武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

一つの輝き(色鉛筆作品787)と ブログのお休み期間のお知らせ

2024-09-29 16:37:54 | Weblog

この絵は、1996年作の色鉛筆画になります。

この頃は、色鉛筆で小さいモチーフをギュッと圧縮した感じの絵を描いていました。

この絵を描いていた頃は、大阪や神戸の都会をよく散策していたのが思い出されます。

ビルの隙間を抜け出て、広い通りに出た記憶や、

夜のライトで照らされている並べられた靴、

照明から、店内の見えるカフェや、色とりどりの服、シャツやズボンの並んだ様子が浮かびます。

そして、画集。

古本屋で安くなっている画集で気に入ったものが見つかると、

重いのに買って帰り、気になる絵のページを切り取り、家の壁に貼ります。

長く貼られている絵を眺めているうちに、

思うことがあったりして、2人で話をします。

このタイプの色鉛筆画は、空想だけで出来ているものではなく、

散歩したあの角とか、歩いた道のあの部分とか、実際の場所も織り込まれているらしい。

わたしには、「ここか・・。」というふうには、分かりませんが。

しかし、この絵を見ると、その頃流れていた気分や時代の空気を思いだします。

29年前か・・・。

月日は流れ、絵のスタイルも随分変化しました。

この絵を見た時、29年前の流れていた時間を思い出し、

今現在が瞬間ならば、当時の瞬間も同等であっただろうと思い、

瞬間、瞬間を生きていることに思いをはせます。

つまり、瞬間が数珠繋ぎになっているのが時間なのだと思います。

当たり前のことですが、この絵を見て痛感しました。

 

 

やっと朝夕に涼しい風が吹くようになりました。

どれだけホッとしていることか・・・。

2階の屋根が日で焼けて、部屋がホカロンになることがなくなって嬉しい。

今思うことは、宝塚の家では庭があったので、ガーデニングをしていましたが、

今の家では、春夏に花が育たない、植物にはいい環境ではないようで、花と戯れる時間がなくなりました。

それが、寂しい。

秋のビオラの種をまき、「さて今年はどうなることか・・」という気持ちで蒔きました。

今から思うと、精神上とても良いことだった。

「美しい!」と思うことが、とても良かったのです。

また、「ああ、やっぱり陽射しというのは、凄い。」と畏怖の念を覚えたりした感覚は、素晴らしかった。

そんなことを思い、少し寂しい。

違った楽しみが、今の住まいにはあります。

買い物(食料品)が、楽しく、選ぶ店や行く所が多い。

しかも交通の便がとてもいい。

知らない所を散策したいのだが、

ヒロクニさんの「さほり、どこ行くの?」とか、

「早く帰って来てね。」の一声で、かなり気持ちが沈む。

「たまには、ゆっくりしておいでといったらどうなの!」といつも言うのが常。

「家族が心配して、こういうふうに言うのは普通だ。」と言われ、そうかなぁと。

こう書きながら、私たちは延々とこうゆうやり取りをしているなと思う。

一生するに、違いない。

わたしにとっては、悪い因縁のように思えるが、どうなんでしょうか。

しかし、その反面、絵が好きなので絵に近しい位置にいて、

いろんな画家に出会えたりもして、それはとても楽しいことだったりするので、とてもいい。

良い事、悪い事は、相殺しあっています。

 

わたしのブログは、書き始めてから16年書いてきました。

元々、書こうと思っていなかったのです。

周りのある人から強烈に何度も言われて書き始めたもので、

最初は、「そんなの嫌です。」と一決していました。

それがこんなに長くなった。

2008年の9月から始まっています。

始めは短かった文面も、何故か長い文章になっていったりして、

武内が読まないことをいいことに好き勝手に書いていました。

夫婦喧嘩をしたら、ブログに書いたりとして、「大丈夫ですか?」と電話をかけて下さった方もいた。

時々、露骨に書きすぎたかな?と反省したり。

しかし、そのままにしました。

また、絵に対しては、わたしの考えや思う事を書いてきました。

絵を楽しんで見ることの足がかりになれば良いという思いがありました。

正直に言って、武内の絵は一般的には難しいところがあると思います。

古い戦後の洋画家達が好きでありながら、前衛に身をおこうとする。

この前衛のあり方が、独特なので「理解不能」になる。

わたしも作品によっては、「理解不能」な人であります。

このブログに来て、「理解不能」な作品を見て下さった方、本当にありがとうございました。

下記に画歴を書きましたが、わたしは1990年の牧神画廊の個展から、登場する妻です。

実は、結婚する時、離婚することもあり得るかもしれないな・・・、と思いながら結婚したんです。(笑)

