武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

罪を憎んで、人を憎まず(作品紹介・色鉛筆81)

2012-03-31 23:29:49 | Weblog

題:VAT69
サイズ:パネルF3

ただ今、実家と家を行ったり来たりしている。今日は教室があったので家に帰ってきていて、今ブログを書いている。
「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉が、急に頭の中で浮かび、ひとしきり考え込んでいる。ヒロクニさんは、わたしの中では「罪びと」なのです。わたしに3ヶ月に渡り、当り散らすというのは、もう罪なのです。

そうしている内に「目には目を、歯には歯を」という言葉も浮かんだ。
どちらも、聖書にあるというのが皮肉なものだ。

家を出る前、家にあった「島尾敏雄の本・死の棘」をビリビリに破き、部屋中をゴミ箱にしてアトリエにも撒いた。その本を読んでは、「冬が悪い」と言って、冬中、寒さの愚痴を言うから、その本は憎しみに値した。「島尾敏雄の日記」は、ゴミ箱に投げ捨てた。本を破った時は、「このクソ本!!」と何度も言った。CDにも八つ当たりした。「このクソCD!!」と言ったついでに、「クソ爺!!失せろ!!」とも言った。それから、CDを投げるわたしを取り押さえようとしたのか、手首を押さえるので、悔しくなって殴ったら、首を絞められた。
わたしは首に引っかき傷で血が出ていて、ヒロクニさんは、手の甲にあざが出来ていた。だけど、この事には、頭にくることはなく「両方共が、悪い」のが明らかだ。醜い行為だが、気分がスカッとした。

今は、一緒にご飯を食べないようにしている。
一緒に食事をしたとたん、もう許してくれてると思って甘えてくるからだ。
どうして、そんな風に思えるのか不思議だ。
ヒロクニさん自身のいい所も悪い所も知っているが、どうしても「その罪」は許せない。
『何ヶ月にもわたる長時間の八つ当たりと愚痴の垂れ流し』嫌われてもしかたがない。誰だって嫌だよね。

ヒロクニさんは、入院中も何を食べているのか?以前はすごく心配したけれど、どーでもいい。今は、わたしが大切。
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妻、家出する

2012-03-26 19:28:26 | Weblog

ジョウロの水を飲むジル。

こんな可愛いジルちゃんと離れて暮らす日々。
夫に腹立ったら、実家に帰るというのは、極力しない事に決めていたが、夫といても癒されないのでしょうがなく実家へ帰りました。
本当は、宝塚市に住んでいるのだから、独り宝塚温泉にでも行って、旅館などに泊まるというのも悪くないと思ったが、節約して実家に行くことにしました。
母は料理が下手なのでなんとなく泊まるのを敬遠しているのだが、選択肢がないので実家へ。
母は、昔から料理や弁当で恐怖を感じさせる。
やはり、二日目、わたしを震撼とさせた料理が出てきた。
「卵焼き」が、わたしを震撼とさせたのである。「卵焼きを焼いた」というが、見当たらない。何か不思議な白い四角いものがあるのだが、豆腐ステーキかな?と思っていた。とにかく白い長方形のものがある。やはり、これが卵焼きなのか?と顔をしかめてそれを見ていた。ちょっと恐怖心も湧く。思い切って「卵焼きって、もしかして白身だけでやいたのぉ?」と。
答えは、「そんなことない」と言う。
どうしてかと、ひつこく聞くと「あ、卵を混ぜてないヮ」とニコニコ顔でいう。
その瞬間、頭がひっくりかえりそうになって、マンガで表現すると、顔の半分に縦線が並んで、擬音は「ゾー」という文字が顔の横に・・。
この食卓のせいか、大学を卒業すると「自活」の道を選ぶのになんの躊躇もなかったのを思い出す。

という訳で、実家にいるので、ちょっとブログを書けない日々が続いています。
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水仙 (太宰治編)

