この絵は額装されていたもので、タイトルが「太陽・雨の日」という札が裏にありました。
台所でライトアップされているスペースに飾られ、台所に行く度に目にした絵になります。
タイトルを知らずに見ていると、赤い線で描かれた丸の部分が、
台風の目のように見えてきます。
大型台風が来ていたからそう思ったのかもしれない。
すぐに思ったことは、「やっぱり、男と女が登場している」ということ。
このパターンの絵は多く、男ばかりいるというような絵は皆無だ。
芸術家には、ミューズが必要なのだろうと思う。
わたしがミューズであるとすれば、嬉しいような悲しいような・・・、複雑な気持ちに陥ります。
ミューズは、こき使われていますから・・・。
これがミューズなのかえ?という体たらく。
女性の胴体には、四角が描き込まれているので、街の絵かな?とか、
右側に枯れた木が2本見られるので、高台にあるマンションのようだとか、
左上の建物らしきものは、学校か?と。
いろいろ身近なものにあてはめて考えているうちに、
抽象とはいえ、完璧な抽象画とも違うということに気がつき、思わず武内に言った。
「あなたの絵って、抽象のようで抽象ではないよね」と。
すると、すんなり言葉が返ってきて、
「結局は、地上のなにか、そうなるだろうねぇ」と。
ふ~ん、とうなずき、わたしは目線を上にしながら、宙を見た。
そして、「わたし達は、地球から逃れられないわけだ。」と言うと、
変なことを言う女だな、という顔でわたしを見ていました。
わたしは変な発見をした自分に感心していて、良いこというわねぇ~と悦にいながら、
また、絵を見返すと、
今度は、男の人の顔を見ているうちに、“蟹”に見えてきたりして、
「やっぱり、地球から離れられないな。」と1人で呟きました。
そして、気持ちが落ち着いたところで絵を見ながら、
使われている薄いブルーが、不思議な効果を出していると思い、
薄い黄色の部分には、雨が描かれていることに気がつく。
振り出したばかりの雨で、小雨のように思いました。
それとも、狐の嫁入りの雨でしょうか。
晴れているのに、雨が降っているような感じがします。
台風の目ではなく、太陽だった赤い丸。
意外でした。
今週は、猪熊源一郎氏の著書、「マチスのみかた」という本のことを。
ヒロクニさんと、四国にある「丸亀市猪熊源一郎現代美術館」へ行ったことがあります。
猪熊源一郎の作品は、私達二人とも好きで、その時の感動は忘れられません。
そういう人が書いたマチスの本が、
図書館へ行くと、新刊のコーナーに置いてあり、
すぐ手に取りました。
マチスに会った時の事や、マチスからの絵のアドバイスを受けた事、
それを評論家ではなく、生身の若い画家の視点で書かれているのが、
面白く、画家にとっては為になる本だと思いました。
わたしは、マチスも好きで、学生の頃展覧会を見に行って、
感激と同時にいろいろ思ったことがあり、その部分を解きほぐすことも出来たのです。
猪熊源一郎氏の作品を少し紹介。
↑《自由の住む都市》1980年
↑≪顔、犬、鳥、≫1991年
このような作品を描く画家です。
パリ時代、ニューヨークの時代、ハワイ時代と作風に変化がありますが、
ニューヨークからの以降の作品が、断然良いというのが、私達2人の共通の意見です。
ヒロクニさんが、「猪熊源一郎氏の先生は、マチスだからね」と言っていたのを思い出し、
これは借りなくてはと、手に取ったのでした。
猪熊氏は、マチスから、「君は、絵がうますぎる。それが良くない」という趣旨のことを言われ、
痛い所をつかれたが、意味が良くわかったそうです。
絵を上手く描けるように努力して、上手くなり、それがいけないと言われるとは、それ如何に?
「素直にものを見ていなかった」と、猪熊氏は、反省したそうです。
物を見る敬虔さ、物に対しての深い親しみと謙虚さが足りなかったと気がつきます。
マチスのアドバイスもさながら、受け取る側にも力量がいることだと思いました。
そういうマチスの作品は、日本には意外と親しまれていると思いますが、いかがでしょうか?