芸術と生活は、時々対峙することもあるだろうとの思いから。

しかし、思いのほか長く続いてしまい、自分でも驚いています。

武内も「こんなに長くいた人初めてだ。」と言い、歳月を数えて楽しんでいるという・・・。

今日はちょっと心苦しいことが・・・。

このブログが好感を持って読まれているとしたら、申し訳ないのですが、

ブログを一旦、お休みして、

一年後に再会したいということをお伝えしたいと思います。

私達2人は元気にしていて、病気はしていません。

私の充電期間と言った方がいいでしょう。

最後に武内のプロフィールの詳しい詳細を載せておきます。

武内ヒロクニの絵は、長い画家としての生活の中で今の絵があります。

理解の助けになるかもしれないと思い、付け加えました。

以下

■武内ヒロクニ 画歴ープロフィールー

1937年 徳之島で生まれる

1962年 第8回神戸二紀展 委託賞受賞、神戸京美堂画廊個展

1963年 神戸ナショナルギャラリー個展、小西保文、知念正文、武内博洲 拓展(大阪画廊)

1964年 島太郎、酒井銀河、武内博洲3人展(洲本市公会堂)

    新構造社会員となる   ←ここまで油絵時代

1965年 グループ位 第一回展(神戸国際会館)

    グループ位 非人称展(ダイワ画廊)

    アンデパンダンアートフェステバル グループ位(岐阜)

1966年 E・ジャリ展 グループ位(大阪ヌーヌ 画廊)

    寄生虫展 グループ位(大阪信濃橋画廊)

    現代美術祭典 グループ位 無感覚思考宣言(堺市)

    岡山市芸術祭参加

1967年 神戸コトブキギャラリー個展

    ワッポオペレーション展 (大阪信濃橋画廊)

    オール関西新人抜選展(大阪信濃橋画廊)

1968年 次元68展(京都市美術館)

    第一回タカ展(神戸 安田ギャラリー)

    第二回タカ展(大阪 あの画廊)

1969年 第一回兵庫美術家祭典(兵庫近代美術館)

1970年 兵庫美術祭出品

    京都美術館ニルバーナ展種出品

    第一回京都アンデパンダン展出品  ←ここまで現代美術

    VOXヒコーキ堂経営(ロック喫茶) ←ここはロック喫茶経営

1977年 臀部展(神戸)            ←ここから色鉛筆

1978年 画廊レンガ舎個展(姫路)

1979年 凡画廊個展(加古川)

1980年 凡画廊個展(加古川)

1981年 ギャラリーパルパローレ個展(神戸)

1983年 凡企画展、凡画展

1985年 武内博洲、鴨下葉子二人展(アートサロン・ロロ)

1986年 神戸明泉寺壁画完成   

1990年 牧神画廊個展(東京)

1992年 武内ヒロクニの世界展(神戸・海文堂ギャラリー)

1993年 DEATH IS CANDY 武内ヒロクニWORKS 画集出版記念展(神戸・海文堂ギャラリー)

1994年 武内ヒロクニの世界展(神戸・海文堂ギャラリー)

1995年 武内ヒロクニの世界展(神戸・海文堂ギャラリー)

    CitiyギャラリーI.M個展(大阪)

1997年 武内ヒロクニの世界展(神戸・海文堂ギャラリー)

1998年 武内ヒロクニの世界展(神戸・海文堂ギャラリー)

2000年 アメリカ村 モンスーン・ティールーム個展(大阪)

    カンテ・グランテ中津店個展(大阪)

2001年 ギャラリーDEN個展(大阪)

2004年 武内ヒロクニ個展(神戸・ギャラリー島田)

2005年 武内ヒロクニの部屋“DAHOMAY”展(神戸・ギャラリー島田)

2006年 毎日新聞夕刊 東京版「しあわせ食堂」4月から連載

    アトリエの武内ヒロクニ展 毎日新聞夕刊 挿絵連載記念(神戸・ギャラリー島田)

2008年 武内ヒロクニ展(神戸・ギャラリー島田)