2012-03-10 01:21:31 | Weblog

●水仙と庭の南天の実と道端に自生していた草をアレンジ
最近、水仙を飾ることが多い。
飾っている水仙は、庭に自生している水仙が花の重さで折れてしまっていることから、水仙を飾るようになったのです。
どうも、我が家の庭には、日本水仙と八重咲き水仙の2種類があるのが分かった。日本水仙の方が見た目が華やかで、匂いは、八重咲き水仙の方がとてもいい。水仙の匂いも楽しむなら、八重咲きがお勧めです。長年住んでいながら、初めて気づきました。


●水仙と自生している紫の小花をつける蔦のような草をアレンジ
リビングなどがない我が家は、台所が寛ぎの場所。珈琲を入れて寛ぎます。地味だけれど、清楚な感じがする水仙。結構いいものだなぁと新発見の境地です。

ヒロクニさんは、花を飾ると「女がいるって感じで、心が安らぐ」と言う。
ヒロクニさんって、ママゴト好きかもしれないですね。
わたしは、子供の頃から、ママゴトはかったるくて嫌だった。だけど、とてもママゴト好きの女の子も確かにいた。付き合って同じようにしているけれど、凄い退屈。わたしは、基地作りや、ザリガニ取りの方がエキサイティングで、ママゴトは、眠った遊びのようで本当に退屈だった。こんなわたしが、恋をして結婚した。そして、毎日やりがいのあるママゴトを続けている。
いまだ、ヒロクニさんの愚痴の長さには、とて~も!!怒っていて「わたしは、まだ、イカっていて気分は最低!!」と聞こえるようにアメリカ映画のように、ジェスチャーをいれて3度いいすてる。水仙を飾りながら、感激し、そして、怒りがおさまるまで気分転換などはせず、自然冷却するつもりです。


ところで、太宰治の短編に「水仙」というものがあるのは、ご存知でしょうか?
読んで見ると、才能があるとおだてられた女流画家の末路書いた作品だが、その中に太宰らしい懐疑精神が一本通っていて、ユーモアが感じられる軽快な小説で、「これは一本取られました。太宰さま。ハハア~」とお辞儀をしたくなりました。
あまり最近の小説は読む気がしなくて、現在は、吉川英治の「新・平家物語」を読破中です。

ネットで、太宰治の短編は読めます↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2272_20058.html

