この作品をヒロクニさんは私に見せに来ました!!
「こんにちは、こんばんは~」と言いながら、玄関の前にある廊下の部分を滑りながら・・・。
ヒロクニさんは、アトリエから、廊下を蟹のように歩き、舞台の横から登場する役者のような感じで私を見る。
取り払われた襖なしの四角い空間からは、本当に舞台のような感じに見える。
四角く切り取られた空間で、絵の説明や横歩き、時には私を指差し語りかける。
なんか陽気なヒロクニ画伯は、コメディアンにでもなったみたい。
絵も陽気であるが、本人もオチョケルことに陶酔していて、本当に劇でも見ている気分。
(ああ、武内ヒロクニ劇場がはじまったわ・・・と内心思う)
ふざけた説明をするのが愉快なようで、説明をすっかり忘れてしまいました。
不機嫌かと思ったら、急に陽気なんです。
「この絵のタイトルは、こんにちわ~、こんばんはっていうのだ」
と言い、踊る。
ヒロクニさんっておもしろい人。(白目)
見せに来た態度が凄いので、その方に気をとられていましたが、
ゆっくりと、台所に飾られている絵を見ていると、やっぱり海があり風景に感じられました。
顔があるように見えるのですが、青い船(青い唇の形のところ)がゆらゆらとした感じにも感じられ、
四角く切り取られたところは、神戸の沿岸のように感じます。
ヒロクニさんにとって、神戸は自分そのものらしく、それがにじみ出てしまう。
「俺の街、神戸」というセリフは何度聞いただろう。
青春を過ごし、洋画家への道を踏み出し、現代美術(グループ位)の創立メンバーになったり、
ロック喫茶を経営したりした神戸の街がにじみ出てくるのでしょう。
地形や道、坂の勾配、神戸の海風すべてが身体で覚えている。
そんな事を思わせてくれる作品だなぁ~と思いました。
私が「神戸っ子」ではないから、よけいにそのことを感じるのかもしれません。
しかし、「劇場武内ヒロクニ」の陽気さは何だったのだろう?
ガーデニングでは、やったことがないものににも挑戦。ハンギングというやつです。
夏はトマトのハンギングをしてみたが、惨敗に・・・・。
今年の春は、ビオラのハンギングに挑戦。
このビオラは種を一袋購入して、苗をたくさん作りました。
そのたくさん作ったものでやってみました。
店に売っているビオラやパンジーは花がすでに良く咲いていますが、
自分で植えたものは成長がちょっと遅い。
少し、花が咲き始めたので嬉しくなって写真を撮りました。
古くて使えなくなった物干し竿を掛ける台の1つに、カゴを固定して日当たりの良いところに置いています。
ヒロクニさんにカゴを縛り付ける作業をやっていると、
「さほりは、怪力の持ち主だなぁ~」と言って去って行きました。
自分でもこういう事を思い付く時、「どんな女やねん・・・」と思います。
「これは、庭仕事をしているさほりだよ」と言って手渡されました。
ムムム・・・と思いながら受け取りました。
ジーと見て「左の人物のようなものが私か・・・」と見ました。
この絵を見てすぐ思ったのが、パリンと乾いた音がしそうな感じで、
枯れた画風だなぁ~と思ったのです。
そういう風な感じも含め、何かとても好きになりました。
そして、やはり独特な浮遊感覚があります。
しかし、何の花なのかが分からない所がヒロクニさんらしい。
冬の間、ほんとにヒロクニさんは外に出なかった。
タバコすら私に買いにいかす。
「あんまり日に当たらないと、クル病になるよ!!」と脅かしてもだめだ。
「天気のいい日は、庭にぐらい出てみたら?」
「大きい球根のめずらしいのが芽を出しているから、見て欲しいわ」と言い、
少しでも外で日に浴びさせようといろいろ言うが、アトリエから出てこない。
(大きなアリウムを今年は初めて植えています)
なんか、熊さんなのである。
冬は全体的に機嫌が悪い。