2009年 しあわせ食堂原画展(神戸・ギャラリー島田)

2010年 武内ヒロクニ鉛筆画の世界展(神戸・ギャラリー島田)

    しあわせ食堂&色鉛筆画の世界展(ギャラリーゴトウ、ギャラリー枝香庵 同時開催)

2011年 武内ヒロクニ展 (神戸・ギャラリー島田)

2013年 武内ヒロクニ展 (神戸・ギャラリー島田)

2021年 武内ヒロクニ展 (神戸・ギャラリー島田)

以上

 

個展のお知らせは、お休み中であっても、お知らせしますので、

よろしくお願い致します。

コメントの返信もしますので、何かあれば書いて下さると嬉しく思います。

ブログのページは、1054項目あります。

始めは、短いのに「書いた~。」と、ドキドキしていました。

後半は、短いと書き足りないような気がして、長くなっていた模様。

こんなブログですが、暫しのお休み、よろしくお願いします。

来年の10月1日に、また!!

2025年の10月1日から再開します。

 

 

 

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いたずらもの(作品紹介786)と 「もしも・・・、・・・したらどうなる?」

2024-09-14 17:47:37 | Weblog

子供が描いた落書きのようだ。

そして、楽しげである。

これが絵を見た時の印象。

モチーフには顔があり、その顔はみな、何をいたずらしようかと笑っているように見える。

わたしには、「イッヒィヒヒヒ・・・。」と声が聞こえるのだ。

この絵は、「関西粋人・170武内ヒロクニ」と書かれているので、

これは、サンデー毎日でのカットの絵になります。

十年以上前の仕事です。

小さなカットだったので、その仕事に慣れた頃になると、

時々ハチャメチャな絵を描いていました。

それがこの1枚になると、思います。

時々、羽目を外す。

「やりすぎじゃない?」と思う時は、わたしは無口になり、不穏な目つきで武内を見たものです。

しかし、時間が経ってから久しぶりに見て、

カット云々から解放されて見てみると、

この絵のモチーフ(変キャラみたいなの)は、宇宙のような空間に漂い、

フワフワと浮いているような感覚は楽しく、変な可愛さがあって可笑しい。

ラフな線が自由に伸びているのも、堅苦しい気持ちをほぐしてくれる。

カットは白黒だったが、

色も認識され、それがアクセントになりお洒落な感じだ。

わたしのことだから、

「白黒のカットの仕事なのに、どうして色を使っているのだろうか・・。

 ピンクとか緑の中間色は、印刷でどうなるんだろう・・。」と、生真面目に見ていたに違いない。

こういう時は、最終的に「し~らない。」「どうとでもなれ。」「編集者が何とかいうだろう。」と、

共犯者ではない!という立場に自分を移動させる。

そして、野放しにする決意を固めるのです。

私自身は、仕事などの時は、

「相手の意向と自身の意向とをどう摺り会すか?という視点に立つ」ので、

武内のように、全面的に自分の意向で「いっちゃへ!!」的なことをされると、

非常にハラハラし、心臓に悪い。

今、絵を見直して、わたしは堅苦しい性格だな、と思う。

しかし、絵を見て、このカットは、文章に全く沿ってなかったのだろうと思う。

わざわざ、文字を書き込んでいるところから伺えるのだ。

「これは、関西粋人のカットデス。」と主張を添えるところがねぇ・・・。

しかし、現在は、カットの意向から離れているので、

絵として見て下さると嬉しいです。

絵は、黒のマジックと鉛筆を使用。

下書きなしで描かれた絵になります。

可愛い、もしくはキュートな感じが全開しているように、思います。

 

 

 

朝には、やっと涼しさが感じるようになりましたが、まだまだ暑い。

夏の前半は、それでもあちらこちらと歩きましたが、

夏の後半に入り(残暑の頃、今現在)、外出は最低限にしました。

そのせいか、気分が悪くなったりせず、無事過ごしています。

家の中で、主にすることを3っ決め、その3っを適当に交互に回し、シンプルに過ごしています。

絵についての上記の文章で、自身の事を

「生真面目」「堅苦しい性格」と書きましたが、さらにそれを感じさせる読書をしていました。

こんなストーリーと異様な展開、初めてだという児童文学。

「イギリス人って、やっぱり凄いな。」と、思いました。

ユーモア、特異な発想、ブラックジョーク、可笑しみのセンス、辛辣さが、満載。

その本は、こちら。↓

七人の魔法使い [書籍]

