10~15キロの地殻が膨らんでいることが分かっている。何かが大量にたまっているらしい。西村さんは、この「何か」が水ではないかと考えている。
水の供給源として考えられるのが、太平洋から日本列島の地下へ沈み込んでいる海洋プレートだ。
プレートには、海底下にあった時に岩石の隙間に入り込んだ海水や、鉱物の構造の中に含まれる結晶水と呼ばれる水がある。こうした水の多くはプレートとともに地球の地下深くに入っていくが、地下250キロほどから何らかの原因で分離し、十数キロまで上昇した可能性が考えられるという。
引用終了
と言う事で自分なりに過去の事例を調べてみました。
結論とまでは行かないものの傾向らしきものとしては熊本地方の地震との遠隔連動性です。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本地震 - M4 - 6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 ※ - M6.0±1⁄2、存在がほぼ否定される幽霊地震。家屋倒壊、死者ありと言うも、宝永地震を転記した際に生じた誤り[83] との説がある。
1628年8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた - M6.0。
1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M7.1あるいはM7.0±1⁄4、小田原で大きな被害を出し死者110 - 150人。駿河・熱海に津波。
1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M6.0前後、大きな被害。
同日に 蝦夷で強震(『福山秘府』)。上記17世紀前半の津波堆積物を1611年とする説がある一方で、1635年とする説もある[76][84]。
1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M6+1⁄4 - 3⁄4、死者多数[注 17]。
(中略)
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
(中略)
1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[106]。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
(中略)
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[107]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
(中略)
1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 - M6.3、死者20人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M8.0、濃尾平野北西部などで最大震度7相当と推定[117][118]。死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
(中略)
1922年(大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M6.8、死者2人。
12月8日 島原地震(千々石湾地震) - 1時50分にM6.9、11時02分にM6.5。長崎県橘湾で地震。長崎県を中心に各地で大きな被害。死者26人・負傷者39人。被害家屋2,000以上。
(中略)
1933年(昭和8年)
3月3日 昭和三陸地震(三陸沖地震) - Mj8.1(Mw8.4)、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度5。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。アウターライズ地震。
6月19日 宮城県沖で地震 - Mj7.1。岩手県宮古市・盛岡市・水沢市、宮城県仙台市・石巻市で最大震度4。宮城県沖地震の1つとみられる[121]。
9月21日 七尾湾地震 - Mj6.0、富山県富山市・高岡市、石川県輪島市で最大震度4。死傷者60人。
(中略)
2007年(平成19年)
3月25日 能登半島地震 - Mj6.9(Mw6.6)、石川県穴水町・輪島市・七尾市で最大震度6強。死者1人、小さいながら津波も発生した。
7月16日 新潟県中越沖地震 - Mj6.8(Mw6.7)、新潟県長岡市・柏崎市・刈羽村、長野県飯綱町で最大震度6強。柏崎刈羽原子力発電所では震度7相当との試算がある[148][注 23] が、計測地震計によるものではない。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。局所的に最大1mの津波を観測。
引用終了
1792年の島原大変肥後迷惑、1922年の島原地震も広義に解釈するとやはり石川県の目立つ地震とやや連動したような感が有ります。
100%ではありませんが、能登地方を含む石川県の地震、或いは場合によって長野県や新潟県の地震が熊本地方の大地震と連動している感が有るのですが、熊本地方や島原地方で目立つ地震や火山活動が有るとそれで「突っかえ棒」が外れ、「そして能登地方を含む石川県の地震、或いは場合によって長野県や新潟県に力がかかって目立つ地震となりやすい」、と言う広域での「突っかえ棒の交代理論」に該当すると考えているのですが実際にはどうなのでしょう。
Mj 最大震度
2021年9月16日 18時42分ごろ 石川県能登地方 5.2 5弱
でしたが、去年7月あたりより小さな有感地震は増加していました。
地震だけでなく地殻変動がここ1年位続いているようです。
引用開始(一部抜粋)
https://news.livedoor.com/topics/detail/21450457/
能登半島で1年続く謎の地殻変動 3cm隆起した場所も、原因は水?