家にいながらも春の雰囲気は感じているのか
「雨が降っても、真冬じゃないね」と言い、そういう時はなんか可愛らしい。
こちらは、通院中のジルくん。
ジルは外にあまり出なくてもいいのに、外が好き。
何故か、庭で丸くなってジーとしている。
お友達猫がおらず、いつも1人で遊んでいます。
食卓に飾ってあるパンジー。
ムーランフリルというイタリアのパンジーで、飾ると感じがいいので毎年特別に買うパンジーなんです。
庭で育てているので、その花を飾っています。
コップは、ヒロクニさんが買ったスターバックスのコップ。
小さいコップをヒロクニさんはよく買います。
コップの下は、私が編んだドイリー兼鍋つかみ。随分前に編んだものです。
かぎ編みは、母がしていたのでまねしながら独学で習得したのですが、棒編みが出来ません。
オシャレな棒編みの本を見るたびに、やってみたいと思う気持ちが募ります。
スキャナーで2枚に分けて、それを重ねて一枚の絵を上げたのですが、彩度が何故か合わずちょと切れ目が
見えてしまい絵が見づらくなってしまいました。
「花の方へ」と画面に書き込まれています。
ヒロクニさんの作品の中でも、こういう雰囲気の作品はめずらしい。
なんか、ファンシーな感じがするところがヒロクニさんらしくない等と思うのです。
私は、ガーデニングに励んでいますが、一度も手伝ってくれたりはしない。
近所のご夫婦が、2人で畑で一緒に一所懸命やっている姿を見るとうらやましい。
それに「農作業はもう終わったのか?」というデリカシーを欠いた発言。
「花はたくさんの色がある」
そこがヒロクニさんには面白いようで、チラッと見たり、アトリエの窓から花を見たりして、
「あの色が気に入っている」とか
「あのチューリップのピンクが、心を癒してくれる」と、報告してくれる。
そんな気持ちが少し感じられるのが上の作品だ。
しかし、ヒロクニさんらしくない絵だなぁ~と思い、
ファンシーじゃない作品の方が私は好きだなぁ~何度も思うのであった。
ヒロクニさんは、制作の合間にミステリー小説を読むのを現在楽しみにしている。
私は、最近読んでもいいかな?と思うが、歴史の方が面白くて今はそんな本ばかり読んでいる。
今は、「古事記」。
食事を終え、洗い物を洗ってくれてから、珈琲を飲む。
珈琲を飲みながらヒロクニさんが言うには、
「ミステリーてのは、小さいことばかりなんだ。
例えば、窓が開いていたかどうかとか、いつ何時に頃だったかとか、
小さいことの積み重ねでねぇ、絵と良く似てるんだよ。
それでトリックがあるわけで、絵にもトリック作りがあってねぇ、
読んでいてそのミステリー小説家の才を感じる瞬間が面白いんだ。
文明があるから、ミステリー小説が花が開くわけで、それがいいんだよ」と。
中国にミステリー小説家はいない。納得した。
ちょっと、この意見はなかなか面白いなぁ~と思い、ミステリー読んでみようかな?というにさせられています。
ヒロクニさんが読むミステリーは、古い本も多く、アマゾンなどで検索すると、もう本がなかったりする。
イギリスとアメリカのミステリー作家の本をよく読んでいます。
「ミステリーも読まず、死ねるか!」と豪語しています。
このチューリップがヒロクニさんを癒しているピンクのチューリップです。
確かにこのピンク色は、とてもきれい。
植えつけたパンジーも紫色の花がたくさん咲いてきた。
赤いビオラは、私が種から育てたもの。こちらもやっと花が・・。
石で囲ったところは、ムスカリです。
春が待ちどうしい。
庭の奥で休むジルくん。
昨日の血液検査で、あまり良くなっていないそうで、まだまだ通院がつづきそう。
元気そうではあるけど、腎臓の数値がいまひとつ良くなっていない。
ちょっとショック・・・・・。
どうとでもなれ!