こういう本を、図書館で、たまたま手に取る。

わたしは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、何冊か読みましたが、これが一番面白い。

始めに「作者の覚書」があり、

「この本は、以下の十の命題を証明するものである。」と冒頭に書かれている。

1 ゴロツキとは、背景にとけこむ代わりに前景にでしゃばり、そこに居すわる存在である。

2 ブタには羽があるので、つかまえるのはたいへんだ。

3 権力は人をだめにする。しかし、電力は、ないとこまる。

4 どんなものでもつらぬく矛が、どんなものでも防ぐ盾にぶつかると、家庭不和がおこる。

5 音楽は、つねに悩める心を静めてくれる、とはかぎらない。

6 英国人の家は、彼の城である。

7 人類の女は、男よりも恐ろしい。

8 黒あざに報いるには、黒あざをもってせよ。

9 宇宙は最後の辺境である。下水道もまたしかり。

10 言葉の力をみがいておいて損はない。

この10の覚書を読んで、「この作者には偽善は通用しない」と思ったわけだ。

始まりの1行から、この“ゴロツキ”なる人物が登場し、ある家庭に非常にじゃまな存在として登場する。

もう、それからは、強烈な性格の家族とゴロツキの付き合いが始まり、

謎が謎を呼び、スピードを持って、どんちゃん騒ぎの喧騒でもって、ストーリーが展開する。

疾風のよう。

まだ、読んでいる途中なのですが、

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本では、これが1番好きかもしれないと、また思う。

他の本では、良さがはっきりわかりませんでした。

常識を打ち破る破壊力により、

「わたしは・・・、本当に融通の利かない頭なんだ・・・。」と、自分の頭の固さのことを思い知った。

ヒロクニさんの絵を見て、「ガーン!」となるのと似ています。

この本の作者は、幼少の頃、両親が貧窮院のようなものを運営するようになり、

その中で育つのですが、そこに集まった人達は、変人ばかりだったそうで、

自身では異常なことが普通だったと語ります。

そして、その貧窮院の傍らに住み、三姉妹は不幸な状況だったらしい。

しかし、そういう変人を話のタネにして、姉妹で笑い飛ばすことを覚え、状況を突破したと彼女は語る。

そして、「不幸と馬鹿騒ぎが極めて密接に結びついている」と気づいたと。

この本では、その気づきが生かされているらしく、

シェークスピアの喜劇の如く、笑って読んでいました。

滑稽味もあって、これぞイギリス人の感覚という感じ。

わたしも本の感想で“疾風”という言葉を使うとは思いませんでした。

また、彼女は、「もしも・・・・・、・・・・・したらどうなる?」といつも考えているらしく、

これが、平凡な状況においての想像力であり、

「想像力は精神の成長にほかならない」とも言う。

そこで私もやってみた。

「もしも、わたしが蒸発したらどうなる?」

「もしも、わたしが猫語を話せるようになったらどうなる?」

「もしも、わたしが億万長者になったらどうする?」

もう、思いつかない・・・。

低俗で幼いことしか、思い浮かばないのが悲しい。

最初の思いつきは、時々現実に思い浮かべたことがある内容だ。

ただの現実逃避でお恥ずかしいかぎり。

彼女は、「もしも・・・、・・・・したらどうなる。」で、一杯になるらしく、

そこがアイデアや創作に繋がっていると言う。

そこが、作家なのだろう。

アニメにもなるらしいが、本には本の面白さがあり、

決して子供だけのものにならない面白さもあるので、

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの中で、文字で読んで欲しいお勧めの一冊。

読書中ですが、終盤に近づいているにもかかわらず、どんな結末になるのか想像出来ません。

実は、こうやって、わたしは人の才能に気づく時、とても楽しいのです。

「ここが、才であり、この人の能力であり、素晴らしさなんだ。」と思うと、気持ちが湧きたつのです。

そして、頭がエキサイトする。

と、同時に冴えた感じもある。

こういうのを感動というのか?

これには、相性があるようで、好みとかがあり、偏っているみたいなのですが、

こういうことがあるのは、とても嬉しい瞬間なのです。

こういうことは、それぞれの人がそれぞれの分野で、体験していることだと思います。

どうでしょうか?