どこかで、目にしていると思うのです。
代表的なものを紹介します。
↑「赤の食卓」1908年 エルミタージュ美術館
↑《金魚》は1912年
英ロンドンのテート・モダン美術館「Henri Matisse: The Cut-Outs」展での切り絵の展示
↑アンリ・マティス「ステンドグラス、『生命の木』のための習作」1950年 ニース市マティス美術館蔵
こちらは、日本の新国立美術館で開催されていたマティス展から。
ステンドグラスになった切り絵を小さく再現したそうです。
↑「ダンス」油彩 1910年 エルミタージュ美術館
↑上記の「ダンス」の油彩のデッサン
マティスの初期を代表する「ダンス」の為のデッサンを
美大生だった頃、マチス展で見ました。
「ダンス」の油彩も実物を見て、不思議に思ったのは、
あまりにもさっと絵の具が塗られていることでした。
当時は、油彩とテンペラ画を描いていましたので、塗り重ねがとても大事でした。
しかし、マチスの絵は画布の表面を感じるぐらい薄く塗られているのに驚いた記憶があります。
近くで見ると、鉛筆で描かれた鉛筆の跡が見えていました。
その上、塗られている絵の具が細部にまで塗られていないところもありました。
洋画で塗り残しというのは、あまり見られないので、
「いいのか?」という単純な考えを持って見ていました。
マチスの絵の伸びやかさや色の美しさに参ってしまったわたしは、
「もし、この画風を真似て書いたとしても、それはあまり意味がないだろう」と思い、
マチスの模倣はしませんでした。
マチスの絵を見る快楽は、マチスの絵でしか味わえないと思ったのです。
そんな学生時代のことを思いながら、この本のページを紐解いてみました。
すると、マチスは非常なるデッサン家だというのが分かり、
デッサンのやり方にも独自のスタイルを持っていたのが伺えます。
普通より、非常に近い至近距離で描いていました。
モデルを前にして、見て、そして、くるりと反対の向きになって描きます。
(普通は、見ながら描くことが多い。反対を向く人はいない)
対象をまず見て、それを頭に記憶し、その記憶を描きつけます。
まず、最初にリアルにデッサンをします。
次のデッサンでは、単純化が始まります。
次のデッサンでは、さらに単純化が増します。
その間、消したり描き足したりが繰り返されます。
そうやって、形の本質をつかんで、最大に単純化される。
このことを知って、単なる模倣では近づけないのがよくわかりました。
果物を描いた絵でも、デッサンがたくさん展示してあり、
木炭が消されて灰色になった紙の上から、太い線で描かれている意味がわかってきました。
単純化の過程だったのです。
単純化と言っても、マチスの感性で昇華された形と言った方がいいでしょう。
マチスも時代と共にスタイルの追求があり、
点描画、フォービズム、キュビズムと経て、独自のスタイルを築きます。
形と色、独自の空間の追求です。
そして、晩年には切り絵のスタイルが出来上がるのです。
塗り残しの疑問については、作品を描く過程で重要視していることの優先順位があって、
そうなっていると思いました。
その作品に対しては、形や線の在り方が重要で、それ以外はかまわないのだと思い至りました。
そう思って見ていた美術館で出会った作品は、下の絵です。
↑「1940年の夢」
白いカンバスが見えていることによって、かえって躍動感があったりします。
きちっと塗ったからといって、たいして変わらない、
また、筆の勢いの気持ちがいい伸びを殺してしまうとか、
マチスの中では、精密な感覚があって出来上がっているのだと思いました。
今回の一番の発見は、マチスは素描家であるということ。
色の美しさばかりに感激していましたが、素描が土台になってそれが可能なのだと。
だから、マチスは、物凄い量のデッサンがあり、鍵の掛かった引き出しに、
それもたくさんの引き出しに収納しているそうで、
あっちの入れ物、こっちの入れ物の引き出しの鍵を開け、
取り出しては、アドバイスもしくは、マチスの考えを述べたそうです。
マチスは、素描を極めていった、究極まで行った人だから、
こういう絵が描けるのだと納得しました。
また、作品の収納は、どの画家も頭を痛めていることなので、
マチス先生は、引き出しに入れているのだなぁと興味深く読みました。
この本は、ヒロクニさんの方が先に読んでしまい、
「巨匠だねぇ。だけど、私はピカソの方がいい」と言われ、
読んでいる最中に言うなんて、と思い、
「わたしは、どちらかと言えば、マチスの方が好きだ」と答えました。
「ピカソの“動”の部分がいいのでしょ。マチスも穏やかなようで、主張も激しい人なんよ。
ピカソの奥様のフランソワ―ズ・ジロ―にモデルになって欲しいと、こともなげに誘ったりして、
ピカソは、激怒してたのよ。
二人はいい勝負するのよ。」と、反抗気味言う。
言い足りないから、「あなた、もっと美しい絵を描いてよ」等と言うと、
「俺は、きれいな絵なんて描かないんだ。そんな絵は真っ平御免だ!」と言われ、
少し悲しくなった。
攻撃的な絵を描くつもりなのかもしれない・・・。
最近、攻撃的なものを見ると、疲れる傾向にあるわたし。
反対に夫は、歳をとっても、肩ひじ張って生きていくみたい。
まあ、元気が一番ということにしておこう!
最後に、ヴィクトリアケーキを作ったので、
その途中経過の写真を。
↑この度は、スポンジケーキを焼いて半分にせず、
パウンドケーキの硬さの生地を二枚焼いて作ってみました。
本格的なイギリスのレシピで作ってみました。
育てているラズベリーから、ジャムを作ったものを頂いていたので、張り切りました。
イギリスのバタークリームは、バターと粉砂糖を練って作ります。
卵を入れず、とてもシンプルなもの。
味は、プレーンなパウンドケーキにバタークリームとジャムをはさみます。
写真に中央の方にバタークリームの上からジャムをのせ、
もう1枚のパウンドケーキを押し付けました。
パウンドの端から、クリームやジャムが垂れてこないようにしてみたのです。
そして、もう一度クリームが固まるまで、冷やしました。
このラズベリージャムが市販のものより、とても美味しくて、
いいヴィクトリアケーキが出来ました。
ヴィクトリア女王が好きなケーキだそうで、イギリスではポピュラーなケーキです。
フワフワしていなくて、かっちりしているイギリスらしいケーキになりました。
今日は、マチスの絵について書いてみました。
好きな画家が、わたしも好きなマチスの絵について語るというのが、
ポイントでした。
これからマチスの絵を見るのが楽しみになったということであれば、嬉しい限り。
少し分かってきた。
また、少し分かってきた。
と、少しずつ分かっていくというように、その分かる楽しみを私自身がしている最中です。
至らない部分は多いと思いますが、
わたしがなるほどと思った部分は伝わっただろうか。
今日も、最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
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