武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

絵とポエム(作品紹介58)

2011-03-28 23:47:03 | Weblog



春雷とともに

ドスンと春がやってきた。

僕もジャンプして、ドスンと地面に着地した。

その時から、

地上のものも

地中のものも

春の風に撫でられ、目覚める。


風は春の協奏曲を奏で 音楽は夕暮れまで続く。

僕はリズムにあわせてダンス、ダンス、ダンス・・・・

躍動の季節が始まる。


そして、僕は命令した。

「もう冬は立ち入り禁止!!」



森下仁丹の通販紙、仁丹堂 四月の表紙と文です。

武内ヒロクニ、頑張ってます!!
(わたしは、内職でTシャツ刷ってます)



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男のオシャレは足元から・・・・。

2011-03-24 23:39:23 | Weblog

「男のオシャレは足元からと言ってね・・・」と靴を履くヒロクニさん。
今日は、神戸へお出かけです。

ヒロクニさんはオシャレな人と云われることが多い。そんなにオシャレにお金をかけている訳ではない。
写真に写っている靴はイギリス製の革靴。
それと、最近買った派手な靴下。
内訳を言うと、靴は、友人から頂いたらしい。靴下は、神戸のジャンクショップで750円で買いました。ジャンクショップでは、アーミー調のナイロンのコートを5800円を買ったこともある。それも、重宝してジャケットの上によく着ている。それが73歳のヒロクニさんによく似合っているのだ。その服装にあう帽子も、頂いたりして、映画「カサブランカ」のボギーに近づき、さまになっている。

最近、わたしは、1人で京都へ出かけた。
その帰りいつも寄る珈琲店があり、『六曜社』という珈琲店で考えごとをして帰る。
日曜日でいつもより混雑していたせいか、合い席の度合いが凄かったのです。
京都ならではの古い雰囲気を眺めていると「ここは、古い店だからねぇ~」。と言う声が。その初老の声は、それから一方的に話だしてとまらないのです。適当に話を合わしているうちに「ゴミ問題」に話は流れ、この席にいる限りのがれられそうになかった。わたしは、「この方は、何歳?ぐらいの方なのか」と思い「御幾つですか?」と聞いた。「72歳ですよ」と答えてくれた。
73歳の夫、ヒロクニさんとつい比べてしまい、わたしは幸せ者だと思ったのです。
だって、ヒロクニさんはいつも絵のこと(芸術のこと)を考えていて、まだまだこれからを語ってくれる。その初老の方は、昔のよき思い出ばかり・・・・。
わたしは、ヒロクニさんのことをいい男だと、心に強く思ったのです。

そんな思いで家に帰ると「しばらくは出かけるのはやめてくれ」と言われてしまいました。
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武内ヒロクニ 4月の2つの企画展の案内とお誘い

2011-03-22 11:20:27 | Weblog

このハガキの装画は、武内ヒロクニによるもの

●「絵本とファインアートのあいだに」東京銀座

ハガキから抜粋

《あの世界中に愛されているクレーの絵を前にした時、彼が「絵本とファインアートのあいだに」幾ばくかのイメージを抱き、その往還を愉しんでいたに違いないと思うことがある。だからこそクレーの絵には楽しさと同時に深さがある。絵本はアートになりうる。そんな想いを抱きながら、この同じ分野で果敢に挑戦している作家達はさて如何だろうかー。今展はではすでに絵本を出版している作家もいるが、この作家が将来絵本を創ったらさぞ楽しかろうという視点も入れ、又それがこの国の絵本文化の向上にも役立てば、という欲張った企画である。この中からひょっとすると将来のクレーやミロが誕生するかもしれぬと、そんな楽しい期待も抱くのである。》案内文・御子柴 大三


日時 4月2日(土)~4月9日(土)PART5
   4月11日(月)~4月18日(月)PART6→武内ヒロクニ出品

時間 11:30~19:00(日曜、最終日は17:00まで)
場所 ギャラリー枝香庵
   〒104-0061
   東京都中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング8F
   ℡ 050-3452-8627
ギャラリー枝香庵のホームページ http://echo-ann.jp/





●「一石を投ずる展」神戸

《昨今の美術家界はアートフェアー、ビエンナーレ、日韓交流展等々、一見グローバル化の時代を迎えているかにみえます。しかしいざ足元(国内)を見つめていますと、まだまだこの度は隠れた優秀な人材が見落とされがちであることは否めません。
小磯良平、鴨居玲、菅井汲等々を輩出した神戸という地で現代の美術作家達が新しい伝統を創ろうと一石を投じようとするものです。その意気込みの高さを御覧下さいませ》案内文・御子柴 大三

日時 4月16日(土)~27日(水)
時間 12:00~19:00(火曜日は18:00まで、最終日は17:00
場所 ギャラリー島田
   〒650-0003
   兵庫県神戸市中央区山本通り2-4-24 リランズゲートB1F
   ℡ 078-262-8058
ギャラリー島田のHP http://www.gallery-shimada.com/