 

 

夕方、ホームセンターに行くのを兼ねて、海を見てきました。

↑船が動くのを見ていました。

白い船は、旋回し始めていました。

後ろからは、赤い船が向かって来ています。

肉眼で見ていると、とても近づいてきているように見えたのですが、

写真を見ると小さく映るのです。

目と写真では、見え方が随分違うのです。

やっぱり、目で見る方が躍動感がある。

そして、海を見ると、独特の気持ちになる。

これ、不思議ですね。

 

 

今日は、たまたまダイアナ・ウィン・ジョーンズのアイデアの持つ素晴らしさについて、

驚いたことを書きました。

彼女は、考えられない変わった人達が集まり、それが普通の世界に幼少の頃いたのだと思います。

普通、普通でないが逆転している世界・・・。

異常が普通という世界・・・。

そういう奇妙な感覚が、読みながらします。

それと、わたしの固い頭というか、生真面目もほどほどにということも。

肩が凝るのは、当たり前か?と思わずにはいられません。

今日も、子どものようなことを思う、わたくしの文章をお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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太陽・雨の日(色鉛筆作品785)と 「マチスのみかた」猪熊源一郎の著書から

2024-09-05 16:34:57 | Weblog

この絵は額装されていたもので、タイトルが「太陽・雨の日」という札が裏にありました。

台所でライトアップされているスペースに飾られ、台所に行く度に目にした絵になります。

タイトルを知らずに見ていると、赤い線で描かれた丸の部分が、

台風の目のように見えてきます。

大型台風が来ていたからそう思ったのかもしれない。

すぐに思ったことは、「やっぱり、男と女が登場している」ということ。

このパターンの絵は多く、男ばかりいるというような絵は皆無だ。

芸術家には、ミューズが必要なのだろうと思う。

わたしがミューズであるとすれば、嬉しいような悲しいような・・・、複雑な気持ちに陥ります。

ミューズは、こき使われていますから・・・。

これがミューズなのかえ?という体たらく。

女性の胴体には、四角が描き込まれているので、街の絵かな?とか、

右側に枯れた木が2本見られるので、高台にあるマンションのようだとか、

左上の建物らしきものは、学校か?と。

いろいろ身近なものにあてはめて考えているうちに、

抽象とはいえ、完璧な抽象画とも違うということに気がつき、思わず武内に言った。

「あなたの絵って、抽象のようで抽象ではないよね」と。

すると、すんなり言葉が返ってきて、

「結局は、地上のなにか、そうなるだろうねぇ」と。

ふ~ん、とうなずき、わたしは目線を上にしながら、宙を見た。

そして、「わたし達は、地球から逃れられないわけだ。」と言うと、

変なことを言う女だな、という顔でわたしを見ていました。

わたしは変な発見をした自分に感心していて、良いこというわねぇ~と悦にいながら、

また、絵を見返すと、

今度は、男の人の顔を見ているうちに、“蟹”に見えてきたりして、

「やっぱり、地球から離れられないな。」と1人で呟きました。

そして、気持ちが落ち着いたところで絵を見ながら、

使われている薄いブルーが、不思議な効果を出していると思い、

薄い黄色の部分には、雨が描かれていることに気がつく。

振り出したばかりの雨で、小雨のように思いました。

それとも、狐の嫁入りの雨でしょうか。

晴れているのに、雨が降っているような感じがします。

台風の目ではなく、太陽だった赤い丸。

意外でした。

 

 

今週は、猪熊源一郎氏の著書、「マチスのみかた」という本のことを。

ヒロクニさんと、四国にある「丸亀市猪熊源一郎現代美術館」へ行ったことがあります。

猪熊源一郎の作品は、私達二人とも好きで、その時の感動は忘れられません。

そういう人が書いたマチスの本が、

図書館へ行くと、新刊のコーナーに置いてあり、

すぐ手に取りました。

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マチスに会った時の事や、マチスからの絵のアドバイスを受けた事、

それを評論家ではなく、生身の若い画家の視点で書かれているのが、

面白く、画家にとっては為になる本だと思いました。

わたしは、マチスも好きで、学生の頃展覧会を見に行って、

感激と同時にいろいろ思ったことがあり、その部分を解きほぐすことも出来たのです。

猪熊源一郎氏の作品を少し紹介。

猪熊弦一郎作品 | 大内山雑記帳

↑《自由の住む都市》1980年

 

