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仕組みとアプローチ -  明智光秀の悲惨な結末 疑惑の鍵は中川清秀 と言う考え方

2018-06-01 12:59:33 | 明智光秀
 明智光秀が(少なくとも表面上)悲惨な最期を遂げたメカニズムについて考えているて浮かび上がって来るのが、中川清秀です。
 それは次のようなアルゴリズムによります。
 まずアルゴリズムのスタートは「中川清秀が1580年に交した秀吉との内誓紙の事を明智光秀が知っていたのか?」についてです。

 まず仮に知らなかった場合。

 中川清秀が明智光秀の寄子でありながら秀吉との内誓紙の事を光秀に報告していなかった事、これは裏切り行為になるはずです。
 当時において秀吉は三好氏と連携を進め、信長にとって長宗我部氏の存在価値が低くなるような事をしてたのは明らかだからです。
 当時の状況で光秀にこのような秀吉との内誓紙の存在を報告していなかったと言うのはどう見てもブラックとなります。
 仮に明智光秀や家臣らが秀吉との内誓紙の事知らなかった場合、(明智光秀でなくても)斉藤利三や伊勢貞興らが本能寺の変の件を事前に光秀の寄子(明智光秀が寄親)である高山右近や中川清秀を信用して相談し兵を増やそうとしていた可能性が有り、それが秀吉に漏れていた可能性が高い、と見られます。
 それが中国おお返しを可能にし、山崎の戦いで明智方敗北の一因になったのは確かに有ったかと思われます。

 それでは仮に斉藤利三や伊勢貞興らが秀吉との内誓紙の事を知っていた場合。

 秀吉から情報をもらえる立場であった中川清秀が事実と違う情報を斉藤利三ら(明智光秀までもかどうかは不明、但し本能寺の変の直後は中川清秀らから情報を得ていた可能性はある)に伝えていた可能性が有ります。(秀吉との内誓紙の事を知っていながら中川清秀から秀吉と毛利方の交戦の状況について情報を信じる方も考えが甘いと言う事も有るかも知れません)。
 つまり「毛利攻めで秀吉は畿内には戻ってこられない」とか、秀吉と中川清秀が明智方をワナにかけるような情報を流した可能性が有ります。
 これが秀吉から発信された情報なら中川清秀はその中継をしただけなのかも知れませんが、「秀吉との内誓紙」の事を知りながら斉藤利三らが中川清秀からの情報を信じると言うのはあまり考えられません。
真相は果たしてどうだったのでしょうか。
 いずれにしても、信長も明智光秀もほぼ同時に討取れる立位置にあったのは中川清秀だったはずだと見ています。
 極端な想定になるかも知れませんが、中川清秀は明智光秀の寄子だったため「明智方の装備で明智軍に偽装して本能寺を襲撃し、毛利攻めの前に信長から本能寺に集合をかけられた斉藤利三らを強制的に信長襲撃者にしてしまった事だって有り得る」、とも考えています。


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