ヒロクニさんと作品選びをただ今検討中!!作品はたくさんあって、わたしはいつもコレクターの目になって、絵を鑑賞し直します。いつも、用事の傍らでゆっくりと絵を意外と見ていないのです。個性の塊のようなヒロクニさんは、絵も個性的です。



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助け合いの気持ち

2011-03-15 00:49:16 | Weblog

ヒロクニさんも仏にすがる気持ちが強い頃、描かれた作品。
作品の中にこめられた祈りと怒りが同居している。
祈りだけですまない所がヒロクニさんらしい。
赤裸々というか、気持ちがそのまま出ている作品です。

東北地方太平洋沖地震で、被災された方々にはお見舞い申しあげます。
わたし達は、阪神大震災に遭いました。
テレビをつけると実際にどれだけ大変で辛いか、また不安に陥っているか想像すると声が出ません。ヒロクニさんもわたしも、涙で頬をぬらし、暗い気持ちになりました。阪神大震災より深刻だと思います。

個人的な震災の話ですが、わたしの職場は神戸市長田区にあり、震災での移転と仕事もあったりなかったりで帰ってと言われることも多い状態になりました。ヒロクニさんは震災後に個展をしました。震災の街の中で、妙な元気を与えた個展会場になり、いい個展だったとわたしも記憶しています。わたしの心配は、収入が極端に不安定になったことが一番深刻で、その個展を終えた後も、地震のパニックからくる火事場の馬鹿力と、「がんばらなくっちゃ」という気持ち、そして、思うように事態は展開しないことからくる「苛立ち」が交互に起こり、時間がたつにつれ「焦り」の感情がおそったことを思いだします。

わたしは、住居を移転する決意と大阪での再就職を考えながら、寄り道をしてしまい大阪で派遣にたどりついたのは1年後・・・。書けば長々となるので書きませんが、震災から非常に「一生懸命だったと思う」。しかし、一番いけなかったと思うのは「わたしは、どうしてこんな目に逢わなければならないのだろう」という思いがあったのが一番いけなかったと思う。現実を淡々と受け入れることが出来れば心も身体も、もう少し楽だたろうにと今になって思うだけ。その心の為に疲れていたような気がする。

今、わたしに出来ることは義援金を出来るだけ用意して役立ててもらうこと。
阪神大震災で支給された義援金はとてもありがたかった。
すごく助けられたと思っている。

楽しく節約して、長期的に支援できればと思っている。
我が家、貯金なんてないのです。



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あれこれ作品選び「絵本とファインアートのあいだに」展

2011-03-11 15:03:31 | Weblog

うまく色合いが出ていないのが残念。ブルーよりもっと黄色と緑色がぱっと目に残る作品です。大きさ26cm×19.5cm

東京(銀座)にあるギャラリー枝香庵での「絵本とファインアートのあいだに」という企画展に出品する作品を選びつつあります。
確実に決めた作品がコレ!最新作で出来立てホヤホヤ。
ヒロクニさんは、この冬、クレヨンと色鉛筆をいったりきたりしていて、クレヨンの作品がたまっている。しかし、色鉛筆画家としての方の作品を重要視したのか、この作品を出品するそうです。この作品は額装します。

出品は、3点~4点出来るので、これから残りの作品も選んでいきます。
この「絵本とファインアートのあいだに」のハガキのデザインも武内ヒロクニが挿画を描かせて頂きました。
この企画展は、Part5とPart6がありまして、
武内ヒロクニはPart6に出品致します。価格は3万~

場所 ギャラリー枝香庵
日時 Part6 4月11日(月)~4月18日(月)
住所 〒104-0061
   東京都中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング8F
電話 050-3452-8627
HP http://echo-ann.jp/
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シェパーズパイ(イギリス料理)とイアン・デューリー

2011-03-08 10:59:17 | Weblog

とても変な組合せ。イギリスのパブによくある<シェパーズパイ>とイワシをオリーブオイルとにんにく、塩、こしょうでソテーしたもの。回りに散っているのは缶詰のオリーブの実。
使った食材を良く考えてみると、安いものばかり・・・。

シェパーズパイというのは、イギリスのパブでよくおいてある料理だそうです。女性でも昼に気軽にパブに入り、昼食をすますそうです。最近知ってきたというか、ちょっと謎が解けてきたのは、イギリスにおけるパブの役割。パブ文化というものの存在がわかりかけてきた。