2022年1月2日 8時0分 朝日新聞デジタル
石川県能登地方で謎の地殻変動が1年続いている。
3センチほど隆起した観測点があるほか、震度5弱など震度1以上の地震は約70回発生した。専門家は、地下から上昇してきた水が地殻を膨張させた可能性を指摘する。しかし、仮にそうだとして、その水はどこから来たのか。詳しい原因は不明なままだ。変動が終息に向かう兆候もなく、注視するしかないのが現状だ。
「なぜ地震活動と地殻変動が続いているのか、明確な理由が分からない。我々が経験していないことが起きている可能性もある」
2021年12月にあった地震調査委員会の会合後、能登地方の地震と地殻変動について記者から問われた平田直委員長は、専門家の間でも議論が続いている現状を明かした。
国土地理院によると、能登半島の先端にある珠洲市では20年12月ごろから隆起が続き、これまでに3センチほど隆起した地点もあった。
地震も増えている。金沢地方気象台によると、21年1月から12月22日までに震度1以上の地震が69回発生。21年9月16日には震度5弱の地震も起きた。体に感じない揺れも含めたマグニチュード(M)1以上の地震は3千回以上を数える。
京都大防災研究所付属地震予知研究センターの西村卓也准教授(測地学)は「ふつうは大きい地震のあとに余震が続き、発生数はだんだん減っていく。これだけ続くということは、地下に何らかの力がかかり続けていると考えないと説明がつかない」という。
地下でいったい何が起こっているのか。京大と金沢大のGPS観測では、地殻変動が始まって以降、震源周辺の地下10~15キロの地殻が膨らんでいることが分かっている。何かが大量にたまっているらしい。西村さんは、この「何か」が水ではないかと考えている。
水の供給源として考えられるのが、太平洋から日本列島の地下へ沈み込んでいる海洋プレートだ。
プレートには、海底下にあった時に岩石の隙間に入り込んだ海水や、鉱物の構造の中に含まれる結晶水と呼ばれる水がある。こうした水の多くはプレートとともに地球の地下深くに入っていくが、地下250キロほどから何らかの原因で分離し、十数キロまで上昇した可能性が考えられるという。
引用終了
と言う事で自分なりに過去の事例を調べてみました。
結論とまでは行かないものの傾向らしきものとしては熊本地方の地震との遠隔連動性です。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本地震 - M4 - 6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 ※ - M6.0±1⁄2、存在がほぼ否定される幽霊地震。家屋倒壊、死者ありと言うも、宝永地震を転記した際に生じた誤り[83] との説がある。
1628年8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた - M6.0。
1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M7.1あるいはM7.0±1⁄4、小田原で大きな被害を出し死者110 - 150人。駿河・熱海に津波。
1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M6.0前後、大きな被害。
同日に 蝦夷で強震(『福山秘府』)。上記17世紀前半の津波堆積物を1611年とする説がある一方で、1635年とする説もある[76][84]。
1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M6+1⁄4 - 3⁄4、死者多数[注 17]。
(中略)
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
(中略)
1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[106]。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
(中略)
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[107]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
(中略)
1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 - M6.3、死者20人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M8.0、濃尾平野北西部などで最大震度7相当と推定[117][118]。死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
(中略)
1922年(大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M6.8、死者2人。
12月8日 島原地震(千々石湾地震) - 1時50分にM6.9、11時02分にM6.5。長崎県橘湾で地震。長崎県を中心に各地で大きな被害。死者26人・負傷者39人。被害家屋2,000以上。
(中略)
1933年(昭和8年)
3月3日 昭和三陸地震(三陸沖地震) - Mj8.1(Mw8.4)、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度5。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。アウターライズ地震。
6月19日 宮城県沖で地震 - Mj7.1。岩手県宮古市・盛岡市・水沢市、宮城県仙台市・石巻市で最大震度4。宮城県沖地震の1つとみられる[121]。
9月21日 七尾湾地震 - Mj6.0、富山県富山市・高岡市、石川県輪島市で最大震度4。死傷者60人。
(中略)
2007年(平成19年)
3月25日 能登半島地震 - Mj6.9(Mw6.6)、石川県穴水町・輪島市・七尾市で最大震度6強。死者1人、小さいながら津波も発生した。
7月16日 新潟県中越沖地震 - Mj6.8(Mw6.7)、新潟県長岡市・柏崎市・刈羽村、長野県飯綱町で最大震度6強。柏崎刈羽原子力発電所では震度7相当との試算がある[148][注 23] が、計測地震計によるものではない。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。局所的に最大1mの津波を観測。
引用終了
1792年の島原大変肥後迷惑、1922年の島原地震も広義に解釈するとやはり石川県の目立つ地震とやや連動したような感が有ります。
100%ではありませんが、能登地方を含む石川県の地震、或いは場合によって長野県や新潟県の地震が熊本地方の大地震と連動している感が有るのですが、熊本地方や島原地方で目立つ地震や火山活動が有るとそれで「突っかえ棒」が外れ、「そして能登地方を含む石川県の地震、或いは場合によって長野県や新潟県に力がかかって目立つ地震となりやすい」、と言う広域での「突っかえ棒の交代理論」に該当すると考えているのですが実際にはどうなのでしょう。