猪熊弦一郎展「いのくまさん」 - デザイン・アートの展覧会 & イベント情報 | JDN

↑≪顔、犬、鳥、≫1991年

このような作品を描く画家です。

パリ時代、ニューヨークの時代、ハワイ時代と作風に変化がありますが、

ニューヨークからの以降の作品が、断然良いというのが、私達2人の共通の意見です。

ヒロクニさんが、「猪熊源一郎氏の先生は、マチスだからね」と言っていたのを思い出し、

これは借りなくてはと、手に取ったのでした。

猪熊氏は、マチスから、「君は、絵がうますぎる。それが良くない」という趣旨のことを言われ、

痛い所をつかれたが、意味が良くわかったそうです。

絵を上手く描けるように努力して、上手くなり、それがいけないと言われるとは、それ如何に?

「素直にものを見ていなかった」と、猪熊氏は、反省したそうです。

物を見る敬虔さ、物に対しての深い親しみと謙虚さが足りなかったと気がつきます。

マチスのアドバイスもさながら、受け取る側にも力量がいることだと思いました。

そういうマチスの作品は、日本には意外と親しまれていると思いますが、いかがでしょうか?

どこかで、目にしていると思うのです。

代表的なものを紹介します。

アンリ・マチス : なんとなくアート

↑「赤の食卓」1908年 エルミタージュ美術館

作品解説】アンリ・マティス「金魚」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

↑《金魚》は1912年

アンリ・マティスの切り紙絵展、英テート・モダンで開催 国際ニュース:AFPBB News

英ロンドンのテート・モダン美術館「Henri Matisse: The Cut-Outs」展での切り絵の展示

 

日本初! アンリ・マティスの切り紙絵に焦点を当てた展覧会が開催 | Vogue Japan

↑アンリ・マティス「ステンドグラス、『生命の木』のための習作」1950年  ニース市マティス美術館蔵 

こちらは、日本の新国立美術館で開催されていたマティス展から。

ステンドグラスになった切り絵を小さく再現したそうです。

 

楽天市場】絵画 複製名画 キャンバスアート 世界の名画シリーズ アンリ・マティス 「 ダンスII 」 サイズ SM ~ 6号 : 絵画 掛軸 額縁屋  TOUO

↑「ダンス」油彩 1910年 エルミタージュ美術館

ena美術ブログ | ena美術の今を伝えます | ページ 407

↑上記の「ダンス」の油彩のデッサン

 

マティスの初期を代表する「ダンス」の為のデッサンを

美大生だった頃、マチス展で見ました。

「ダンス」の油彩も実物を見て、不思議に思ったのは、

あまりにもさっと絵の具が塗られていることでした。

当時は、油彩とテンペラ画を描いていましたので、塗り重ねがとても大事でした。

しかし、マチスの絵は画布の表面を感じるぐらい薄く塗られているのに驚いた記憶があります。

近くで見ると、鉛筆で描かれた鉛筆の跡が見えていました。

その上、塗られている絵の具が細部にまで塗られていないところもありました。

洋画で塗り残しというのは、あまり見られないので、

「いいのか?」という単純な考えを持って見ていました。

マチスの絵の伸びやかさや色の美しさに参ってしまったわたしは、

「もし、この画風を真似て書いたとしても、それはあまり意味がないだろう」と思い、

マチスの模倣はしませんでした。

マチスの絵を見る快楽は、マチスの絵でしか味わえないと思ったのです。

そんな学生時代のことを思いながら、この本のページを紐解いてみました。

すると、マチスは非常なるデッサン家だというのが分かり、

デッサンのやり方にも独自のスタイルを持っていたのが伺えます。

普通より、非常に近い至近距離で描いていました。

モデルを前にして、見て、そして、くるりと反対の向きになって描きます。

(普通は、見ながら描くことが多い。反対を向く人はいない)