この絵を見ていると、真に「どうとでもなれ」という心境がひしひし感じられ、
深刻というよりは、自我とか理性とかすべてを投げ打ち、開き直るというか、
絵自体が「どうとでもなれ」そのもので、ちょっと笑いをさそいます。
本人は大真面目に描いた絵のようですが、ユーモアが感じられて、
「ヒェ~、こ・の・絵は、いったい・・・・・」。と、思うのですが、
すごく印象に残っています。
私の記憶からこの絵は、永遠に残りそうです。
私も53歳になり、中年真っ只中ですが、いろんな事がありました。
私の人生の中ではっきりと「どうとでもなれ」と思った瞬間あります。
それは「うつ病で精神病院に入院させられた時です」
ヒロクニさんとラブラブで結婚したのは、良いけれど、
結婚当初、ヒロクニさんは「錯乱をよく起こし、(病院へ行くと一種のパニック障害だったらしい)、
私は、それが起こる度に、訳がわからなくて、右往左往していました。
第三者というか、他人がいるところでは症状は出ないのですが、
2人になったとたん、錯乱が起こり、人が変わったように、私に攻撃的な態度をくりかえすようになる症状に悩まされていた。
何とかせねばと、優秀なカウンセリングを見つけ、何とか本人を連れていき、
症状が良くなり、一難を超えた。
しかし、私の方は神経を使い果たしていたことに対して、注意を受け、しばらくは主人より
「あなたの方が擦り切れているから、ゆっくりして下さい」とアドバイスの言葉をかけてもらっていました。
ホ~としようと思ったら、阪神大震災が起こり、絵の売り上げが全く期待がもてなくなり、
思い切って大阪で働くという決意をし、実家のある宝塚市、引っ越した。
紆余曲折あって、大阪の派遣会社からCDAオペレータとして働くことになり、なんとか生活費は
稼げるようになった。しかし、残業が多くいつも疲労感で一杯で、
通勤の道で、ユンケルを薬局でおじ様達と飲み、頑張っていた。
ある日、パソコンで仕事をしていると吐き気がしてきて、気分が悪くてしかたなくなり、
身体がついていかないようになったのです。
肩こりが半端でない状態になり、偶然の巡り会わせか、経営難の美術教室を引き継ぐように。
これで、好きと仕事が両立し、なかなか楽しくやっていた。
重たい荷物を持って運ぶ(自動車のれないので)
自分を宮沢賢治の言う「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち・・・」みたいと、
思っていたが、「丈夫なからだをもち」が崩れてきた。
そんな時に、ヒロクニさんが、毎日新聞の夕刊で絵の挿絵の仕事が入ってきて、やっとホッとしていい状態になったのです。
教室も他の人に引継ぎしてもらい、無理もしなくていい、嬉しい状態になってからしばらくしたら、
だんだん憂鬱さがひどくなり、ご飯の味もしないし、食欲もなく、ひたすら苦しくなり、寝ていても苦しいし、
とうとう食事もとれなくなり、料理を作るのも地獄なり、ヒロクニさんは怠け者みたいに思っているし、
自分の存在自体が苦しいのです。ヒロクニさんが留守の間に、
「何で薬は効かないの!気分が楽になるって書いてあるのに!!」と大量に薬を飲んでぐったりしていた。
ヒロクニさんが、救急車を呼んでくれ、家族が相談したらしく、入院させられた。
入院したのは、いいけれど、「本当に、周りの患者の凄さに驚いて、すぐさま退院させろ」と先生に訴えたが、
却下されてしまい、もう私は終わりだ・・・・。とがっくりきて、惨めだった。顔色も悪いし・・・。
病院で過ごすうちに、「もう私は終わりなんだし、どうとでもなれ、しらんわ」と思いだしてから、
だんだん話せる症状の軽い人と仲良くなり、それなりに楽しくやるようになった。
重症な人を、怖がっていたけど、病気はさておき、優しい心根にも気がつくようになり、
いろんなことに気が付くようになった。
統合失調症の方で薬が多くて、一日分を分ける作業しているのを手伝ったり、
やたら人を褒める患者さんは、住所が病院にあり一生病院ですごす自分を受け入れての行動なんだろうなぁと思い、
胸につまされたりした。
入院して分かったことは、長く緊張した生活を送ってしまい、
自然な休息の取り方すらわからなくなってしまい、長年の疲労がたまっていたのだなぁと振り返ります。
だからといって、頑張る時には頑張るしかありません。
頑張ったことも、精神病院に入院させられたことも、良かったと思っています。
病院の先生が、主人にひるむことなく、等々と病気の説明をしてくださり、ヒロクニさんに理解が
芽生えたこととか、悪い出来事にもいつも良い面が隠されているなぁ~と思います。
私の独断の苦労話を描きましたが、
「どうとでもなれ」という言葉は、人生最大の窮地に立たされた時に、人を救う言葉かもしれません。
やっぱり、武内ヒロクニ先生は偉大かも。
ポークソテーを作ろうと思い立ってから、それを中心に考えたメニュー。
ポークソテーのお皿にのっている黄色いものは、キャベツのカレー粉茹で。
じゃがバタ、豆腐とわかめの味噌汁。たらこ。
焼き鳥(ジルくんの胸肉のご飯をつくる時にあまった、皮の部分で)
ちくわにきゅうりをつめたもの)大根の棒切は、金山時味噌で食べます。
焼き鳥の皮を串刺しにするのに以外と時間がかかった。けっこう難しい。
夕食を終えると今日一日が終わったという感じがするねと、2人で話します。
すてきなヒロクニさんの友人でもあり、私もお友達になった方が、
チューリップと胡蝶蘭を持って、遊びに来て下さりました。
ジルは怖がりで、ジルの心配もしてくれていたのにお客さんの前に姿現さず。
胡蝶蘭って、部屋の中に入れるととっても上品な感じで、いいなぁと眺めています。