冒頭の文章を

「忠直卿行状記」という小説を読んだのは、僕が十三か、四のときの事で、それっきり再読の機会を得なかったが、あの一篇の筋書だけは、二十年後のいまもなお、忘れずに記憶している。奇妙にかなしい物語であった。
 剣術の上手じょうずな若い殿様が、家来たちと試合をして片っ端から打ち破って、大いに得意で庭園を散歩していたら、いやな囁ささやきが庭の暗闇の奥から聞えた。
「殿様もこのごろは、なかなかの御上達だ。負けてあげるほうも楽になった。」
「あははは。」
 家来たちの不用心な私語である。
 それを聞いてから、殿様の行状は一変した。真実を見たくて、狂った。家来たちに真剣勝負を挑いどんだ。けれども家来たちは、真剣勝負に於いてさえも、本気に戦ってくれなかった。あっけなく殿様が勝って、家来たちは死んでゆく。殿様は、狂いまわった。すでに、おそるべき暴君である。ついには家も断絶せられ、その身も監禁せられる。
 たしか、そのような筋書であったと覚えているが、その殿様を僕は忘れる事が出来なかった。ときどき思い出しては、溜息ためいきをついたものだ。
 けれども、このごろ、気味の悪い疑念が、ふいと起って、誇張ではなく、夜も眠られぬくらいに不安になった。その殿様は、本当に剣術の素晴らしい名人だったのではあるまいか。家来たちも、わざと負けていたのではなくて、本当に殿様の腕前には、かなわなかったのではあるまいか。庭園の私語も、家来たちの卑劣な負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。あり得る事だ。僕たちだって、佳よい先輩にさんざん自分たちの仕事を罵倒ばとうせられ、その先輩の高い情熱と正しい感覚に、ほとほと参ってしまっても、その先輩とわかれた後で、
「あの先輩もこのごろは、なかなかの元気じゃないか。もういたわってあげる必要もないようだ。」
「あははは。」
 などという実に、賤いやしい私語を交した夜も、ないわけではあるまい。それは、あり得る事なのである。家来というものは、その人柄に於いて、かならず、殿様よりも劣っているものである。あの庭園の私語も、家来たちのひねこびた自尊心を満足させるための、きたない負け惜しみに過ぎなかったのではあるまいか。とすると、慄然りつぜんとするのだ。殿様は、真実を掴みながら、真実を追い求めて狂ったのだ。殿様は、事実、剣術の名人だったのだ。家来たちは、決してわざと負けていたのではなかった。事実、かなわなかったのだ。それならば、殿様が勝ち、家来が負けるというのは当然の事で、後でごたごたの起るべき筈はずは無いのであるが、やっぱり、大きい惨事が起ってしまった。殿様が、御自分の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚はなはだうといものだそうである。自分の力が信じられぬ。そこに天才の煩悶はんもんと、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。とにかく、殿様は、自分の腕前に絶対の信頼を置く事は出来なかった。事実、名人の卓抜たくばつの腕前を持っていたのだが、信じる事が出来ずに狂った。そこには、殿様という隔絶された御身分に依る不幸もあったに違いない。僕たち長屋住居の者であったら、
「お前は、おれを偉いと思うか。」
「思いません。」
「そうか。」
 というだけですむ事も、殿様ともなればそうも行くまい。天才の不幸、殿様の不幸、という具合いに考えて来ると、いよいよ僕の不安が増大して来るばかりである。似たような惨事が、僕の身辺に於いて起ったのだ。その事件の為に、僕は、あの「忠直卿行状記」を自おのずから思い出し、そうして一夜、ふいと恐ろしい疑念にとりつかれたり等して、あれこれ思い合せ、誇張ではなく、夜も眠られぬほど不安になった。あの殿様は、本当に剣術が素晴らしく強かったのではあるまいか。けれども問題は、もはやその殿様の身の上ではない。
 僕の忠直卿は、三十三歳の女性である。そうして僕の役割は、あの、庭園であさましい負け惜しみを言っていた家来であったかも知れないのだから、いよいよ、やり切れない話である。
 草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。このひとが突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた。

―以下続く―
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私達の銀座2 (苺大福編)

2012-03-05 17:49:27 | Weblog
とっておきの銀座 (文春文庫)
嵐山 光三郎
文藝春秋

帰ってきてから読んだ本

ヒロクニさんが東京で買った本。それをパラパラめくって拾い読みしていた。まず目にとまったのは「椿屋珈琲店」。この珈琲屋には偶然、入ったのです。オープニングパーティの後で、ヒロクニさんの友人と一緒に。そして、3人でそろって、飲んだとたん「ん?おいしい」「美味しい珈琲だなぁ」と言った。「最近、ひどい珈琲を飲んでいるだなぁ」ともらす。わたしは、「うちもよぉー」と低レベル論争に入ろうとしたが、せっかくの銀座が台無しになると思ってやめた。友情の話には、割り込まずおとなしく聞いていた。

次に目にとまったのは「苺大福」。読みながら、2010年の個展の時に、この苺大福をお土産に買って帰ったのを思いだした。何か、一つぐらい記念に買って帰ろうと思って「あけぼの」の苺大福のことをよく知らずお土産にした。ところが、一口かじると苺のフレッシュな甘い香りがしてとても大事に食べた。苺大福の箇所を読んでから、2、3日前まで銀座に居たことを考えると悔しくてしょうがなかった!!
ネットで調べると期間限定品の上、銀座店のみの扱いの上、賞味期限の関係でネット販売はなし。そう思うと、いっそう悔やまれる。結局、ギャラリー枝香庵のオーナーにお願いしてしまった。(ありがとうございます)そして到着したのが、下の写真です。