対象をまず見て、それを頭に記憶し、その記憶を描きつけます。

まず、最初にリアルにデッサンをします。

次のデッサンでは、単純化が始まります。

次のデッサンでは、さらに単純化が増します。

その間、消したり描き足したりが繰り返されます。

そうやって、形の本質をつかんで、最大に単純化される。

このことを知って、単なる模倣では近づけないのがよくわかりました。

果物を描いた絵でも、デッサンがたくさん展示してあり、

木炭が消されて灰色になった紙の上から、太い線で描かれている意味がわかってきました。

単純化の過程だったのです。

単純化と言っても、マチスの感性で昇華された形と言った方がいいでしょう。

マチスも時代と共にスタイルの追求があり、

点描画、フォービズム、キュビズムと経て、独自のスタイルを築きます。

形と色、独自の空間の追求です。

そして、晩年には切り絵のスタイルが出来上がるのです。

塗り残しの疑問については、作品を描く過程で重要視していることの優先順位があって、

そうなっていると思いました。

その作品に対しては、形や線の在り方が重要で、それ以外はかまわないのだと思い至りました。

そう思って見ていた美術館で出会った作品は、下の絵です。

1940年の夢(Le rêve de 1940):マティス、色彩の魔術

↑「1940年の夢」

白いカンバスが見えていることによって、かえって躍動感があったりします。

きちっと塗ったからといって、たいして変わらない、

また、筆の勢いの気持ちがいい伸びを殺してしまうとか、

マチスの中では、精密な感覚があって出来上がっているのだと思いました。

今回の一番の発見は、マチスは素描家であるということ。

色の美しさばかりに感激していましたが、素描が土台になってそれが可能なのだと。

だから、マチスは、物凄い量のデッサンがあり、鍵の掛かった引き出しに、

それもたくさんの引き出しに収納しているそうで、

あっちの入れ物、こっちの入れ物の引き出しの鍵を開け、

取り出しては、アドバイスもしくは、マチスの考えを述べたそうです。

マチスは、素描を極めていった、究極まで行った人だから、

こういう絵が描けるのだと納得しました。

また、作品の収納は、どの画家も頭を痛めていることなので、

マチス先生は、引き出しに入れているのだなぁと興味深く読みました。

 

この本は、ヒロクニさんの方が先に読んでしまい、

「巨匠だねぇ。だけど、私はピカソの方がいい」と言われ、

読んでいる最中に言うなんて、と思い、

「わたしは、どちらかと言えば、マチスの方が好きだ」と答えました。

「ピカソの“動”の部分がいいのでしょ。マチスも穏やかなようで、主張も激しい人なんよ。

 ピカソの奥様のフランソワ―ズ・ジロ―にモデルになって欲しいと、こともなげに誘ったりして、

 ピカソは、激怒してたのよ。

 二人はいい勝負するのよ。」と、反抗気味言う。

言い足りないから、「あなた、もっと美しい絵を描いてよ」等と言うと、

「俺は、きれいな絵なんて描かないんだ。そんな絵は真っ平御免だ!」と言われ、

少し悲しくなった。

攻撃的な絵を描くつもりなのかもしれない・・・。

最近、攻撃的なものを見ると、疲れる傾向にあるわたし。

反対に夫は、歳をとっても、肩ひじ張って生きていくみたい。

まあ、元気が一番ということにしておこう!

 

 

最後に、ヴィクトリアケーキを作ったので、

その途中経過の写真を。

↑この度は、スポンジケーキを焼いて半分にせず、

パウンドケーキの硬さの生地を二枚焼いて作ってみました。

本格的なイギリスのレシピで作ってみました。

育てているラズベリーから、ジャムを作ったものを頂いていたので、張り切りました。

イギリスのバタークリームは、バターと粉砂糖を練って作ります。

卵を入れず、とてもシンプルなもの。

味は、プレーンなパウンドケーキにバタークリームとジャムをはさみます。

写真に中央の方にバタークリームの上からジャムをのせ、

もう1枚のパウンドケーキを押し付けました。

パウンドの端から、クリームやジャムが垂れてこないようにしてみたのです。

そして、もう一度クリームが固まるまで、冷やしました。

このラズベリージャムが市販のものより、とても美味しくて、

いいヴィクトリアケーキが出来ました。

ヴィクトリア女王が好きなケーキだそうで、イギリスではポピュラーなケーキです。

フワフワしていなくて、かっちりしているイギリスらしいケーキになりました。

 

今日は、マチスの絵について書いてみました。

好きな画家が、わたしも好きなマチスの絵について語るというのが、

ポイントでした。

これからマチスの絵を見るのが楽しみになったということであれば、嬉しい限り。

少し分かってきた。

また、少し分かってきた。

と、少しずつ分かっていくというように、その分かる楽しみを私自身がしている最中です。

至らない部分は多いと思いますが、

わたしがなるほどと思った部分は伝わっただろうか。

今日も、最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 

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