わたしは、イギリスのロックシンガー<イアン・デューリー>が好きで、よく聴いていた。歌唱力がイマイチでも、音のセンスが好きで好きで聴いていた。イアン・デューリーの服のセンスも好きで、兎に角、センスが好きだ。ロックにも種類があって、プログレだとかいろいろある中、イアン・デューリーは「パブロック」と言われていた。「パブロック」というのがどういう意味を指すのか、20代の頃は、さっぱり検討がつかなかったが、イギリスの料理の方からパブに近づき、わかってきたのです。パブではお酒を飲む以外に食事や情報やコミニュケーションの場として役割と、従来のカテゴリーに入りにくいバンドや新しいバンドの演奏がさかんに行われる場所でもあったそうです。
イアン・デューリーは、売れにくいバンドだったらしい。それにちょっと変わっている。気軽に楽しい感じで深刻さがなくて、楽しく聴きながらお酒を飲む、そして、ちょいと踊ると最高という感じで、パンクのセンスだけを取り入れていて洒落ているバンド。ジャンル分けしにくいロックだ。長い時間パブで演奏してきたからなのか「パブロック」の中に堂々たる位置を占めています。

ニュー・ブーツ・アンド・パンティーズ
クリエーター情報なし
ビクターエンタテインメント

このアルバムをよく聴いた。実は、イアン・デューリーは、小児麻痺にかかって、いわゆる身体障害者なのですが、自分のやりたい事を平然とやってのける「おっちゃん」なのです。自国では、俳優としての活躍も成功しているそうで嬉しいなぁと思いました。このアルバムをクリックすると、ちょっとだけ視聴できますよ。

シェパーズパイの作り方
材料:牛ミンチ250g、缶トマト200g、玉ねぎ1個、ジャガイモ500g、バター小さじ1、牛乳50cc、塩、コショウ、ナツメグ
①玉ねぎはみじん切り。
②フライパンにオリーブオイルを引いて玉ねぎをしんなりするまで炒める。
③トマトはざく切りにして②に入れて煮る。
④水分が減ってきたら、牛ミンチを加えて肉の色が変わるまで炒め、塩、コショウ、ナツメグで味を整える。
⑤茹でたジャガイモを潰し、熱いうちにバターを加え、塩、コショウを振って牛乳を加えて柔らかくする。
⑥耐熱皿にミートソースを平らに敷き、マッシュポテトを表面に平らに乗せて、220度のオーブンで15分焼く。
わたしは、マッシュポテトの表面をフォークで波模様にしました。焼く前にパルメチザンチーズをかけても良い。

翌日、たまたま小腹が空いた時に、冷えたシェパーズパイを食べたらすごーく美味しかったです。あっという間に四分の一がお腹の中に・・・。ヒロクニさんに知られないようガツガツと一瞬の出来事のように食べて、後は知らんふり。もともと、羊飼いの人が忙しくて料理にかまってられないということで作られるようになった料理だから、冷えていた方が美味しいのかも?


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祖母のお葬式

2011-03-02 17:49:05 | Weblog

昨日、祖母のお葬式が終わり、棺の中に花々を埋め尽くし祖母の顔を見た。

わたしの方の祖母が亡くなった。
わたしは、病院から遺体と共に車に乗り、運転手さんに実家の道案内をした。親族が続々と現れて、お通夜の準備にはいり、葬儀の会社の人に導かれて「あ~でもない、こ~でもない」と話し合ってたくさんの決め事をした。我が実家は誰もが葬式の準備の経験がなく、わたしも質問した。「受付でご愁傷様ですと言われたら何と受け答えすればいいのですか?」と。「一礼して、この度は起こし下さってありがとうございます」と言って下さい」と教えて頂き、ついでにお金を受け取るときは「ありがとうございますというのが変に感じるようであれば、お預かり致しますと言うのが無難ですねぇ」とも教えて頂いた。
わたしの役割は、受付と花代を預かり領収書を渡すこと。その他は雑用。

わたしは、通夜の時、普段顔を会わさない親族に会えることにも興奮したし、それぞれの人の祖母の思い出を語る話がしみじみしていて、とても聞いているのが楽しかった。子供のころ不思議に思っていたことが、大人になって聞くとなるほどと思ったりして、それもいい時間だったりするのです。お人よし一家の我が家は、ほのぼのムードで葬式を終え、祖母も嬉しかったのではないかなと今日思っている。

わたしが美術学校(大学)に行きたいと強く主張した時、「サホリ、そんなに行きたいのなら結婚式の費用は出さないかわりに大学に行ったらいい」と進めてくれたおかげで今のわたしがある。
ヒロクニさんと結婚したら「そんな大学に行かしたばっかりに、あんな人と結婚して」とばかり言い、ヒロクニさんを目の敵にして、ヒロクニさんを家に入れないということもあった。ヒロクニさんがもしかしたらガンで死ぬかも・・と泣いていたら、祖母は「お前はそれで幸せやったんか?」と祖母と2人して号泣したこともある。
実家から米を貰っていた時、祖母は母に「サホリのとこはそろそろ米が切れてきてる頃と違うか?」と人の家の米の消費まで気配りする。
わたしの人生で「足を向けて寝れない人」の1人は祖母である。

ヒロクニさんも家で、「あの人は、堅剛な人だったね」「僕にも退院祝いをくれて、嬉しかった」と涙もろいヒロクニさんは涙を流した。
祖母は、90歳でした。


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