中は、こんな感じ。1つは中身が見えるように切りました。

残り2個になった時、ヒロクニさんに言った。
「残りの2個、わたしが食べていい?」と。
すると、顔がそれは・・・ちょっと困るという表情になり「1つは譲っていいけれど、後は半分は食べたい」と言う。
「えええーーー」とわたしは声を張り上げた。そして「食べたいの?」と疑問の顔で、軽蔑の表情で、ヒロクニさんを見た。非難の表情で見た。
わたしは、偉そうに「半分だけあげる」と不機嫌な表情でいった。そして、ヒロクニさんに半分切ったものを渡した。それも、半分の小さい方を渡した。
東京展を終えた今、忍耐なんて「くそ食らえ!!」である。

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私達の銀座1(食事編)

2012-03-01 16:28:27 | Weblog

百貨店三越を見ながら、軽食を。

私達2人の銀座は、まず三越の斜向かいのコーヒー店から始まる。ここで、軽い食事をすませ、ボ~としてからギャラリーに向かうのである。この店には、カトランの版画数多く飾れてありちょっと優雅な時間を過ごせる。わたしは、小雨が降る様子を眺め、傘をさして歩く人の様をジーと見ている。信号をわたる人の傘の群れは、せかせかとすることなく優雅である。黒い傘がとても多い。関西人から見ると、東京はシックな印象がする。

私達は、この優雅さの中でどういう日々を送ったか?というと、「お値段のお高い」ことに少々怯えることに。
自分達で行動しているには問題はないのだが、お誘いを受ける時に戸惑ってしまうのですネ。わたしも家で外食という事をせず、節約の為に日々努力しているわけだ。日ごろ外で外食する時は、2人は大いに悩む。「せっかくの外食という気持ち」と「外食は敵」という二点が火花を散らすのだ。もっぱら、カレーライス、ラーメンになることが多い。
銀座では、ギャラリー枝香庵さんから、お食事のお誘いを受けた。わたしはいつも言うのだが、「あまりお値段の高くないお店にして下さい」と言う。そうしないとヒロクニさんの様子が変になるのだ。値段が高いとヒロクニさんは、食べない、落ち着きをなくす、話もおろそかになり、高い値段のことしか頭になく、せっかくの親睦を深める楽しい時間が目茶苦茶になる様子がわたしには、浮かんでくる。そして、わたしはやたら気だけを遣い、相手も疲れはてるという図式が浮かぶのだ。そんな問題をかかえたまま、お食事会に突入。わたしは、スペイン料理にしてもらったのです。

スペイン料理で乾杯!!の前にひと悶着。
何を頼もうかな?という時、「コースにしようか?」とご夫妻が相談されている時、ヒロクニさんはメニューを見た。コース一人5,600円の文字が、わたしにも目に飛び込んできた。身体は落ち着きなく「単品で皆で分けようよぉ」と崖から落ちる前のような声が・・・・。わたしは、後押しするように「そうして下さい」とニコッと笑いながら言った。それから、ヒロクニさんは落ち着ちつき、楽しい時間を過ごしたのです。

「絵を売る」というのも仕事の一つなのですが、「こんな高い買い物してだいじょうぶなのか?」「買ってくれた人は、こんなにお金を使ってしまって、苦しい生活をしばらく送らねばならないのか?」と自分の経済感覚しかわからないから、ヒロクニさんはとても心配しながら、絵を売っているのです。私達2人の間では、2人で3000円以上にも外食がなるのは、大罪ですから・・・・。
ヒロクニさんに直談判したら、絵は安くしてくれると思うよ。だけど、それは、わたしが許さないのでよろしく。

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